28. 要石
歩いても行ける距離ではあったが、早く決着を付けたい二人は摩衣の車で出発する。
車通りの少ない日曜日の夜、日暮れ直後の街。彼らを乗せた軽自動車がスピードを上げて進む。山への登り口まで五分も掛からず、右手に公園が見えたところで摩衣はブレーキを軽く踏んだ。
「あそこ、公園の案内板があります」
「……ああ」
彼女が言いたいことは亨にも分かる。ヘッドライトに照らされた先、公園入り口に立つ周辺地図の描かれた看板には、目立つ黒字で公園の名前が記されていた。『瀬那公園』、これについては、もう亨も認めるしかない。
「このまま上へ。急いでくれ」
「はい……」
再び勾配を登り出した車は、やがて周辺を見下ろす展望広場へ到着した。
茂る木が邪魔で、街の夜景も半端にしか見えない名ばかりの広場だ。一応の解説看板と、何かの記念石碑くらいが建つだけで、広さも公園の数分の一程度だった。
そんな貧弱な広場が、亨に尋常でない衝撃を与える。車が停まると同時に飛び出した彼は広場の中央まで走り、茫然と立ち尽くした。
「これが頂上? 脇道は? 道を間違えたってことは――」
「一本道ですよ。矢賀崎さんも見てたはずです」
「じゃあ、墓は! 墓地はどこに消えたんだ?」
摩衣は無言で頭を横に振った。どこまで亨の耳に届いているか分からないが、彼女は淡々と本で得た知識を話す。
二科山とは違い、一の山であろう瀬那山にはいくつか遺物らしきものが存在した。一つがここでしか見られない品種の金木犀で、黄色い天女の伝説とも合致する。
もう一つが、山頂に置かれた“
高さ四メートル、直径一メートルと言う円柱状の巨石は、相当に古くに建てられたものだ。自然の岩とは考えにくく、遠い隣県の御影石を運んだと思われる。その方法や設置した理由には謎が多く、解明されていない。上部にはくり抜かれた空洞があり、ここで火を焚いて灯台にしたのだろうとも、宗教的なシンボルだったとも言われている。
古い口伝に依ると、近隣の住民の間では土地を守る要石とされていたそうだ。佐路はこの岩、そして瀬那山を特に熱心に調査したと言う。
瀬那山こそが聖地で、その象徴として古代民が巨石を建立した。山の重要性を語り継ぐ内に、伝説が形作られていったのではないかというのが、彼の推論である。
残念ながらこの論考を裏付ける証拠は見つからず、佐路個人の考えを述べて『二島遺聞集』は締められていた。
「本には墓地なんて載っていませんでした。ひょっとして、要石のことかな、とも思ったけど……」
「そんなわけがあるか。こんなの単なる岩だ!」
混乱の極みに苛まれながら、亨は闇の中にそそり立つ大岩へと近寄っていった。彼の背後に立った摩衣が、明らかに憔悴した彼の様子を慮って、家に帰ろうと提案する。自分を労るその言葉を亨は即座に拒んだ。
「ここには何かがある。手掛かりが、瀬那の何かが」
「考えるのは家でも出来ます。しっかり寝て、体を休めないと――」
「俺は病気じゃない!」
怒鳴り声にピシャリと遮られ、彼女の言葉は途中で聞き取れないほど小さくなる。真剣な眼差しで訴え続けようが、その顔を見ようともしない亨には届かなかった。
「もう少し調べてから戻る。君は先に帰れよ」
「車で待って、家まで送ります」
「歩いて行くから、待たなくていい」
「でも、道も暗いし――」
「いいって言ってるんだ! 子供じゃないんだから独りで帰れる。放っておいてくれ!」
石柱から目を離さない亨から、結局、彼女は背を向けて歩き出す。広場の入り口で、一度だけ歪めた顔を振り返らせたが、亨が気づくことはなかった。彼が聞いたのは、走り去る車のエンジン音だけだ。
展望広場では数本の外灯が弱い光を放っていたものの、岩を照らすには心許ない。暗い岩肌をよく観察しようと、亨は申し訳程度に張られたロープの囲いを跨いで近くへ寄った。
長年の風化で岩には激しい凹凸が刻まれ、基部は苔生している。そのざらついた表面に、右掌をペタリと当てた。
硬い石に向かって、身体に篭る熱が奪われていく。湿気を充満させた大気よりも、黴臭い石柱は余程心地好かった。
「親父の絵だ」
要石の質感は、岩を描いた父の絵とそっくりだった。
左手も岩肌に付け、両手で感触を確かめる。岩は急に温まり、彼の体温を超した辺りで一定に保たれる。この暖かさも、決して不快ではない。そしてまた温度を下げ、先より冷えた空気が漂い始めた。
確証は無くとも、岩が彼にとって重要な存在なのは手先から伝わる不思議な温度の波が教えてくれた。何度も繰り返される冷却と熱、亨が連想したのはこの数日に味わった水と炎だ。いや正確には、水から救ってくれシャチと、火に飛び込んで来たエイか。
この想像が的外れでないことが、数瞬後に判明する。右目の端を蛍火のような淡い光が横切り、次に反対側を青白い輝きが走り抜ける。岩から手を離し、光を追いかけて首を回した彼は、いくつもの煌めきに囲まれているのに気が付いた。
知らぬ間に現れた光点は、数を増やしつつ石柱の周囲を回って円を描く。時に跳ね、時に地面の下に潜り込むその姿は、もう見慣れたガラスの魚たちだった。
赤や紫、銀に白と、多彩な色の小魚がぐるぐると回遊する。岩と魚に関係があるのは明らかとなった。ここが全ての基点、そうに違いあるまい。
瀬那の作った魚は岩に集まってきた。墓でなかろうが、この場所は瀬那へ通じているはず。心のどこかで疑念を育てながらも、亨は瀬那との再会を祈った。彼女にさえ会えれば、不愉快な茶番は幕を下ろすと信じて。
魚が作る光の輪が少しずつ小さくなり、彼と岩を中心にして縮む。彼らを受け止めるべく、亨は大きく両手を広げた。
「さあ、来いよ。連れて行ってくれ!」
魚は速度を上げ、七色が混じり合って激しく輝く。光の奔流が眩しくても瞼を閉じずに、輪が閉じるのを待ち構えた。
爪先に触れようかというくらいの小さな円から小魚たちが次々と飛び出し、亨の身体へと吸い込まれる。真っ赤な魚は腹へ、銀光は左肩へ、一際白い魚は胸へと消えた。
今度こそ、彼女の元へ――祈りは最高潮に達し、亨は大きく両手を上に掲げた。
全ての魚を受け入れた時、遂に求めていた声を耳にする。優しく頭の痛みを和らげてくれる、彼女の嘆きを。
『│また《・・》、間違えたのね』
「……何を? 顔を見せてくれ」
『集め直して。魚たちが、きっと導いてくれる』
その言葉の意味を考えるには、思考を手繰る力が足りない。ただ物悲しい彼女の願いに身を浸しながら、亨は道標の無い空間へと沈んで行った。
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