第23話 チキン
教室で授業を聞きながら、鳴瀬麻衣はやきもきしていた。
高野と久方は一体いつになったら帰ってくるのか。早くしないと授業が終わってしまうではないか。それよりなにより、先生を誤魔化すのも大変になってきたところである。
「あれ~そういえば、久方がいないな? まだ保健室から帰ってこないのか?」
藤野先生もさすがに怪しく思い始めてるみたい……。
「えっと久方くんのことだから、たぶん途中でトイレにでも行ってるんじゃないですかぁ?」
「それにしても長いな。あいつめ、まさか俺の授業をサボる気か」
「先生。久方くんはサボるなら堂々とサボりますよ。昨日も授業中にゲーム機没収されたくらいですよ?」
それを聞いて、教室にどっと笑いが起こる。
久方が授業中にゲーム機やらトレーディングカードやらを没収されるのは、このクラスにとって日常茶飯事。彼が奸計をめぐらし、こそこそとずる休みをするような人柄じゃないことはクラスの皆はもちろん、藤野先生も知っているはずだ。
「ま、それもそうか。大方、腹痛でトイレにこもってるとかそんなとこだろうな」
藤野先生は一つ頷くと、チョークを握り直し授業を再開する。
麻衣はほっと胸をなで下ろし、窓の外を見やる。先ほど、校舎をこそこそ不審者のごとく出て行く二人の姿が窓から見えたけど、そろそろ戻ってきてもいい時間だ。麻衣が先生達にバレないようにこっそり学校からの脱出ルートを作っていたのだが、二人は気づいただろうか。
麻衣は窓の外の山並みを見つめ、思う。
――二人とも早く戻ってきてよ。誤魔化すのも結構大変なんだからさ。
~~~再び、高野と久方~~~
水やりをしている校長先生を出し抜き、正門を突破するために久方が考えた作戦はこうだ。
近所の人を装って、校長先生に話しかけ、ご神木をやたらと褒めちぎる。
校長は毎日の水やりを自分でやるほどに強い思い入れがあるから、木が褒められれば、自分が褒められたかのように喜ぶだろう。そして、校長がご神木についての自慢話を聞いた後、そのまま笑顔で学校を出て行くというものだ。
名付けて『みんな笑顔でハッピーエンド大作戦!』……と久方は意気揚々と言っていたんだけど……。
「あのさ……これ、上手くいく気がしないんだけど」
「なぜだ? 好きな分野について興味を持ってくれる人がいたら、ついつい熱く話し込んでしまうものだろう?」
あくまで久方によれば、自分の好きな分野のことについて熱弁振るっている間は余計なことを考えない。だから不審な二人組がいても、特に気にせずスルーしてくれる、らしいんだけど……。
「そんな都合良くいくかなぁ……」
「大丈夫だって。こないだのビブリオバトル思い出して見ろよ。委員長がオカルトについて語り始めて暴走してただろ」
確かに……そう言われると妙に納得なんだけど。
鳴瀬さん、オカルト話始めると止まらないからなぁ……。
「そんな危ない橋渡るよりさ、来る途中に偶然見つけたんだけど、校舎裏のフェンスがさ……」
「あのー、すみません」
僕の話を最後まで聞かずに久方は早速、校長に声をかけていた。なんとも行動の早い男だ。
「はい? えっとあなたたちは?」
「あーその……凄く立派な木だなぁと思いまして」
「ほう! この木の良さがわかりますかな!」
「ええ。こんなに立派な木……中々お目にかかれませんからねぇ。ついつい見に来てしました。すみません」
「いーえいえ! やはりわかる人にはこの良さがわかるんですなぁ」
すごい……。久方のやつ、校長とフツーに和気あいあいと語り合ってるぞ。
僕なら、絶対ボロが出る。ここはあいつに任せて黙っていよう。
それから五分ほど。校長先生は本当に久方の言うように、ご神木について熱く語っていた。
いやーご神木気に入ってるんだなぁ、とは思っていたけど、まさかこれほどとは。なんか木の幹にほっぺをすりすりしてるし、もはや変態じゃないか。雷かなんかが木に落ちたら、校長先生どうなるんだろう。ショックで校長室から一歩も出なくなったりして。
「いやぁ……こんなに楽しく話をしたのは久しぶりです。失礼ですが、あなた方の名前を教えていただけませんか。また木について語らいたいと思いましてな」
うわ、まずいぞ。校長、久方と連絡先交換したいくらいあいつのこと気に入っちゃったみたいだ。久方のやつどうやって切り抜けるつもりだろう。ていうか未だ不審に思われてないとは……。ちょっと学校の警備が心配になってきたんだけど。
「いやなに……名乗るほどの者ではありませんよ」
バカな……そんな漫画の中のキャラみたいなセリフが通じると思ってるのか!?
