第15話 文学少女のおすすめ

 さて、僕の番が終わると、次は白石先輩の番だ。

 白石先輩はオッホンと偉い人みたいに咳払いしながら立ち上がる。


「さてさて麻衣ちゃん、高野くん発表お疲れ様。二人の発表から本が好きなことが私にもひしひしと伝わってきたわ」


「おい、一応言っとくけど、時計進んでるからな?」


「言われなくてもわかってるわよ。二人とも良い発表だった。……でもね。私の本を愛する気持ちには勝てない! 私は文芸部部長! 本を愛する気持ちは誰にも負けないの!」


 うわぁ……なんかはじまったよ…………。

 先輩はメラメラと燃える眼差しを僕らに向けると、一冊の本を胸に掲げた。



「私がみんなに紹介するのはこの本! 『坊っちゃん』!!」



 ……………………。



 わかる、わかるよ。鳴瀬さんも久方も鶴松先輩も、みんな一様にじとーっとした目で『坊っちゃん』を掲げた白石先輩を見ていた。



 『坊っちゃん』。



 僕が改めて説明するのもおこがましい、日本人なら誰もが知る文豪、夏目漱石の代表作である。国語の教科書に載っている超有名な作品で、読んだことがある人はかなり多い。ていうか常識と言って差し支えないレベルだと思う。一般常識のクイズとかにも出てたし、少なくとも僕が紹介した『となりの席の幽子さん』とは比べるべくもない。


 ……作者に失礼な発言だったかもしれないが、ここでは置いておくとしよう。


 かくいう僕も教科書で読んだことがあるし、図書室で借りて読んだこともある。

 ライトノベルがわりと好みな僕からすると、『坊っちゃん』はちょっと難しい言葉や古風な言い回しがあって、取っつきづらい所がある。


 それもそのはず。何しろ夏目漱石が『坊っちゃん』を執筆したのは明治39年のことで、今より実に百年以上前に書かれた小説なのだ。


 そんな古い小説なのに愛読家は今なお数多くいるし、今、僕が読んでも面白いと思えるんだから凄い小説だと思う。さすが昔、千円札になっただけあるよね。


 話を忘れてしまった人のために一応説明しておくと……、


 熱血漢で無鉄砲な新人教師の主人公の坊っちゃんが、同僚の山嵐や赤シャツなどといった個性豊かな登場人物達と共に繰り広げる、波乱溢れる人情ドラマである。


 人によっては延々と魅力を語れるほどの小説だけど、僕はこの辺でやめておこう。僕はそこまで坊っちゃんマニアではないし、薄っぺらな解説しかできないからね。坊ちゃんに代表される夏目漱石の小説は海外でも出版されているし、漱石の小説を研究対象にしている学者も多い。


 問題は……白石先輩がなんでそんな超有名作をわざわざ持ってきたかってことだ。たぶん、僕以外の皆も同じように思っているのだろう。今更、白石先輩が説明せずとも、国語の授業なりなんなりで『坊っちゃん』のことはみんな知っているのだから。



「……と、言ってみたところで、皆、今更って顔してるよね? うん、確かに。私があえて紹介せずとも『坊っちゃん』のことは皆も知ってると思う。でも、そんな、誰もが知ってる有名な小説だからこそ、私はビブリオバトルでこの本を紹介することにしたの」



 僕たちの反応は白石先輩も予想済みだったってことか。


 白石先輩は本をパラパラとめくりながら話を進める。



「国語の教科書にも載ってるし、ここではあえてストーリーの説明を省くけど、私はストーリーの面白さはもとより、『坊ちゃん』という小説の魅力はその幅広い大衆性にあると思います。

 小学生の頃を思い出してほしいんだけど、学校の図書室に『坊っちゃん』置いてあったわよね? 学校の図書室だけでなく、町の公共図書館や、大学図書館、病院でも置いてあるところだってあるし、『坊っちゃん』は本当にたくさんの場所に置いてある。普段は意識しないけど、これって実はとんでもなく凄いことなのよ?」



 ……なるほど。僕には白石先輩の言いたいことが少しわかってきた気がする。


 いろんなところに置いてあって、誰でも読める……。言葉にすれば簡単だが、よくよく考えてみると、凄いことなのではないか。



「考えてもみて。例えば、小学生から絶大な支持を受けた小説があったとして、それが同じように大人たちにも受けると思う? もちろん大人も同じように楽しめる場合もあるけど、そういうのは希有な例であって、多くの場合はそうではない。


 大人も子供も同じように楽しめる小説なんてほとんどないのが現実よ。当たり前よね。私が小学生の間で流行してた、お笑い芸人のギャグをまったく楽しめないのもたぶん同じ理屈ね。


 小学生が読んで楽しめる小説が、中学生も、高校生も、大学生も、大人も……老若男女幅広く楽しめる小説だからこそ、日本中いたるところで『坊っちゃん』が読めるのよ!」



 ふむ……確かに白石先輩の言うように、小学生が読んでも大人が読んでも楽しめる小説ってなかなかないかも。前にテレビの特番でドラマ化していたのを見たけど、話はわかってるのに面白かったし。

