後半
森川と赤島を粉末にし終えたあたりで、俺は異変に気づく。
教室には生徒の姿がなくなっていた。
その代わりに。
「手を上げろ! おい! 手を上げろ!」
青くて素敵な制服を着た人たちが二人ほどやって来ている。彼らは銃を構えて俺に警告しているようだった。
ええ、嫌だなあ。そう、俺はまるで他人事のように思う。現実感が少し希薄になっているようだった。
「……ああはいはい、手を上げますとも。俺はあなたがたに恨みはありませんし」
俺はそう軽口を叩き、手を上げる振りをして――。
槌を投げた。
槌はくるくると回転しながら、警察官の一人に命中する。警察官は驚愕の表情を浮かべたまま硬直し、その後崩れ落ちる。
その間、俺はガラスの槌を拾うべく、一気に接近。銃声が聞こえ、俺の右大腿を硬質のものが穿つ。
肉が弾ける激痛に、視界が白くなる。浮遊感で自身が倒れつつあることを自覚する。
倒れ、床で顎を打つ。鼻から水が漏れる。
それでも、ここで倒れたらその果てはわかりきっている。両手に手錠をかけられる自分を想像する。ついでにフラッシュの嵐も。……それはごめんだ。
目を見開く。目の前にガラスの槌がある。馬鹿め、これを真っ先に拾うべきだったんだよ。
俺はガラスの槌を手に取り、すぐさまそれを横に振った。
警察官のくるぶしが砕け、破片が俺の眼前に落ちる。警察官はバランスを崩して俺の方に倒れ込んでくる。俺は槌を掲げるように持って、警察官を待ち構える。
俺の手に重量感。その後、ガラスの破片が落ちてくる。俺は目を閉じてそれに耐え、ガラスの降雨が終わり次第、痛みを堪えて立ち上がる。
「あいたたた……」
痛みに苦悶の表情を浮かべる。次第に、苛立ちへとそれは変化していった。
どうして俺がこんな目にあわなければならない。ふと、そう思う。
そもそもクラスメイトの奴が通報しなければ良かったのではなかろうか。
「……となると、だ」
俺はそう独りごち、通報したやつを探しに教室を出る。
○
何人割ったかわからない。どれだけ割ったかわからない。
気がつけば校舎は跡形もなくなっていて、人の姿も全く見えなくなった。
何かを割れば経験値が入るのか、ガラスの槌は先ほどよりも巨大化していた。
「……でも、さすがに」
冷静になり、後悔する。さすがにここまで割るつもりはなかった。それに、無関係な人間を巻き込むつもりも。
「…………恐ろしいものを拾ってしまったものだ」
そう淡々と述べつつ、ガラスの槌を空振る。そうすると、再び乾いた破裂音。
「……わーお」
軽い口調でそう言ったものの、目の前では驚愕すべきことが展開されていた。
俺が空ぶったガラスの槌。その軌道に沿うようにして、空間が黒くなっていた。その下には、先ほどまであった景色の破片。
ガラスの槌は、空間をも割ったのだ。その事実に俺が驚愕していると。
「わっ、わわっ!」
空間の裂け目に、俺は強い力で引き寄せられる。それは俺の周囲も同様に。まるで高高度を飛行するジェット機にあいた亀裂のようでもあった。
抵抗あたわず、俺はその裂け目に吸い込まれる。
○
「あでっ」
ごつん、と頭部に響く鈍い音と痛みで覚醒する。周囲を見回すと、青い空と古びた鉄柵が見えた。
俺はこの景色に見覚えがある。
「……屋上だ」
そう、屋上である。どこの、と言われると、先ほど破壊したはずの校舎の屋上だ。
どうしてだろうか、という疑問を抱く。
この校舎が健在となると、今俺がいるのは、別の時間軸の世界か、それとも俺が校舎を破壊する前の世界だろうか。
「……とはいえ、それを確かめる手段もないし」
ぶつぶつと独り言を言いつつ、俺は校舎の中に入る。目指すべき場所は一つ。俺の所属クラスであった。
教室に到着する。
「わーお」
俺はその光景に舌を巻く。
そこには、机に突っ伏している『俺』と、近寄ろうとしている森川一派が存在していた。
他のクラスメイトはその様子を遠巻きに見守っている。その顔に浮かぶ表情は、楽しんでいるようだったり、軽蔑しているようだったり、様々だ。
その様子に一貫して見て取れるのは、“自分たちは外野だ”という姿勢。
外野のくせに通報だけはしっかりとするのはずるいよなあ。
などと思っていると、森川がジュースを『俺』の頭にかける。俺は自分がしたこと、されたことを鮮明に再生させられているような気分になる。
あとはまあ、流れだった。
森川が砕かれ、取り巻きが砕かれ、赤島も砕かれていた。クラスメイトの一人が教室から駆けだして、どこかに向かおうとしている。
ああ、おそらくあれが最初に通報した奴だな。そう考えた俺は、ガラスの槌をそいつに投げて砕いておいた。
悲鳴が波紋のように広がり、蜘蛛の子を散らしたかのように同級生たちが逃げ惑う。
いやあ、これをさすがに一つ一つ砕いていくのは面倒だし、それに俺はそこまでサイコでもない。
などと言ったところで、手をこまねいていると事態の収集はつかなさそうである。少ししたら、青い制服の素敵なお兄さんたちが駆けつけてきたし。
これどうしたものかね。せっかく時間を巻き戻したのに、これでは元の木阿弥だ。
これ以上の蛮行はさすがにオイタがすぎるぞ、と『俺』に心中で注意する。ていうか、俺とか『俺』とかややこしいな。これ以降、『俺』のことはアナザー俺と呼ぶことにしよう。
アナザー俺はハイになったのか、警官二人を砕いた後、手当たり次第に物や人を砕いて回っていた。その暴れっぷりと、浮かべている爽やかな表情に強いシンパシーを感じる俺である。傷口も同じ場所だし、余計に。
「はいはいアナザー俺、さすがにそこまでですよー。収集つかなくなりますよー」
と俺は経験によるアドバイスを言ってみるも、耳に届いていないようだった。アナザー俺は当たるを幸いと槌を振り回している。
割って砕いて割って砕いて、を繰り返しているうちに、アナザー俺の足下には炭素の砂が広がるようになっていた。炭素の砂地にアナザー俺の足跡が刻まれる。あるいは、元々は何かだった誰かだったものが、アナザー俺に踏みにじられている。
「おーい、聞こえてるかー、おーい」
呼びかけてみる。今はぼんやり歩いているアナザー俺である。なので、先ほどのように夢中になって聞こえないということはなさそうなのだが、実際に反応がないので、やはり聞こえていないのだろうか。
「……こうなったら」
俺はそう独りごち、ガラスの槌で校舎をたたき割る。大きな音が鳴る。アナザー俺はびくんと硬直して立ち止まり、ゆっくりと後ろを向いた。
アナザー俺の顔が目に映る。俺そのもので、うえーとなる俺であった。ドッペル現象みがあって怖い。確かドッペルゲンガーって実際に会ったらヤバいんじゃなかったっけ。これ、ドッペルかどうかわからんけども。
「……槌、俺と?」
アナザー俺はぶつぶつと言いながら近寄ってくる。
「そうそう、お前と俺は同一人物。滅びの未来を回避するために未来から来た俺型人間こと俺……ってうぉっ⁉」
アナザー俺は何のためらいもなく槌を振ってきた。間一髪のところで俺は回避するも、槌がかすった制服が砕けて落ちる。
「なんだこの黒い化け物め!」
アナザー俺は恐怖の色を瞳に浮かべながら、追撃。俺はそれを慌てて避ける。
「……黒い、化け物?」
それはもしかして俺のことだろうか。俺はお前のことがちゃんとフルカラーで見えているのだが、お前は俺のことをフルカラーどころかモノクロでしか判断できていないのか? というか、黒い化け物っていうことは、モノクロ以下かもしれない。ゲームウォッチ的な。ゲームウォッチもあれモノクロなのか? 頭がこんがらがってきた。俺、ゲームウォッチの知識とかスマブラしかないからなあ。
「いやいや待て待て待ておいおい」
俺は手を差し出してアナザー俺を制止しようと試みる。
「今さら命乞いか⁉ 遅いんだよ!」
アナザー俺はそんなこと意にも介さず攻撃を繰り返す。俺は何度目かわからない、全力の回避をするハメになった。
「……なんかイライラしてきたなあ」
アナザー俺と対峙しつつ、そんなことを口走る。無論、本心である。
そもそも俺がアナザー俺と話し合いたいのは、俺同士で砕き合うのは無意味だということを伝えたいのだ。
だが、今のところ俺にアナザー俺と交流する手段はなく、アナザー俺は迷い無く俺を砕きに来ている。
どうして俺がここまでしてやらなきゃならないんだろうか、と思う。
そもそもアナザー俺が早まってしまった時点で、この時間軸で出来ることはほとんどないだろう。……最初に早まった俺が言うのもあれだけど。
ならば、この事態に早々と終止符を打ち、再び時を遡る方が良いだろう。
「あんま調子にのんなよクソ雑魚」
俺はそう口にし、校舎を砕く。落ちつつあるガラス片を再び槌で叩き、アナザー俺に向かって飛散させる。
俺の行動にアナザー俺は不意を突かれたのか、顔を覆って防御する。
馬鹿だなあ、と俺はその行動を嘲笑する。
俺たちが持つのは一撃必殺の得物。
そんな相手に防御したところで何になるよ。
俺はアナザー俺に向かってガラスの槌を投げる。くるくると回転しながら飛んだそれは、アナザー俺の腹に命中した。
アナザー俺は驚愕の表情を浮かべつつ、真っ二つに折れる。落下する上半身と、倒れゆく下半身が同じタイミングで床に落ち、全く同時に砕けた。
「……あーあーもう、やだねー」
と俺は多少の気分の悪さを、軽口でごまかす。自分と同じ姿形をしたものが砕けるというのは、たとえそれが敵対関係にあっても、快いものではない。
「……とはいえ、この時間軸で出来ることは終わりか」
俺は槌を拾い上げてそう独りごち、槌を振りかぶる。振り下ろせば、時間の裂け目が出来るはずだった。
しかし。
「……な、あ、え?」
俺の腹部に、真っ黒いヒビが入っていることに気づく。
「うあえええっ⁉」
驚愕のあまり、思わず槌を下げる。その動きだけで、時空の裂け目が出来上がってしまった。
その裂け目は、俺を一息で飲み込む。その間にも、黒いヒビは俺を浸食していく。
時空の裂け目の中で、俺の破片が舞っていく様子が俺の目に映る。
それを見ながら、俺の意識は黒へと滑り落ちていく。
○
気がつくと、青空が見えていた。
周囲を見回すと、鉄の柵が見える。
ここは――。
ここは……。
ここは。
……どこだ?
俺は首を傾げる。見覚えの無い景色だ。どうして俺はこんなところで寝転んでいたのだろうか、と考えるも理由が浮かばない。
手に握られているガラスの槌を見ながら、はて、と思う。
こんなもの、俺はどこで手に入れたのだろうか。
そんな疑問が浮かぶのに、このガラスの槌がどんなものなのかは良くわかる。これで打ったものは全てガラスのように砕けるのだ。
入手した経歴は知らないのに、その機能は知っている。それは矛盾しているのにも関わらず。
ガラスの槌をどこで手に入れたのだろうか。そんなことを考えても、答えは出ない。
それどころか。
俺は誰だっただろうか。自分自身の情報についても、何一つ思い出せない。
ただ一つだけ、俺の中にある衝動。
それは、砕くということ。何で砕くなどと言うまでもない。この手に持った槌で砕くに決まっている。
そうと決まれば話は早い。俺は手当たり次第に物を砕いて回ることにした。
○
砕いて砕いて砕いて回った。
動く物を、動かない物を。見える物を、見えない物を。
時間を、空間を。空を、地を。
真っ暗になってしまった空を。彼方で燃える光の玉を。
何も無い空間を。その先にある虚空を。
ありとあらゆるものを砕いて回って、まだ飽き足らない。
万物の根源に至るものを砕きたい。
そう思い、俺はガラスの槌を振るう。
次は何を砕こうか、などと考えるまでもなく、手当たり次第にただ砕く。
それ以外の目的は忘れてしまった。
ただ愉しい。それだけは断言できる。
ガラス人間 眼精疲労 @cebada5959
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