第32話 霧の中で

 これで四人の発表が全て終わり、いよいよ後は投票を残すのみである。

 今回も前回同様、一人三票まで投票できるルールだ。

 ……ん? なんか鶴松先輩がじーっとこっちを見てる。どうしたんだろう?


「おい、こじらせ進行役。早く投票用紙をよこせ」


 あっ……! 自分の投票のことばかり考えていて、進行役なのにまだ皆に投票用紙を配っていなかった。……進行役失格である。急ピッチで用紙を作成し、皆に配ると、きょとんとした顔で用紙を受け取る人が一人。


「……これは僕も参加していいものなのか?」


「はい。雨宮先輩は発表してないですけど、みんなの発表聞いてましたし。久方の発表だって、廊下で聞いていたんですよね?」


「ん、まぁ……彼の声が大きいのもあって、おおよその内容は頭に入っているが……」


「それなら先輩も投票お願いします。僕も進行役で発表してないけど、投票しますし、みんなで投票した方がきっと面白いし、バトルも盛り上がると思うので」


 雨宮先輩は僕の考えを聞くと、鶴松先輩の方をちらと見て、胡乱げにつぶやく。


「……彼は、僕の参加を快く思っていないようだけど?」


 僕が鶴松先輩の方を見ると、鶴松先輩はあからさまな敵意を剥き出しに雨宮先輩を睨む。


「……こいつはただ見学してただけだろ。投票に参加するつもりはないと思うがな」


「ふーん……君はまたそうやって僕を除け者にするつもりなんだね」


「狸野郎め。はなっからまともに参加する気がなかったくせによく言うぜ。おい、高野。こんなやつ放って、さっさと投票始めろ」


 事情は知らないけど、二人と付き合いの浅い僕から見ても、鶴松先輩と雨宮先輩は犬猿の仲だ。鶴松先輩と白石先輩も喧嘩ばかりしてるけど、雨宮先輩との口論はやっぱりちょっと違う印象を受ける。飄々とした軽笑いを交えて話す雨宮先輩は、文芸部と鶴松先輩の様子を見に来ただけで、きっとビブリオバトルには少しも興味が無いんだろう。それは言動の端々から伝わってくる。そして、それがわかっているからこそ、鶴松先輩は雨宮先輩を投票に参加させたくないんだ。

 だけど……今回のビブリオバトルの進行役は鶴松先輩じゃない。……僕だ。


「ダメです。せっかく発表を聞いたんです。このまま何もせず帰るなんて寂しいじゃないですか」


「僕は別に構わないけどね」


「先輩が良くても、僕が嫌なんです。みんな一生懸命に発表してた。それくらい、先輩にだってわかりますよね?」


「……だから?」


「発表を聞くだけ聞いて、そこに何も意思表示せず帰るなんて……それは真面目に本気で発表していた人達に対して卑怯で失礼な行為だと思いませんか?」


 僕を見る雨宮先輩の口元は笑っていたが、目は残酷なまでに冷たかった。その双眸から放たれる無言の圧力に、しかし、僕は負けずと毅然と、先輩の目を見据えた。


「今回のビブリオバトルの進行役は僕です。見学してるだけの雨宮先輩も、不満な顔の鶴松先輩も僕の指示に従ってもらいます」


 鶴松先輩も雨宮先輩も何も言わず、ただじっと僕に視線を合わせていた。

 剣呑な雰囲気の中、雨宮先輩がフッと自嘲する。


「……言うじゃないか、君。そういえばまだ名前を聞いていなかったね」


「高野悟です」


「ふぅん……覚えておくよ」


 うわぁ……なんか怖い先輩に名前を覚えられちゃったよ……。

 そんな雨宮先輩を見て、鶴松先輩も何か思うところがあったようで……、部室の隅っこの方を見て小さくつぶやいた。


「……無駄口叩いてねぇで、さっさと始めやがれ、こじらせ進行役」


 未だ二人とも不満な顔をしているが、一応は納得してもらえたみたいだ。

 そんな時、白石先輩がマイペースに口を開く。


「よぅし! 今回の投票は人数が多い分盛り上がりそうね! さっ、高野くん! 雨宮くんは初めてだから説明してあげて」


 この人は……!