「ふふ。まぁいいでしょう。また是非とも気軽に遊びに来てくださいな」
通じたー!! あんな胡散臭いセリフ吐いたのに!
久方め、僕の方を見てほくそ笑んでいる。心の中で、『どうだ高野くん、俺の作戦は成功したぜ★』などと言ってるに違いない。
ともあれ、僕らは校長先生に手を振って堂々と学校を出ることに成功した。
校長先生は青葉高校のシンボルである大きなケヤキの木を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「あれは確か一年生の久方くんと高野くんか……。青春とは良いものですね」
自分の高校生の頃を思い出して、校長は空を流れる雲を見つめ柔和に笑っていた。
「ねぇオタキング」
「俺はオタキングなどではない」
「……久方、ふと思ったんだけどさ。この訓練、もはやサバゲー関係ないよな」
「それは言うな」
サバゲーってなんだろう……? そんなことを考えながら走ること数分、僕らは目当てのコンビまでやって来た。かなりハイペースで走ったので二人とも息が上がってしまっていた。
「はぁはぁ。とにかくコンビニにはついたわけだが、高野くん時間は?」
「やべぇ。あと十五分もないぞ!」
「嘘! なんでそんなに時間経ってるんだよ!」
「きみが校長先生と長々とくっちゃべってたからだよ!」
とにかく好みのファストフードを一つ買ってきなさいという指令だったから、さっさと買って戻るだけだ。走って戻れば、ギリギリ授業が終わる前に教室に戻れるはずだ。
「久方、早く買い物すませて学校戻るぞ」
ところが久方は一向にレジへ向かう気配が無い。時間が無いのはわかってるはずなのに。
「高野くん、ちょっとまずいことになった」
「何? 財布忘れたの? 僕、持ってるから。早くしてくれよな」
「そうじゃない五百円くらいしか入ってないけど、俺も財布はちゃんと持ってきた」
「じゃあ何が問題だっていうのさ?」
「……無いんだよ。委員長の言ってたチキンが今、売り切れなんだ」
どうでもいいわぁぁぁ!
悩んでたと思ったら、委員長のチキンか! いや確かにメモにはチキンお願いみたいなこと書いてあったけども! 今はんなこと考えてる場合じゃない!
