18. シルバーセンター

 二科山を登り、ホテルに着いた亨はフロントでもう一度質問を繰り返した。

「自分は昨日も来たか」では、正気を疑われかねないため、「自作の所在を調べた者はいるか」と婉曲に尋ねる。

 昨日訪ねた時に対応してくれた同じ女性スタッフが、丁寧ながらもノーと断言した。

 フロントで答えられない質問があったなら、必ず他部署に回した上で、申し送りもすると言う。


 他に聞きたいことも無く、二人は入場待ちが列を成すレストランへ向かった。

 レストランでも、既視感のあるメニューに迎えられる。


 ローストビーフやピラフを皿に取り、テーブルに戻った亨が先に食べ始めて数分後、摩衣が山盛りのサラダを持って帰って来る。

 何も野菜ばかり食べなくてもと呆れる彼へ、これがリュミレだからこその料理だと摩衣が解説を始めた。

 エルバステラにチコリー、サボイキャベツにシャドークイーンと、呪文のように野菜名が告げられる。


 葉脈の形が違おうがキャベツはキャベツだろうと、半分以上の品種名は亨の耳を素通りした。

 ただ、クリーム色のトマトや、紫のニンジンが珍しく、見目にも楽しいのは間違いない。

 滅多に食べられない食材を満喫する摩衣を眺めつつ、彼も料理を楽しむことにした。


 摩衣は二度のお代わりを平らげ、満足そうにストローをくわえる。

 グラスに満たされていたグレープフルーツの果汁が、見る間に容量を減らしていった。


「満腹です! 昼からはどこに行くんですか?」

「ちょっと早いけど、シルバーセンターかな」


 未だに満席のレストランも、入り口で待つ客は減った。午後二時前、バイキングの終了刻限も近い。

 ランチ客に混じって、礼服を着た男女も暇を潰すように空の皿を前に談笑している。


「……宴会場。コンベンション・ホールへ行こう」

「え? あっ、はい」


 急に立ち上がった彼の後を、摩衣も足早に追い掛けた。

 ホテル側面のドアから外に出てホールへ入った亨は、迷わず二階へ上がる。


「ここに何かあるんですか?」


 摩衣に振り向きはしても、彼は無言で宴会場の受け付けへと視線を戻した。

 返事が無いことに口を尖らせつつ、彼女は白文字で書かれた案内板を読む。


「披露宴ですね。斎藤家と山岸家かあ、どっちも友達と同じ名前だ。ほら、朝の話に出てきた同級生、彼女が斎藤なんですよ――」

「それだ」

「えっ、斎藤さん?」

「斎藤と山岸だ。知り合いと同姓だから反応してたのか」


 彼も名前までは覚えていなかった。スズメダイに気を取られていたため、今となっては新郎新婦の顔も不確かである。

 しかし彼女がまたこうやって、両家の名前に言及してくれたことで、亨も自信を持って言える。

 この披露宴は、昨日ウェディングケーキを吹き飛ばした会場と同一だ。


 何が夢で、何が現実なのか。

 現在がいつで、どれが過去なのか。

 魚が爆散させたケーキは、何事も無く入刀を済ませ、今は宴会場の前列に鎮座していることだろう。

 なのに彼の頭の傷は、ケーキが潰れた過去が産んだものである。虚実も、因果関係も目茶苦茶ではないか。


 彼がとの一致点を、待ちかねていた摩衣に語って聞かせる。

 彼女の顔はランチで得た喜色を失い、また梅雨空の如く曇った。


「葬式も、根拠のある夢なんでしょうか」

「何とも言えないよ。不安は増したかな……」


 答えられるのは魚だけだ、そう呟きつつ、彼はホールから踵を返す。

 フロントに立ち寄り、絵の所在を改めて尋ねると、返答を待って欲しいと告げられる。

 施設管理部が持つリストを当たっても、現在のホテル備品には記載が無いらしい。購入記録は存在するものの、七年前から所在不明となっていた。


『水景――雫』を見たいという摩衣の願いは、叶わないだろうと、亨は考える。

 七年前、それは地震のあった年だ。そのどさくさで絵は破損し、処分されたのではなかろうか。

 一応、絵の在り処が判明したら連絡をくれるように頼み、亨たちは車へ戻った。


「見られなくて残念です。また来ましょうよ」

「絵は本題じゃないんだ。『雫』のある場所で、魚が見つかるかと思ったんだよ。実際、その目的は叶った」

「矢賀崎さんはそうでしょうけど、私はやっぱり見たいです」

「まあ、またランチに来ればいいさ。思ったより美味うまかったし」


 若干、社交辞令として言った提案に、摩衣は無邪気に喜んだ。

 暗くなったり、明るくなったりと忙しいことだが、その素直さは好ましいと思う。

 そんな風に感じるのは、確かに以前より彼女にちゃんと向き合っているからかもしれない。




 次の目的地であるシルバーセンターまでは、一時間近く車で揺られることになった。

 街を抜け、山林に囲まれた道に入ってからでも、半刻は掛かっている。


 コンビニどころか、民家すら近隣に在るか怪しい僻地に、県下最大の老人福祉施設が存在した。

 四ヘクタールを超えそうな敷地面積は、この手の施設としては破格の広さだろう。

 大型のショッピングモールがすっぽり収まるサイズではあるが、建物自体はそこまで巨大ではない。

 元々、テーマパークを建てるために整備された土地で、誘致に失敗した結果が敷地面積にだけ反映されていた。


 三棟が工の字に並ぶ建物の内、真ん中の一棟に正面玄関がある。

 駐車スペースも豊富に用意されており、建物近くに停めた二人は、労せず受け付けへと歩いて行った。

 この時点で午後三時半、名前を告げた亨は二階の応接室へと案内される。


 幸いにも管理部長が帰っており、中川と名乗るその柔和な責任者が彼らの相手をした。

 プリントアウトしたらしい書類を手に、部長は亨の質問に答えていく。


 佐路啓太郎は六年間、十二年前までこのセンターに入居していた。

 退去理由は癌の発症で、真波総合医療センターへ入院したそうだ。


「現在は病院に?」

「いえ、一年後に亡くなられたようですね。享年八十八歳です。センターの籍は、正確にはこの時点で抹消されました」

「遺族の連絡先は分かりますか?」

「それが、身寄りはおられなかったんです」


 入居の手続きも独りで済ませたらしく、書類の緊急連絡先や、親族の欄は空いたままだと言う。

 所持品は全てシルバーセンターに寄贈するという遺言に従い、施設が預かっていた物品は一部が焼却処分に、貴重品は売却された。

 遺品と言えるようなものは、もう何も残っていない。


「絵は? 佐路の描いた絵があったはずです」

「そうそう、絵の所在でしたね。私が赴任する前の話だったので、書類を漁ることになりましたよ」

「在ったんですか?」

「ええ。入居時に、三枚の絵が寄贈されていました。これが当時の書面の写しです」


 A4判のコピーを一枚、中川が差し出した。佐路と施設の間で交わされた念書には、寄贈に当たっての条件と、それを認める双方の署名と印が下にある。

 絵は無償で贈られたものではあったが、後の管理に縛りが設けられていた。


『絵は施設内に展示し、売却を禁ずる。

 管理が不可能になった場合は、可能な限り他の展示場所を用意すること。

 譲渡時には、上記の条件での契約を受け入れ先と結ぶこと』


 絵の扱いに拘る佐路の気持ちは、同じ画家である亨にも十分理解できる。捨てるのは許さない、要はそういうことだ。

 上から順に目を走らせていた亨は、最後の寄贈条件を読んで息を呑む。

 予想もしていなかった文言が、そこに在った。


『譲渡先には矢賀崎昇一、並びにその親族も考慮すること』


「矢賀崎さんは、佐路さんのお知り合いですか? 絵を引き取りたいという相談なら応じますよ」


 矢賀崎昇一は、亨の父だ。

 書類に名前がある以上、施設としてはその意志を尊重するつもりであった。出先の所長に連絡を取った管理部長は、既に了承も得ている。

 不意を突かれて即答できずにいる亨へ、中川は説明を続けた。


「念書にはクリップで、その時の所長が書いた覚書が留めてありました。ほうがてん、で読み方は合ってますかね」

「……ええ、芳画展です」

「入選した作品だから、大事にするように、と。貴重な絵なんですねえ」


 手にした念書のコピーを、亨は穴が空くほど見つめた。久方ぶりに見た、彼の父の名を。

 彼が顔を上げるまで、中川と摩衣は黙って待つ。

 ようやく発した言葉は、困惑の末に無理やり押し出したものだった。


「まず、絵を見せてください。それからどうするか考えたい」

「分かりました。三枚とも、上の会議室に飾ってあります」


 佐路の作品は、中央棟三階の大会議室に掛けられていた。

 管理部長に連れられて一階分の階段を上がり、年に数回ほどしか使われない大部屋へ入る。

 薄暗い室内は、中川の手によって直ぐに蛍光灯のスイッチを入れられ明るく照らされた。


 いくつもの机を中央に固め、その回りに椅子が並ぶ。役職者が一堂に会して話し合う場だ。

 扉の正面がカーテンで閉ざされた窓、残りの三方がクリーム色の壁である。

 その壁に一枚ずつ掲げられたのが、アルミの枠に収まった油彩画だった。

 飾り気の無い事務的な部屋では、三枚の絵は少々場違いにも見える。


 扉の左横、中央の絵が芳画展にあったもので、亨は先ずその正面に立った。

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