エピローグ~ゆびきりげんまん
王太子である俺、クラウスは激務に追われている。今日も愛しい妻を置いて、郊外にある軍の演習場へ視察に行かなければならない。
「ん……クラウス、もう行くの? ごめんなさい、この頃眠くて起きられなくて」
半年を過ぎ安定期に入ったと侍医には言われているが、無理は禁物だ。特に今日は男だらけの場所で、同行させるわけがない。最近公務はなるべく、俺一人で行うことにしている。
「いいんだ。大切な身体だから、君はゆっくり休んでくれ」
彼女の銀色の髪を撫で、額に口づける。子供を宿しているせいか、最近のディアは寝起きでも、輝くばかりに美しい。離れ難くなる想いを
「今日の公務は日帰りでしょう? 帰ったら一緒に……ゆっくり過ごせる?」
何だそれは。服の袖を引っ張り甘えるとは、可愛い過ぎるだろう! 行きたくなくなった、と正直に言いそうになるのを、鉄の意志で制した。
「ああ。君のために早く帰るよ、約束だ」
俺は無意識に小指を差し出す。途端にディアが驚きで目を丸くした。
「クラウス、それって……」
「ん? 約束する時は指を
「そう……だったかしら。私ったらいつの間に?」
この国にそんな習慣はないから、ディアは覚えがないと何度も首を傾げている。俺はそんな彼女の髪を撫で、ふっくらした桜色の唇にキスをすると、急いで寝室を出た。
『ゆびきり』は、確かに君が教えてくれたものだ。今より遥か遠い昔に――
今回は馬車で行くため、道中考える時間はいくらでもあった。せっかくなのでディア――いや、違う名前の君と出会った時のことを思い返そうか?
何となく、以前会ったのかもしれないという予感はあった。どうして君にこだわるのか、なぜ手放せないと思うのか? 俺は頭の中にいつも、そんな疑問を留め置いていたように思う。
はっきりわかったのは、王家の狩猟小屋でディアが全てを語った時だ。あの中には、俺の話も含まれている。過去を悔やみつらそうに話す彼女に、「そうじゃない」と口を挟みそうになったが、結果として何も言わずにいて正解だった。
――俺は、ディアと同じく日本の生まれだ。彼女が言う『騙した』うちの一人に数えられている。初めての出会いは、シャッターが下りたある店先の屋根の下。急に降り出した雨に飛び込んだところ、偶然彼女がやって来た。声をかけたのは、俺の方から。
『貴女も雨宿りですか? よく振りますね』
当時、まあまあの容貌で個人投資家としてそれなりの地位にいた俺は、女性に不自由した覚えがなく、財産目当ての相手とは、割り切った関係を続けていた。それだけに、彼女との出会いは衝撃的だったのだ。
『そうですね。早く止めばいいのに』
呟くとそれっきり、彼女は俺を見なかった。俺が話しかけると、女性は大抵顔を赤らめるか照れてうつむくか、積極的に話に乗ってくるか。独身でも既婚者でも、同じような反応をする。そう自負していただけに、無視されるのは新鮮だった。
おとなしそうな彼女に興味を示した俺は、連絡先を強引に聞き出そうとする。ところが彼女は、携帯電話を持っていないと言う。そこがまた意外で、俺は自分の連絡先が書かれた名刺を渡したのだ。
いくら待っても連絡を寄こさない彼女に、ますます興味を引かれた。雨に降られて駆け込んだのならこの近くにいるだろうと、俺にしては珍しく何日も探す。とうとう見つけた彼女は、寂しそうな表情でなぜか肩を落としていた。
庇護欲をそそられた俺は、彼女に交際を申し込み他の女性とは縁を切った。手料理をご馳走してもらえる仲になったものの、キスから先には進めない。「結婚してから」と言う彼女の言葉を真に受けて、その日の内に婚約指輪と結婚式場を見に行ったのだ。
両親が他界しているという彼女に、式場での一番高いコースを勧める。彼女なら何を着ても似合うだろうと考えて。費用はもちろん心配要らない。だが彼女は、首を振ってこう言った。
『いいえ、こんなに高くなくていいの。着替えも一回だけで』
『お色直しが一回だけ? 俺は三回は必要だと思うが』
時々悲しそうに笑う彼女に、せめて自信をつけさせたかった。仕事仲間に自慢したい、というのももちろんあるが。
『いいえ。それだと、貴方の隣にほとんどいられないじゃない』
けれど手付金を払うと、その日を境に彼女と連絡が取れなくなってしまった。彼女が携帯電話を持つことを
忙しいせいだと思っていたが、いくら待っても音沙汰がない。嫌な予感がした俺は、式場に足を運び真相を知る。
『その日の内にキャンセルしたいとおっしゃったので、お金は全額お戻し致しました』