「そんなのいいから! このままじゃマジで授業終わっちゃうって!」
「でもチキンが! 委員長のことだから絶対文句言うって!」
しかし今から作り直してもらっている時間は無い。
……そうだ。チキンならあれがあるじゃないか。
「……これで問題ないでしょ」
「一応、”チキン”だけど……それってラー……」
「細かいことは良いから! 早く行くよ!」
「まぁ仕方ないか。うん。仕方ないね」
買い物を済ませた僕たちは急ぎ学校へ向かう。時計を見ると授業が終わるまで間もなく十分というところ。
コンビニを出て、僕らは学校への道をひたすらに走る。その最中、ふと、久方が苦い顔をしてつぶやいた。
「あ……しまった」
「今度は何?」
「帰りのこと考えてなかった! どうしよう高野くん! このままじゃ、また校長と鉢合わせしちゃうぜ……!」
久方がまたとんでもない失態をしでかしたのかと思ったんだけど……なんだそんなことか。
おたく野郎に散々振り回されたけど、僕は彼と違い、しっかり帰りのことまで考えていた。
「大丈夫。南校舎の裏手に回ろう」
「南校舎の裏? 何かあるのか?」
「南校舎の裏のフェンス、一部小さな穴が空いてる箇所があってね。狭いけど、上手くやればそこから校内に入れそうなんだ」
すると、僕の話を聞いた久方の顔がみるみるうちに蒼白になってゆく。
「な、なな……なんでそういうこと早く言わないんだよ! それならわざわざ校長と長々トークする必要なかったじゃないかぁっ!」
「僕は話そうとしたけど、きみが話も聞かずにさっさと校長に話しかけたんじゃないか!」
「ぐぬぬぬ……まあいいさ。決着は後にしよう。ともかく校舎裏から入れるなら、なんとか授業終わるまでに教室へ戻れそうだな」
そして僕と久方は息をぜえぜえ言わせながら南校舎の裏手までやって来た。
校舎裏のフェンスには人一人がなんとか通れそうな小さな穴がぽっかりと空いている。何がどうしてこんな穴が空いたのだろう? 南校舎のすぐ傍には部室棟があるんだけど、血気盛んな部活の人達が開けたのだろうか? なんのために?
しかし、僕らに余計なことを考えている暇はなかった。何しろあと三分でチャイムが鳴ってしまう。ここまでやったんだ。是が非でも鳴瀬さんの出したミッションを完遂させたい。僕も久方も気づけば気持ちを一つに、廊下を疾走し、階段を駆け上がり……とうとう僕らは教室の扉の前に辿り着いた。
扉を開けると、クラスの皆の驚いた顔が目に映った。
「おお、久方、随分遅かったな。それに高野も。体調は大丈夫なのか? 二人とも疲れた顔をしているが……」
「あ、はい。もう治ったんで」
「いやいや俺、疲れてないんで大丈夫ッスよ」
「でもなぁ、もう授業終わるぞ。まあいいから席に着きなさい。……なんか美味しそうな匂いがするような……気のせいか?」
「き、気のせいですよぉ……ハハ……」
「そうか……? 鼻おかしいのかなぁ?」
僕らはぎくりとしながらも、黙って自分の席に着いた。
それからすぐにチャイムが鳴って、二時間目の数学の授業は終わった。
皆がいつものようにそそくさと教科書やノートを片付ける中、僕と久方は形容しがたい達成感を噛みしめていた。
やったんだ。僕らはやりきったんだ!
実現不可能と思われたイカれたミッションをコンプリートしたんだ!
その証拠に、僕の机の中には懐に忍ばせて持ってきた、フライドポテトが入っている。
最後、藤野先生に匂いでバレそうだったけど、時間が幸いした。すぐにチャイムが鳴ったおかげで、余計な追求を逃れ、無事に授業が終わった。
久方もまた、灰になるまで戦い抜いたボクサーのような満ち足りた表情でぼーっと黒板を見つめていた。
そんな僕たちの様子を見て、鳴瀬さんがやんわりとした笑顔で話しかけてきた。
「二人もお疲れ様。一応時間内に戻って来れたわね。やるじゃない」
「ああ。ホントに大変だったよ」
「苦労話はあとでゆっくり聞くわ。それで……ウチの頼んだものは?」
久方は挙動不審な素振りで、レジ袋を鳴瀬さんに手渡した。
「その……これは高野くんが選んだから。俺は関係ないから。さて、と。休み時間だし、俺はこれで」
「……言っとくけど、チキンが売り切れだったから苦肉の策で。僕もちょっとトイレ行ってこよ」
「二人とも何を焦っているの?」
焦る僕らを訝しみつつ、鳴瀬さんが袋の中を見つめ、そして言った。
「これ……チキンラーメンじゃないのぉっ!」
「ち、チキンはチキンだよ!」
「んもー! 待ちなさい二人とも!? なんとか言いなさいよぉ~っ!」
――かくして僕が高校に入ってから最難関のミッションは成功に終わった。約一名不満が爆発していた人がいたが、見なかったことにしよう。チキンラーメンだっておいしいもんね。うん、問題ない。
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