第25話 空白の原稿用紙

 あくびをしながら僕は西校舎の廊下をとぼとぼと歩いていた。地獄の補習がまぁきついこときついこと。なんだってあんなに問題解かされるんだろう。

 休日も学校に行かされるハメになるし、放課後ももちろん久方と二人で補習だ。


 しかし、そんな地獄の補習も昨日でようやく終わり。今日は久々にフリーな放課後……のはずだったんだけど。


 昼休みに白石先輩が教室に来て……


「あーいたいた! 高野くん! 和也くん! 麻衣ちゃん!」


 白石先輩がひょっこり顔をのぞかせて僕らを呼んだ瞬間、クラスメイトたちは困惑の表情を浮かべていた。

 そこらから口々に「誰だよあの美少女?」「高野を呼んでるぜ、彼女か?」「くそう高野のやつ大人しい顔して、すでに俺らの先を行きやがった! 仲間だと思ってたのに!」「なんの仲間だよ」「そりゃお前あれだろ、モテない男子グループって言うかさ」「それ、お前だけだろ中西」「モテない中西はほっとけ。それより、おい、和也って誰だ?」「さあ、知らねえな。中西、知ってるか?」「知らねえな……つうかなんでオタキングも一緒についてってんだ?」


 みんないろいろと、ヒドいと思う。ていうかこのクラスの男子の結束の高さにちょっと引いた。あと、中西くんに妙な仲間意識を持たれていたなんて、初めて知ったよ。


 だが、久方はクラスメイトたちの反応はどこ吹く風。普段は呼ばれない自分の下の名が呼ばれ、満面の笑みで白石先輩の元に駆けつけた。


「白石先輩! 俺をお呼びでしょうか!」


「ははは和也くんはいつも元気だねー」


「先輩。そんなおたく放っておいていいですから。何か用があったんでしょう?」


「あ、そうなの。……麻衣ちゃんは?」


「いませんね。トイレじゃないですか?……と、ちょうど戻ってきました」


「あれ、どうしたの二人とも? ……ってなぎさ先輩じゃないですか。どうしたんです?」


「えっとね、三人に伝言があったの。明日の放課後、部室に集合。また、ビブリオバトルやることになったから、推し本持ってきてね。前回の盛り上がりをふまえて、ビブリオバトルを正式に文芸部の活動の一環とすることになったの」


「なぎさ先輩。別に教室じゃなくて、部室で話せばよかったじゃないですか?」


「えーっと、麻衣ちゃんはいいんだけど、高野くんも和也くんも最近部活来てなかったから……もしかして文芸部のこと嫌いになっちゃったのかな……とか思っちゃって、わたしが直接伝えることにしたの。二人がやめちゃうと、寂しいもん……」


「いやいや。この二人、補習受けてただけですよ。文芸部やめたりしませんって。ね、二人とも?」


「俺はなぎさ先輩がいる限りやめたりしませんよぉぉ!」


「お恥ずかしい話、テストでしくじりまして。僕たち二人ともずっと補習で部活いけなかったんですよ。白石先輩、心配かけてすいませんでした」


 白石先輩はいきなり僕と久方の首に手を回すと、がばっと抱きついた。


「よかったぁ~! ほんとに心配したんだからぁ~っ!」


 無自覚な白石先輩の抱きつきにより、久方の鼻は限界寸前だったことが僕からみてもよくわかったので、無理矢理先輩を引きはがす。


 その久方は幸せそうな顔で「ぐふっ……」とつぶやくと、そのまま仰向けに倒れた。


「和也くん!? 大丈夫!?」


「あー先輩、こんなキモオタ放っておいて大丈夫です。あまり甘やかさない方がいいですよ」


「もー高野くん! あんまり友達のこと悪く言うのはよくないよ!」


「ち、ちがっ! 僕はこいつのためを思って言ってるんですよ!」


 僕と白石先輩の会話を横で聞きながら、鳴瀬さんは腹を抱えて笑いをこらえるので手一杯の様子である。


「とにかく明日の放課後、ビブリオバトル用の本を持って部室に集合だからね!」


 それだけ言い捨てて、白石先輩は階段の方へ駆けていった。二年生の教室は一年生の上の階にあるのだ。



「……というわけみたいだけど、久方くん? いい加減起きたら?」


「白石先輩が俺を呼んでくれた……白石先輩が俺を呼んでくれた……白石先輩が……」


 なんだこいつ、もはや病気なんじゃないか?


