第五章 こじらせ進行役
第26話 けじめ
「おーっす、久しぶりだな高野」
部室の扉を開けると、鶴松先輩のそんな声が真っ先に飛んできた。皆もう準備万端みたいで、発表する本を机の上に置いて、僕の到着を待ってくれていたらしい。
「高野くん、久しぶり! やっとみんな揃ったね!」
「遅いぞ、高野くん。補習開けの部活なんだからもうちょっと早く来いよな」
「補習は自分たちのせいでしょ……。それより、さ、高野くん。早くやろうよ! みんな待ってたんだから!」
白石先輩も久方も鳴瀬さんも、今回のビブリオバトルにはやる気十分みたいだ。
……僕が参加しないって知ったら、特に白石先輩あたりは落ち込んじゃうかも知れないな。
だけど……先輩には悪いけど、今日は参加しないって決めてきたんだ。僕を見つめる皆の視線に申し訳ない気持ちを抱きつつ僕は席に着いた。
「さて、と。これで役者は揃ったな。んじゃ、始めるかビブリオバトル」
鶴松先輩の声で始まろうとしたビブリオバトルに、僕は待ったをかけた。
「すみません。今回、僕は発表しません。観戦だけでお願いします」
予想通りの反応で鳴瀬さんと白石先輩が残念そうな声を上げた。
「え~! なんで高野くん不参加なの!? 私、楽しみにしてたのにぃ」
「なぎさ先輩の言う通りよ。まさか本を忘れてきた、なんて言わないわよね」
「そうじゃないよ。そうじゃない……けど、今日は…………ゴメン」
すると久方は伏し目がちにふぅと息を吐いてから言った。
「君のことだから、何かわけがあるんだろう? ……理由くらい話してくれてもいいんじゃないか。俺だって、補習開けのビブリオバトル楽しみにしてたんだ」
「ウチだって、前回の復讐をする気満々だったんだもの。何も話してくれないままじゃ、納得できないよ」
僕の発言のせいで部室の雰囲気がどんどん重くなってしまう。皆、僕をじっと見つめて、僕からの言葉を待っている。そんな中、鶴松先輩がぶっきらぼうにつぶやいた。
「……だってよ、高野。こいつらにはだんまりは通用しないらしいぜ」
「…………そう、ですよね」
はは……鶴松先輩にはお見通しか。黙っていても、この人達は納得してくれない。それはきっと本心から僕と一緒にビブリオバトルをしたいと思っているから。
そんな人達を前にして、何も言わずにだんまりを決め込むなんて……そんな卑怯な真似、僕には出来ない!
「……みんなは本当に好きな本を発表してますよね」
僕のつぶやきに、白石先輩が目をきょとんとさせる。
「うん。だってビブリオバトルってそういうものなんでしょ。高野くんが教えてくれたんじゃない」
白石先輩はそう言う。自分の好きな本を生きた自分の言葉で発表しあう。
それがビブリオバトルの本質で、根本となるルールだ。
でも、だからこそ……そこから逃げるわけにはいかないんだ。
「僕にはみんなみたいに、胸張って発表できる本が、今はまだ無いんです。
前回発表した本だって、好きな本なのは間違いない……けど、心から好きな本とは言えない。そんな本をビブリオバトルで発表するのは自分に嘘をつくようで……なによりみんなに嘘をつくようで嫌なんです。
だから……そういう本が用意できるまでは僕はビブリオバトルに参加しません。
みんなには悪いけど、これは僕なりのけじめなんです。わかって…………貰えないでしょうか?」
鶴松先輩も、白石先輩も、鳴瀬さんも、久方も……皆何も言わずに、ただじっと自分の机の上の本に視線を落として黙っていた。
やがて白石先輩が、小さく、けれど不思議とよく通るはっきりした声音でつぶやいた。
「……約束。高野くんが本当に好きな本が見つかったら……その時はちゃんと私たちに発表すること。いい?」
「……はい」
続けて久方が、はにかんだようにふっと笑って、口を開く。
「好きな本が見つかるまで……か。とりあえず、このビブリオバトル終わったら、コミケの予定でもチェックしとくか。俺も一緒に行ってやるからさ」
「……それは遠慮しとく」
