夜の中を
琴月
月の船
夜は昼よりも澄んでいる気がする。人がいないからか、冷たい空気のせいか。
動物の飛び出し注意の看板。街灯すらない道を、慣れた足取りで歩く。
貴方の前では絶対に着ることがなかったスカートが揺れる。季節外れのサンダルを枯葉が覆う。素足に突き刺さる風が、私が私である証拠だ。
時のようだと思った。
誰にも認知されない。流れ行くだけ。
針が刻むように、傷を負っていく。零から十二で、折り返し地点。今は二十二を指す直前。
あと、二時間ちょっと。
戻ることはできないのに、過去を望んでしまう。与えられた仕事を投げ捨ててまで、私が望んだのは前に進むこと。馬鹿な話だ。まったく笑えない。
透明。
涙の色が私を通り抜ける。誰かの嬉しいも苦しいも感じられない。私の頬を静かにつたう涙は叫んでいるのに。
消えた声。
私を残したのは、私に興味を抱かなかったからですか。
そうだとしたら、ほんの少しだけ感謝。笑顔でありがとうと言いたくなる。
貴方は月だった。
暗闇を照らす微かで確かな光。
私にとって、唯一の光。
月自身が輝いているわけではないのに。ただ、届けているだけなのに。勘違いしてしまった。だから、私の思い描く貴方を勝手に押し付けて崇拝した。日に日に表情を変える貴方を憎んだ。
そして、理想を謳った。
星の煌きを奪っているのは月だ。個人を消してしまっているのは、紛れもなく月なんだ。
それなのに、追い求めてしまう。私を救ってくれたから。初めて私に気づいてくれたから。縋れるのはそれしかなかった。
いつのまにか、離れられなくなって。
まるで、麻薬だ。
触れてはいけないのに、手を伸ばしてしまう。身を滅ぼすことは、知っているのに。
何度でも繰り返す。時計が動き続けるように。
太陽のような強い光は毒だった。そちら側に一歩でも踏み出せば溶けてしまう。焦がれることはあったかもしれないが、憧れることはなかった。
眩しくても、目を開けていられるのなら。
明るさを隠すために、目を瞑ることができるのなら。
もしもを考え込んで、焼き切れる頭。喉から引き攣った音が鳴る。
もう、やめよう。何をしたって無駄なのだ。不変でありたいから、変われない。それが私の枷。
左ポケットの中、片道切符を握りしめた。「行き」なのか「帰り」なのか分からない。文字が読めないほど、くしゃくしゃに草臥れている。
きっと、使えないだろうな。
それでも、御守りみたいに大事にしている。
心の片隅のどこかで、いつまでも信じている。
古びた木のベンチに座って、夜行列車を待つ。別に飛行船でも方舟でも良い。
貴方に逢えるのなら。
貴方との乗り合わせを望んでいる。どうしてここにいるのかと問い詰めよう。
喜びで満たされる薄暗い退避スペース。唇が歪んでいるのは、悲しいから。たった一つの感情で表せるほど、単純ではない。
掲示板に貼られた広告。言葉が浮かび上がる。ただの文字列にしか見えない。だけど、なぜか衝撃を受けた。理解できないまま。
意味を見出してしまった。
理由ができてしまった。
透過したのは私じゃない。貴方だ。
だから、私は。
こんなにも、必死に――。
ひっそりと佇む貴方は、星になったのだろうか。いや、なるはずがない。それを確かめるために私は今日、貴方の近くにいく。夜空をかけて、長い旅をする。
列車は無音。静かな世界に舞い降りる。行先標は黒く塗り潰されている。
お別れの時間だ。
右手。貴方が作ったブレスレットを隣に置く。遺書代わり。文字で伝えるより、何倍も効果があるだろう。
埃を払って、両手を上に大きく背伸び。そして、小さく深呼吸。
扉が開く。月の果て、貴方と一緒に踊ろう。かぐや姫にはなれないから、兎になる。
感傷に浸ってしまうのは、まあるいお月様のせい。満月だから、仕方がない。
ぜんぶ、貴方のせい。
だから秋に吸い込まれる私を、どうか笑って見送ってください。
夜の中を 琴月 @usaginoyume
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