第16話 コーヒーブレイクのすすめ
さて白石先輩の次は鶴松先輩の番だ。
実は鶴松先輩がどんな本を紹介してくれるのか、僕はちょっと楽しみにしていた。あれだけビブリオバトルにこだわっていた鶴松先輩だから、きっと僕らが予想もしないような本を紹介してくれるに違いない。
タイムキーパーが開始の鐘を鳴らすと、鶴松先輩は静かに語り始めた。
「俺が紹介するのはこの本、『コーヒーブレイクのすすめ』だ。ちなみにこの中でコーヒー好きはいるか?」
手を挙げたのは白石先輩一人だけ。
「ふうむコーヒー好きはゼロか……」
「いや、私、挙手しましたけど!?」
「まぁ、俺も別に特段コーヒーが好きなわけではないんだがな。そうか……ならばこそ、コーヒーが好きでないお前らになら、より自信を持ってこの本を薦められるな」
「いやいやいや私の話は無視か!」
「ちっ……ガヤがるせぇな。
『コーヒーブレイクのすすめ』はいわゆる実用書と呼ばれるジャンルの本で、いかにしてコーヒーブレイクを楽しむかについて書かれている。小説みたいな物語とは無縁だな。だけどこの本はすげえんだぜ。なにせ、この本を読んでから俺、毎週喫茶店に行くようになっちまったからな」
マジか。鶴松先輩が毎週喫茶店でコーヒーブレイクしてるなんて、そんなおしゃれな趣味を持っているおしゃれ人であったとは……マジか。
余談だが、僕はあまり喫茶店に行かない。……というか実は行ったことがない。
だって喫茶店のコーヒー高いし。店の前に出てる看板とか見ると、あんなコップ一杯で五百円とか普通にするじゃん。僕は五百円のコーヒーを飲むなら、安い古本を何冊か買うか、ラーメンでも食べた方が良いと思う。いや……決しておしゃれな店内の雰囲気にビビって入れないとかそういうことではなくて。うん。そういうわけではないよ、決して!
「この手の本によくあるのが、マニア御用達のブランド豆の紹介や、知る人ぞ知る名喫茶店の紹介、マスターのコーヒー豆に対する並々ならぬこだわり……みたいなコーヒー好きに向けた情報が多いことだ。対象は会社勤めのサラリーマンとかOLとかが多いよな」
鶴松先輩の話にみんなこくこくと頷く。
実用書は暮らしの専門書というイメージで、家計の節約術だとか、部屋の整理のコツとか、便利な情報っぽいことはわかるんだけど、僕自身率先して読もうと思ったことはあんまりない。何でと言われると少し困るけど……僕はどっちかというとやはり物語性のある方が好きだし。よほどの興味がないと手には取らないと思う。
「俺もこの本を手に取ったのは本当に偶然だったんだがな、初めの数ページをパラ見して驚いたよ。この本はコーヒーを普段飲まないコーヒー嫌いの人向けに書かれている。
実際に読んでもらえればわかるんだが、開始数十ページにわたって、インスタントコーヒーの比較とか、おいしく飲むための実験とかが載っている。そのうちの一つを紹介しよう。
実験①……おいしい水を使ったコーヒーは美味しいのか!?」
……え? なにその実験。未知の実験内容に皆不思議な顔をする。
「実験方法は単純で、市販のミネラルウォーターと水道水で同じインスタントコーヒーを飲んで、味を比べるというものだ。作者の主観だけで決まらないように、この実験は千人の協力を元に行われた」
えぇ………こんなしょうもない実験に千人もの協力者がいたなんて。
「結果だが……高価なミネラルウォーターと水道水とではコーヒーの味に統計的に有意な差は見られなかった。この実験結果をコーヒーマニアに伝えたときの感想も載っているが、ぜひ自分で確かめてみて欲しい。この実験はこの本の中で数多く行われている実験の一つに過ぎない。
……なんとなく俺の言いたいことがわかってきたやつもいると思うが、この『コーヒーブレイクのすすめ』は人一倍コーヒー嫌いな作者が少しでも美味しくコーヒーを飲むために考え抜いた実験やら思想論やらをまとめたものなんだ。
タイトルだけ読むと、昼食後のおしゃれなコーヒータイムの過ごし方みたいなイメージだが、その実、作者がコーヒー嫌いを克服するための努力を描いたエッセイだったわけだ。俺もこの構成には驚いて、すぐにレジに持っていったぜ。
作者のイカレ具合が俺的にかなり好みだった」
確かにその展開は予想できないかも。
ていうか作者のコーヒー嫌い……もはや病気でしょ。
「今回紹介した実験は数ある中の一つに過ぎない。他にもたくさんイカレた実験が載っているから、是非読んでみて欲しい。少なくともコーヒーに興味を持つだろうことは俺が保証するぞ」
言い切ったところで五分の鐘。狙い澄ましたかのような幕切れに息をのむ。
鶴松先輩のことだから終了時間を計算していたんだろうけど、ここまでぴったり良いタイミングで発表を終わらせるのは中々できることじゃない。
続く質疑応答の時間で僕は早速、先輩に気になっていたことを尋ねてみた。
「あのう、ちなみに先輩は毎週喫茶店へ行って何してんですか?」
「何を今更。喫茶店へ行ってすることなんて、もちろんコーヒーを飲むことだろう。最近はブラックの美味しさがわかってきたところでな……それもこれもこの本のおかげというわけだ」
「あんた毎週一人で喫茶店行ってコーヒー飲んでるわけ?」
鶴松先輩は白石先輩の問いかけにすました顔で「ああ、そうだが」と答える。
うわぁ……毎週一人で喫茶店へ通っているなんて…………。
鶴松先輩が紹介してくれた本は発想がぶっ飛んでいて面白そうだし、とても読んでみたくなったのだが、図らずも先輩の哀しい青春を知ってしまった。
皆、なんだかいたたまれない気分で、他に質問の手を挙げる人はいなかった。
たまには鶴松先輩の喫茶店一人デートに付き合ってやったほうがいいのかなぁ……などと、後輩じみたことを考えている間に時間が過ぎて、鶴松先輩の番は終わった。
先輩の寂しすぎるプライベートはともかく、発表内容自体は聞き手を読みたい気持ちにさせる素晴らしい発表だった。さすが、散々ビブリオバトルに熱を持っていた鶴松先輩である。
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