第10話 雷の如き嫉妬

 いつの間に僕の後ろにいたのは、あろうことか我らがクラスの学級委員長、鳴瀬さんだった。


「な……鳴瀬さん、僕になんか用? ていうかいつからいたの? 久方、気づいてた?」


「いや、俺はまったく」


 正直、全く気配を感じなかった。これで忍者の末裔だとか言われても信じてしまうレベルで鳴瀬さんは僕の後ろに現れたのだ。久方にしても、彼女の存在には全く気づいていなかった様子で驚きを隠せないようだ。



「高野くんにちょっと用があったからね。教室を出てから後をつけさせてもらったわ。忍者の末裔たるこの私にとっては造作もないわ」


「に、忍者の末裔だと!?」


「ふっ。冗談よ」


「な、冗談って……。委員長、アンタ何を考えている?」



 鳴瀬さんはすっと目を細めて久方を一目見やり、言った。



「ウチも入りたいんだけど……文芸部」



 え……えぇ~っ!? 鳴瀬さんが文芸部に入りたいなんて、どういう風の吹き回し!? ていうか鳴瀬さんって確かすでに……。


「えっと……でも、鳴瀬さんってもう演劇部に入ってなかったっけ。文芸部って、僕が言えたことじゃないけど、掛け持ちしてまでやる価値ないと思うよ?」


 僕もまだ入ったばっかりで文芸部の活動のすべてを把握しているわけじゃないけど、白石先輩は一人でずっと本読んでるし、鶴松先輩は……何やってるかよくわからない。

 委員長もやっている鳴瀬さんにすれば、そんな文芸部の活動はこれといった面白みもなく、無駄な時間じゃなかろうか。そんな僕の考えとは裏腹に、彼女はにっこり笑って言う。


「いいのいいの。どうせ高野くんの説明じゃアテにならないし。ウチ、読書自体は嫌いじゃないしね。それに……さっき久方くんにも言ってたけど、気に入らなければ明日退部したって良いんでしょ?仮入部なんだし」


「いやぁ……それはそうなんだけど…………」


 渋る僕の様子を見てとると、鳴瀬さんはいたずら好きの小悪魔のように口元を小さく押さえて、上目遣いで僕を見やる。


「ま。ウチの場合、高野くんに個人的な興味もあることだし……ね?」


 こ、この娘、いきなり何を言い出すのか!?


「ちょっと鳴瀬さん! 変な冗談はよしてよ!」


「ふふふ。そう照れなくても」


「照れてない!」



 そのとき、ドスのきいた低い声が背中越しに聞こえた。



「貴様ら……付き合ってるのか?」



 声の主、久方和也は顔面を蒼白にし、声をわなわな震わせながら尋ねる。


「そ、そんなわけ……。ねぇ、鳴瀬さん?」


 助けを求めるように彼女の方をちらと見やると、鳴瀬さんは前髪を指でくるくるしながら、照れたようにぽつりとつぶやいた。


「ま……少なくともウチはまんざらでもないけれども」



 カッ! と雷が久方に落ちた。


 ……比喩だ。けれど、鳴瀬さんの悪魔的発言を聞いた瞬間、つい先ほどまで穏やかそのものであった彼の様子は変貌していた。



「高野くん……ちょっと、話聞かせてもらおっか…………」



 ぼそりとつぶやきながら、しかし目は声のトーンに反比例して異様にギラついている久方がなんだかものすごく怖い。


「ッ、僕が知るかよっ! 鳴瀬さんに聞いてくれ!」


 言ってすぐさま僕は教室の方へ逃げた。だってあいつ絶対なんか勘違いしてるし! なんか今にも人殺しそうな目してたし! そんなやつ相手にするだけバカってもんだ。

 半泣きで教室へ戻る僕とあからさまに豹変した久方を見て、鳴瀬さんは一人くすくすと笑っていた。



              ◇  ◇  ◇



 鐘の音が放課後の時間を告げると、鳴瀬さんがさっさと準備を済ませて僕の机に駆け寄ってくる。


「さ、二人とも。早く部活行きましょうよ」


「……なにこの人。どうしてこんなにやる気出してるの?」


「全くだ。俺はやる気に満ちあふれた人を見ているだけで疲れてくる性質たちなんだ。だから委員長、今日はお開きにしようじゃ…………」


 我らが委員長は何を思ったか、いきなりばしんと机を叩きつけた。その時の音でまだ教室に残っていたクラスメートの何人かがビクッとこちらに目を向けたが、僕はあえて見なかったことにした。


