第22話 終焉の危機

   ~~その頃、悟とオタキング~~


 鳴瀬さんとオタキングに嵌められ、学校を脱出するミッションをすることになった僕は、廊下で途方に暮れていた。だって、そうでしょ? なんでこんなわけもわからない訓練を、サバゲーに全く興味無いのにしなくちゃいけないのさ?


 ………はぁ。


 だが、そんな僕をよそに、オタク野郎の瞳は宝島を夢見る少年のごとく燦然と輝いていた。


 改めてミッションの内容をおさらいすると、僕と久方は二人で誰にも見つかることなく学校を出て、一番近いコンビニへ行き、そこで好みのファストフードを買ってきて、授業時間の終わりを告げるチャイムが鳴るまでに何事も無く、教室へ戻ってくる、というもの。


 自分でも無謀なことをしているなぁと再認識する。


「そうだ、高野くん。これを見てくれ」


 言って、久方は小さな紙片を差し出した。

 見れば、鳴瀬さんの達筆な楷書でメモ書きしてある。


 えっとなになに…………。



 ――ふっふっふ。このメモを読んでいるということは、おそらくキミのミッションが始まっていることでしょうね高野くん。さて、まず難関ポイントの一つ、学校の脱出だけど、これは変装をすれば簡単よ。外部の人と思われれば、先生たちに不審に思われることなく、学校を脱出できるはずよ。



 …………。変装だって? 変装して生徒だと思われなくても不審者だと思われたら同じ……いや、もっと大事になりかねないぞ。鳴瀬さんは正気を失っている。きっとそうに違いない。

 ……ん? メモにはまだ続きがあるな……。



 ――P.S ウチはチキンでいいからね。



 あの女……!

 この状況でさらに、自分の欲しいファストフードを注文し、僕らに買いに行かせるなど……僕はやはり鳴瀬麻衣という人物を見誤っていたのか……!

 さすがは我らが委員長である。


「高野くん。そういうわけで、メモによると、この階の女子トイレの掃除用具ロッカーの中に委員長が変装グッズを隠しておいてくれたらしい。時間が惜しいし早く行こう!」


「え、ちょっとオタキング、待てって!」


 この時、僕は大事なことを見落としていたのだが、それに気づいたのは後になってからである。





 メモの指示通りの場所に行くと、掃除用具で隠すように紙袋が一つ置いてある。


 中にはパーカーが二着に、いかにもという感じのサングラスが一つに、鼻眼鏡が一つ入っていた。一応言っておくけど、入れたのは僕じゃない。どっかの頭のネジが外れた委員長だ。

 それにしても鼻眼鏡って……マジか……。

 それでもまぁ、制服で堂々と校門を出るよりはましなのかなぁ。


 そう思い至って、僕は紙袋に入っていたパーカーを羽織る。水色のパーカーは小さめのサイズできつかったけど、ちょっと良い匂いがした。

 これ、もしかして鳴瀬さんの私服? いや、まさかそんなわけないよなハハ……。鳴瀬さんは演劇部にも入っているし、たぶん演劇用の衣装だろう。

 同じように久方もパーカーを身につける。ちなみに、鼻眼鏡もつけていた。

 鼻眼鏡を見なかったことにすれば、うん。制服の上から羽織っただけなのに、ウチの高校の生徒には見えない。鳴瀬さんが言うように、変装もバカにできないな。


「お、高野くん。なかなかサングラス似合うじゃ無いか。チンピラみたいだぞ」


「チンピラって……目立ってるじゃんか……」


 その時、目の前の淡いピンク色の壁タイルが目に入ってきて、僕は自らの置かれた状況にようやく気がついた。


 なぜ……どうして僕は今まで気づかなかった!?

 いや、そもそも鳴瀬さんもなんでこんな場所にパーカーを隠すなんてマネを……。


「高野くん? さっきから顔色悪いけど、どうした?」


 久方はこの状況に気づいていないらしい。どこまでものんきな男である。


「顔色だって悪くなるさ……。君、ここどこかわかってるのか?」


「どこって……女子ト……はッ!?」


 そう――。僕も久方も特に意識せずに鳴瀬さんのメモ通りに、ここへやって来た。



 女子トイレに。



 自覚した。今、この場を誰かに見られたら、僕たちは間違いなく変態認定される。



「……ちなみに高野くん、きみは女子トイレに入ったことは?」


「……ない。あるわけがない」


「奇遇だな、俺もだ。ふっ、足が震えてきたぜ。武者震いってやつか? はは……」


「久方、心してかかるぞ。絶対誰にも見つかるわけにはいかない」


「ああ……人生最大のミッションだぜ…………」


 幸いにも今は授業中。僕らみたいなケースは稀で、教室で授業を受けているのが普通である。

 だから、ここが女子トイレとはいえ、誰かがやって来る可能性は低い。警戒すべきはトイレを出る瞬間だろう。今の僕たちはパーカーを着ているので、青葉高校の制服を隠している状態だ。なので一見すると部外者に見えるわけで、用務員さんに見つかったらコトだ。

 それに、女子生徒がやって来る可能性が低いとはいえ、ゼロではない。万が一にでも鉢合わせしたら、僕らの高校生活は終焉を迎える。それだけは絶対に避けなくてはならない。


 僕は掃除用具置きの扉に耳をくっつけて、周囲の状況を探る。トイレ内は僕と久方のちょっと動揺している息づかい以外には何も聞こえなかった。


 完全に誰もいない。出るなら、今がチャンスなんじゃないか?