 ホント、いつも自分のペースを崩さない人だよな白石先輩。だけどそんな白石先輩のマイペースさのおかげで緊張がほぐれて少し楽になった気がする。……先輩、ああ見えて、もしかして僕のことを気遣ってフォローのつもりだったのかな? ふふ、まさかね。


「皆さんに配った用紙には今日紹介された本のタイトルが書いてあると思いますんで、自分が読みたいと思ったタイトルのところに○をつけて、この箱に入れてください。○は一人三個まで。一冊に三つつけてもいいし、ばらけさせてもOKです。ただし! 分かってると思いますが、自分が発表した本には投票しないでくださいね。何か質問がある人はいますか?」


 雨宮先輩以外は全員、一度はビブリオバトルをしたことがあるので、この辺は問題ないと思う。

 久方と鳴瀬さんと白石先輩は三人で投票の決め手や発表の感想を口々に言い合っている。


「いやぁ、今回……俺結構手応えあるんすけど!」


「まぁ久方くんの攻略本、面白かったもん。でも、チャンプはウチね!」


「ふふん、後輩たち。今は好きに言い合っているがいいわ。なぜなら、チャンプ本は私の紹介した『走れメロス』なのだから」


「な……白石先輩がいつになく強気だぞ! 強気な先輩も……美しいっす」


「な、なぎさ先輩にだって、ウチ負けてないですもん!」


「お前ら…………投票本の話し合いじゃなかったのかよ……」


 議論が白熱するあまり、いつまで経っても投票しない三人の様子を見て、鶴松先輩が呆れ交じりにつぶやいた。


「なぁ、君……アレは放っておいていいのか? 組織票とかの可能性も……」


 横目で様子を見つつ、雨宮先輩は僕に尋ねる。

 文芸部ではいつもの光景だが、雨宮先輩は普段、部室にいないもんね。


「あの三人に限って組織票とかあり得ないので大丈夫ですよ。みんな、やっぱり自分の好きな本がチャンプに選ばれて欲しいですからね。それであんな自慢大会みたいなコトになってるんです」


「そうか……。ちなみに一つ質問なんだが、仮に一つも投票したい本がない場合はどうすればいいんだ?」


 一つも投票したい本がない!? そんな事態、想定していなかったけど……。

 あんなに熱のこもった発表聞かされちゃ、少しくらい読みたくなるもんだと思うけどなぁ。

 雨宮先輩はどこまでもドライで機械のように感情を無くした人間なんだろうか。


「少しでも読みたいと思った本は無かったんですか?」


「あくまで仮の話だ」


 若干照れ気味にそうつぶやいた雨宮先輩を見て、僕は安心した。


「なんだ、ちゃんと読みたい本あるんじゃないですか。なら、余計なこと考えずにその本に投票すれば良いんですよ」


「だから、僕は仮定の話をだな……」


「もしかして、雨宮先輩、ビブリオバトルに興味あるんですか?」


「どこをどう聞いたら、そういう解釈になるんだ!?」


 うわ……柄にも無くぷりぷり怒り始めたぞ雨宮先輩。てっきり、ビブリオバトルに興味がわいてきて、詳しいルールを知りたくなったのかと思ったんだけどな。


「まぁそんな細かいことは後で勝手にどうぞ」


「君……それで進行役といえるのか?」


 さてと……。僕も自分の分の投票をしないといけないな。

 改めて、今回のビブリオバトルを振り返ってみる。


 一番手の久方の紹介本は『ドラゴンバスターズXI 完全攻略BOOK』。言わずと知れた名作ゲームの攻略本だ。ビブリオバトルでは好きな本を持ち寄って構わないのだけど、ゲームの攻略本を持ってくるとは思わなかった。だけど、久方は発表で攻略本ならではの良さとして、ゲームプレイ時の思い出を振り返って追体験できるのだと紹介した。昨今はネットで攻略法を調べる人が多い中、久方は攻略本の良さを皆に示したのだ。彼の発表を聞いた後、僕も久しぶりに攻略本を開いてみたくなったもんな。


 白石先輩の紹介本は国語の教科書にも載っている、太宰治の名作『走れメロス』だ。

『走れメロス』は比較的短めの小説で、僕も初めから終わりまでストーリーを覚えていたけど、

白石先輩の上手い語り口に乗せられて、また読み返したくなった。特に、メロスも僕たちと同じように、悩み、葛藤しながらも前を向いて走る等身大の人間なのだ、という白石先輩の言葉に強く惹かれた。


