第5話 策略


「ほ、本当にすみませんでしたっ!」


 ふいうちの尻蹴りをかました女子生徒は、尻をさすりながら起き上がった僕に必死の土下座で謝っていた。部室に入ってきた時の高圧的な印象はどこへやら、すっかり腰の低い控えめな女子の姿があった。よく見ると、とても整った顔立ちの人で、上履きを見るに鶴松先輩と同学年らしい。


「あ、あのそんなに謝らなくても……勘違いだったみたいですし」


「いえいえいえ! 本当に悪かったのは私ですから! よりにもよってこんな……ゲスノッポ男と見間違えるなんてホント失礼なことしてすいません」


「おいクソメガネ」


「ゲスノッポはさておいて……と、先ほどは大変失礼したわね。私は白石しらいしなぎさ。文芸部の部長です。それでえっと……君は……?」


「あ、僕は高野悟っていいます。その……鶴松先輩に連れられて……」


 僕が言ったか言い終わらないかのところで、白石先輩は鶴松先輩の胸倉をつかみ上げる。さっきまでのお淑やかなイメージが一瞬で吹き飛んだ。制服姿も相まって、まるでドラマのスケバンを彷彿とさせた。


「……ちょっとあんた。まだ懲りずに非公式な部活の勧誘やってるわけ? いい加減、勧誘される一年生たちの迷惑を考えたらどうなの? ねぇ……ゲスノッポ?」


「けっ。新入生勧誘はまっとうな手段だ。てめぇに何か言われる筋合いはねぇなぁクソメガネ……!」


 うわ、こえぇ……。白石先輩と鶴松先輩はお互いを親の仇のごとき双眸でとらえ、一触即発の空気が文芸部の部室を支配している中、僕は蚊帳の外でことの成り行きを見つめていた。まさにやくざ映画のワンシーンを見ているみたいで、こめかみのあたりを冷や汗がつたう。


 ……ていうかなんだよこの状況。僕は一体どうすれば良いんだ。


「…………でもまぁ……クソメガネの言うことも少しはわかる。高野。お前を無理やり連れてきたのは悪かったと思ってるよ。すまなかった」


「鶴松先輩……」


「だが、やはり俺はお前と共に部活がやりたいと思っている。だからお前がまた部室の扉を叩いてくれるのを待っているから……じゃあな」


 鶴松先輩はそれだけつぶやいて、部室を出ていった。出ていく時、先輩は何も言わず僕の肩にぽんと手をおいて……それだけだった。それだけなのに、どうしてか……部室を去る鶴松先輩の背中がひどく寂しそうに見えた。だけど、僕は先輩の背中に掛ける言葉を何も持っていなかった。


 ともかく、鶴松先輩が帰った以上、もう僕が文芸部の部室にいる理由はない。


 鞄を取ろうとした時、おもむろに白石先輩が僕の背につぶやく。


「……高野くん、だったっけ」


「はい」


「あいつ……鶴松はやることなすこと勝手だけど、でも一応あいつなりに相手の気持ちを気遣っているのよ。だから、高野くんも許してあげて。それに……君も少しは興味があるんでしょう、その……ビブリオバトル、だっけ?」


 僕が何も答えあぐねていると、白石先輩は柔らかくニッと笑う。


「まぁ君にも事情があるんだろうし、無理にあいつの誘いに乗れとは言わないわ。だから君が来たい時に遊びに来ればいいよ。文芸部は君を歓迎するわ。ちょうど部員も欲しかったし」


「白石先輩……ありがとうございます」


「そんなお礼なんていいのよ。鶴松があれだけ啖呵切るほどの高野くんのビブリオバトル、私もちょっと見てみたいし」


 別に入部せずとも遊びにくるぐらいなら……。鶴松先輩はともかくとして、白石先輩は色々と話を聞いてくれそうな優しい先輩だし。高校に入ってすぐ、白石先輩みたいな先輩に巡り会えてよかったと思う。


 ……文芸部、か。


 高校に入ってまで部活をやる気は無かったけど、遊びに来るくらいならいいかもなぁ。


「白石先輩、今日はその……色々ありがとうございました。また、遊びに来てもいいですか?」


「もちろんよ! それじゃ、またね高野くん!」


 鶴松先輩にわけのわからぬまま連れてこられたが、部室を出るとき、僕の顔は晴れやかだった。



 …………廊下の角に佇む鶴松先輩を見つけるまでは。



「鶴松先輩、何してるんですか?」


 恐る恐る尋ねると、先輩はにやりと悪魔的に笑う。


「……ククク。やぁ高野くん。もうお帰りの時間かい?」


 先輩は不気味な笑みを絶やさない。なんだこの人、何がおかしくてこんなに笑っているんだ?