「オタキング。3、2、1の合図で出るぞ。目標はトイレを出てすぐの柱の陰だ。しくじるなよ」


「オーケー」


「3、2、1…………ゴー!」


 僕らは扉を開け放ち、電光石火の如き勢いで駆け抜け、女子トイレを脱出することに成功した。用務員さんも、今はこの場にいない。廊下には各教室から授業の音が聞こえてくるだけだ。


 僕は大きく一つ息を吐いた。十歳くらい老けた気がする。まるで下着泥棒の心情を身をもって体験したような……なんだかどっと疲れた気分だった。


 見れば、久方のヤツもずいぶん疲れた顔をしている。当然だ。ヤツの頭の中はすけべなシーンであふれているだろうが、それはあくまで妄想の話。現実でこんなことになるなんて、オタクの中のオタク、オタキングにも相当な精神的プレッシャーだったに違いない。


 ともあれ、僕らはやりきった。女子トイレを脱出し、これでもう変態と間違われる心配もないのである! 少なくとも入学早々、高校生活が終焉を迎える事態は避けられたと思う。


「ふー……良かった。誰にも見つからなくて、ホントに良かった」


「ああ。俺も同感だ」


 荒れた呼吸を整えて久方がつぶやく。


「ともあれ……ここからが本番だ。とにかく昇降口の方へ行ってみよう」


「ねぇ、オタキング……これまだ続けるの?」


「当たり前だ。訓練の結果が来週の試合にかかっているんだからな」


 久方は意地でもミッションをやり通す気のようだ。僕にはそんな意地、毛頭無いのだけど。連行されるような形で、昇降口へ向かうために階段を降りる。さすがに授業中だから、廊下をうろうろしている生徒は僕ら二人の他にはいない。


 学校から脱出するルートは主に二つ。学校の正門から出るか、業者の人達が来たりする裏口から出るかだ。だけど、裏口は今はほとんど使われていないらしいし、常に鍵がかかっていたはずだ。だから僕たちが学校から出るなら堂々と正門を通らなければならない。


 正門へ行くには、校舎から出て中庭を抜けて昇降口を通らないといけない。


 問題はその昇降口の先だ。昇降口を出たところには青葉高校のシンボルである、大きなケヤキの木がある。かなり大きい木で、生徒達からは『ご神木』と呼ばれ親しまれている木である。


 ご神木の世話をするのが校長先生の午前中の日課になっていて、散歩がてら水をあげたり、枝葉の剪定をしてたりもする。雨の日も欠かさず世話をしてるんだから、相当強い思い入れがあるんだろうな。


 この時間もおそらく校長がご神木の近くをうろうろしてるであろう。

 パーカーを着た挙動不審な二人組を見つけたとして、不法侵入者にされかねない。


 どうやって校長をかわして正門を抜けるか……考えながら、校舎の階段を降りていると、ふと思った。


 だいたい、久方はどうしてそんなにサバゲーに入れこんでいるんだ?


 そもそも久方がこれだけサバゲーに熱意を持っているのが不思議である。体育の授業はやる気ゼロのくせに。



「久方はそんなにサバゲーで勝ちたいの?」


「そりゃ、やるからには勝ちを狙うのが普通だろう」


「そうなんだけどさ。なんできみがそんなに勝ちにこだわっているのかな、と思ってね」


 すると、久方は肩をわなわな震わせて小さくつぶやいた。


「――貰えるんだ。駅前のメイドカフェの割引招待券」


 久方の目が興奮でかっと見開いた。僕は人に対して偏見とか持つのは好きじゃない。人を一つの価値観で決めつけてしまうのは自分にとっても相手にとっても不幸なことだと思うから。

 だけどこの瞬間、哀しいかな……僕は、メイドカフェ割引招待券のために友人を地獄に巻き込もうとする目の前の男に対して「うわぁ……」という以外の感想が思い浮かばなかった。


「……えっと、たぶん聞き間違いだよね? なんかメイドカフェ割引招待券のためにサバゲーやるとかって聞こえた気がしたんだけど……」


「いや、それで合ってるけど」


 否定して欲しかった。僕は自分がこんな馬鹿げた茶番に付き合わされているのだという現実を目のあたりにしたくなかった。


「今回のサバゲー。主催者は俺の知人なんだけど、そいつ、メイドカフェの常連で、割引券とか結構持ってるんだよね。前々からメイドカフェに興味があった俺は、割引券を譲ってくれないかそいつに頼み込んだ。

 そしたら――『割引券はやろう。ただし、サバゲーで勝てたらな!』などと言われてな。なんでも……サバゲー、人数が思いのほか集まらなくて、大変らしいんだな。そこで割引券を餌に俺を引き込もうとしたわけだ」


 うん…………なんか、こんな展開身に覚えがあるような、ないような……。


「ふぅん、それはわかったけどさ。そんなにメイドカフェ行きたいなら、自分で行けばいいじゃない。別に割引券無くても行けるんでしょ? 大人しか行けない店じゃないんだからさ」


 すると、久方はぽっと頬を赤くする。まったく萌えない。


「だって……その、恥ずかしいじゃん」


「え、だって行きたいんでしょ?」


「行きたいともさ! でも、やっぱり恥ずかしいじゃないか! 高野くんには俺の気持ちがわかるはずだ! 鶴松先輩から聞いたぞ! こないだ『どきメモ』の続編をゲーム屋で一人こそこそ探してたんだろ?」


 ぎくっ! なぜそれを知っている……!


