第20話 先輩の秘密

「高野、ちょっといいか」


 帰りがけ、不意に鶴松先輩が声をかけてきた。

 みんながいなくなった部室で、先輩は僕の方に向き直ると、深々と頭を垂れた。


「すまなかった、高野。そして、これだけは言わせてくれ。……ありがとう」


「え!? ちょ、鶴松先輩!?」


 腰を深く曲げて謝罪する鶴松先輩は、なんだかいつもと違って見えた。そりゃ、先輩の脅迫じみた命令のおかげで僕は久方と鳴瀬さんを文芸部に連れてきたわけだけど、先輩がここまで謝る程のことをしたわけではない。


「鶴松先輩……どうしたんですか? もう、顔を上げてください」


「いや、仕方がなかったとはいえ、俺はお前を汚い手段を使って利用した。お前には俺を断罪する権利がある」


「確かに先輩が僕の秘密をバラすって言った時は困りましたけど。……そういえば、先輩が知ってる秘密って何だったんですか?」


 うん。そもそも僕は鶴松先輩が握っているらしい、僕の秘密とやらの内容も知らないのだ。鶴松先輩はようやく顔を上げると、やがてそっぽを向いてつぶやく。



「実のところ……あれはハッタリだ。俺はお前の秘密なんて知らん」



 え~!!! そんなバカな! 今日一日の僕の奔走は一体何だったのだろうか。急激にむなしさがこみ上げてきた。


 それにしても……我ながら、鶴松先輩に踊らされてるなぁ、僕。秘密の内容を確認しなかったのも悪いけど、あんな真に迫るような言い方されたらとてもじゃないが、先輩が言ってることがハッタリだなんて思えないもん。


「もともとお前が誰一人連れてこれなくても、秘密をバラすつもりなんてなかったしな。あえて俺が知っているお前の秘密らしい秘密といえば……この間ゲーム屋でちょっと怪しげなゲームを真剣な眼差しで手に取って見ていたってくらいだな」


 な……! まさかあのゲーム屋に鶴松先輩もいたっていうのか!?

 知人に見つからないようにと思って、あえて地元からちょっと離れたゲーム屋へ行ったっていうのに!


 ちなみにその時僕が手に取っていたのはオタキングに借りたゲームの続編なんだけど、決していかがわしいゲームなどでは無い。そう、『どきメモ2』は胸を熱くする青春疑似体験ゲームなのだ。非難される筋合いは無い。全くない……のだけど……鳴瀬さんあたりが知ったら、オタキング共々絶対全力で僕らをからかってくるはずだ。面倒くさい展開になりそうなことは何となく想像できる。

 だから僕は鶴松先輩の言葉に動揺する素振りを見せず、あくまで平静に映るように努めた。


「へ~、ふ~ん……。ま、僕は別にどうとうことはないですけどね」


「おい、高野……急に口笛吹き出すんじゃねぇよ。言っとくけどバレバレだかんな」


「……な!? なんのことか、わかりませんねぇ!?」


「…………まあいいさ。とにかく今日は助かった。お前が久方と鳴瀬を連れてきてくれたおかげでなんとか首の皮一枚繋がった」


「……? 首の皮って……文芸部に何かあったんですか?」


「………………」


 鶴松先輩は僕の問いに答えず、ただ黙ってじっと自分の足下を見下ろす。それは僕が返答に困った時によくやる動作なので、僕は先輩が何か隠し事をしているのだろうと察した。


 鶴松先輩にだって、他人に言いたくないことくらいあるだろう。

 その気持ちは僕もわかる。僕も皆に話してないことがたくさんある。

 例えば中学の時のビブリオバトルの話だってそうだし……それ以外にも……。


 別にいいんだ、それで。たかが高校生活……そこまで他人事に首を突っ込む方がどうかしているんじゃないか。だってそうだろ? 結局は高校三年だけの人間関係なんだから、波風立たない程度に穏やかに過ごせればそれでいいじゃないかと思う。


 だから鞄を取って部室を出ようとしたとき、余計な一言が口をついて出た。


「結構です。……僕は別に……興味、ないですから」


 そのまま部室を去ろうとする僕に、鶴松先輩はフッと自嘲を混ぜたように笑う。


「お前はそういうヤツだったよな。だから、お前にだけは言っておくよ。実は文芸部は廃部になるとこだったんだ」


「…………どういうことですか?」


 文芸部が廃部しようと知ったこっちゃないけど、これでも僕は部員の一員なのだ。何も知らないままに廃部……なんて寝覚めが悪い。だからこの時ばかりは、他人事に首を突っ込まないポリシーはなりを潜め、黙って鶴松先輩の言葉に耳を傾けた。


