第37話 エピローグ3・恋愛について、あるいは鉄仮面外れる時
クリスマスといえば恋人と過ごす日、みたいなイメージがある。元はキリストの誕生日なのに。
で、私と八科さんは不破さんの家でクリパをしていた。女三人でクリスマスて……と思ったけど、そもそも二人は私のことが好きだし、私も、まあ、そういうことだし、これが正解だと思った。
「いや~八科、好きな女二人と過ごすクリスマスは最高だねぇ」
「そうですね、好きな人と過ごすクリスマスに勝るものはありません。樋水さんはどうですか?」
「流石にキレる」
圧のかけ方が半端じゃない。というかわざわざクリスマスでそんなことしなくても。
と思っていたけれど。
二人がゆっくりと唇を重ねる。よく見れば、口を開き、舌での交わりをもしているようだった。
「な、な、な、何を……」
「チス」
「チッス、ですね」
「そんなエロスなキッス……え、なに、なんで」
ショッキングなものを見てしまった……、親友二人のディープめなキス、ちょっとどういう気持ちになるべきなのかもわからない。
「っていうか、あれ、私への想いは断ち切って二人で生きていきますみたいな?」
「違うよ? 私達がこれだけ友達としてずぶずぶ仲良くなったら、楓もこれくらいできるようになるかなっていう」
「愛の深め方がおかしい」
でも二人で平然とべちゃべちゃしてるのを見ると、いや、どういう気持ちなんだろうこれ。
複雑すぎる……、こういうエロ行為を目の当たりにして妙に興奮するような高揚感、してはいけないという緊張感、ちょっと置いて行かれたような寂しさとか。
「さてはキミらドスケベだな」
「ドスケベではない。ただ楓とキスしたいだけ」
それをドスケベと呼ぶのではないか。そんな変な問答をするつもりはないけど。
困った。もっとピュアなクリスマスを過ごすつもりだったのに、性の六時間的なクリスマスになってしまう。
「じゃマリカしよ」
「マリカしません。お話します」
「お話しません、スマブラします」
「スマブラもし~ま~せ~ん~! 喋るぞ楓!」
不破さんの頑なな態度に仕方なし喋るという選択肢を取るか……いや折衷案。
「ゲームしながら喋ろう」
「……まあ、いいだろう。智恵理もそれでいいか」
「いいでしょう、未代」
!! こ、こいつら……キスを通じて距離感を縮めた……!?
「示し合わせてたでしょ、それ」
指摘すると、不破さんはぺろっと舌を出して悪びれもせず笑った。
「ま、そういうこと。いい加減不破さん八科さんなんてやめよって話をしたいわけ」
なるほど、二人はそこで意見を一つにしたわけだ。
「……で、二人はなんて呼ばれたいの?」
「未代」
「智恵理ちゃん」
「ちゃん付けは無理でしょ。八科さん、本気?」
こくりと八科さんは頷く。し、そのまま私の方へじりじり近寄ってきた。この子が近寄ってくるのなんかこわい。
「私は、年下へ抱くには重すぎるほどの嫉妬を不破夢生にしています」
「うわ、最低な宣言を聞いてしまった」
確かにちゃん付けとか夢生ちゃんにしかしてないけど、そんな嫉妬。
不破さんも苦笑いだけど八科さんが言うからには、やっぱり嘘じゃないんだろう。
いきなり下の名前呼びは正直気が引ける。そりゃ、私達の距離感はもう下の名前で呼ぶとか関係ないくらいに、心から仲良くなったと思う。
だからそういう、表面的なところを一つ二つっていうのはキスするのと同じくらい恥ずかしい。っていうか、キスも下の名前もそんなに重要なんだろうか、って思うくらいだ。ちょっと露骨だよね、二人とも。少し引くわー。
まあそれなら、名前くらいは呼んであげたいけど。
呼んであげたいけど。
「恥ずかしいからまだ無理」
「出会って八ヶ月。いつまで恥ずかしがってるの、楓」
「楓」
八科さんに初めて楓って呼ばれた。
「……ち、智恵理……」
呼んでみた。顔がカッと熱くなってとても顔を合わせられない。ちょっと反らしてしまうと。
「うおっ! 八科が照れ顔になってる!」
「え、嘘!?」
見た時、八科さんは髪の毛をふぁさっと振り、元の顔に戻るところらしかった。
「見てない! 私見てないよ照れ顔!」
「見られると恥ずかしいので」
「なんて不破さんばっかりそういうの見るの!? 私八科さんが泣いてるのも照れてるのも見てないのに!」
「逆に言うけど楓のせいだぞ! 楓が常日頃から私や八科を下の名前で呼んでたら今頃八科は百面相みたいに顔面ころころ変わってるからな」
「不破さん、言い方」
でも、それは一理あるかもしれない。私が行動を起こした時に八科さんが驚いたり、泣いたり、照れたりしているというのが事実なら、私が八科さんの表情を変える鍵になっている。
「でも、いいなぁ。私も見たいな、八科さんのいろんな表情」
「私ももっと見たいから頑張れよ、八科」
「見たいですか?」
「だって八科さん、笑った方が絶対可愛いもん」
キリッ! と決めてみた。しばらく八科さんとにらめっこだ。こんなセリフ言われたら普通の女の子なら照れちゃうだろう。
はい、私の方が無理でした。恥ずかしくて顔を反らす。
「笑った!」
「嘘!?」
顔を戻すと、また八科さんは元の表情だった。
「なんで!?」
「今のは樋水さん、いえ、楓が可愛かったので」
恥ずかしい台詞を言われたので、今度は私が顔を反らした。不破さんのリアクションがないので、今回は一方的に負けた。
八科にらめっこをすること数分、飽きた。
「ケーキ食べよう」
「やっぱり楓はお菓子食べてばっかりだな」
呆れた風に言うけど、ここにある食べ物を食べることは呆れるようなことじゃない。食べるとも、もちろん食べる。だってお菓子は美味しいのだから。
――――――――――――――――――――――――
クリスマスだから泊りもありかと思ったけど、結局そのまま帰ることになった。
特別な日といっても雪は降らないし、せいぜい住宅街のいくつかが電飾を飾り付ける程度の街並みを、八科さんと二人で歩く。
「八科さんは私に違う顔を見せたくないの?」
「特別そういうわけではありませんが……、いえ、やはり恥ずかしいのかもしれません。無表情であることが個性であるように言われると、その個性を失うのは、少し怖いです」
「でも私は、八科さんのいろんな顔を見たいっていうの嘘じゃないよ。だって不破さんだけ見てるのズルいじゃん」
「……実は、私にも表情が変わっているかはわかりません。不破さんしか私の顔を見てないのですから」
「あ、そっか。八科さんは自分で意図して表情変えられるわけじゃないもんね」
じゃ、不破さんが小粋な嘘を吐いた可能性もあるのかもしれない。その必要性は感じられないが、こんなにころころ八科さんの表情が変わるとも思えない。
騙されたのかもしれない、騙されて損した! と思った方が私としては楽だけど。
「八科さん、こっち向いて」
こっちを向かせて、ちょいちょいと下へ顔を移動させる。少しかがませて、八科さんの顔に触る。私の手は冷たいだろうに、表情はやはり変わらない。
吸い込まれそうな目、というのは単に色のことは言わないのだろう。どこまでも真っすぐに見据える瞳が、そう言わせる。この目にどれだけの人が吸い込まれてきたのか、考えるとちょっとゾッとする。
「ほら、笑顔」
八科さんの頬をゆるめて、唇を上げて、疑似的な笑顔を作り出す。私の思う八科さんに似合うクールな微笑み。
「どうですか?」
動くとぎこちない。でもこうやって顔の筋肉を柔らかくしていけばいずれ……。
「カワイイヨ」
「はぁ」
久しぶりの『はぁ』、完全に呆れてるみたいだった。今、目元がちょっと蔑むように細まった気が……?
―――――――――――――――――――――
自分の表情がどうなっているか分からない。その当たり前のことが不安で、またもどかしい。
私は他人を安心させることはおろか喜ばせることもできないのです。それでいいと言ってくれる人もいますが、私はそれが嫌でした。
私は、私を救ってくれた楓くらいには笑顔を見せたいのです。それが、死別した両親の願いでもありましたから。
「そいやさ、私やっぱり好きってよくわからなかったりするんだ」
彼女はそう言いながら、小走りして私の方を向いて立ち止まりました。その表情は疑問を浮かべるでもなく、限りなく自然体に近いような素の表情であるようでした。
「たぶん、私は不破さんのことも八科さんのことも好きなんだと思う。二人といると楽しいし、二人からの気持ちも、嬉しい。でも、不破さんと八科さんが私に向ける気持ちが同じとは思えないんだよね。キスしたいとか名前で呼んでほしいって言うのは同じだけど、態度とか全然違うし。だから不破さんは平気だったのかも」
一度は私も不破さんも否定した楓は、けれどそこに確かな差異を見出しているようです。
そして、それは事実かもしれません。
「全く同じ感情など存在しないのかもしれませんね。恐れて本音を話せなかった私と、自由であるために本音を話さなかった不破さん、境遇は似ていても心は異なる。だから同じように楓と出会い、好きになったと一言で言っても感情は違って当然でしょう」
「そっかぁ。それもそだね」
「ただ分かることは、好きという感情は……もっと共にいたい、共にいると幸せでたまらない、もっと近づきたいという欲でしょうか。それが私と不破さんに共通する感情……いえ、あと、貴女から、楓から近づいてほしいというところも」
「それは、おいおいね、おいおい」
「できるだけ早く、というのも……」
「急かさないでって。それを言うなら、私だって……」
言葉を途中で留めてから何かに気付いたような顔をして……、けれど彼女は恥ずかしそうにしながら、歯にものが挟まったようにしながら言いました。
「……私だって、八科さんに早く、本音で話して欲しいって思ってたし」
「お相子でしたか。……つまり、相思相愛ですね」
「ばーか」
楓の汚言症めいた罵詈雑言は、以前までの心の壁が可視化されたものなのでしょうか。それは無言の排斥に比べれば、はるかに親睦的な笑顔の罵倒なので拒否感はないですが、あまり行儀の良い行動とは言えません。
『へへ、相思相愛か~』
いつかそんな風に照れ笑いする彼女を見れる日が来るのでしょうか。それは、私と不破さんの努力によるものになるでしょう。
……未来について考えることなど、今までありませんでした。これも彼女と共に過ごして変わったことの一つでしょうか。
「もうちょっと、柔らかい表情できないの?」
「気持ちは、とても柔らかくなっているのですが」
「見せて」
望まれては、また少し屈んで彼女と目線を合わせます。興味深そうに私の目を見つめる楓の目。柔らかい楓の指が、私の熱くなった頬を優しく撫でるように形を変えていく。
私がどれだけ緊張しているのかも貴女には伝わらない。私が照れ恥ずかしがって、居ても立っても居られないのも貴女にはわからない。
自分から近づくのより、貴女から近づかれる方が、こんなにも動悸がするなんて。……楓には普段、意地の悪いことをしていたのかもしれませんね。
楓、私はまだ照れていないですか?
唇に暖かいものが触れました。
心臓が口から飛び出るとはまさにこのことでしょう。一瞬接触した楓は既に五歩ほど後ずさって、顔を真っ赤にして立ち尽くしていました。
「……どうだ。あっ! 驚いてる! やっぱり驚けるんじゃん八科さん! やった! やった!」
貴女の方がよほど恥ずかしそうに照れながら喜んでいて――
私は、本当に嬉しい。貴女とまたこうして笑い合えることが。
貴女がこうして笑っていることが。
貴女と、ともにいることが。
「八科さん、泣いて――――笑ってるの?」
私には頬を伝う涙の感触しか分かりません。自分の表情は分かりませんから。
けれどきっと、貴女が言うならそうなのでしょう。
冬の空の下、聖夜の贈り物は私には身に余る幸せでした。
仮面外れる時 @hidajouzi
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