第170話、ゴンドラの中、二人。
「なんだか、バーニングさん、とっても楽しそうでしたよ。ようやく、肩の荷が降りたんですかね」
ふと、佐藤亜月がそう言った。
「え? あの人、佐藤さんに何か言っていたんですか?」
俺の問いかけに、彼女は少しだけ考える素振りを見せてから微笑んだ。
「別に、何か言われたわけじゃないんですけどね。ただ、ここ数日ちょっと不安だったんですよ」
「不安?」
そう問いかけた俺は、そのまま佐藤亜月の視線を追う。彼女の見詰める先には、アイスクリームを美味しそうに頬張るバーニングさんと、彼女にアイスを取られて涙を流す細柳の姿があった。
平和だ。ついこの前まで命のやり取りをしていたとは思えない。
「いつだったかはあまり覚えていないんですけどね。ただ、家の中でよくソワソワしていたんです。バーニングさん、なにか不安とか悩みとか抱えていたんだろうなって、今になって気づきました」
細柳小枝が注文したのであろうチョコミントアイスを一口で食べきった赤髪の女性は、おいしくなさそうな表情を見せたかと思うと細柳の頬を殴る。理不尽極まりない。あんなに単純な女性でも、やはり悩んでいたのだろう。
「私、シェアハウスのオーナーなのに。ちゃんとハウスメイトの様子を把握できていませんでした。失格ですね」
「そんなことないですよ」
俺は、佐藤亜月の言葉を否定する。いや、否定しなきゃいけない気がする。
「誰にだって悩みはあります。例え家族だったとしても、その悩みを打ち明けることは難しかったりします。それは人によって内容が変わって来るでしょう。それこそ、病気の悩みとか、仕事の悩みとか、恋の悩みとか。身近で大切な存在だからこそ、言い出せない。隠し通さなくちゃいけない。そう思うことだってあるはずです。気づけなかった佐藤さんの責任じゃありませんよ」
この言葉は、多分俺自身に向けての言葉だ。
昔俺が地元でヒーローをやっていたとき、とても大切な人を気づつけた気がする。素直に何でも話し合える仲だったら、きっとそんなことにはならなかった。でも、人間は必ず嘘をつく。そして嘘の大半は、相手を騙してやろうと企むような悪い嘘じゃない。むしろ、もっと素直で優しい、気遣いの嘘だ。
「むしろ、佐藤さんは凄いです。俺なんか、全然バーニングさんが悩んでいるだなんて気づいてませんでしたから。いつも通り暴れてるなぁって印象でした」
「うふふ、あの人朝から晩まで大騒ぎですもんね」
「そこがいいんですけどね。佐藤さんはそんな彼女の些細な変化に気づいてあげることができた。それだけで充分だと思います。あとは、いつでもお帰りって言ってあげられればそれで……」
「そうですね。そう、ですよね」
佐藤亜月は頷くと、ベンチから立ち上がる。そしてそっと俺に手を差し伸べた。
「じゃあ松本さん、行きましょうか?」
「行くって、どこに?」
ポカンとする俺を見て、佐藤亜月は笑いながらハッキリと言う。
「観覧車です。二人きりで」
「……それって」
一瞬、時間が止まったかのように感じた。もちろんそれは錯覚だ。遠くでバーニングさんが俺を呼んでいる声がする。雰囲気を察したのだろう、彼女を細柳が制していた。
「気づかないふりをするのも、優しさなんですよね?」
佐藤亜月の言葉に、俺はゴクリと生唾を飲む。
「ほら、松本さん」
それから俺は、小さく頷くと彼女の手を握った。
二人が観覧車に乗りこんでから、数分が立った。一周するのに十五分かかるというこの乗り物は、やけに静かで、差し込む夕日と広がる光景だけが目に焼き付いて離れない。
「松本さん、私、少し悩みがあるんです」
「悩み、ですか?」
俺の問いかけに、佐藤亜月は小さく首を縦に振った。
「多分、恋の悩み……です」
俺の胸がチクリと痛みを発する。
「恋……ですか」
「……はい」
再び、二人の間に気まずい沈黙が流れた。このままだと、きっと何も聞けないままゴンドラから降りることになるだろう。
「それは、誰に対しての?」
思い切ってそう尋ねると、佐藤亜月は真っ赤な顔を外に向けたまま、そっと俺の方を指さした。
「松本さんです……」
きっと夕日のせいだろう。俺も彼女も、赤く染め上げられてしまった。
「私、松本さんが近くに居るだけで、たまにドキドキするんです。なんでしょうか、何か大切なことを思い出すような、懐かしむような、それでいて冒険に出るようなドキドキ」
彼女は今にも消えてしまいそうなほど小さな声で続ける。
「この感覚って、恋なんじゃないかなって思うんです。でも、私はまだ来いというモノを経験したことが無くて。だから松本さん、教えてください。私は今、あなたに恋しているのでしょうか?」
俺は、高鳴る心臓を必死に抑えながら、冷静さを装いながら彼女に近づいた。
「俺も、あなたを一目見た瞬間から、きっと恋に堕ちてしまいました。これは紛れもなく、恋だと思います。自分の感情が上手くコントロールできない、この感覚はあまりに初めてなことで。だからきっと、恋なんだと思います」
「そうですか、なら、きっと私のこの感覚も、恋で間違いないんですね」
そう言って微笑んだ彼女に、俺はそっと跪いて手を差し出した。
「佐藤亜月さん、もしよろしければ、俺とお付き合いしてください」
彼女はそっと俺の手に自らの手を重ねて微笑む。
「はい、喜んで」
その日、俺は人生で初めて、彼女ができた。
ラスボスハウスでルームシェアしたヒーローの俺がハーレムを築き上げるまで 野々村あこう @akou_nonomura
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