第9話 後光差す
若干遅れて実験室へ来た僕と鳴瀬さんを気にする人はいなかった。ただ、鳴瀬さんは授業中ちらちらと僕の方をじっと見つめては、不満一杯な顔をするのだった。
しょうがない。鳴瀬さんが入部してくれると言ってくれたのは嬉しかったし、まさに天から降りてきた蜘蛛の糸だったのかもしれないけど、生憎、僕には糸を断ち切る以外の選択肢が無かった。
話は振り出しに戻った。状況は良くない。かなりまずいと言えるだろう。
悠長に炎色反応の実験なんてやってる場合では無いのだ、ほんとは。
ナトリウムを入れると黄色い炎になるとかどうでもいいのだ。
……うお、リチウムの色すげえ。
何にせよ次の四時間目が終わったら昼休み。今日は六時間授業だから、昼休みが終わったらあと二時間しかない。タイムリミットはもうそこまで迫っているのだ。
四時間目の英語が終わる頃になっても好転の兆しは見えない。
そもそもにして、僕が話しかけやすい人、というのがこんなにも少ないものかと痛感した。これが鳴瀬さんあたりなら、みんな話くらいは聞いてくれるだろうが、僕の場合まずその一歩目がなかなか踏み出せずにいた。
そして……そんなことは最初から分かっていたさというような顔をして、鶴松先輩が教室の扉から顔をのぞかせた。
「やぁ悪いな急に教室まで来て」
「別にそれは構いませんけど……」
鶴松先輩はハナから僕が部員を増やすあてがないことを知っていたのだろう。
「……で、だいたい想像はつくが、調子はどうなんだ高野くん?」
などと、からかい口調で告げる先輩の顔からは人の不幸を楽しんでる感がにじみ出ていて、この人は心の底からクズ野郎なんだなと思った。
「先輩の想像通りだと思いますよ。今のとこ、見込みありはゼロです」
「ふふふ。そんなこったろうと思ったさ。というわけで、寛大な俺は一つ条件を提案してやることにした」
「条件?」
「べつにお前の過去を口外したりしねぇよ。ただそのかわり、俺と一緒にビブリオコンペに出ろ。もちろん学校代表としてな」
少し迷ったが、僕は首を横に振る。
「遠慮しておきます。今日中に部員見つければいいだけですから」
先輩の顔がわずかにひきつったのが見て取れた。我ながら生意気な発言だったと思う。
「あっそ。負けん気が強いヤツは嫌いじゃないぜ。まぁせいぜい頑張るんだな」
先輩はそうつぶやくと、後ろ手を振りながら自分の教室へと戻っていった。
ほんと……いちいち心をえぐってくる人だ、あの人は。僕が過去のことで目立ちたくないから必死に部員集めしてるの分かってるくせに。
しかし、あんな風に強がりを言ったが……具体的な打開策はない。これからどうしようかと頭を悩ませながら食堂の廊下を歩いていると、ふと、校庭を疾走するクラスメイトの姿を見つける。オタキングこと、
久方は頭に鉢巻を巻いて、真剣な顔つきでグラウンドの外周を走っていた。
昼休みはいつも教室で公共の福祉に反する笑い方をしながらラノベを読みふけっているはずの男が、なぜ陸上部の練習さながらのランニングをしているんだっ!?
