第169話、二人きりのゴーカートにて。

 午後から俺たちは別行動をとることになった。


「ほれ、松本ヒロシ! はようについて来ぬか!」


「ちょ、待ってバーニングさん、待ってよ!」


「ははは、遅い遅いぞ。手を引きちぎってやろうか!」


「やめろぉ! お前の引きちぎるは洒落にならねえんだよぉ!」


 俺はバーニングさんに手を引かれながら、さらなる絶叫マシンへと突き進む。その一方で、細柳小枝はポップコーンを抱えながら小さく手を振るだけであった。


「おいこら! 細柳! お前も来い!」


「い、いや。我はちょっと、休憩をば」


「いいからこいよ!」


 俺が必死に叫ぶも、バーニングさんは気にも止めない。


「よいではないかよいではないか。あのような弱小、放置しておけ」


 原因はこの女にある。食後にみんなでコーヒーカップに乗ろうと提案してきたのだ。お昼休憩も済み、ゆったりとした乗り物で時間を潰したいねなんて話をしていた一同は大いに賛成する。

 正直、その段階で俺は止めるべきだった。俺は忘れてしまっていたのだ。バーニングさんがコーヒーカップを操作すると、どんなアトラクションより恐ろしい空間が生じるということを。


 案の定、彼女はおぞましい怪力でコーヒーカップを回転させた。俺は二度目ということもあり何とか耐えることはできたが、他二人は違う。ジェットコースターに乗った段階から、絶叫マシンが苦手であると判明していた細柳小枝はもちろんのこと、あの佐藤亜月でさえ音を上げてしまったのだ。


「ごめんなさい、松本さん。ちょっと私、お手洗いに」


「わ、我も失礼しますぞ」


 コーヒーカップを降りるや否や、二人は乗り物酔いを訴えた。そして少しの休憩をはさんで今に至るというわけだ。


「佐藤さんは、佐藤さんは来ないんですか!」


「ごめんなさい、いったんパスでお願いします」


 申し訳なさそうに手を合わせる彼女の姿を見て、俺は絶望する。

 また俺はバーニングさんと二人きりアトラクションを味わうのか。


「行ってらっしゃいであります。もぐもぐ」


「細柳てめぇ! さっき吐いた癖に早速食ってんじゃねぇよ!」


 よくもまぁ、無尽蔵に食べ物を胃袋へ突っ込めるなぁ。むしろ関心すらしてしまう。

 と、感心している場合じゃなかった。俺はそのまま引きずられる形でゴーカートの方へ連れていかれるのだった。


「それではみなさん、行ってらっしゃい!」


 キャストの掛け声が聞こえ、俺はハッとする。

 佐藤さんと離れ離れになってしまったショックで一瞬意識が飛んでいたらしい。というか、今日はせっかく愛しい人と遊園地に来たというのに、その本命は親友と二人きりだ。なんとなく嫉妬心が芽生えてくる。


「ほぅれ、松本ヒロシ、妾に勝てるかのぉ!」


 隣の赤いカートに乗っていたバーニングさんが突然アクセル全開で走り出した。バルルルルという心地いいエンジン音が耳に響く。


「よく考えたら、全部お前のせいじゃねぇか」


 佐藤亜月が乗り物酔いしたのも、彼女と細柳小枝を二人きりで残してしまったのも、全部お前のせいだ。許せない。

 そう思った瞬間、沸々と怒りが込み上げてきた。


「今すぐ流れ星にしてやるッ!」


 俺は瞬時にアクセルを踏んだ。コースは見ていない。ただ俺が睨みつけるのは、バーニングさんまでの直線距離だ。


「死に晒せぇぇぇ!」


「ほぉ、追ってくるというのか。この妾に!」


「うるせぇバーニング、無知蒙昧な貴様に一つ教えてやろう。ゴーカートに必要なのはフィジカルじゃない。繊細さということをな!」


 俺はブレーキと同時にハンドルを切る。そして即座にブレーキを離してアクセルに切り替えた。高速ドリフトからの体当たりだ。スピンして落ちろ!


「なぬ!? 貴様まさか、このゲームやりこんでおるな!」


「フハハハハハ、バーニングよ、一つ教えてやる。車とはいつ如何なる時代においても、男の浪漫であると!」


「よく言った松本ヒロシ。それでこそ妾の見込んだ男よ。だがその程度で妾を倒すなど片腹痛いわ!」


「なに!?」


 突然バーニングさんはシートベルトを外した。そして体を仰け反らせ、地面に手を付ける。まさか、このスピードで地面を触ろうとしているのか!? 俺が見守る中、彼女はそのまさかをやってのけた。


「バーニングスーパージャンプ!」


 彼女は右手だけで地面を強く押し、ゴーカートごと宙を舞ったのだ。


「なにぃぃ!?」


「見よ! 松本ヒロシ。これが妾のやり方よ! お主には決して届くことのない、神の領域というモノよ! 思い知ったか!」


「くぅ! 俺の渾身の体当たりが、まさかこうも簡単にかわされるとは!」


「フハハハハハ。妾の強さに恐れをなしたか! 見える、見えるぞお主の表情が! その勝利を確信した哀れな表情が……ん? 勝利を、確信じゃと!?」


 バーニングさんの表情が一瞬にして驚きへと変わる。


「ほぉ、良い表情を見せるようになったじゃねぇか太陽神。だが、気づくのは遅いぜ」


「な、まさか!」


 バーニングさんは地面に着地しながら慌てて俺の前方を確認する。そんな彼女を振り返りながら、俺は歯を剝き出しにして笑った。


「ようやく気付いたか。俺の渾身の体当たりは……」


「ショートカットのためであったか!」


「ご明察!」


 俺はそのまま設置してあるジャンプ台に差し掛かる。本来であればぬかるんだ泥道を走らなければならないルート。しかし俺のコーナーギリギリを攻めた完璧なハンドル捌きは、ぬかるみを飛び越えるショートカットルートへ突入していたのだ。


「妾に体当たりできればそれはそれで順位を縮めることができ、また逆に妾に回避されてもショートカットができる、そんな進路を選ぶとは」


「俺は最初に言ったはずだぜ。車はいつの時代も、男の浪漫だってな」


 そうしてゴールして見せた俺を、細柳小枝は「楽しそうで何より」とだけコメントした。

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