第30話 らしくない
白石先輩の発表も終わり、続く三番手は鶴松先だ。いつもは飄々としているのに、今日の鶴松先輩はやっぱりどこかおかしい。さっきからずっと、雨宮さんの方をチラチラ見ては、苦い顔をしている。
「次、鶴松先輩の番ですよ」
「……ん? ああ、そうだな」
朧気な不安を感じつつも、僕は発表開始の鐘を鳴らした。小気味よい鐘の音が部室に響いて、鶴松先輩の発表が始まった。
「俺が今日紹介したいのは、この本『アナログ世代の挑戦』だ。たぶん、この中で読んでるのは俺くらいだろうな」
鶴松先輩が皆に紹介してみせたのは、文庫本よりちょっぴり大きいサイズの新書本だった。
『アナログ世代の挑戦』……なんだかNHKの番組っぽいタイトルだけど、どんな内容なんだろうか。表紙は初老の男性が厳しい顔でスマートフォンを見下ろしているという構図で、いかにもといった感じの真面目な本の雰囲気である。間違っても久方が紹介した攻略本とは一線を画するような硬派な表紙の新書本を見て、僕はぐっと唾を飲み込んだ。
「さて。突然だが、お前らの中にスマホ持ってないやついるか?」
鶴松先輩の問いかけに対して、皆、一様に首をふるふると横に振った。
当たり前だろう。このご時世でスマホを持っていない高校生を探すなんて非常に難しいと思う。
久方なんてそれこそ、授業中も肌身離さずゲームアプリを起動しているくらいなのだ。
「まぁいないよなぁ。ところが、この本の著者はスマホを持っていない。それどころか、携帯電話さえ持っちゃいないんだ。
著者はこのおっさん。彼は大手IT企業の幹部を務めたこともある、ITに関しちゃ相当の専門家だ。そんな彼がとあるきっかけでアナログの素晴らしさを再発見し、アナログ生活を営むようになった。そしてやがて、周囲の人々にアナログへの回帰を訴えるようになった。
この本はそんな、アナログを愛する著者と、デジタル機器を手放せない生活をしている人達との討論インタビューをまとめたものなんだ。あらすじは大体こんな感じかな」
なるほど、硬派だけど面白そうな内容だ。
現社の教科書に書いてあったけど、現代日本は高度デジタル化社会と言われていて、一家に一台パソコンがあるのは当たり前。ネットがなければ、現代人は翼をもがれた鳥に等しい。SNSのために余暇の全てを懸けている人も多いのだとか。
なんで僕がこんなにしっかり説明できるのかというと、良くも悪くもこの間の補習の成果だ。数学のついでに現社の小テストでもやらかしてしまい、あえなく補習になってしまったのだ。もちろんおたく野郎も一緒だ。あいつは補習の間もスイッチをやっていたが、結局バレて没収されていた。
……まぁ、僕らのクラスでは日常の光景である。
ともかく。
デジタル機器はもはや生活になくてはならないもの、というのが一般の人の意見じゃないだろうか。鶴松先輩が紹介する本の著者は、世間の認識からだいぶズレた考えの持ち主なのかも。
……ん? 鶴松先輩、発表を中断してどうしたんだろう?
発表前も雨宮先輩の方を気にしてたみたいだけど……こうしている間にも時間は進んでいる。
ビブリオバトルでは発表時間を厳守するのが鉄則だ。鶴松先輩もよくわかってるはずなのに。
「鶴松先輩? どうかしたんですか?」
「……ん? ああ、すまん」
どうやら雨宮先輩の存在が気になって、自分の発表に集中できていないらしい。いつもの鶴松先輩らしくないな。
一方、雨宮先輩はそんな鶴松先輩の様子を眉尻を動かさず黙ってじぃーっと観察している。直接発表の邪魔をしているわけではないから、進行役としても僕には何も言えない。ビブリオバトルに全く集中できていない鶴松先輩の姿を見ているのが、なんだか無性に歯がゆかった。
ほとんど聞こえないくらい小さな舌打ちをすると、ふぅと息を整えて、鶴松先輩は発表を再開した。
「……さてと。俺も著者の昔人な考えに興味をそそられてな、本を買って読んでみた。
