スクリームクィーン

やんばるくいな日向

スクリームクィーン



 紹介したい人がいると、友人の天野に呼び出された。


 天野とは趣味を通じて学生時代に知り合い、卒業後も交流は続いていた。生まれも育ちも裕福な天野と、ごくごく平凡な生まれの俺。唯一の共通点は趣味――ホラー映画の鑑賞である。

 呼び出される理由も、だいたいは新作を一緒に観ようなのだが、紹介したい人がいるとは珍しい。内気な天野は滅多に友人を作らなかった。大勢の友人よりも、共通の趣味を持つ僅かな友人と親しく付き合いたがるのが、天野だった。


 天野の家を訪ねれば、見覚えのある美人が俺に向かって頭を下げた。つり上がり気味の涼やかな目元に、ぽってりとした大きな唇。清涼感のある美貌と奇妙な色気が同居する顔立ち。

 天野は照れた様子で彼女を紹介した。

「婚約者の、古畑千奈美さん」

 その名前を聞いて、あぁ、と俺は頷いた。

 天野が入れ込んでいた女優だ。

 小さな劇団のホラー作品にまで足を運んでいた天野は、とびきりの女優を見つけたと俺に報告していた。

 天野の言う「とびきり」は美人と言う訳ではない。

 スクリームクィーン。悲鳴の女王。ホラー映画で恐怖を演じ、観客をその恐怖の中に引きこむもの。

 古畑千奈美は最近映画にも出始めている。ホラー、サスペンス……恐怖の演技は良いが、他はそれなりと言うのが映画界の評判だろう。


「千奈美さんは恐怖を演じる為に生まれてきたような人なんだ。彼女の動きに、声に、瞳に、観客はまだ知らない恐怖を知る。彼女の動きがもたらす想像だけで、僕らは脳内の化け物と相対するんだ」

 食事時も天野は熱弁をふるい続けた。

 古畑さんは笑顔でそれを見ている。

「千奈美さんの演技を始めて見た時、僕は怖かった。本当に怖かった。ステージ上に黒い布が張り巡らされ、その間を、追跡者から逃げ惑う演技。追跡者は舞台上に存在しない。千奈美さんの一人の演技だ。けれどもそれに僕は追跡者を見たんだ。リアルな、恐怖と共に」

「大田さん」

 古畑さんが俺を呼んだ。「勝さん、いつもこの話ばかりするんです」

 天野を下の名前で呼ぶ声は、優しげだった。自分の才能を賞賛してくれるこの男を、照れくさくも愛しく思っている、その声。

 なんだお似合いじゃないか、と、俺は嬉しくなった。

「何十回と聞かされてますよ。最初のほら、その舞台の直後、バイト中だった俺の所に訪ねてきて熱弁ふるいましたからね」

「あの舞台の映像が欲しくて探してるんだけど見つからない。見つかったら絶対に報告する。一緒に観よう、大田」

「はいはい、楽しみにしてるよ」

 俺は古畑さんと視線を合わせて笑った。



 結婚式は小規模なものをするけれども、その分、自分たちの趣味に合ったものにしたい。色々と協力してくれと幸せそうなカップルに頼まれて、俺はふたつ返事で頷いた。


 そのほんの一ヵ月後。

 古畑千奈美は、死体となって発見された。




 仕事帰りに彼女は殺害された。

 彼女の最後の出演作。『CUT』……切断に拘る猟奇殺人をモチーフにしたその作品とそっくりそのまま、彼女は、殺された。


 俺は何度も天野に連絡した。

 返って来るのは素っ気無いメールばかりだ。

 大丈夫、何の心配も要らない、今忙しいのでそのうち連絡する。

 家にも訪ねてみたが、天野の姿は無かった。

 実家のある田舎に引っ込んだとも聞いた。


 天野からの連絡は、無かった。

 一年半。

 天野から再度の連絡があったのは、それだけの時間が過ぎた後だった。




 天野からの連絡は手紙で、天野の実家がある田舎へと旅券が添えられていた。

 長年探していたものがようやく見つかったので一緒に鑑賞会をしよう。

 手紙の本文はそれだけで、次の連休が示されていた。

 勿論行くと返事を送り、俺は、天野の故郷へと向かった。





 天野の実家、さらにそれより山側の、別荘。

 指定された場所はそこで、歓迎してくれた天野は、多少痩せていたものの前と変わらぬ笑顔だった。

「さぁさぁどうぞ、誰もいないから何の気にせず過ごしてくれ」

「あぁ、天野、そのな」

「積もる話は後で。大田、君に絶対に見て欲しいものがあるんだ」

 探していたもの。

 天野に背を押され、俺は一室に通される。

 壁一面に設けられたホームシアター。さぁさぁと、俺はその正面のソファに勧められるまま腰掛けた。

 天野はただひたすら嬉しそうに、部屋を暗くし、映画を再生し始めた。


 部屋一面、震えるほどの、女の大絶叫が響き渡る。

 びくりと身を竦ませた俺の目に、スクリーンの映像が目に入る。ブレにブレた不鮮明な映像。それでも、地面に尻を付き、いやいやと首を左右に、逃げようとする女の姿は明瞭に分かった。

 古畑千奈美。

 彼女だ。

 たすけて、ころさないで。

 悲鳴、懇願、また悲鳴。

 撮影者は武器を片手に、もう片方の手で撮影を続けている。逃げ惑う彼女の肌にナイフを滑らせ、悲鳴を搾り出す。

 絶叫。

「素晴らしい悲鳴だよね」

「天野」

 これはなんだ。

 そう問いたかったのに問えなかった。

「勘違いしないで。僕は、彼女を殺していない。僕はただただ彼女の才能を崇拝していた。彼女は女王なんだ。恐怖を演じる、悲鳴の女王。愛している、その才能を、いまだ」

「じゃあ、これは――」

「彼女を殺した奴、やっぱりと思ったんだけどね、殺害シーンを撮影していたよ。それは確信していた。だって同じ殺し方だもの。彼女の演技が好きでなければ、あんな殺し方しない」


 でもずるいじゃないか。


 天野は笑う。

 口元歪め、目を細め。

 さも当然のように、言葉を続ける。

「彼女の最後の演技。最期の、最期の演技だ。それを独り占めするなんて、ずるいよ。許されない。僕が彼女の最大の崇拝者だ。彼女が恐怖を演じられるよう、どれだけ尽力してきたと思っているんだ。なのに、とびきりのシーンだけ独り占めなんて、そんな、許されない」


 誰が許しても、僕が許さない。


 そういう間も、天野はうっとりとスクリーンに見蕩れていた。

 スクリームクィーン。

 悲鳴の女王の、最期の、とびきりの悲鳴に、聞き惚れる。

 なぁ天野。

 この映像はどうやって手に入れたんだ?

 殺人者が撮った映像なんて、どうやって?

 なぁ。

「苦労したんだよ。犯人を見つけるのも、この映像を入手するのもね」

 それは、真っ当な手段ではないのだろう?

 質問を口に出せない俺を見て、天野が言う。

「けどもそっちの悲鳴は良くないよ。観る価値はない」

 一応撮影したけどね、と、彼は笑った。

 映像の中の悲鳴は細くなっている。引き攣るような悲鳴の合間、ごぶりごぶりと水音が混じる。

「そうそう、探していた舞台の動画も手に入れたんだ。通し稽古の映像を関係者が持っていたんだ。それも後で観よう」

 今夜はたっぷりと悲鳴の女王の演技を楽しもう。

 そう笑う天野は、俺の知っている天野と一片も変わりが無い。

 だから俺は思わず頷いた。

 女王の悲鳴が微かにかすかに、天野の名を呼んだ。

 あぁ、と天野が目を細める。

「本当に良い声だ」

 崇拝者の顔で、天野は、そう囁く。


 スクリーンの中では、女王が、最期の吐息を吐き出した。


                         終



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スクリームクィーン やんばるくいな日向 @yanba

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