「は、はい。用事もありますし」


 特に何か用事があるわけではなかったが、鶴松先輩に絡まれると面倒になることはわかりきっていたので、ここは嘯いてこの場をやり過ごそう。そう思った時だった。


「まぁ帰るのはまだ早いぞ高野。部活動はこれから始まるんだからな」


「部活動って……僕はどこにも入部してませんし。もう帰りますから。失礼します」


 すると、先輩は僕の制服の袖口を引っ掴み、言った。

「そう焦るな若人よ。君はすでに我が文芸部内ビブリオ部に入部しているのだ」


「は、はぁ!?」


 この先輩、何また頭とち狂ったことを言っているんだ? 

 しかし、鶴松先輩は僕の心を見透かしたように、すっと一枚の紙を取り出した。

 先輩が僕に見せたその一枚の紙片を目にして、思わず体が硬直した。

 鶴松先輩が持っていたのは僕の名前で書かれた、文芸部への入部届だった。


「見ろ。これは確かに入部届。ここにお前のサインもある」


「バカな……僕はサインした覚えも入部届を提出した覚えもありません!」


「だが、現実に書類は俺の手元に揃ってる。高野、お前夢でも見ていたんじゃないのか?」


 まるで狐につままれたような話で、さっぱりわけがわからない。僕はあんな書類にサインした覚えも、そもそも見た覚えもないが、確かに先輩は僕の名前が入った入部届も持っていた。字も僕の字だった。

 先輩が言うように僕はいつからか夢を見ていたのか? これが夢落ちってヤツなのか? ……だとしてもこんなつまらないオチは認められない!


 そのとき、不意に後ろのドアが開く。


「あ、白石先輩」


「あら高野くんまだいたの。……ってそれは入部届じゃない! 文芸部に入部してくれる気になったのね!」


「ちょ、先輩、ちが……」


「そうなんだよ白石。高野もようやく決心してくれたみたいなんだ」


「鶴松……まぁでも新しい部員が入ってくれるのは喜ばしいことだわ。私にしてもあんたにしてもね」


「そういうわけだ。ここはウィンウィンの関係と行こうじゃないかクソメガネ」


「一時休戦って訳ね。……いいわよ、のってやるわゲスノッポ」


 鶴松先輩と白石先輩は目配せして、二人だけすっかり納得している様子だ。当の本人を差し置いて話がどんどん進んでいるが、僕がそれに待ったをかける。


「ちょっとちょっとお二人とも! 僕は入部してないし、その入部届、絶対何かの間違いですって!」


「お前はそう言うけどな……そもそも誰が何の目的でお前を文芸部に入部させるんだよ? 動機がいまいちわからねぇし、お前を文芸部に入れて得をする誰かがいるとは俺には思えないけどな。…………なんだその目。もしかしてお前、俺らがお前を謀っているとでも言うつもりか?」


 コクリと頷く。先輩のいたずらか何かか……動機は不明だが、こんなことをして得をしそうなのは二人以外に思い当たらない。白石先輩によれば、文芸部は新入部員が入ってくれなくて困っているみたいだし。あわよくば僕を……ということも十分考えられる。


「高野くん。私は哀しいわ」


「し、白石先輩……。でも、僕には身に覚えのない話ですし……」


「私の目を見て。鶴松はともかく、あなたを文芸部に入れるためだけに私がそんな狡い真似すると本当に思う?」


 そう言って、先輩はぱっちり目を開いて顔を寄せてくる。白石先輩の息づかいを感じるほどに顔が近い。妙に胸がどきどきした。


「せ、先輩! ち、近いですっ!」


「君が信じてくれるまでやめるつもりはないわ」


「わかりました。もうわかりましたからっ!」


「じゃあ入部してくれるんだな?」


 目を爛々とさせて尋ねる鶴松先輩。見ると、白石先輩も同じ表情だ。


 ここで入部しないと言えば、二人は何をしでかすかわかったもんじゃない。そう思ってしまうほど期待に満ちた顔の先輩達に見つめられると、僕はもうため息をつくしかなかった。それに……白石先輩みたいな女の人にあんな目で見つめられたら、ほとんどの男子は断れないだろう。白石先輩はずるいと思う。


 何者かの思惑(たぶんこの二人のせいだ!)によって、半強制的な感じで入部させられるのは僕としても甚だ遺憾であるけれど、この場に限ってはそれ以外の選択肢はなさそうだ。