この本の中で、著者は五人の人間と討論している。それぞれが検索サイトやSNSにAI、多種多様なアプリに、ネット通販など、現代人の生活を支えているテクノロジーに精通していて、常日頃から愛用している人たちだから、深い知識を持っているし、機器をそれこそ自分の手足のように自在に使いこなしているような人たちだ。
討論を全部話すと、発表時間がすぐ終わっちまうからな。今回は特に見所だと思った、SNSアプリ愛用者との対談をかいつまんで紹介しよう」
そこで僕は終了一分前の鐘を鳴らした。
鐘の音を聞いて、発表時間の管理が思うようにいってないらしく、鶴松先輩は渋面をつくる。
時折不自然な間が入ったり、発表が途切れ途切れになっていたのだ。想定した時間配分と違っていても当然だろう。
鶴松先輩は自分で思っている以上に、雨宮先輩にペースを乱されている。
きっと、ビブリオバトルをしていても、頭の片隅では文芸部の廃部の件がちらついて集中できないんだ。だけど……これは鶴松先輩の発表だ。助け船は出せないし、出しちゃいけない。僕には発表を見守ることしかできない。
「……SNSアプリはお前らも日常的に使っているだろうが、もしSNSがなかったらどうなるか考えてみてほしい。
例えば、友人との連絡だって電話やメールに変わるだけで、すげー面倒くさく感じないか? 俺は面倒に感じたし、それだけ俺たちもSNSサービスに依存しているってわけだ。
だが、驚くことにこの本の著者は、本当に緊急の場合は別だが、基本的に友人との連絡手段にSNSを使わないばかりか、電話もメールも使わないんだ」
SNSはスタンプで気軽に気持ちを表現できたり、反応が即座に返ってくるから連絡手段として非常に便利なのは間違いない。それが、一々電話しなきゃいけないと思うと、別に直接会って話すわけじゃないのに、ちょっと重く感じるのは不思議だ。鶴松先輩が言うように、それだけSNSのコミュニケーションに依存してるってことなのかなぁ……。
だけど、著者は電話もメールも使わない。まさか、一々直接会って話すのか? いや、まさかねぇ……?
「著者は友人と連絡を取るのに文通という手段を使っているんだ。そんな化石みたいな人間、滅多にお目にかかれるものじゃない。
文通を馬鹿にする気はないが、やはり通信手段としてはSNSの方が便利だろ?
討論でもそこに焦点が当てられることになった。文通よりもSNSの方がやりとりが手軽なだけでなく、交流できる人数も多くなるではないかという質問に対して、著者は真っ向反対の立場を曲げなかった。
この時の回答がなるほどと感心する内容だったから紹介すると……、
著者曰く、SNSの手軽さや交流範囲の広さは便利である一方、デメリットも多い。どういうことかというと、SNSは交流範囲が広がりすぎてしまうため、それほど交流の深くない相手とコミュニケーションする時もあるし、やりとりが手軽すぎて、本音で語ることは中々ない。
考えても見ろよ。例えば、SNSで届く合格通知と、文書で届く合格通知。
どっちの方が重みがあるかといえば、後者と答える人が多いだろう。
不思議だよな。だって、通知の内容は同じで伝達方法が違うだけなんだぜ? それなのに受け取る側の感情は違うんだ。
それに文通なんて、よほど気のおける間柄じゃないとやらないだろ?
すると自然に、やりとりの内容も本音の混じった濃い内容になる。もちろん交流範囲は狭まるけど、逆に考えれば、心から連絡を取り合いたいと思っている相手とだけやりとりができるってことは、余計な人間関係から解放されるってことだ。SNSで知らない人と知り合うのは素晴らしい技術である一方、大なり小なりエネルギー使うと感じる人は多いと思うしな」
僕はそんなに熱心にSNSを触る方では無いけど、テレビのワイドショーとか見ていると、SNS関連の事件やトラブルも結構取り沙汰されている。その点、本の著者が言うように、文通は交流したい思いがよっぽど強くないと長続きしない。便箋代や切手代だってバカにならないし。
そう考えると、文通の方がより密な関係が築けるという著者の主張には納得できるかも。
でも、先輩……大丈夫なのかな?
