第8話 委員長はサボりたい

 鳴瀬さんは僕の顔をじっと見つめ、不安げな顔をして言った。


「高野くん、大丈夫? さっきから頭抱えてうなされてるし、顔色もよくないみたいだし……保健室行ってきた方がいいんじゃない? ウチ、ついてってあげよっか?」


「鳴瀬さん!? べ、べつに、大丈夫だよ。ていうか他の皆は?」


 周囲を見回すと、気づけば教室にいるのは僕と鳴瀬さんの二人だけだった。


「……今日の化学、実験室で授業だよ。みんな白衣に着替えてとっくに移動しちゃったよ」


 そうだった! 確か昨日、先生がそんなこと言ってた気がする。にしても、あのおたく……出て行く前に一声かけてくれてもいいのにな。まぁ、僕らの友情関係なんてこんなもんだ。


「鳴瀬さん? 急がないと、チャイム鳴っちゃうよ」


「やっぱり保健室へ行ってきた方がいいよ。今日の高野くん、ちょっとおかしいもの」


「おかしいってどこが? 僕は至って普通だよ」


「いいえ! ウチをごまかそうったって無駄なんだから!

 高野くんっていつもぼんやりと窓の外を見つめていることが多いけど、今日はほとんど黒板の方見てた。授業に集中してるのかといえば、そうではない。だって、口ぽかーんと開いてたし。傍から見てて、あ、ヤバいなって思える顔してたもの」


 部員を増やす策を頭の中で巡らせてたから、確かに授業にはこれっぽちも集中していなかったが……そんなヒドい顔をしていたなんてショックだ。いったいどれだけ逼迫していたんだ。


 それだけじゃなく、鳴瀬さんも言ってることがおかしい。だって、彼女の席は僕の列の一番前。僕の顔なんて見えるわけ無いのに……なんで彼女は僕がひどい表情だとわかったんだ? まさか授業中ずっと後ろ向いてるわけでもあるまいし。


「授業中にヤバい顔してたのは悪かったよ。ちょっと考えごとしてて……体調悪いとかじゃないんだ、ホントに。ていうか、どうして鳴瀬さんの席から僕が見えたのさ? 君こそ授業に集中してなかったんじゃないの?」


 すると、鳴瀬さんはすました顔でつぶやいた。



「授業なんかに集中するわけ無いでしょ。ウチはきっちり予習してるし、もう知ってることをくどくど説明されても退屈なだけだわ。時間の無駄よ」



 学級委員長の口から授業は時間の無駄という言葉が出るとは思わなかった。授業をしていた高槻先生が聞いたらなんて言うだろうか。


 思えば、鳴瀬さんと直接話をするのはこれが初めてだけど、言葉の端々から、委員長っぽいイメージとは随分ずれているように感じる。


 フルネームは鳴瀬麻衣なるせまい


 凜とした切れ長の目に、肩の高さまで下ろしたポニーテールはクールで理知的な印象だ。くるっと丸まった前髪が鳴瀬さんの可愛さを際立たせており、細くすらりと伸びた四肢はTVに出ている芸能人みたいだ。お世辞抜きに整った顔立ちの鳴瀬さんはまさに一年D組の顔と言っても過言では無い。成績も優秀で体育もそつなくこなす。先生に言われた雑用もきっちりこなし、毎日の号令や連絡も委員長らしく実にきっちりしている。一人称がちょっぴり変わっていて、そんなお茶目なところも相まって男子からの人気も高いらしい。


 ……まぁ全部オタキングが言ってたんだけどね。




 そんな鳴瀬委員長が授業を時間の無駄だと思っていたなんて!?


 彼女の発言は委員長というよりむしろヤンキーに近いのではないか?

 あまりのギャップに、今話している目の前の女の子がちょっとうすら怖く感じてきた。


「……で、よければ教えてくれない高野くんの悩み事。内申目当てとは言え、これでも一応学級委員だしね。相談くらいなら乗るけど」


 そんなリアルな事情、聞きたくなかった。が、しかし。親切にも鳴瀬さんは僕のことを心配して悩み事の相談に乗ってくれるつもりらしい。


「悩み事って……そんな大層なもんじゃないし……」


「ふーん。それならウチは君を保健室に連れて行くだけね」


 鳴瀬さんは目を細めてそうつぶやくや、すぐに僕の手をとって歩きだそうとする。


「待ってよ! なんで君はそう保健室へ連れて行きたがるのさ!?」


 すると彼女は、何をバカなことをというような顔をして言う。


「さっきも言ったけど、基本的に授業はウチには退屈な時間なの。そんなとき、具合の悪そうな生徒を見つけた。心配に思って彼を保健室に連れていく。ついでにウチも付き添いという名目で授業をサボっちゃおうというわけね」