手持ち無沙汰な様子で指をくるくると回していた鳴瀬さんは、やがて指遊びを止めると、僕の方を見つめて溜め息まじりに言った。
「ウチはまだ納得してないけど……今日のところは勘弁してあげる」
「鳴瀬さん……ごめん。でも、ありがとう」
「ちゃんと週末空けときなさいよ。県内の図書館全部回ってやるんだから!」
「え、えぇ~! ちょっと待ってよ!」
「なるほど委員長らしい提案だな」
「図書館で本探しなんて面白そう! 麻衣ちゃん、私もついて行っていい?」
「もちろんですよ。なぎさ先輩がいれば、高野くんの好きな本の一つや二つ、すぐに見つかりますって」
なんか僕の意見も聞かずに話が勝手に進んでるぞ……。
「ちょ、白石先輩まで、何、冗談言ってるんですか!」
「冗談じゃないわ。私は本気よ。可愛い後輩のピンチだもの、当然じゃない」
わちゃわちゃと、いつものように部室が騒がしくなってきたところで、鶴松先輩がパチン! 両手を鳴らして場を諫めた。
「……はい。とにかく今日のところは、高野は観戦に回ってもらう。それでいいんだろ、高野?」
文芸部の部長ってやっぱり鶴松先輩の方が適任なんじゃ……ってそんなことよりも。
「先輩、すみません。不参加の分際で差し出がましいかもしれませんが、今回のビブリオバトル、進行役は僕に任せてもらえませんか?」
発表はできないまでも、進行役ならできる。もとより、そのつもりだったし。
「ふぅん……ま、俺はいいけど。お前らもそれで納得か?」
鶴松先輩の言葉に皆、コクコクと首を頷かせる。
「じゃあ、進行は頼んだぞ、こじらせ観戦者A」
「だ、誰がこじらせ観戦者ですか! ……あ、鳴瀬さんも何笑ってるの!」
ともあれ、僕の不参加は皆に納得して貰えたようで、今回は進行役としてビブリオバトルすることになった。とはいえ、特別なことをするわけでもなく、基本的には前回、鶴松先輩はやっていたような司会進行をするだけである。
「ルールの確認ですけど、一人三ポイント制でチャンプ本を決めるってことでいいんですよね?」
「あー……それなんだが、俺から一つ提案がある」
「なんでしょうか鶴松先輩?」
「前回、約一名かわいそうなことになっただろ? だから、今回は終了後の票数開示は無しにしようぜ」
僕も鶴松先輩の提案には賛成だった。そもそもにして、ビブリオバトルって票数を競うものじゃないし。あくまで最も読みたい本を決める会なのだから、票数開示も無いのが普通なんだ。
ところが、この提案に異議を唱える人が約一名。
「えー! なんでですか! 票数わかった方が楽しいですよ!」
鳴瀬さんは前回、得票ゼロという哀しい結果に終わったから、悔しいんだろうけど……。
「ダメだ。またゼロだったら哀しいだろ? それにゼロ票を出さないように、発表者それぞれに投票するってのは、もうゲームとしてつまんなくなっちまうからな。そういう忖度を防ぐ意味でも票数開示は無しだ」
「大丈夫ですよ、先輩。ウチ、絶対ゼロ票になんてならないですもの!」
「そしたら……俺がゼロだったら嫌だし、とにかくナシで」
「えー、ずるいですよ!」
「鳴瀬さん。気持ちはわからないでも無いけど、白石先輩も久方も納得してるし、ここは提案を受け入れて欲しいな」
「ぐむむ…………わかったわよ。今回のチャンプを譲る気は無いからね」
「気合いの入ったコメントありがとうございます。ということで、今回は終わった後の票数開示はナシってことで。その他、発表時間は五分で質疑応答が三分っていうのは変わらないのでよろしくです」
皆がルールを確認した後、じゃんけんで順番を決める。
今回の発表順は、久方、白石先輩、鶴松先輩、鳴瀬さんの順に決まった。
さて、今回のビブリオバトルはどんな展開になるんだろうか……。
発表者として参加しないまでも、僕はすっかり皆の発表を楽しみにしていた。
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