第6話 幼なじみ

 家までの帰宅途中、僕はバスに揺られながら、窓の外を流れていく景色をぼんやり見つめていた。


 ビブリオバトル……か。もう人に本を薦めないって決めたのにな。


 鶴松先輩の策略にハメられたとはいえ、なんでビブリオバトルをやるような部活への入部を承諾してしまったんだろう。いくら学校の規則で何かの部活に入らなきゃいけなかったとしても、他に何かやりようはあったんじゃないか。本を読むのは別にいい。それだけで満足していれば良かったんだ。なのに……。


 考えなしの行動がどんな結果を生むのか……わかっているだろ。


 小さくため息をついて眼鏡を外す。レンズが曇っていたので、眼鏡拭きで拭いていると、やがて次のバス停を知らせるアナウンスが流れてきた。


 バスが止まる。バス停に並んでいる人達の中に彼女を見つけたのは偶然だった。


 気づかないでいてくれればいい……。

 だけど、彼女はすぐに僕が乗っていることに気がついて、こちらに歩いてきた。


「隣、いい?」


「あ、うん」


 隣に置いていた鞄を膝の上に移すと、彼女が隣に座った。二つ結びにした長い三つ編みはあの頃と全然変わってない。隣に彼女が座ると、仄かに甘い香りがした。


 彼女の名は宮野涼みやのりょう。僕の幼なじみだ。


「……久しぶりだね。悟、元気だった?」


「……まあ、普通かな」


 涼と会うのは中学卒業以来だった。家が近所ということもあって、小さい頃からの付き合い。幼なじみと言えば聞こえはいいが、要は腐れ縁である。どういう縁か、中学校の頃まではクラスもずっと一緒だった。瓶の底みたいに分厚いレンズのメガネも小さい頃からちっとも変わっていない。そんな彼女が、今、自分と違う学校の制服を着ている。なんだか不思議に思えた。


「眼鏡かけたんだね。最初、悟だって気づかなかったし。悟って目、悪かったっけ?」


「本の読みすぎかな。ま、一応、高校デビューってことにしといて」


「何それ、ヘンなの。ま、似合ってるんじゃない、その黒縁眼鏡」


「ありがと。……涼は? 学校は慣れた?」


「……ずっと共学だったからね。女の子しかいないっていうのにまだ慣れてないかも。へへ……」


 涼が通っているのは白城野しらきの学園高校。女子高で、県内でも有名な進学校でもある。女子の制服が可愛いことで、主に女子の間で人気を集めており、白城野学園のブレザーは涼によく似合っていた。

 その時ふと、白石先輩のセーラー服姿が頭に浮かんだ。

 ウチの制服は古くさいというか……白城野学園がモダンなデザインなだけなのか。オタキングあたりに話させると、延々と解説してくれそうだけど。



「あっ、悟。それ今読んでる本? 何かおすすめの小説あったら教えてよ」



 口全体に一瞬で苦みが広がったような気がした。見えない誰かに喉首をつかまれて声が思うように出ないような感覚だ。持っていた本を栞も挟まずに閉じて鞄にしまう。



「……悟?」


「ごめん、なんでもないよ。今、おすすめできるような本は特にないかな。これも図書室でちょっと借りただけだしね」


「ふーん……面白い本あったら、教えてね」


 僕は涼の言葉に「うん」とだけ小さく頷いた。実際、人に薦められるような本は知らないし、僕が読んでいる文庫本だって、タイトルに惹かれて図書室で借りたものだ。本当に面白いと思っていた小説はもう読んでないし、とてもじゃないが人には薦められない。その小説を読むことはきっともう……できないから。



「私ね……文芸部に入ったんだ。図書室に書評を置いてもらったりして。結構楽しいんだよ。悟は何部にしたの?」



 涼が文芸部に入るなんて思いもしなくて、僕は言葉が出てこなかった。涼は読書や物語が嫌いだと思っていたから。彼女の表情はにこやかだけど、それが彼女の本心からの表情だとは、僕には思えなかった。なんだか無理をしているような、そんな気さえした。涼に正直に、文芸部に入ったことを伝えるのはなんとなく気が進まなかった。


「まだ……その、決まって無くて」


「そうなんだ。良い部活見つかるといいね」


「うちの高校、校則で部活やんなきゃいけないみたいで……まぁぼちぼち決める」


「あ、そうそう。私の部、創立祭の時に冊子作ったりするんだけどね、良ければ悟にも遊びに来て欲しいな」


 白城野学園の創立祭って五月の末頃だったっけ。


 青葉高校には創立祭なんてないし、白城野はイベントが多い学校なんだなと思う。秋には文化祭もやるんだろうし、文芸部と言ってもウチの文芸部とは違って結構忙しいのかもしれない。まあ僕も今日入部したばっかりで、あの変な先輩達が普段どんな活動してるのかよくわかんないけど……あの調子だと、大した活動はしてないだろうな……たぶん。


「女子高に僕みたいのが遊びに行ったら、余計な噂立つんじゃない?」


 冗談交じりに言うと、涼はふふふふっと笑った。


「悟に限ってそんな噂立つわけないわよ」


「失礼な! それどういう意味だよ?」


 それから軽い冗談を言い合っているうちにバス停に着いて、僕らはバスを降りた。途中の歩道橋までは帰り道が同じだったので、涼とはそこで別れた。


「じゃあね。悟もがんばりなよ」


「お前もな」


 涼は自分の足下を見つめる。夕影が彼女の半身に重なる。



「悟、あのね……私、もう…………」



 そこで涼の言葉が途切れた。そして顔を上げると、



「……なんでもない。じゃあね!」



 そう言ってトタタタと走って行った。


 涼は何を言いたかったんだろうか。


 だけど僕も涼に聞きたくて、ついに聞けなかったことがある。独りでにため息が漏れた。

 それは、きっと彼女の心の傷をえぐるような質問かもしれないから。

 だから、聞きたくても聞けなくて、胸の中に押し殺した。


 上辺だけの会話。以前はお互い本音で話してたのに、互いが余計に気を使わせまいとして、どうしても淡泊で取り繕ったような会話になっていた。今までは見えなかったものが、僕も、涼も前より見えるようになった。成長したといえば聞こえは良いけど、胸の中に一抹の寂しさを感じた。


 あんなことがなければ、僕が間違ったことをしなければ、今も彼女と何も考えずにただ笑って話せたのだろうか。


 あいつは文芸部に入ったと言っていた。冊子を出すってことは短い文章でも書いて載せるんだろうか。それが僕には到底信じられなかった。何かの間違いじゃないかと思った。




 そんな時、ポケットに入れていた携帯がぶるぶる震えた。


 鶴松先輩からのメッセージだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る