「ちょっとオタキング!」
僕に気づいた彼は走りの足を止めた。息をぜえはあ言わせながらも、額の汗を拭う爽やかなスポーツマンらしいその仕草はいやに様になっていた。
「誰かと思えば高野くんじゃないか。急にどうしたというのだ? ついでに言っておくと、俺をオタキングなんて呼ぶんじゃない!」
「どうしたって聞きたいのはこっちの方だよ。なんでランニングしてるの? 君に限ってまさかダイエットということはないだろ?」
「まあね。これでも俺はぽっちゃり至上主義だからな」
「それは聞いてない」
すると、オタキングはへへっと含み笑いをしてつぶやいた。
「相変わらず冷たいね高野くんは。俺が汗水流して走ってたのは練習のためさ」
「練習? 陸上部にでも入ったの?」
「バカな! 俺があんな汗臭い部活やる気になるわけないだろ!」
こいつ……陸上部の人たちをなんだと思ってるんだ。
しかし、だとするとなぜ彼がグラウンドを走っていたんだろうか。日頃の体育の授業からして、オタキ……久方は典型的な運動大嫌い人間である。その彼が昼休みを削ってまで、ランニングに打ち込むのだからよっぽどの理由があるのかもしれないと思ったのだけれど……。
「来週末、仲間内でサバゲー大会やるんだよ。それで足手まといにならないくらいの体力はつけとこうかなって思ってな。日頃運動してないぶん、ちょっとは体動かしてた方が良いだろうしな」
彼の言うサバゲーとは、サバイバルゲームのことであろう。
サバイバルゲームとはエアガンなどを使って行う銃撃戦をモチーフにしたゲームで、ルールはメンバーやその時々によって色々と違うらしい。だが敵から身を隠したり、反対に敵を狙撃するのにもそれなりの技量や経験が必要不可欠で、僕にはサバゲーで大活躍している彼の姿が想像できなかった。
「あのさ久方くん」
「うぉっ!? 高野くんがふつーに呼んでくれるなんて、今日は雨でも降ってくるのか!? いや、それとも槍か!? それともそれとも限定販売の美少女フィギュアが降ってきたりして! むひひひひ!」
「よけいな茶々はいいから。君、今日の放課後ってヒマ?」
「え……まぁ。特にコレといった用事はないが、それがどうかしたのか?」
「実は君に頼みたいことがあるんだけど……」
思えば、校庭でランニングする久方を見かけたときから、僕の心はすでに決まっていたのだろう。
――久方に文芸部に入部してもらう。
久方なんかに借りを作るのは癪だが、もう、彼に頼み込むほか僕に残された手立てはなさそうだし、もう四の五の手段を選んでいる場合ではない。
鶴松先輩の提示した条件は、今日の放課後までに部員を一人以上確保すること。
久方に今日一日だけ文芸部に仮入部してもらって、明日、彼が部活をやめたとしても関係ない。先輩の提示した条件は達成してるし。ちょっとずるい手にも思えるけれど、だいたい相手はあの鶴松先輩だ。余計な優しさを持つだけ無駄ってもんだろう。第一、僕が話しかけられるクラスメイトなんて久方の他にはいな……いや考えるだけ哀しくなってきたのでもうよそう。
「久方くん。文芸部に入ってくれないか? 頼む! 今日一日だけでもいいんだ!」
「文芸部って…………は? 何それドユコト?」
僕は小さく嘆息しつつ、現在の状況を素直に説明した。こんなところで見栄を張っている場合じゃないし。
話を聞いた久方はうーむ……と苦い顔して唸る。
「……正直、話の展開にまだついていけてないんだが、まぁ高野くんの話はわかったよ」
「久方……」
「いつも俺をオタキング呼ばわりする高野くんが素直に俺の名字を呼ぶなんて、ただ事じゃあない。君が隠したい秘密、とやらも俺にはよく分からないが、少なくとも君にとってはとても大事なモノなんだろう?」
「そう、だね……」
鶴松先輩が知っている秘密がなんなのかはわからないけど……、もしも僕が中学の頃参加したビブリオバトルについてのことだったなら。
実際のところ、ビブリオバトル準チャンプであった事実が校内に知れ渡ったとしても、それほどの大騒ぎにはならないと思っている。ビブリオバトルは最近活気を見せつつあるけれど、世間的にはまだまだマイナーなジャンルの大会と言わざるを得ないし、クラスでも、聞いたことがある人は多少いるかもしれないが、ビブリオバトルに精通している人はそれほど多くはないと思う。それでもあまり校内に広めたくないのは、もはや独りよがりな意地と言って良いのかもしれない。
いや、あの時の事をあまり思い出したくないだけなのかもしれないな……。
俯いて自分の足下を見つめる僕を見て、久方はそっと目を閉じ、自嘲気味にフッと小さく笑う。
「いいんじゃないか。誰にだって隠したい事の一つや二つあるさ。君の秘密が気にならないでもないが、当人が話したくないことを無理矢理聞き出すような無粋な真似は、俺の好むところじゃないしな」
キザったらしくそう言った久方がなぜか、僕の目にはとてもカッコよく映った。その時空には雲がかかっていたけど、まるで曇り空を切り裂くような後光が彼に差しているように思えた。
「……いいよ。入ってやるよ文芸部」
「久方……ほんとか!」
「部活に入るつもりなんてなかったが、親友の頼みだからな」
そうか……僕はこれまで彼のことを親友だと思ったことは一度もなかったけれど、今、初めて、彼に少なからず友情の念を感じていた。
そのとき不意に背中ごしに手が置かれた。
あまりに突然だったので、文字通り、僕は驚きのあまり飛び上がってしまった。
走ってきたんだろう、長いポニーテールを揺らしてぜえはあと息をつきながら、くっくっく……とスーパーヒーロータイムの悪役みたいに彼女は笑っていた。
「やっと見つけたわよ高野くん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます