勉強ができてしまう
「勉強ができる」と言われて、素直に嬉しいと思う人はもはやいないのではないだろうか。「勉強ができる」という言葉には、「勉強はできるけども……」というニュアンスがつきまとう。
「勉強ができるけど、仕事はできない」、「勉強はできるけど、コミュニケーションが下手」。こんな屈辱的な言葉を言われたことのある人もいるのではないだろうか。
『勉強は楽でもある』
勉強は極めて自己完結的な作業だ。相手にするのは参考書や問題集などの「静物」で、一人で始め、一人で進め、一人で終わらせることができる。そこには、「先輩」や「後輩」といった、他者が入り込む余地がない(「先生」はあるかもしれないが、先生と生徒の関係は極めて固定的で、揺らぐことがない)。
コミュニケーションが苦手な人、いつも集団で疎外される人にとって、勉強は手を伸ばしかねない「麻薬」となりうる。勉強は一人でやれるし、コントロールできない厄介な「他人」の介入もない。さらに、やれば「優等生」としてとりあえずの社会的承認が得られる。社会的承認を他者から得られない彼らは、勉強のもたらす満足感にすがり、勉強にはまり込んでいくことになる。頭のいい人ほどその傾向は強い。
『他にやるべきことはあるのだけれど……』
あなたが人一倍勉強に時間を費やしている間、他の人は何をしていたか。彼らは部活動をしたり、友達と遊んだり、恋愛したりしていた。彼らは、「先輩」や「後輩」、「友達」、「恋人」といった、「自分に利益をもたらすかもしれないし、不利益をもたらすかもしれない人たち」を相手に、自分の人生を実りあるものにすべく、必死にコミュニケーションを取ってきたのだ。
短期的には、あなたの勉強の成績は彼らを上回るかもしれない。あなたは、「勉強ができる」というアイデンティティーにすがって、彼らを見下すことができただろう。
しかし、社会に出た時、あるいはアルバイトをしたとき、あなたは、自分が間違いを犯したことに気が付く。もっと正確に言うと、自分のしていることが間違いだと頭のなかで知りながら、目の前の「勉強」にすがって、己のコミュニケーション術を磨いてこなかったことを悟る。
あなたが見下してきた彼らは、あなたよりも活発で、ユーモアに富み、先輩に気に入られ、後輩に尊敬され、優れた配偶者との関係を楽しみ始める。彼らが他者との関係性を構築できるのは自然なことだ。彼らはずっとそれを練習してきたからだ。
『勉強のできる彼らはどこに行ったのだろう』
大学の講義室の最前列にいつもいた、よれたチェックシャツを着た彼らはどこに行ったのだろうか。大学の友達と連絡を取り合うと、「あいつは〇〇に就職した」とか、「××は転職した」とか、色んな話が耳に入ってくる。
しかし、最前列にいた「勉強のできる人」の話が出てくることはない。彼らがどうなったのか誰も分からない。誰も、彼らと関わりを持つことができなかったからだ。
彼らはコミュニケーションを拒み、勉強に逃避していた。心を閉ざしていたのである。そんな彼らと、誰が仲良くなることができただろうか。
いつも嫌われる不器用な人たち 内山悠 @gd4epps
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