 一向に正気を取り戻さないおたくの様子を見ると、鳴瀬さんは怜悧ににっと笑い、幸せな顔の彼につぶやく。


「久方くん……。いい加減にしないと、あなたがエッチなゲームやってるのなぎさ先輩に言っちゃうわよ?」


 瞬間、久方は真顔になっていやに姿勢正しく立ち上がる。鳴瀬さんの口撃は効果抜群だったらしい。


「ちょ、なんで委員長がそんなこと知ってんだよ!」


「へー……ホントにやってるんだぁ」


 哀れ……久方はまんまと鳴瀬さんの毒牙にかけられたのであった。


「ハッタリ……だと!? 俺にカマをかけたのか!? くそうぅぅっ!」


「まぁいいんじゃない。高校生の男子だもの、ふつう、ふつう。どうせ高野くんもやってんだろうし」


「な、僕をこいつと一緒にしないでくれよ!」


「いいのよ。ウチは気にしないから。でも委員長として、せめて学校でプレイするのはよしてよね」


「するかあああああ!」


 鳴瀬さんはこほんと一つ咳払いをすると、制服のリボンの位置を直してからつぶやく。


「茶番はいいとして、みんなもう本は決まってるの? 決まってないなら、町の図書館に行ってみない? 補習も終わったし、どうせヒマでしょ」


 どうせヒマという言葉にちくりと胸が痛んだが……ううむどうしよう。図書館へ行くのは別にかまわないんだけど、僕は明日のビブリオバトル参加する気はないし……。前回鶴松先輩がやってくれた、司会進行係をやろうと思っていたから、別に本を選ぶつもりはなかった。……だけど、鳴瀬さんのことだから、ビブリオバトル参加しないなんて言えば、また面倒なことになりそうだし……。


「いや、俺は遠慮しとくよ。みんなに紹介する本なら俺、もう決まってるし」


 そう言ってのけた久方の顔は自信に満ちあふれていた。なんだろう……前回の『妹萌えの旦那をどうにかしたい件』もなかなかパンチの効いた発表だったけど、こんなに自信満々なんだ、よっぽど面白いと思った本なんだろうな。久方のことだから、やっぱりライトノベルだろうことは想像つくんだけど、気になるのはジャンルだ。やっぱりハーレムものだろうか……うん、気になるかも。


「ふぅん、そっか。高野くんは?」


「僕も、別にいいかな」


 鳴瀬さんには悪いけど、やっぱり参加する気がない僕が図書館へ行く理由もないし。


「ちぇー。二人ともノリ悪いよね。いいよ。明日の発表みてなさいよ! 次の発表、みんなをオカルトの世界に引き吊り込んでやるんだから!」


 うわ……やっぱりオカルト本なんだ……。


 前回のビブリオバトル、鳴瀬さんはその個性的すぎる趣味を披露し、知識の深さをアピールするとともに、どん引きさせ、誰からも票を入れられないという鬱き目にあっていた。


 それだけに今回のビブリオバトルにかける思い入れも強いみたいだ。鳴瀬さんと久方の発表が楽しみでもあり、しかし、参加しない身としてはちくりとした寂寥を覚えるような、そんなふうに感じた。




   ◇ ◇ ◇




「あ、いたいた! 宮野さん!」


 放課後の教室。帰ろうとした私を呼び止めたのは、同じ部活の谷川さんだった。


「谷川さん? 私に何かあった?」


「宮野さん、もう課題提出した?」


 彼女の言う課題とはおそらく、部活の課題のことだろう。

 白城野学園高校はもうすぐ創立祭の季節だ。創立祭では特に文化系の部活が中心となって、様々な出店を出したりして、さながら春の文化祭という感じに盛り上がるのだ。わたしの所属している文芸部も、創立祭で冊子を販売することになっていて、その冊子に載せる作品の提出期限が近づいていた。部員は小説、評論文、俳句、短歌、詩などのジャンルから好きなものを選び、一つ作品を提出することになっていた。