「まったく……俺に言えば貸してやったものを。ともかく、俺もそういうわけでメイドカフェに正面切って行くのはちょっと恥ずかしいんだ」


「でも、そしたら割引券もらったって、意味ないじゃん」


 久方は得意げにちっちっち、と人差し指を揺らす。見るものを苛つかせるような得意げな表情である。


「違うんだなぁ。割引券があるってことは、コレもらったからしょうがなく来てみました感を出せるだろ」


 なるほど。よーするに、久方はどこまでもシャイだったということか。


「勝てば招待券ゲットできる。負けるわけにはいかないんだよ、俺は」


 そんな最低な目的、聞きたくなかったよ、僕は。

 しかし、そうこうしている間に僕らは階段を降りて昇降口のそばまでやって来た。


「しっ。静かに。ほら見ろ、校長先生だ」


 やはりというべきかな。校長先生はご神木の周りを散歩していた。正門にたどり着くにはなんとかして彼をかわさなければならない。さて……どうするか。


 …………教室に戻ろっかな。


 だけど、踵を返して帰ろうとする僕の袖を久方が掴んで離さない。


「離せ……僕はメイドカフェのためにこんなことしたくないんだ」


「ま、待って待って! 一緒に女子トイレに侵入した仲じゃないか!」


「ちょ、黙れオタク野郎! 誰かに聞かれたらどうするんだ!? 僕は君と違ってあくまで事故だからね事故!」


「うるせー陰キャモヤシ! 俺だって女子トイレなんか入りたくなかったわ!」


 その時、ご神木に水やりをしていた校長先生がこちらを見て首をかしげた。

 僕と久方はとっさに下駄箱の陰に隠れたから、難を逃れたけど、いやー危なかった。やっぱこんな危ないことするもんじゃないな。パーカーを脱いでさっさと教室へ戻ろう。保健室行ったら体調治りましたって言えば、先生も納得だろう。

 そんなことを考えていると、そっと顔を覗かせて校長先生の動向をうかがっていた久方がつぶやく。


「…………高野くん。あそこを突破する秘策を思いついたぞ。協力してくれ」


「僕はメイドカフェ割引券には微塵も興味ないし、この件は引き上げさせてもらう。一人で勝手にやってくれ」


「……『どきメモ2』のドラマCD貸してやるから」


「…………話を聞こうか」






   ~~その頃、二年生の教室では~~





 鶴松文彦は高野と久方が大変な目にあっていることなど露知らず、教科書を盾にスマホをいじっていた。検索していたのは以前に行われた全国中学生ビブリオバトルコンテストについてである。


 その年の準優勝者の名前に、知った名前があった。


 ――高野悟、中学二年生。発表本は『林檎の木の下で』。


 本の作者は……聞いたことない名前だった。マイナーな作品なのだろうか。


 高野の発表した本は惜しくもチャンプ本に選ばれなかったが、審査員から非常に高い評価をもらって、特別に準優勝という結果になったらしい。普通はチャンプ本を決めて終わりだからな。


 だけど……あいつの素振りからすると、あんまり準優勝したって事実には触れて欲しくないらしい。ビブリオバトルにも乗り気じゃないし……あいつ、中学でなんかあったのか?


 っても高野と同じ出身の中学のやつなんて、知り合いにいないしな……。


 せっかく文芸部に入ってくれたんだから、もっと積極的にビブリオバトルには参加してもらいたいところだ。特に高野は経験者だけあって、説明の流れとかもスムーズだし、自分が面白いと思った本を素直に発表すれば、部ももっと盛り上がると思うんだけどな。


 ふぅと息を吐いて、スマホの画面から黒板に視線を移す。


 退屈な授業風景だ。そういえばクソメガネは……、と窓際の白石の席の方を見やる。


 ノートに何やら書き込みしている白石の口元は楽しげに笑っていて、幸せそうなにやけ顔を見ていると自然に口元が笑ってしまった。

 

なんにも考えずに楽しそうに笑いやがって。いいなぁあいつは。


 文芸部は一応廃部の危機を免れたわけだが……このまま何もしないと、また生徒会にいちゃもんつけられかねない。ここらで一つ何かでかい活動しないとなぁ……。

 

他校に乗り込んでビブリオバトルでもするか? 

 ……まさかそんな訳にもいかないしなぁ…………。



 そうして鶴松は再び文芸部の先行きに頭を悩ませるのであった。

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