「久方くんがやる気ないのはいつものコトでしょ。ウチはただ……先輩に余計なこと言われる前に、高野くんは早く部室に顔出しといた方が良いんじゃないかと思って」


 それは確かに鳴瀬さんの言う通りかもしれない。鳴瀬さんも久方も本気ではないにしろ、二人とも一応文芸部に入部してくれたわけだし、あの濃い先輩たちも一応は喜んでくれるだろう、きっと。……白石先輩はとくに。


 僕と久方は鳴瀬さんに袖を捕まれて、ちょっと強引に教室を出て文芸部の部室へと向かうことになった。


 その道すがら、僕はふと二人に聞いてみた。


「……一応聞いとくけど、二人とも文芸部の部室ってどこにあるか知ってる?」


 久方はふるふると首を横に振る。


「俺は基本、部活に興味ないからな。この学校に文芸部があるのも、高野くんに言われて初めて知ったくらいだ」


 委員長をやってる鳴瀬さんなら学校のことにも僕らより多少は詳しいだろうと思っていたのだが、やはり彼女にも文芸部の印象は薄かったらしく、


「……言われてみれば、ウチも高野くんに言われて初めて知ったわ。一応、こないだの部活紹介のパンフには一通り目を通したつもりだったのだけど……文芸部ってもしかして部活紹介やってなかったんじゃないかしら?」


 まぁ、あの二人が新入生の前で部活紹介なんてしてたら、良い意味でも悪い意味でも間違いなく大目立ちだろうし、それが僕らの印象にまるで残っていないと言うことは、やっぱり文芸部は部活動紹介に参加してなかったんだろう。新入生が入ってくれなくて困ってる、とか言ってたのに部活紹介をしないなんて……何か理由でもあるんだろうか?


 まぁでも、それは今僕が気にすることじゃないか。とにかく僕は、鶴松先輩の司令通り、新入部員を連れてくることができた。

 その事実が今は一番大事なことなのである。少なくとも僕にとっては。


「ていうか……ほんとに部室に向かってるの? さっきから全然人気がないんだけど」


 壁面の塗装がところどころ剥げている西校舎の廊下を歩きながら、鳴瀬さんが不安げにつぶやいた。彼女がそう思うのも無理はない。というのも、廊下を歩く僕らの足音以外、ほとんど物音が聞こえてこないからだ。


「うん。これでも道はあってるよ。僕も初めて来た時びっくりしたけどね」



 青葉高校は中央に広い校庭グラウンドがあり、校庭を取り囲むように四つの校舎が建っている。


 学校の入り口、正門昇降口に一番近いのが東校舎で、他の校舎に比べて比較的新しい造りになっていて、僕らの教室もここにあって普段はこの校舎で過ごすことが多い。


 北棟は職員室や事務室、図書室などがあるエリアになっていて、特別な用事がなければ生徒が行くこともない。


 校庭を挟んで向かい側に建っている南校舎は理科室とか、移動教室の授業などで行くこともある、ちょっと古い感じの木造校舎だ。部室棟もすぐ近くにあって、古風な見た目に反して放課後はわりと人が多い。ちなみに体育館は北棟の隣にあって雨を避けられるように屋根のついた通路で繋がっている。


 そして僕たちが今歩いているのは西校舎。

 四つの校舎で一番古い……というかボロい感じの校舎で、授業でもほとんど足を踏み入れることはほとんどない、ぶっちゃけ旧校舎と言って差し支えないような場所だ。二年生とか三年生とかになれば利用する機会もあるのかもしれないけど、僕は鶴松先輩に強引に誘拐される前までは西校舎に入ったことはなかった。


 鳴瀬さんも久方も西校舎に入ったのは今回が初めてだったみたいで、好奇心半分、不安半分といった面持ちで僕のあとをついてきていた。

 ……と、埃っぽい廊下を進み、ようやく文芸部の部室の前までやってきた。


「ついた。ここが一応、文芸部の部室だよ」


「ずいぶん辺鄙なところにあるんだな。でも今日って本当に活動日なのか? 中からまったく物音がしないぞ?」


 久方が不思議そうな顔をして言う。

 そーいえば白石先輩に文芸部の活動スケジュール聞いておけばよかったかも。せっかく来たのに無駄足だったのではたまらない。

 でも、元はといえば鶴松先輩が新入部員を連れてくるように言ったんだし、後で来るだろう、きっと。それまでとりあえず部室で暇つぶしするしかないか。




 ――そんな軽い気持ちで扉を開けなきゃ良かったと、僕はこのとき激しく後悔する。




 西日の差し込む教室で、仮面をつけた二人の不審者が取っ組み合いをしていたのだ。


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