「私は、いい。今回は俳句だけで」


「えー! 一緒に小説書こうよ。リレー小説のメンバー足りなくて困ってたんだよ」


 私は今回、俳句を一句提出したし、残念だけど、谷川さんのリレー小説に付き合う理由もない。


 ちなみにリレー小説というのは一種の遊び小説で、途中途中で作者が交代しながら一つの物語をつくるというもの。私も昔、幼なじみとよく一緒に書いていたんだけど……今はとてもじゃないが書く気になれなかった。


「もったいないよ。この間の現代文の授業で宮野さんの作文みたけど、文章書くの上手だもん。前に小説書いたことあるんでしょ?」


「中学の時に少しね。今は書いていないし……授業で書いたのは感想文だったじゃない」


「感想文でもすごいよ。私は宮野さんの感想文好きだけどなぁ」


「ありがとう」


「んで本題なんだけど! やっぱり宮野さんにも協力してほしいの! 今すぐとは言わないから考えてもらってもいい? 一応、これ渡しとくから!」


 いや、だから私は書かないって……。私がそう言う前に谷川さんは原稿用紙を置いて走り去ってしまった。ほんとに勝手な人だ。


 机の上の原稿用紙をぱらぱらと眺める。


 タイトルは『とある姫様の旅路~連れ去られし勇者を求めて』か。ふふっ。なんだか悟が好きそうなタイトルね。悟、今頃何してるんだろうなぁ。一緒の高校に行けると思っていたのに。あんなことがあったせいで。でも、変な意地をはっちゃったのは私の方か……。


 あの時の事を思い出すと自分がどんどん嫌になる。どうしてあんなこと……言っちゃったんだろう。悟には悪気がないってこと……わかってたはずなのに。気持ちが動揺しちゃって、ついカッとなって…………バカみたい。


 小さい頃からいつも一緒に過ごしていた幼なじみの悟は、いつも一番に私の小説を読んでくれていた。短編も長編も小説をいくつも書いたけど、彼は全部読んでくれた。中には破綻しているような物語や、読むに堪えない物語がいくつもあったと思うけど、彼は全部読んでくれた。嫌な顔一つせずに、物語のたわいもないシーンについて、感想を言ってくれた。時には悔しいような感想もあったけど、それでも私は彼が読んでくれることが嬉しかった。


 思えば、私は彼が読んでくれるのが嬉しくて小説を書いていたんだ。


 だけどきっともう……読んでくれることはない。たった一人の大切な読者の心を、私は自分のせいで閉ざしてしまったんだから。後悔してももう遅い。それに……またあの時のようになるのは私自身、きっと耐えられない。物語は人に読ませるものじゃない。自分の頭の中にだけあれば、誰にも迷惑をかけないし、自分が傷つくこともないんだから。


 マスの空いた原稿用紙を見下ろす。空白の原稿用紙を見ていると、言い知れない圧迫感をひしひしと感じて、思わず目を背けた。


 頭の隅にはいつも、途中で止まっている物語がある。誰にも続きを望まれない物語はもう死んだも同然なのに、その物語はずっと頭の隅にこびりついて離れない。忘れたいのに、頭の中から消してしまいたいのに…………心のどこかで続きを期待している自分がいた。


  そういえば、悟は文芸部に入ったって言っていた……。

 悟が今更、文芸部に入るなんて信じられなかったけど、彼は今何をやっているのだろう。小説を書いているのかな?

 それとも中学の時のようにビブリオバトルを…………。



 叶わない願いだって事はわかってるけれど……もし、神様がいるのなら……。




 もう一度だけ、悟のビブリオバトル見てみたかったなぁ。

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