踊り場の交差点

Shran Andria

第1話

桜小路 飛克(さくらこうじ とびかつ)47歳は、父親の状態が悪いと妹の倫華(りか)からのメールを受け、タイの奥地から空港に向かっていた。悪路を走る車の中で、こんな事を思い出していた。

倫華は、高校、大学とアメリカに留学して、語学の道の仕事を続けている。

妹に会うのも5年ぶりだな。

妹は実に、思い通りの人生を歩んでいた。家が経済的に余裕のあったせいもあるが、何より自由に生きていた。髪も茶色というより金色に近くないかと、ことある毎に言っていたが、お兄ちゃんは古いのよ、とか、私はこの色が似合うのよと、言い続けられた。

10歳年下の彼女は5年前に結婚した。大学の留学時に知りあった男で、何か肩書の多い研究者のようだ。無縁の奴だ。結婚式で初めて会った彼に少しの興味も沸かなかった。

それよりも、高校時代に沢山のボーイフレンドがいた倫華が、長い付き合いをして、その男と結婚したことに驚いたものだった。


空港に着いて、セキュリティを抜けると、少し慌しさも通り抜けた思いがした。


やがて、搭乗のアナウンスがあり、乗り込むと、疲れからかウトウトしながら、ようやく父親の事を考え始めた。


厳格な父だった。少なくとも自分には。倫華の奔放な生活と比べると、本当に同じ家族かとすら思っていた。

幼稚園時代、何かのパーティーに連れていかれたが、全く面白く無く、駄々をこねて会場に続くカーペット上に寝転んで泣き裂けんでみたが、幼いながらに父親の威圧感におとなしく会場に入ったのを憶えている。

次々に出てくる料理も、何だか子供の飛克に興味のあるものではなく、お子様ランチの方が食べたかった。

帰りのタクシーの中で、味覚は子供の頃に養われる。嫌いでも食べなさい。やがてわかってくると言い聞かされた。

小学校の時、飛克はランドセルを下ろすと、近所の公園に出掛け野球をしていた。彼には門限があり、キッカリ5時には手を洗い終えて、リビングに座っていなければならなかった。

彼らの野球のルールは、9回では無く、5回だった。それは、やはり門限や塾に通うために皆で決めた小学生のルールだった。

しかし、その日は、試合が進まず、4時50分の時点で4回表に入ったばかりだった。飛克の1番仲がいい近藤ひろきは、こんなに接戦は滅多にない、続けようぜ!と言った。全員、盛り上がり、試合は続行された。

5回裏、ひろきのサヨナラヒットで、試合は終った。最後は皆でホームベースに集り、面白かったな~。と口々に言った。その時、時計は5時を回っていた。

その頃、飛克の父は帰りが早く、5時には家にいた。

ひどく怒られ、飛克は父親と正座して向きあった。半泣きの飛克に父親は、悪いことをしたらなんて言うんだ?飛克は、ごめんなさいと言った。父親は、さらに、何で謝ってるのか、言ってみなさい。飛克は、意味がわからなかった。友達と頑張ったんだ。悪くなんかないさ。そう思ったが、黙り込み下を向いていると、さらに怒られた。

父は、約束や、決まりを破っては、いけないのだ。そんな事を何時も言われていた。


中学生のある日、飛克は、父親に呼ばれ、大学は法律系に行って、その仕事につけと言われた。

社会は、法律、ルールの中で生きていかなければならない。誰も逆らえないんだ。だけど、法律を作るのは人間、それを作ったものが強いのだ。

飛克は、あまり意味がわからなかったが、その為には、もっと勉強しないといけないと思い、それからは必死に勉強した。


所望の高校受験に合格した時、何時もより穏やかな父親がよってきて、こう言った。よく頑張った。私はもう何も言わない。親としての役割を果たしたからだ。

飛克は、悲しい気持ちになった。父と子はそういうものなのかと思った。ひろきは父親と風呂で、ガールフレンドや野球の話をよくすると聞いていた。自分にはそんな事は無かったし、もちろんスキンシップもなく、自分の主張すらした事も無かった。

彼は、真面目に学校に行ったが、帰りに書店に行っては、写真雑誌を見るのが唯一の楽しみになっていた。最初は、建物や車といった明確な被写体の写真が好きだった。車の曲線美や、西洋の建物の飾りが特に好きだった。しかし、ある日、アマゾン川を空撮した写真に感銘を受けた。


大学に入ると、飛克は、ますます風景写真にのめり込んでいった。

写真集を買ったり、安物のカメラで、木や花の写真を撮ったりした。

しかし、自分の撮る写真は何時もつまらなく感じた。何故プロの写真は心をうつのかわからなかった。勿論、アーティストとしての才能や、写真のテクニックは必要だけど、もっと本質的に何か、とても大事なものがあるように思った。


大学卒業後、まずは、小さな法律事務所に入った。学生時代は写真に明け暮れ、殆ど勉強しなかったので、役人になるのも無理だったし、まずは、ここで勉強しようと思っていた。

実家は出たものの、比較的近いので、週末は実家に帰り、母親の料理を食べていた。

食費が浮くし、職場や友人食事に行くより気が楽だった。

妹の倫華も中学、高校に行き成長していたが、自分と違い、とても優しく扱われるので、だんだんつまらなくなっていった。

倫華とは仲がよく、秘密の話しゴッコをしたりした。それは、親に言えない事を教えあうというゲームのようなもので、倫華は、学校で決められたスカート丈より5cm短くしているとか、ボーイフレンドとカフェに行ったとか、色々話してくるが、自分は親に言えない事はなにも無く、この遊びも長続きはしなかった。