「生徒会のやつらが言ってきたんだ。現在、文芸部の部員は引退した三年生の先輩を除くと俺と白石の二人だけ。部活動としての要件を達していないとな」


「それでいきなり廃部なんて話が通るんですか?」


 普通じゃない。いくら生徒会と言ったって、そりゃ横暴が過ぎるんじゃないか。

 あと……三年生の先輩いたんだね……今、初めて知ったよ。


「お前も知っての通り、青葉高校は全員部活が強制されるほど、部活を奨励している。部費を管理するのは、生徒会の奴ら。カネを握っている奴らはいつの世も強い権力を持っている。あいつらにとっては、ウチみたいな部はさっさと潰して、他の部に予算を回したいんだろうよ。その方が内外に実績をアピールできるし、教職員達の間で生徒会の株も上がるからな」


 生徒会――か。会ったことないけど、鶴松先輩の話からすると、まさに学園の権力者じゃないか。そんな人達に睨まれてるなんて……文芸部、わりとかなりピンチなのか?


「……でも、実績がない部活なんて文芸部だけじゃないですよね? 僕のクラスで茶道部に入っている人がいますけど、いつもお茶飲んでお菓子食べて食っちゃべってるって言ってましたよ? 文芸部だけが目の敵にされるなんて、僕はおかしいと思います」


 ちなみに茶道部に入っている知り合いというのは、僕の隣の席のクラスメート、村瀬さんである。

 きっかけは覚えてないけど、「茶道部の活動が楽すぎて暇そうだから、高野くんも遊びに来てよ」などと言っていた。彼女の話しぶりからするに、茶道部は部活とは名乗っているが、実質ただのお休み処らしい。久方に話したら、お茶飲みながら萌え談義しようとか言ってたから丁重にお断りした。


 そんな茶道部が放置されてるのに、文芸部だけ廃部にするなんて、いくら予算を管理しているといえ、生徒会の独裁が過ぎるんじゃないか?


「生徒会は実績だけで判断しているわけじゃない。一応、奴らなりに廃部が妥当であるという根拠がある」


「根拠……?」


「文芸部は実績はないのはもちろんだが、そもそも活動らしい活動がないんだ。考えてもみろ。部長はあのクソメガネだぞ。あいつ、部室でずっと本読んでるだけじゃねーか」


 あー……うん。生徒会の人たちの言いたいことがわかってきた気がする。

 実績とか以前に……文芸部は白石先輩個人の読書スペースとか……そんなふうに思われてるんじゃないだろうか? 予算を管理する立場としては、さすがに白石先輩の読書のために貴重な予算を割くことは出来ないだろう。



「廃部の話……白石先輩は知ってるんですか?」


「知ってるわけねーだろ。あいつが知ったところで、暴走するだけだ。勝手にパニクって、なんかしらやらかすのがオチだな」


 白石先輩……ぼんやり想像できてしまうとこが哀しい。


「じゃあ鶴松先輩が何か、きちんと生徒会に活動らしいものを見せれば良かったじゃないですか」


「だから俺はずっとビブリオバトルしたいって言ってたじゃねーか!」


 まさか……鶴松先輩は、廃部を回避するため、文芸部の活動アピールのためにビブリオバトルにあんなに拘っていたのか。だとすれば鶴松先輩があんなに必死になってたのにも納得できるけど……。



「だけど、ビブリオバトルに参加してくれる奴は今まで一人もいなくてよ。ビブリオ部を作って俺は抜けるとか言ってハッパかけても白石のやつは本読んでばっかだし。正直、焦ってた。生徒会の決めた廃部の期日まで時間がなかったからな。でも……お前のおかげでなんとかなりそうだよ」


「僕は別に大したことしてません。あの二人が入部してくれると言ってくれただけなので。礼を言うなら僕じゃなく、あの二人に言ってください」


「それでもありがとな、高野」


「…………はい」


「あ、それとこのことは他の奴らには秘密にしといてくれ。面倒ごとはゴメンだからな」


 ……入部したばかりの鳴瀬さんと久方に余計な心配させるのも悪いからという気持ちは理解できる。だけど、鶴松先輩はどうして白石先輩にも廃部になりそうだったことを話さないんだろう? あんなんでも白石先輩は文芸部の部長なんだから、廃部の話だって知ってて良いはずなのに。そもそも生徒会から直接、白石先輩の方に話が来るのが自然だ。