 内心ちょっと馬鹿にしてたけど、読みたくなってきたかも。



「昔一度読んだことがあっても、今改めて読み直してみると、読後の感想も全然違ったりして面白いのよ。

 だから、みんなもこの機会にもう一度読み返してみてね。

 前に読んだことがあるなら話は頭に入ってきやすいだろうし、表現が難しめの純文学小説の入門編としても良い本だと思うわ」



 そこまで言ったところで、五分を告げる鐘が鳴った。



 初めは「うわぁ……よりにもよって『坊っちゃん』かよ…………」とか思っていたけど、発表を聞いてみれば、ちょっと読み直したい気分になっていた。なんだかんだで白石先輩の語り口にすっかり乗せられていたのだ。



 僕が白石先輩の発表に感心していた横でスッと手を挙げたのは鳴瀬さんだ。


「質問です! 白石先輩はどうして『坊っちゃん』を選んだんですか?

 小学生から大人まで読める小説って他にもあるじゃないですか。例えば……宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とか『注文の多い料理店』とかわりとベターですよね」


 それに対し、白石先輩は単刀直入に一言。



「趣味です」



 あっさりすぎる即答に、鶴松先輩が「おい、もうちょっとなんかあるだろ!?」と問うたが、白石先輩は「趣味は趣味よ。それ以上でもそれ以下でもないもの」とそっけなく答えるだけだ。


 鳴瀬さんは呆れの混じった表情で「ああ……はい…………ありがとうございます」と言った。


 何か特別な思い入れでもあるのかと思ったが、白石先輩は趣味の一言で片付けてしまった。もうちょっと理由を説明してくれても良いと思ったのだけど……。

 夏目漱石が好きなんて、白石先輩らしいっちゃらしいけど。部室に散乱してる文庫本を見ても、いかにも文学少女ですって感じだもんな。


「はい! 質問です!」


 手を挙げたのは久方だ。まさか、また萌えポイントとか聞く気じゃないだろうな?


「白石先輩。自己紹介の時にも言ったんですけど、俺、普段、真面目な小説とか読まないんです。国語の成績だって良くないし……。そんなヤツでも『坊ちゃん』は楽しめると思いますか?」


 ……ほぅ。久方にしては真面目な質問じゃないか。


 彼の質問はとても重要なことを聞いている。いつも読書している本の虫のような白石先輩と、アニメとゲームに精神を汚染された久方とでは好みのジャンルは全然違うはずだ。

 白石先輩が『坊ちゃん』を好きなのは発表からも十分に伝わってきたけど、久方も同じように楽しめるかと言えば疑問である。


「そうね。あまりに有名な作品には相応の偏見が付きものよ。それはある程度仕方ないことだと思う。でもね和也くん」


「は、はうぅっっ!」


 その瞬間、久方が奇声を発して背中をのけぞらせる。


「俺……もう死んでもいい…………」


 久方は幸せそうな顔でつぶやいた。


「……? 和也くん? 大丈夫?」


 まぁ考えてみれば久方は女子に名前で呼ばれたことなんかほとんど無いんだろう。先日借りた恋愛ゲームのセーブデータも、主人公の名前を本名にしてプレイしてたし。

 白石先輩も改めて見ると古き文学少女な美人だし、久方にしてみれば、そんな人から名前呼びされて嬉しくてたまらないんだろうな。多分おそらくきっと絶対、白石先輩は無自覚に言っただけだと思うけど。


 え……? 僕がなんで恋愛ゲーム借りたかって?


 ……野暮なこと聞かないでくれ。ちなみに僕も本名プレイでしっかり没入感たっぷりでプレイしたのは内緒である。


 そういえば、僕は白石先輩に名前呼びされたこと無いかも……。

 いいなぁ、オタキングのくせに。


「おーい、オタキング……もどってこーい」


「……なんかよくわかんないけど。和也くんが漱石の小説に難しそう、硬そうなイメージを持ってしまうのは仕方ないことかも。

 でもちょっと勇気を出して読んでみると、意外なほどにすらすら頭に入ってくると思うわよ。それにもし内容がよくわからなかったとしても、時間を置いてもう一度読んでみると良いわ。一回目とは違った面白さがあると思うから。

 私はきっと和也くんが読んでも面白いと思ってもらえると思うけどなぁ」


「まぁそうだな。白石の言うことも一理あるか。偏見を恐れず読んでみることでわかってくる面白さもあるってことだな。久方、大丈夫か?」


「あ、はい。俺はまったくもって大丈夫でございます」


「もしかして名前で呼んだのがいけなかったかしら? 久方くん、ごめんね」


「い、いえ! 先輩はそのままで大丈夫ですっ! ちょっとおなか痛くなっただけです!」


「そ、そう……? 大丈夫ならいいんだけど……」



 そこで時間を告げるベルが鳴って白石先輩の発表は終了。



 とにかく先輩は『坊ちゃん』が好きで、みんなにも積極的に読んでもらいたいという気持ちが伝わってくる良い発表だった。


 僕は普段はライトノベルみたいな軽い小説を読むことが多いんだけど、今度白石先輩におすすめの小説教えてもらおうかな。

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