みんなのかみさま
竹乃子椎武
みんなのかみさま
山おくの
ある日のことです。
女の子は家にかえるとちゅうで、一ぴきのおおかみを見つけました。げんきのない
おおかみの足には、のこぎりのようなギザギザの
「たいへん。すぐに外してあげなきゃ」
女の子はワナを外しました。それから家にあるきず
「もうひっかからないように気をつけてね」
おおかみはぺこりとあたまを下げると、森のおくに
その日のよる。
女の子がねていると、とびらをたたく音がしました。
「こんなおそくにだれかしら」
そっととびらをあけると、ひとりのおじいさんが立っていました。かみの毛とひげはまっしろ、まがったこしを木のつえでささえています。
「わたしは山の
あしもとには、ほうたいをまいたおおかみが、ぎょうぎよくすわっていました。
「おじょうさんのねがいをひとつ、かなえてあげよう」
女の子はかんがえました。
「たとえば、お
「たやすいことだ。すまないが少しだけ目をさましておくれ」
つえでじめんをたたくと、クローバーのはっぱから白い花がさきました。
「すごいわ。ほんとうに神さまなのね」
「ごちそうでも、きれいなドレスでも、ほしいものをだしてあげよう」
「そんなものはいらないわ。わたしのねがいはたったひとつ」
目のいろを
「ふもとの町の人たちを皆殺しにしてください」
神さまはじっと話を聞いています。
「わたしのお父さんは医者でした。けがや病気を治してあげたり、悩みごとを聞いてあげたり、町を良くしようと働いた。お父さんはみんなのためにがんばったのに、町長だけは良く思っていなかったの」
女の子の声が少しずつ沈んでいきます。
「お父さんは人気があるから、もしかしたら自分の町を乗っ取るかもしれない。そう考えた町長は悪い噂を流して、お父さんを町から追い出したんです」
家の外は静かで、聞こえるのは女の子の話し声だけ。まるで山全体が女の子の話を聞いているようです。
「お父さんが治した人も、警察も、学校の先生も、友達も、みんな石を投げてきた。お母さんもわたしも責められ、逃げるように山奥に隠れたの」
女の子が窓の外に目を向けます。外にはいびつな木の十字架が二つ、地面に刺さっていました。
「お母さんは石が頭に当たって死にました。次の日、お父さんが首を吊りました」
ぽろぽろと涙がこぼれます。しかし、その目に浮かぶのは悲しさではありません。
「わたしはあの町の人たちが許せません。お父さんとお母さんを殺した人たちなんて死んでしまえばいい。それがわたしの願いです」
神さまがわかった、とつぶやきました。
「お嬢さんの願いを叶えてあげよう」
「本当に?」
木の杖が森の奥を指します。
「道を下ると廃坑がある。その中に置かれた丸い石を壊せば、望み通りになる」
ただし、神さまは言葉を続けます。
「石を壊したらすぐ家に戻りなさい。町へ行くのは太陽が昇ってから。夜が明けないうちに山を降りてはいけないよ」
木の葉っぱが星空をふさぎ、月の光が届かない真っ暗な道。女の子は獣用の罠に引っかからないように歩きます。
森を抜けると、開けた場所に出ました。錆びたスコップやつるはしが打ち捨てられ、鉄くずや腐った木材が山になっていました。広場の先は崖になっており、山のふもとに広がる町が見渡せます。そばに小さなトンネルを見つけました。
「きっとここだわ」
落ちているつるはしを拾い、入り口を塞ぐ木の板に振り下ろします。折れたらまた別のつるはしを使い、四本目でようやく壊すことができました。
一本道の廃坑を進むと、行き止まりの壁に石が埋め込まれていました。暗さで色は分かりませんが、大人の頭くらいの大きさで、卵のように磨かれた石です。
五本目のつるはしが石を砕くと、空気の漏れるような音が聞こえてきました。しかし女の子は疲れ果て、確かめる元気もありません。神さまの言いつけ通り、女の子はすぐに家路につきました。
「これで願いが叶うのかしら」
ひりひりと痛む両手は、鉄さびと血で汚れていました。
次の日。女の子は山をおりてふもとの町に向かいました。青空が広がり、山から町へ向かって吹く強めの風が木々を葉を揺らします。
まもなく昼になろうというのに、町には誰一人いません。山から飛んで来た小鳥たちが、空っぽの道で楽しそうに鳴いています。
酒場の中を覗いてみると、みんな床に倒れていました。眠っているようですが、息をしていません。
「すごい。みんな死んでる」
他の建物も見て回りましたが、動いている人はいません。女の子は街中に喜びを振りまくように駆け抜けました。
「やった、やった。みんな殺してやったわ。神さまありがとう」
はしゃぎ疲れた女の子が町の中央に戻ってくると、太った男がひとり、はげしく頭を掻きむしっていました。