僕は手元の時計の針の動きを注意深く見つめる。
「これは討論の抜粋に過ぎない。本文には今紹介した以上に様々な議論が展開されているんだ。一見すると馬鹿馬鹿しく思える主張も多いけど、終いには妙に納得できてしまうのが不思議だな。そうだな例えば……スマホの地図アプリにしたって」
続く鶴松先輩の言葉はチン、チン、チーン! という鐘の音によって遮られた。
事態を察した鶴松先輩は悔しげに顔を歪ませる。
発表を聞いていた久方がきょとんとして言う。
「ん? 高野くん、まだ先輩の発表終わってないけど」
彼が言うように、鶴松先輩の発表は鐘によって尻切れとんぼに終わった。
弁論大会なら論が着地するまでしっかり発表を続けるのが本道だろう。だけど、これはビブリオバトル。言いたいことを全部伝えられなくても、規定の時間を過ぎれば、発表は終わる。
「五分経ったから、発表は終わりだよ」
「でも、発表まだ途中なんだぜ?」
「発表時間が五分っていうのは絶対だから、途中だろうがなんだろうが関係ないよ。続いて質疑応答の時間だけど……、何か質問がある人は?」
僕の問いかけに、手を挙げる人は誰もいない。
鶴松先輩の発表が途中で終了したことに、皆、ショックを受けているみたいだ。
今までのビブリオバトルでは、皆、なんだかんだで発表時間きっちりに終了していたから意識してなかったみたいだけど、ボクシングのタイムと同じで決められ時間内で発表しあうからこそビブリオバトルが競技として成り立つんだ。厳しいようだけど、仕方ない。
時間制限が無ければ、ただの弁論大会になってしまう。それじゃ、ビブリオバトルじゃないし、進行役の僕がここにいる意味がなくなってしまう。
そうして気まずい雰囲気の中、二分ほどが過ぎて、ようやく手を挙げたのは鳴瀬さんだった。
「鶴松先輩の発表、途中で終わっちゃって残念だけど……でも面白そうな本だと思いました。ウチ、一つ気になったんですけど……どうしよう、やっぱやめとこっかな……」
「なんだ鳴瀬、質問ならしゃんとしろ。時間も少ねえし」
鳴瀬さんは意志を固めるように首を横に小さくふるふるさせると、顔を上げて鶴松先輩を見た。
「その……鶴松先輩はラブレターとかどう思います?」
「は、はぁっ!?」
「な、ななな鳴瀬さん!?」
何を聞くんだろうかとは思ったけど、彼女は本当に一体何を質問しているんだ!? ラブレター!? 話が飛躍しすぎていて僕には意味が分からなかった。なぜか白石先輩は妙に落ち着いていて、すました顔でうんうんと頷きながら成り行きを見守っていたけど。
「だってだって! ラブレターってすっごくアナログな告白でしょ! ドラマ見てても中々ラブレターで告白なんてシーン、最近はあまりみかけないし。……アナログvsデジタルみたいな本を読んで、鶴松先輩はラブレターについてどう思うのかなぁと率直に気になって」
「そうよね。ラブレターって古式ゆかしいロマンだもの。私も本を読んだあんたの考察が気になるところね」
「そうですよね! さすがなぎさ先輩!」
「クソメガネ……てめぇ正気か……?」
「私はいつでも正気よ。ちなみにそのぅ……麻衣ちゃん。麻衣ちゃんはもしかして、こんなゲス男に気があるの?」
「それは全く。久方くんの好きな恋愛ゲームと同じくらい興味ないですね」
「委員長! 百歩譲って俺を馬鹿にするのは構わない! だが! 俺の愛するゲームを馬鹿にするんじゃない!」
「ハァ……それはそれで傷つくな……」
「え、なに!? アンタ! 麻衣ちゃんに何かする気だったの!? 私の可愛い後輩に手を出そうなんて……ホントあんたってゲスよね!」
「俺、何も言ってないんだけど……。なぁ高野、助けてくれよ」
「あと一分ですね」
「…………。久方ぁ~」
「鶴松先輩はイケメンだし、俺とは住む世界違うんで」
「ぐっ…………んだぁもう! 雨宮! 黙ってねぇでちょっとくらい助け船出しやがれ!」
助けを求める鶴松先輩に対し、雨宮先輩は悪そうな顔でにやりと笑う。
「……遠慮しとくよ。僕は観戦者だからね」
「ここには敵しかいねぇな! …………まぁ、鳴瀬が言うようにラブレターは古典的な告白だよな。ベタだし、ときめくヤツも多いんじゃねぇか? 人それぞれだと思うけどな、俺は」
「で?」
びっくりするくらいの真顔で鳴瀬さんは鶴松先輩に詰問する。鶴松先輩の顔は青ざめていた。
「先輩、ラブレター、もらったことあるんですか?」
「はぁ!? それ関係あるのかよ!?」
「質問に答えてくださいよ」
「……進行役! こんなんでいいのか!?」
「あと三十秒くらいですね」
「くそったれが! ラブレター? んなの俺だって……その、ほら……ごにょごみょ…………」
そこで鐘が三回鳴って鶴松先輩の質問タイムは終わった。
先輩は鐘の音が鳴って救われた顔をしていたけど、本当はどうなんだろう?
もらったこと、あるのかなラブレター?
…………一回くらいもらってみたいよなぁ。
鶴松先輩の発表らしくない幕切れに終わって気まずい雰囲気になってしまったけど、鳴瀬さんの質問のおかげで部室の雰囲気もちょっと明るくなった。
……ただ一人雨宮先輩を除いて。
雨宮先輩の口元は笑っていたけど、目は微塵も笑っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます