第5章 央夭夫天

ヨウヨウフテン



      1


 主任が望んだ未来。

 スイの常世。

 館長が望んだ未来。

 スイの笑顔。

 秘書官が望んだ未来。

 スイの廃止。

 首相が望むべき未来。

 スイの―――

 スイは。

 其の鋭い眼で若者を地面に磔に致しました。

 私は部屋に戻られるスイを見送っていました。スイが何をしに戻られたのか。何をなさるお心算なのか。考えが及んでいた筈なのに。

 阻止?何故。

 説得?術なし。

 白き鞘。

 尊き刃。

 柄を。

 私に向けます。私に?

「殺すんだろ?」

「出来ません」

「だろうな。やっても無駄だしな」

 主任の研究成果。

 ここで私の妨げをする。

「好きなんだろ?」

「畏れながら愚問かと」

「だろうな。立場とかゆう前に、俺に好きなヤツいるしな」

 館長の実行未遂。

 ここで私の妨げをする。

 彼らが亡くなった際、私が安堵したのは真実。邪魔だった。道を塞いでいた。

 見晴らしを良くする為。

 道の先に待つ思想を成し遂げる為。

「こいつが死んでんのは?」

 銃弾が喉の奥で爆ぜ、果てた秘書官。

「殉職です」

「自分で死んだのか」

「間接的に私が手を」

 下しました。

 下で。

 若者が私に殺意を送り込むのがわかりました。

 風が。

 若者を黙らせました。

 風のせいなのです。若者が口を開かなくなったのは。

「代わり、用意しとけ」

 庭の手入れ。

 スイにはその程度の存在。私は安堵の溜息を漏らします。

 父の形見の小刀。

 其れで逝けて満足でしょう。スイが放ります。

 地面が其れを撥ね退ける。

「親父が死んだのはスイだったからか。親父だったからか」

「解りません。憶えていないのです」

 気づいたらば、スイは。

 スイは。

 私の後方に眼線を。

 気配が致します。私を排除しようとする不穏な。

 スイを。

 否定しようとする。

 言葉は無用でした。スイはほんの瞬きの間に。

 気配を薙ぎ払い。

 私の眼には黒の飛沫が残像として浮かぶのみ。

「親父なら助けられんだろうけど」

 俺は。

「親父が羨ましい」

 赤い。青い。

 床の木目を。若者が植えた草花を。

 覆い尽くしてゆきます。

「知ってんだろ」

 主任の遺した研究内容。

「お前なら」

 館長の遺した文献資料。

「俺を」

「出来ません」

「俺かお前が死ななきゃなんねえんなら俺だろ。俺はなんも出来ない。親父みたいに。お前みたいに。なんも考えてねえし。あ、考えてる事」

 あの者の名。

「死んでねえよ。死ぬわけない」

 先代と同じ事を。

 仰らないで。

「あいつが」

 死ぬわけ。

「葬儀を執り行いました」

「あいつの死体だったかどうかわかんねえだろ。違うもん燃やして火葬した気になってただけかもしんねえし。確認したか?燃えてる最中の」

 生きていると考えたほうが。

 スイは。

 救われるのか。幸せなのか。

「しばしお待ちを」

「これでいいよ」

 白鞘。

 手に取れません。穢れてしまう。私のような。

「あれでなければ」

 床の間の飾り。飾りではない。

 飾りではないのです。

 スイ。

「お逃げ下さい」

「なんで」

「出来ないのです。私には。どうか」

 貴方がいなくなる光景を見せないで。

 耐えられない。憶えていなかったのは。

 先代の。

 事切れる様は。

 私には耐え難かった。眼の前で。

 あのような笑顔を向けられては。

「逃げるったって」

「堂々とお進みください。道など」

 道のほうから避けて避ける。

 スイがお通りになるのだ。通さぬ訳にゆくまい。

「どこ行ったらいいか」

「西に」

「わかんねえよ。お前も一緒に」

「私にはまだ」

 する事が御座います。

「俺より先に逝ったら承知しない」

「心得ております」

「絶対だからな」

 スイは死なない。死ねないのです。

 お望みを叶える事は出来ません。

 知らないのです。

 私には。知りたくない。

 知らない事は。

 出来ません。

 暫しのお別れです。直ぐに。

 参ります故。

「僕の願いを叶えてよ」主任が言います。

 いま叶えました。

「私の願いを叶えてほしい」館長が言います。

 いま叶えました。

「私の願いが叶っていません」秘書官が言います。

 いま。

 駆ける。跳んで。

 背中の色を。反芻し。

 白い。

 白き。鞘がこちらを向く前に。

 翻し。振り下ろし。

 黒い。

 黒き。線があちらを貫く前に。

 先代は。どちらに。

 高く昇った煙には。

 先代のものは含まれておりません。私が。

 返しておきました。

 死体は。先代のものです。

 今頃初代と共に。私を。

 見下ろして笑っておられる事と期待し。

 スイ。

 とてもいいお顔です。

 私もお隣で眠らせて頂きたいと強く願うばかりなのです。



      2


 逆賊などと仰るから。

 叛逆の筈がない。なぜ私がそのような呼ばれ方を。

 誤っているのは私以外。

「スイを消して何になる。消してから考えるのではあるまいな。今一度取り憑いている妄執を見直し」

 貴方がたには関係のない事。

 貴方がたがいなくなった後の事をいちいち説明する必要があろうか。

 想像力が及んでいない。スイが失せた後の光景を。

 輝かしい国家の繁栄を。

 私が創り変えてみせる。その為には貴方がたが邪魔なのです。

「譲歩しているお心算か!」

 届きません。届かせる意味もない。

 最期の説得も露と消えた。

 今ここで私の決意をご理解戴けたのならば、苦しまずに冥土を拝ませてあげたというのに。前途洋洋拓けた未来を共に享受する事も出来たであろうに。

「ラスコだと思って甘く見ていれば」

「ラスコだからです。私でなくともラスコであれば容易く至った結論。お嘆き下さい国家の自害を。人口減少の根本的解決は。全ては貴方がたの不始末に因る所の物。辞めれば済むとお思いでしょう。首を持って償おうとも何ら」

 駄目だ。説き伏せても無意味なのだから。

 鉄の銃口。

 怖くない。動じていないのがよほど奇異なのだろう。

 首相は顔を歪ませる。

 醜い。なんと醜い。自らの命を永らえさせる為に必死で思案を巡らせている顔だ。

 命乞い。

 乞わせぬ。

 現体制の崩壊。

 壊せぬ。

 恋わせぬ。

 鉄の弾を断ち切る。

 いまの、

 一瞬の幻は如何に。

 壊せない?

 スイを。スイの御代を。

 否。

 醜く引き攣った表情を黒で覆う。

 見えない。見たくない。

 この廊下を駆れば即ち。

 スイの、

 笑顔。

 私は瞼を。

「寝るなよ」

 誰でしょう。この心地の良い響きは。

 スイ?

 スイであったらどんなにか。

「寝るなって」

 スイであると仮定して私は重い瞼を。

「言ってる傍から」

 スイです。スイに違いありません。

 この私がスイのお声を聴き間違える事がありましょうか。

 私は瞼を。

 スイの笑う声。

 スイと、

 スイの。

「生き返らせるから」

 お已めください。私には。

 生き永らえる意味は何も。

 厭なのです。

 スイがいないのならこの世に留まる理由は。

 死ねない。死なぬ躯。

 スイは。

 失せぬ。

 同じ苦しみを味わわせてやる。

 繰り返し繰り返す幻覚を。

 スイでは。

 ないのですね。私の知っているスイは決してそのような事は。

「どなたですか」

 スイ。

 私は瞼を。

 スイでない者の姿が見えません。

 スイの幻ならば今此処に。

「お前が殺した」

 先代の名前。

「の知り合い」

 初代の名前。

 矢張り私は死んだのだ。

 会える筈などない。二千年も前の御代。

 白く手靡く。

 黒く足掻く。

 逢いたかった。逢えただろうか。

 逢えたからこそ私の眼の前に現れたのだろう。

 呪いか礼か。

 スイの名前。

「生きてるよ」

「存じ上げてないとでも」

「てっきり」

 出来ません。出来る筈がないのです。

 刃先を遠ざけ。

 紅い。

 私は瞼を。

 スイの顔と声が霞んでゆきます。是でいいのです。

 らすこ

 らすこ

 いいのです、スイ。お声を掛けて戴かなくとも。

 貴方の今すべき事は。

 国の外へ。西へ。あの者の故郷へ。

 向かって下さい。

「なんで、んな事」

 出来なかった。

 ただそれだけの事。

「待ってろ、いま」

 私は首を振れたのでしょうか。

 首に触れたのでしょうか。

「くそ、なんで」

 止まらない。スイは一体何を止めようと。

 私をこの世に繋ぎ止めようと?

 なりません。違います。

 お行きください。私などに構わず。

「親父なら助けられんのに。なんで、俺は」

 なにもできない。

 わからないどうしていいかどうしたらいけないのか。

 どうか捨てていってください。

「できるわけねえだろ」

 出来ません。私も出来ない。

 出来ぬからせめて出来る事を。

 見えません。

 私の瞼は。

 スイも。スイ以外も。

 見えなくしたのです。

「なにやってんだよ。なんで来ない。早く」

 そうです。それでいいのです。

 スイは私を床に置き。

 見えぬ眼を。見えないなにも。

 聞こえない。

 光の。

 か

  む

     ら

    み

  ら

 す

   こ

 スイが其処にいないのなら磔の呪いも解けよう。

 父の仇。

 形見の小刀。

 刃毀れはしていない。自らの血でべっとりと。

 スイがなされた。

 わざわざそれを引き抜いて。

 凄まじい執念。それほどまでに私が憎いか。

 父も母もいない私にはとんとわからぬ。

 邦内最年少世代に繋がるものは最後の子供。

 繰言はそれだけか。

 私への怨みは憎しみは。

 聞こえなくなった。肉を抉る。

 痛くない。

 居たくない。

 ぼんやりと残像が。見えないはずなのに。ならば幻。

 スイが。

 手を振っている。別れの。

 手招き。

 追い払う。

 初代の名前。

 先代の名前。

「走るなよ。走ると」

 死ぬぞ。

 心地よい生温かい。

 日差しと風と生い茂る大輪の。

 この敷居より先は。

 絶対不可侵の。振り返りもせずスイは。

 術に取り組んでおいででした。



      3


 いなくなった。ある日突然。

 来なくなった。

 俺に何も言わず。

 捜しにこいと、そうゆう事なのか。

 逢いにこいと、そう云いたいのか。

 画面を見詰めて。

 眼球が痺れるほど睨みつける。

 疲れた。

 倒れ込む。後頭部を打つ。床の間。

 痛くて声も出ない。

 無言でのた打ち回る。涙出てきた。

 仰ぎ見る。

 高い天井と、飾ってあるあれ。

 鞘にまで黒い。

 血だろうか。においを嗅いでみる。

 ホコリくさい。

 咽喉がいがいがする。くしゃみ。

 俺のじゃないと思う。だったら親父?

 親父はそうゆう事はしなかったらしい。

 誰に聞いたんだっけ。

 あいつかな。しばらく逢ってない。

 やっぱ。

 会いに行こう。

 一本はこっち。せめて二本は欲しい。短いのはあれでいいとして。

 これ。

 持ってっていいかな。文句云われたらそいつ殺せばいいだけだし。

 重い。

 なんだこれ。鞘が抜けない。

 血で固まってるのか。血で錆びたのか。

 血?ほんとうに。

 なりません。

「うっせえな」

 振り返ったけど別に誰も。

 気のせいかな。後ろめたい事してるとすぐ。

 後ろめたくなんか。ここにあるものはぜんぶ俺の。

 それだけはどうかお使いになりませんよう。

「だからうっせえなっつって」

 まさか、こいつが喋ってる?

 気味悪い。けど、面白い。

 喋る刀。

 でも違う。刀に耳当ててもうんともすんとも。

「いんだろ、誰だ」

 置いていってください。貴方の手には馴染みません。

 あいつの悪戯か? あり得る。

 だれが聞くか。

 使うなとか置いてけとかいわれると余計に。

 スイ。

「客人が」

「お前か?」

 首を傾げる。だろうと思う。そいつの声じゃない。

 もっと、なんつーか。

 優しくて落ち着く。

「どうなさいますか」

「誰だ」

 知らない奴だった。でも声を聞いてすぐわかる。

 この口調は。

 隣の国の言葉。

「逃げたんじゃねえのかよ」

 皇子さま。

 探しもの。奇遇だな。

「俺も」

 捜してるもんがある。

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LAs・cO 伏潮朱遺 @fushiwo41

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