「なぜ……なぜ死んでいる。俺が町を離れている間に何があったんだ」
「神さまが願いを叶えてくれたの」
女の子は嬉しそうに教えてあげます。
「どうしてあなたは生きているの、町長」
「俺は一昨日から山向こうの町に行って、いま帰ってきたんだ。それよりお前は」
「昔、あなたが町から追い出した医者の娘よ」
町長は女の子の姿を眺め、生つばを飲みました。
「あいつの子供……いままでどこに」
「毎晩町で仕事をしていたのに、全然気がつかなかったのね」
「町はずれで男を相手に稼ぐ、若い女の噂を聞いたことがある。必要悪と目をつぶっていたが、お前のことだったんだな」
「吐き気のする男ほど、お金をたくさんくれたわ。おかげで生活には困らなかった」
女の子は両手を広げて空を見上げました。太陽は隠れ、雨雲が広がっています。
「どうしようもない人ばかり。こんな町を良くしようと、お父さんはがんばっていたなんて」
「違う。あいつはこの町を潰そうとしていた」
町長は山を指さしました。
「この町を支えているのは、山で採掘される石炭だ。なのにあいつは危険だからと、すべて閉鎖しろと言い出した。たった一つの炭坑から毒ガスが噴き出ただけでだ。そんなことをしてみろ、仕事も金もなくなり、町は枯れ果てる。住民は生きていけなくなる。俺の説得はみんなに聞き入れられた」
「騙した、の間違いでしょう?」
「町としての収入がなくなれば、全員が確実に飢え死にする。あいつは可能性だけで全員を殺そうとしたんだ。現に問題の炭坑だけを閉鎖したいま、他は何事もなく……まさか、毒ガスが発生したのか? 人体のみに影響し、長時間吸うことで眠るように死ぬ、特殊な毒だとあいつは言っていた。どうして今ごろ」
ひざまずく町長の姿を見て、女の子は胸のすく思いでした。
「お前、神さまがやったと言ったな。何を知っている」
「わたしは言われた通り石を壊しただけ」
「まさか、炭坑の塞閉石を……なんてことをしてくれたんだ」
町長は腰のベルトから銀色の拳銃を抜き、女の子に向けます。
「言え。指示をした神とは誰だ」
「お父さんとお母さんを殺して、わたしを殺して、そのあとは神さまも殺すの?」
「住民を……町を殺されたんだ。俺は町長として、みんなの仇を取る」
破裂音が響きます。撃鉄を起こす様子を見て、女の子はとっさに走り出しました。
降り出した雨はどしゃ降りに変わりました。山に逃げ込んだ女の子は、道なき道を必死に走ります。森を抜けると、昨日訪れた広場に出ました。
もつれた足がぬかるんだ地面に取られ、泥の中に倒れ込んでしまいます。
「神はどこにいる」
森の中から拳銃を握った町長が現れました。ゆっくりと近づいてきます。
「一人のわがままで数千の命が失われたんだ。償ってもらう」
「そのために誰かを犠牲にしてもいいの」
「天秤にかければどちらが重いか、誰でもわかる。あそこは俺の町、俺が絶対。俺はみんなを守る義務があった。だから逆らうやつは邪魔だったんだよ!」
引き金を引く直前、森から飛び出してきた狼が、拳銃を持つ腕に噛みつきました。町長は振りほどこうと暴れ続けますが、やがて足を滑らせて崖から落ちてしまいます。卵を叩き割ったような音が聞こえました。
噛みついていた狼が女の子にすり寄ってきます。足には包帯を巻いていました。
「あのとき助けた狼さんね。ありがとう」
「怪我はないかな、お嬢さん」
声のほうに振り向くと、木の下には神さまが立っていました。
「願いは叶ったかい」
「ええ。わたしの望み通りになったわ」
崖の手前には、泥にまみれた拳銃が落ちています。
「神さまはいろんな願いを叶えているの?」
「そうだよ」
女の子は疲れた体を、雨と土が混じった地面に横たえました。
「ねえ、次は誰の、どんな願いを、叶えるの?」
「みんなの願いを叶えるんだ」
神さまは白いひげを撫でます。
「ここもかつては緑に覆われていた。しかし木を切り倒され、山は削られ、資源を奪った。ゴミをまき散らした。罠を仕掛けて動物たちを捕らえていった。森は人間に迷惑などかけておらんというのに」
狼が神さまの足下に戻って来ました。寂しそうに広場を眺めます。
「草木も、虫も獣も、山に住まう数多の命が人間はいらないと言った。たった数千のわがままで、この先、数億の命が失われかねない。だから自分たちで責任を取ってもらわねばのう」
女の子は返事をしません。眠っているようです。
雨は止み、黒い雲の隙間から顔を出した太陽が、大地を温かく照らしました。
みんなのかみさま 竹乃子椎武 @takenoko-shi-take
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