第3話 黄泉の国
徹の運転する車は地下都市にほど近い駐車場へ入っていく。寝入った娘をベビーカーへと移し後始末をつける間に、徹はレンタカーの返却手続きを済ませている。
むき出しの両腕に風は涼しく感じられた。エレベータへ乗る僅かな間ではあったけれど、掛布代わりのタオルを取り出し、そっと娘を包み込んだ。
地下都市にはない夜空を見上げる。東に魚座の形を認め、秋なんだなと不意に思う。学生時代、候補生訓練時代、毎日のように見上げた星空だったが、娘を産んで地下都市を出ることも少なくなり、見ようと思う余裕もなかった。
月も、また。
丸々と太った月が私達を見下ろしてる。月の下を小さな星が一定速度で通過していく。南はどちらだっただろうか。見回せば、広々と取られた農地と、野菜工場と、集光設備の影ばかりが並ぶ向こうに夜空をバックに黒黒とそびえる塔が見える気がする。
「惜しかったって思ってたり?」
「違うわよ」
徹がベビーカーの取っ手を取る。エレベータへと歩き出す。
夏が始まる頃の誘いを私は結局断っていた。娘を産んで三ヶ月。生活は娘中心で訓練などに気を向ける余裕もなかったし、交代員の乗る便に間に合う気もしなかった。結局、競合他社の先輩と最後まで候補を争った男性がその切符を手にしたと聞いた。月面基地のwebサイトには、歓迎する旨のコメントが乗った。
もう軌道ステーションへと上がっただろう。そして三日をかけて月へと向かう。私には選べなかった道に沿って。
そう、徹は軽口を軽口のままに頷いてエントランスへ入っていく。エントランスはラッシュの名残か、背広と制服と派手めの服装とが入り交じる。黒っぽい服装の集団を認めた頃、ぽんと、頭に手が置かれた。
「良かったな。挨拶できて」
うん。私はただ、頷いた。
空調効率と埃の持ち込みを減らすためのエアカーテンを並んでくぐる。エレベータホールの空気は地下都市のように清浄で、安堵と同時にどこか居心地の悪さを感じながら、おそらく通夜の帰りだろう抹香の香りを漂わせた集団の後ろに並ぶ。
地下都市で人が亡くなると、葬式と通夜は地上で行われることが多い。焼き場は熱と煙の関係から、地下に作られることはない。地下でなくなった人は地上で弔われ、墓という地下へ戻っていく。
天国は天上に。黄泉の国は地下にあると言うけれど。
――月(天上)で死に、地上の天辺(峠の頂上)に葬られるとは、閻魔様も驚くだろう。
「なんだよ、いきなり」
思わず笑いだした私へ徹は不審そうな顔をする。エレベータの順番になる。抹香の中を進んでいく。夢でも見ているのだろうか。娘はむにむにと手と口を動かした。
「あとでね」
僅かな振動に体が浮くような感覚が続く。十層一五○メートルの黄泉に親しい街へと私達は帰っていく。
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