 鶴松先輩の紹介本は『アナログ世代の挑戦』だったな。アナログ機器の良さに気づいた著者が、スマホなどの現代デジタル機器を愛用している人との議論をまとめたドキュメンタリー風の本だ。

 著者のアナログに対する傾倒が凄まじくて、本の内容は面白そうに感じたのだけど、鶴松先輩は雨宮先輩の方ばかり気にして、終始発表に集中していないようで、先輩らしくない発表だったな。

 ビブリオバトルはあくまで読みたい本を決めるバトルだから、本来発表の善し悪しは関係ない。

 だけど、自分が普段読まないような全く知らない本の場合、どうしても発表内容によって、面白そうだと感じたり、反対につまらなく感じてしまうこともある。そして、今回の場合、発表に集中できていない鶴松先輩は、残り時間の計算を誤り、尻切れとんぼのように発表が終わってしまっていたし……あまり印象は良くなかったなぁ。


 アンカーを務めるのは鳴瀬さん。彼女が発表したのは『How to use Magic』という洋書の日本語訳本だ。オカルト好きの鳴瀬さんらしく、今回紹介したのも、魔法に関する本だ。物語に出てくる魔法や、オカルト界隈で取り沙汰される黒魔術や錬金術がもしも現代社会で使えたら……というコンセプトを基に書かれており、各種魔法の使用法や注意点がユーモアを交えて紹介されていて非常に面白そうだった。またオカルトか……という皆の悪い予想を裏切る良い発表だった。


 投票できるのは三票……どの本に投票しようか…………。


 いつの間にか、まっさらな心でただ純粋にビブリオバトルに熱中した自分に気がついて、僕はなんだかちょっぴりおかしくなって小さく笑った。


 ――そのとき、不意に胸の中で声が響く。


「それで……いいのか?」


 自分の中の自分にそう聞かれた気がした。


 中学の時にあんなことがあってビブリオバトルをやめてから、もう関わることもないと思っていたのに、何がどう転んでか、また以前のようにこうして投票本を真剣に悩んでいるんだ。僕はまた同じ事を繰り返しているんじゃないか?

 加速する思考の中で、目の前の光景がだんだん狭まって霧に包まれたようにぼやけていく。周りにいたはずの皆の顔が遠ざかっていく。やがて僕の目の前に彼女が現われる。彼女は僕に視線を合わせようとせず、ただ俯いてこう言うのだ。


「君はまた同じ道をたどるつもりなの?」


 そうつぶやいて彼女の姿がフッと消えて、ただどこまでも深い、底があるのか分からない沼に僕はいた。沼には暗く冷たい霧が立ちこめていて、不気味なまでの静けさに満ちている。霧に視界を閉ざされたまま沼に足を取られた僕は、もがくでも、何をするでもなく、足の先からゆっくりと冷たい沼の水に浸かっていく……。

 彼女は……涼は、僕がまたビブリオバトルをやっているなんて知ったらどう思うだろうか? きっと……幻滅するだろうな。彼女を傷つけ、彼女の世界が壊れた原因となったビブリオバトルを、きっと彼女は恨んでいるだろうから。それなのに僕はまた――


「――い。おい、こじらせ進行役!」


 鶴松先輩の呼びかけにはっと顔を上げると、みんなが僕を心配するように見つめていた。


「高野くん。もうみんな投票終わったよ?」


「そうそう。進行役が投票しないんじゃいつまで経っても結果が決まらないでしょ。ウチも結果楽しみにしてるんだから!」


「まぁ君が俺の攻略本に投票するであろうことはわかっているがな。はっはっは」


「自由人か、君たちは……。鶴松。いつもこんな感じなのか?」


「…………残念ながら、文芸部はいつもこんな感じだ」


 口々にそうつぶやくみんなの表情を見ていると、濃霧の中に差し込む光のように胸の内が晴れていく。

 はは……ダメだな、僕は。これじゃホントにこじらせ進行役じゃないか。


「ん? もう決まったのか、こじらせ進行役」


「なんなんですかもう! その呼び名定着させないでくださいよ!」

 

 先輩に文句を言いつつ、僕は○をつけた投票用紙を箱に入れた。

 これで全員の投票が終わったことになる。


「それじゃお待たせしましたが、結果発表です。恨みっこ無しですからね!」



 箱を開いて皆の投票用紙を集計し、結果をまとめる。



 そして――チャンプ本が決まった。

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