倫華を見続けるに、なんて、楽しそうなんだと思った。

次第にわかってきた。自分は父親の厳しい躾で感情がないのだ。

そして、自分だけ、家族ではないようにも思えてきた。


ある日、飛克は父親にこう言った。

会社を辞めて、写真家になる。

父親は、前にも言ったはずだ。私の親としての義務は終っている。


無言で飛克は、この町を去った。


いつの間にか飛行機は、成田上空を旋回して、着陸待ちをしていた。


成田からタクシーで虎ノ門に向かった。

そういえば、ひろきのオフィスは、その先だったな。ひろきは、ガラケー時代に専用の検索エンジンを開発して、中堅の会社に育て、スマホ時代に入ってからは、大手の検索会社と違う、お手軽Photo検索という事業で、国内では成功していた。

ひろきは、写真家で売れなければ、うちに来いよ、写真の仕事をさせてあげるよ。と言ってくれていたが、3年前に断っていた。

飛克は、既に、自分に何が足りないかわかっており、新しい写真の分野に駆け出していた。

すなわち、写真とは、光と陰で表現する心理眼のための作品なのだ。彼は、カメラとは似ても似つかぬ装置を作っていた。3次元空間の光のベクトルを全て強度別に調べ、最も適した位置と角度から写真を撮る。敢えてモノクロ写真で、通常、色を表現する花や木の写真を撮った。最初は物珍しさで話題になり、プロの写真家やアーティストから、冒涜者と批判を受けたり、乱高下の評価だったが、一応テクニカルアートと名を受け、それなりにやっていっていた。ここ数年は、タイの奥地で生命力の強い木に着目してキャンプを設けて活動していた。今回、父親にあって、報告をして、父親の願う道には進め無かったが、とても感謝していると伝え、心のわだかまりを無くしたいと思っていた。


やがて、タクシーは、病院に着いた。


受付で、家族だと言って案内を受けた。

病室の戸をあけると、ベッドに寝ている父親が愛想の良い笑顔でむかえてくれた。

母親は、なんだか穏やかな顔をしており、倫華は暗い顔をしていた。

母親が、おとうさん、飛克ですよ。タイから飛んで来てくれたのよ。と言った。

父は、『飛克さん、こんにちは。今度の法案は、なかなか宜しいな~。』

飛克は言葉を失った。

認知症・・・。


倫華と廊下に出て話をした。

倫華は、切り出した。ずっと使っていた薬が悪かったみたい、脳の末端血液供給量が減ってたみたい。ケンジが、そう言ってた。

飛克は、ケンジ?だれだそれ。

私の旦那よ、知ってるでしょ!まさか、お兄ちゃんも。

俺のは天然だ。

ふざけないで!倫華は、キツイ目でにらんだ。

飛克は、自分にたりないものは感情だと思っていたので、生まれて初めて冗談を言ってみたつもりだったが、場が悪かった。

ケンジは、大脳生理学者だけど、最近の老人の傾向がおかしいことに気づいて、医療機関と話をしていたの。ケセルキノホワイト*って薬知ってる。*架空の薬です。

あ~、あの耐ストレスの薬で多くのメンタルが減ったというやつか。

そう、まだ、データが、少ないけど…。お父さん、10年も使ってたのよ。

噂は聞いていたが・・・確かある種の神経伝達物質をブロックするやつだよな。


その夜、妹、母と久々に食事をした。

母親は、いろいろ伝えたかったことがあるの。

あなたが子供の頃に、お父さんは、商法に関するある法律を立案したの。元々は、流通を明確にして、小売店の物流コストを下げることを目的にしていた。でも、明確にし過ぎることで立ちゆかぬ人達が出て、悲しいことが沢山起こったの。お父さんは自分を責め、法律や規則が人を苦しめることもあると知った。そして、あなたに託したくて、あんなに厳しくしていたの・・・。

飛克は、全てを知った。だが、何故、それを教えてくれなかったのだ。


それで、お父さんは、その後も悩み続け、あなたが出ていったあと、法を監視する事務所を立ち上げた。最初は多くの非難、抵抗があって、かなり弱っていったの。そして、あの薬を飲みはじめた。最近は、お父さんの考えも認められはじめ、近く正式な機関になるはずなの。

でも、あの薬は思いのほか悪影響があって、元気そうだけど日に日に脳細胞が死滅している。あと一週間といわれてるわ。


飛克は、どう考えていいかわからなかった。しかし、いてもたってもいられなくなり、再び病室を訪れ、父親を強く抱きしめた。

父親はなにも言わず抱きかえしてきた。

飛克は、今まで自分だけ与えられていないものを与えられた気がした。

違う階段を登ってきたが、この踊り場で、父に再開出来た。


1週間後、父親は踊り場から天国への階段に向かった。


飛克は、ケンジ、ひろきと3人で会い、あるお願いをした。

ケセルキノホワイトをせめることはしない。だが、間違った治療法だった。

私は、テクニカルアートを使って人のストレスを和らげたい。

ケンジ君、大脳のことをもっと教えてくれ。

ひろき、君の会社で集まった風景の写真のビックデータを提供してくれ、ざっくり見積もって2千万円でどうだ。

おれは、そのデータから人が心地よくなる写真を選ぶ、そして、悩みにあわせた写真をAIで選別する。さらにそれをベースにテクニカルアートで本質を写し出し、それを提供したい。

それにはケンジ君の協力が必要だ。

ひろきはこう言った、お前から金貰えるかよ、それに識別ソフトがあっても教示データー作成には人手がかかる。そこは、俺にまかせろ。

ケンジはこう言った。お兄さん、勿論全力で協力させて下さい。


飛克は、冷徹と思っていた父の本質が分かり、とても楽しい気分になっていた。

そして、空に向ってこう言った。


父さん、道は違うけど、目指すことは同じだよ。僕も階段を登りはじめます。


~終わり~

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