婚約指輪は置いたまま。そのことに俺はただ、笑うしかなかった。
『バカだなあ。たった三十万円より指輪の方が、いや、俺と結婚して得る金の方が遥かに高いのにな』
騙されたとは思っていない。自分にとって三十万という金額は、痛くもかゆくもないから。それよりも、ふと見せる寂しそうな表情を消し、彼女の支えになりたかった。もっと笑わせたかったのに、彼女は自分から去る道を選んだのだ。
不意に気づき、
『ゆびきりげんまん』は、彼女が教えてくれたこと。子供時代を海外で過ごし、友人の少なかった俺にはあまり縁のない仕草。絡めた指を見て、はにかんだように笑う彼女が好きだった。これ以外は上手にできないと、恥ずかしそうに手料理を振る舞う様子も。
いつかもう一度君に会えたら――
今度こそ最後まで一緒にいると誓おう。
君がふと見せる寂しさや悲しさ、孤独を丸ごと受け入れて、心から愛していると伝えるために。
「殿下、演習をご覧いただいた後なのに、すごい速さで帳簿の確認をされていましたね?」
秘書官の声に、俺は顔を上げる。
「ああ。砲弾の在庫と金額が合わなかったのは、ただの記入漏れだ。それだけで大騒ぎだとは、数字に強い人材を送り込む必要があるな」
「そうですね。でも、急ぐのは妃殿下が待っておられるからでしょう?」
「まあな。俺のいない間に、アウロスがうろつくかもしれん」
「お綺麗ですからね、妃殿下は。ですが、さすがに手は出さないかと」
「まあその前に、母が睨みを効かせるだろう」
予定より早く終わったので、すぐに帰宅の途につく。俺は帰りの馬車でも、自分の考えに
――しばらく経ったある日、警察から連絡が来た。遠方で交通事故に遭い亡くなった女性が所持していた手紙に、俺の名前があったのだという。経済紙で俺の名前を見かけ、連絡してきたのだと言った。
他にも呼ばれ駆けつけた者がいたようで、それぞれが彼女直筆の謝罪文が書かれた手紙を渡される。彼女は騙した金を派手に使うことはせず、貯め込んでいたようだ。被害に応じて分配されたため、そこまでの文句は出ない。
俺の他にも彼女を本気で愛した者がいて、「金など要らないから、戻ってくれ」と嘆いていた。その姿を見て、じわじわと悲しみが押し寄せる……そうか。もう、君には会えないのか。
今生で初めて結ばれた翌日、ディアが語った話で俺はそのことを思い出したのだ。
『過去に騙したその中の一人……いえ、全員の恨みを買って私は生まれ変わっているんだわ。きっと天罰ね』
しかし俺の知る限り、彼女に強い恨みを抱いていた者はいない。少額の結婚詐欺が転生を繰り返し、なかなか
ディアは実際に神を見たわけでも、声を聴いたわけでもなかった。もし彼女の言う通り神が関わっているのだとしたら、俺は今一度問いたい。生まれ変わりに苦しみ続ける程の罪を彼女は犯したのか? なぜ平等に罰を与えないのか、と。
『本気の愛を告白されると、その日のうちに私は心臓麻痺で死んでしまうの。でも、今回はなぜか……』
思うに、彼女は優し過ぎたのだ。
自分の罪が
その証拠に、彼女の最初の死因は交通事故だ。また、アウロスもたびたびディアに好意を告げているが、影響はない。茶化していても、弟は本気でディアのことが好きだった。
そもそも本気とは、どこからどこまでなのか? 本気の恋だと思ったが違った、とはよくある話だ。神はまだしも、告白した当人ですら判定しづらいだろう。
転生の理由はわからない。ただ、転生する者の中でもディアがたまたま全てを覚えている、特殊な人間なのだとしたら?
以上が俺の考えだが、無論これらは全て推測の域を出ない――
城に戻った俺を、ディアが嬉しそうに出迎えた。
「クラウス、お帰りなさい。ねえ、聞いて? この子ったら、今日はすごくお腹を蹴るのよ」
彼女の腹部に手を当てて、俺は幸せを噛みしめる。
「君に似て、可愛い子が生まれるといいな」
「あら、貴方そっくりの凛々しくて賢い子がいいわ」
前向きに生きようとする彼女に、俺の記憶を話すわけにはいかない。思い出し苦しむ姿は見たくないし、贖罪と愛を混同したり、変に委縮されても困るのだ。
今ある幸せに、俺は満足している。
だから、過去など要らない。
秘密は、俺だけが知っていればいい――
*****
最後までお付き合い下さって、ありがとうございました(*´ω`*)。
優しいあなたにも幸せな未来が訪れますように。
きゃる
悪女は愛より老後を望む きゃる @caron
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