 入部すると言うまで、先輩達、帰してくれなさそうだしなぁ……。


「……わかりましたよ。入部しますよ。すればいいんでしょ?」


「なんだ投げやりな言い方だな高野。さてはお前……ツンデレだな?」


「何バカなこと言ってんですか?」


「とにかく高野くん、ホントに文芸部に入ってくれるのね!?」


「言質でも何でも結構ですよ。先輩たちに絡まれたのが運の尽きと思って諦めることにします」


「まぁ! そんなに褒めてくれなくても」


「褒めてないです。不敬を承知で貶してます」


 僕の貶し文句を聞き流し、白石先輩はほっと胸をなで下ろして言った。


「いやぁ高野くんが入ってくれてようやく文芸部らしい活動ができるし、鶴松の偽装工作に付き合った甲斐があるってモノね」


「……どういうことですか?」


「ち、ちがっ、偽装とか私、し、知らないからっ!」


 しどろもどろに説明する白石先輩。やっぱりそんなことだろうとは思っていたけど……。自分の発言を誤魔化そうとする白石先輩の姿が妙に可愛らしかった。

 一方、偽装の張本人であろう鶴松先輩は、白石先輩の失態に頭を抱えていた。


「お前…………かける言葉が見つからん」


「な、何のことか知らないけど……ごほん! とにかく私はこれを提出してくるから!」


 白石先輩は偽入部届を引ったくると、赤面を隠すように職員室への廊下を駆けていった。

 取り残された僕と鶴松先輩は顔を見合わせると、どちらからともなくふっと笑った。


「……ったくクソメガネのせいで、俺の計画が台無しになっちまった」


「白石先輩って、肝心なとこで残念な人ですね」


「ヤツのせいでお前には嫌な思いをさせちまったな。すまん」


「いやあ。どっちかっていうとコトの首謀者は鶴松先輩じゃないですか」


「…………それで、お前はどうなんだ高野。本当に入ってくれるのか文芸部?」


 少し迷ったが、僕は先輩の問いかけに頷く。


「先輩達にはめられたとは言え、いずれはどこかの部活に入らないといけないですし」


「ウチの学校、校則厳しいからな」


 青葉高校の生徒は入学後、何らかの部活動に所属することが校則で定められている。現に僕のクラスでも、まだ部活に入っていないのは僕とおたく野郎の二人だけだ。今日も先生に呼び出されたし。

 その時、今後部活に入ることはないというオタキングとの誓いが頭をよぎったが、ヤツのにやけ顔と共に一瞬で霧散した。まぁ僕らの結束なんて所詮こんなものだ。僕としては連日職員室に呼び出されるような高校生活は送りたくないし、オタキングには悪いが、入学後一ヶ月で先生たちのブラックリスト化するのも避けたいところである。


 文芸部に入るだけでそれが緩和されるというのなら、まぁ安いものだ。鶴松先輩は僕とビブリオバトルしたいみたいだけど、そもそも白石先輩を入れても三人ぽっちじゃ、バトル開催は厳しいだろう。先輩もさすがに三人でビブリオバトル始めたりしないだろうし。


 そうだなぁ……五人くらいいないとやはりバトルとしては面白みが薄いし、先輩もそのあたりは重々承知だと思う。あれだけビブリオバトルに熱心な様子だったしね。

 見た感じ文芸部はそんなにハードな部活でもなさそうだし、とりあえずここに入っておけば先生たちから睨まれることもないだろう。あんな先輩達だけど、文芸部は学校から認められた部活動なのだから。


 僕はこほんと一つ息をついて口を開いた。


「どうせどこかの部に入らなきゃいけないのなら……これも縁ですし、文芸部に入ろうと思います」


「まあ、ウチの部は運動部の連中と違ってきつい朝練とかないしな。演劇部とか漫研みたいに文化祭で大掛かりな発表があるわけでもない、楽な部活だしなぁ………とか思ってるだろ、お前」


 何だこの人!? どうしてこうも的確に僕の思考を読み取れるんだ!?


 鶴松先輩の言葉はほとんど図星で、文芸部が良いと思ったのは楽そうだったからだ。縁とかなんとかは良く言えば社交的リップサービス。言い方変えると、口からでまかせの嘘っぱちだ。

 しかし、鶴松先輩に浅はかな考えを見透かされたからと言って、僕は考えを変えるつもりはなかった。


「先輩の言うことも否定しませんが」


「そこはせめて否定しろよ」


「入部すると言った以上、前言撤回はしません。男に二言はありませんから」


「高野、お前、ひょろっちぃ見た目のわりに男らしい性格してるよな」


「先輩ほどではありませんよ」


「こいつ皮肉言いやがって……。まあいいや。入ってくれるなら俺としてはありがたい限りだ」


 先輩は照れくさそうに咳払いした後、ニコリと笑って手を差し出した。


「改めて言うのもなんだが、俺は文芸部副部長兼ビブリオ部部長の鶴松文彦つるまつふみひこだ。

 君の入部を心から歓迎するよ。これからよろしくな、高野悟たかのさとるくん」


「こちらこそよろしくお願いします、鶴松先輩」


 かくして僕は文芸部に入部することになった。


 それが今後、僕の高校生活を大きく変えてしまったきっかけだったのだけど、この時の僕はそんなこと、まだ知る由もなかった。

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