「な……本気で言ってるの?」


「ええ、本気よ。病気の生徒を放っておけないものね、くすすす」


 この女……思考が正気の沙汰ではない! なぜ僕らのクラスはこんな人を学級委員にしてしまったんだろうか。



「で?」



 そんな一言と共に、鳴瀬さんは威圧するような目で僕を睨む。彼女の言わんとするところは、要するになぜ僕が授業中ぼんやりしていたのかということだ。


 僕が集中力を欠いていたのは、鶴松先輩の脅迫じみた提案のせいだ。今日中に部員を一人以上確保しなければ、鶴松先輩が握っている僕の秘密が学校中にバラされる。そういうことを平気でやってしまう男なのだ、あの人は。


 それを鳴瀬さんに話したところでどうなるもんでもないだろうけど……このまま半ば強引に保健室に連れて行かれるのも嫌だ。授業にちょっと遅れて参加する時の、申し訳なげに教室に入っていくあの感じがたまらなく嫌なのだ、僕は。それに曲がりなりにも学級委員長でしかも美人の鳴瀬さんと一緒に授業に遅れていくなんて、あらぬ噂を立てられないとも限らない。いや…………それは自信過剰か。


 見れば、鳴瀬さんは何をするでもなく僕が話し出すのを、切れ長の目で見つめながらじっと待っている。言ったところで信じてもらえるはずないけども。


 ……待てよ。考えてみれば、鳴瀬さんが文芸部に入部してくれたら、問題は全部解決するんじゃないか!? 鶴松先輩に提示された条件はただ一つ、今日中に部員を一人以上増やすこと。もしも鳴瀬さんが入部してくれるなら、よけいな情報が先輩の口から校内に知れ渡ることもなく、まさに万事解決である。


 そう思い至って僕はこほんと小さく咳払いをして鳴瀬さんに話をもちかけた。


「その……部員を確保するように先輩から命令されて悩んでてさ。ほら、君も知ってると思うけど、僕って友達とか少ないし」


 すると、鳴瀬さんは少し意外そうな顔をしてつぶやく。


「それが高野くんの悩み? ……ていうか、君、部活やってたっけ?」


「文芸部。こないだ入ったばかりなんだけど、先輩がちょっと強烈な人たちでね……参ってるよ」


「まぁ事情はわかったけど……そんなに悩むほどのことには思えないんだけどな。一年生ながら部活を支えたいと思う高野くんの気持ちは立派だけどさ、そのために学校生活をないがしろにするのはきっとよくないよ。今朝の授業だってそう。高野くんはもっと楽に考えてみたら良いんじゃないかしら?」


 しめた。鳴瀬さんはいい方向に勘違いしてくれたらしい。僕は文芸部を支えたいなんて、これっぽっちも思っちゃいない。あんな部、潰れてしまえと思ってるくらいである。


「実は先輩に脅されててさ。今日中に部員を一人増やさないと困ったことになる」


「脅しって……穏やかな話じゃないわね」


「先輩は中学からの知り合いなのを良いことに、中学の頃の僕の秘密を暴露するっていうんだ。僕はそれを避けるためになんとしても部員を……。僕が朝からずっと上の空に見えたのなら、それが理由だね」



 ……もちろん嘘だ。鶴松先輩とは高校で出会うまで面識は無い。少なくとも僕は。鳴瀬さんは僕の話に納得してくれたらしく、腕組みをしながら眉間に皺を寄せた。



「ふーん。サイテーね、その先輩」


「近年稀に見るクズ野郎さ」



 鳴瀬さんはふーっと息を吸い込むと、にっこり笑う。向日葵のような明るい笑顔だ。



「これでも一応、学級委員だからね。クラスメイトを放っておけないわ。とりあえず名前だけでも文芸部入ってあげるわ。

 だから……ウチにも教えてよ高野くんのヒ・ミ・ツ」



「ほんとに!? ありが――」



 言いかけて僕の口はぎりぎりのところで踏みとどまった。この人、変なこと言ってなかったか? 入部する代わりに僕の秘密を教えろだなんて、それじゃ本末転倒だ!


 秘密なんか胸に抱えないでさっさと暴露しちまえと思うかもしれない。そもそも鶴松先輩がどんな秘密を握っているのかだってわかりゃしないんだ。それに仮に、僕が全中コンテストで入賞したことを知ったところで、鳴瀬さんがどうするわけでもない。


 それでも僕は嫌だった。決別したはずの過去と今更向き合う気持ちにはどうしてもなれなかった。理解されようとは思ってないし、他人に理解できるとは思えない。これは僕個人の勝手でひどく自己中心的な傲慢にすぎないのだ。だからこそ、唯一、僕にとって譲れない一線だった。



「ごめん! 授業始まるから先、行くね!」


「あ、高野くん! 待ってよ!」



 僕は背中に突き刺さる鳴瀬さんの視線を振り切り、その場から逃げた。

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