第2話 彼岸花
住所を見た時、随分田舎なのだと思った。
パートナーの運転するレンタカーは快調に林の中を走って行く。右も左も木々が並ぶ様や木々の合間から零れる陽射しによほど興味を引かれるのだろう。初めての外出と言うわけではなかったが、娘はチャイルドチェアから乗り出すようにずっと外を眺めている。
私にとっても久しぶりの『外』だった。そして、何十年かぶりの『森』だった。こんなことでもなければ『外』へ出て行くことはなく、レジャーや何かの目的やら、機会がなければ来ることもなかっただろう。
地下都市は高齢者にも優しいという触れ込みではあったものの、実際にはIターンのように地方へ出て行く人が多いとは聞いていた。数年前にリタイヤしたという先輩の両親は、地下都市の家を売り払い、地方で隠居生活をしている、そういうわけだ。
「もう少しだな」
「随分登ったわね」
そうだね。頷き、徹は車載AIへ声に出して命じた。
「高度を教えて」
――一〇二三メートルです。
車は更に急カーブを回る。木立の奧に民家がぼつりぽつりと見え始めた。
――目的地付近です。
車は元別荘といった雰囲気の敷地へと入っていく。
*
若き月面作業員の死のニュースは、ほんの一時世間を騒がせすぐに忘れ去られていった。それを寂しいと思ってはいけないのだろう。事実先輩は将来が有望と言われていても一作業員でしかなく。役割分担上も代わりがいるというポジションだった。
月面基地では原因の究明が行われ、長く使われるうちに細菌を溜め込むまでに至ってしまったフィルターが次の輸送船で送られたのだと吾川に聞いた。
先輩は三ヶ月に一度の物資輸送用往還船に乗せられて、彼を殺したフィルタと一緒に『もの』として地球に戻ってきた。新聞の片隅に載っただけのひっそりとした扱いで。
そして、検視され、火葬され、ご両親の元へと還っていた。
*
仏壇に飾られた写真は見覚えのあるものだった。オリジナルの笑顔の横には、肩を組む私がいたはずだ。月へ行くと決まった時に撮られたものだった。経験者を押しのけて勝ち取った切符にビールをかけて祝福した。私一人、ウーロン茶ではあったけれど。
「覚悟はしていたんですけどね」
先輩のご両親は、四十九日が経ってもなお、憔悴した様子で私達を迎えてくれた。良く来てくださいましたねと私へ微笑み、お疲れでしょうと徹を労い、人見知りにぷいと横向く娘へは飲めるかしらとリンゴジュースをくださった。
そしてぽつりと漏らしたのだ。
「こんな形の最期だなんて」
月面基地は年に四度の補給と、二度の人員入れ替えを繰り返しつつ、八年の歳月を迎えようとしていた。
月面基地での死者は先輩が初めてではあったものの、軌道エレベータの事故は片手では足りず、軌道面での事故もまだまだ少ないとは言えなかった。
不測の事態で発生する事故であるなら仕方はないと、思ってはいた、と。
お借りしたおしぼりで手を拭いたのち、娘は大事と蓋付きコップの吸い口を傾ける。娘の髪の細く柔らかな感触を確かめるようにお母様は頭を撫でる。
いつか手に入れるはずだった、大切なものを懐かしむように。
「墓の方にも、挨拶していってくだい。すぐそこなんです」
お父様の提案に徹は娘を抱え上げた。娘はコップを手放さない。私は促されるまま立ち上がる。お二人について玄関を出る。
まぶしさに思わず足を止めた。木立を抜けた高さから、まっすぐな日が降り注ぐ。空気が澄んでいるせいだろうか。都会にいるよりずっと陽射しが強い気がする。
「中水さんも地下都市にお住まい?」
「はい。結婚したので寮は出ましたが」
すぐそこ、というのは本当にすぐらしい。お二人はサンダルにはきつぶしたスニーカーという出で立ちで、アスファルトを登っていく。坂道も久しぶりだと思いながら跡を追う。
道が下りに差し掛かる峠の頂上で、お母様は一角を示した。
彼岸花が揺れていた。その一角を囲っていた。
燃える炎のようだった。くべられた魂が、燃えているとでも言うように。
四隅に竿を立て細い縄を回したあたりをお母様は示している。紙垂が回され、さやりさやりと風に揺れる。
「さすがに今は土葬はないのですけどね」
道から石が敷かれている。まだ新しい花が生けられ、細く線香が煙を上げる。
私は持ってきた線香に火を付ける。振って消して、線香置きへとそっと寝かせた。
手を合わせる――。
「まさかとは思いましたけれどね」
娘がむずがる声がする。衣擦れが聞こえてくる。隣でかがむ気配がする。
「必要な犠牲なのだと思うことにしたんです」
声は隣から聞こえてきた。そして、囁くほども小さな声が。
「あなたの死もきっと月の礎に」
――死であっても。
私はそっと目を開ける。彼岸花が守るように、風に揺れる。
*
月面基地の資金の多くを負担する日本は、日本人の常駐作業員を当然の権利として望んでいた。月面開発機構はその国に由来する機関の一つであり、当然の如く新たな作業員を計画していた。
先輩の後継は未だ決まっていない。
*
「行くなら、構わないよ」
パートナーである徹は、契約書――婚姻届けを出す時の約束を当たり前のように口にする。
「ほのかは未だ小さいけど、お腹に居るわけでもないし」
除菌ティッシュで手を拭いて、口を拭いて。作ってきた離乳食を娘に与える。最初は嫌がっていた娘は、一口入れると諦めたように食べ始めた。
一口、一口。
秋になり始めの風に私は思わずぶるりと震えた。
白い真昼の月が、木々の上、青い空に覗いている――。
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