「どうして白石先輩にも伝えないんですか? 一応、部長ですよ、あの人」


 すると、鶴松先輩は痛いところを突かれたように顔を俯かせた。


「……あいつが知る必要はない。目をつけられてるのは、俺だからな」


「え……それ、どういうことですか?」


「いいから! とにかく、白石にも黙っとけよ!」


「わ、わかりましたよ……」



 結局、鶴松先輩の剣幕に負けてしまった。目を付けられてるのは文芸部じゃなくて、鶴松先輩……? 先輩、生徒会と何かあったんだろうか……? それに……どうしてそんなに白石先輩のこと気にかけるんだろう。普段は喧嘩ばかりしてるのに……。


 鶴松先輩のことも、白石先輩のことも、文芸部のことも……僕はまだ全然知らないことばかりだ。


 ふと、鶴松先輩がいつものぶっきらぼうな口調でつぶやいた。


「それより、高野。お前なんだ、今日のビブリオバトル」


「なんだって、なんですか? 皆、楽しんでくれて良かったじゃないですか」


「バカ言え。他のヤツはごまかせても、俺を誤魔化そうなんざ十年早い」


 先輩はそう言って一歩も引くそぶりはない。


「そんなことないですよ。先輩、何が言いたいんですか?」


「……あくまでそういう態度ならいいだろう、言ってやるよ。高野、お前の発表は確かにこなれた感じがして、本も面白そうに感じられた。さすがはビブリオバトル経験者。それも、中学で全中コンクールまで出場しただけはある」


「……それで? 僕は『となりの席の幽子さん』が面白いと思ったから、皆の前で紹介したんです。そこを誤魔化したら、ビブリオバトルにならない」


「そりゃあな。お前自身面白いと思って紹介したのはホントだろう。……だけど」


 その時、鶴松先輩の目がまるで獲物を見つけたかのように僕の瞳をとらえた。肉食獣に相対する草食獣のそれのように、首筋を冷や汗が伝う。先輩の目から視線を外すことは躊躇われ、なんだかひどく喉が渇く感じがした。


「だけど、お前の発表はなんて言うか……小手先でやっているような感じがしたんだ。鳴瀬や久方の発表は不器用なりに全身から本に対する気持ちが伝わってきたけど……お前の発表にはそれがない。それはきっとお前が心から好きな本がきっと他にあるってことじゃないのか? 俺にはお前の発表がとても、全中コンクールに出場するような熱を持った発表には思えなかった」


 その時、心臓をえぐられるような思いがして、一瞬呼吸が止まったかと思った。


 僕の発表が小手先……? そんなことはない。僕はちゃんと好きな本を紹介したんだ。『幽子さん』は自信を持ってオススメできる本だ。それは間違いない。


 間違いない……だけど…………。

 


 一番好きな本ではない。それは鶴松先輩の言う通りだった。



 沈黙している僕を見て、鶴松先輩はダメ押しとばかりに一言つぶやく。


「お前、本当に今日のビブリオバトル楽しかったか?」


 高校に入ってからあんなに自分を出せる機会はなかった。本のことであんなに熱く語り合うこともなかった。


 だけど……。


 鶴松先輩の言葉はまるで小さな棘みたいに、胸にくっつく。棘は剥がそうとしても余計に食い込んでしまってますます深く胸に食い込んでいく。



 ふと、一年前のあの時の光景が頭をよぎった。



 ――悟。あなたにはわからないかも知れないけど、私は……私はまるで自分が殺されたみたい。もう……私の物語はぐちゃぐちゃよ。全部……悟のせいだから。


 背伸びすれば届きそうな果実に何気なく手を伸ばす。だけど、僕の背丈ではやっぱり届かなくて。無理して手をあげた拍子に、伸ばした手がぽきりと枝を折ってしまった。果実は僕の手をすり抜けて、そのまま地面に落ちて潰れてしまった。


  あの日。僕はこの世で一番愛していた物語を自分の手で破壊してしまった。



「お前、ビブリオバトル楽しかったか?」という鶴松先輩の一言が頭の中を反芻する。


 無理だよ、鶴松先輩。ビブリオバトルは一番好きな本を発表する場だ。心の底から大好きで皆に読んでもらいたくなるような自慢できる本を発表するゲームだ。



 思えば……そんなゲームに参加する資格は、僕には初めから無かったんだ。





 だって僕の一番好きな本はもう……この世に存在しないのだから。


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