17. 捕縛許可証

『すまない……セルジオス。私はディギオンがお前の息子を殺したことは知っていたが、ここまでおぞましい目に遭わせているとは知らなかった』

 閉ざした心に主の声が届いたとき、セルジオスの瞳に光が戻った。

『すまない』

 主はプライドが高く、知略に富んだ方だ。そもそも、謝罪するような失態をおかすことはほぼなく、『土の王』という立場からも滅多に人に頭を下げるような方ではない。

 その主が仕える者であるセルジオスに『すまない』と言った。これは嘘偽りではない。あの方の本心からの言葉だ。

『セルジオス。謝ってすむことではないが……お前の手で息子をディギオンから救ってやってくれ』

 そして、絞り出すような声で命が下る。それが自分と息子へのせめてもの詫びと償いであることが、長年仕えていた彼には解った。

「御意」

 一言呟き、自分を支えてくれている太い腕をそっと押し退ける。

「御父上……」

 驚くブライを見上げる。ここに来る前に渡された資料によると、この男は当時息子の隊の新人隊員だった。そして、あの悲劇の後、しばらく魔界を転々とし、今は王都の下町で喫茶店の主人をしているという。そんな彼の今の顔には苦難を乗り越えた者の持つ、優しさと穏やかさが伺えた。

「……息子は君を守ったのか?」

「はい。隊長はその身を犠牲に最後の最後まで私や隊員をかばってくれました」

「……そうか」

 やはり、あの子は自分の責務を果たして散った。ならば……。『足』を見る。主の命をもう一度、頭の中で復唱し、剣を抜く。

「ニキアス、父がお前を『悪魔』から解放してやろう」


 鋭い剣戟が瘴気の中を鳴り響く。

 技は『足』よりもセルジオスの方が上だ。しかし、『足』は先のゲオルゲ同様、ディギオンの加護により頑強で、怪力と呼んでよいほど力も増している。その重い一撃、一撃をセルジオスは上手く受け流していた。

「お前達はキースを倒せ」

 一旦、一緒に戦っていた隊員を下がらせ隊長が指示を出した。キースもまた加護を受けて力を増大させている。奴の放つ砂嵐の渦に苦戦しているお玉ともう一人の隊員に加勢させる。

「私はセルジオス殿をサポートする。ウォルトン、お前はディギオンの土の術から皆を守ってくれ」

「解った」

 『足』に再び向かう隊長を見送って、シオンは『真水』を呼んだ。まとう『贖罪の森』の力を再び溶け込ませ、皆の周りに漂わせる。これで小さな瓦礫に攻撃なら防げる。後は……、更に呼び、大きな水の塊を作った。

「はっはっはっ!! 殺れ! 殺れ! 親子で殺し合え!!」

 肩のディギオンが楽しげに笑い、瓦礫を放つ。それを水の塊で打ち落とす。横から隊長が『足』の首を狙う。『足』が大きくセルジオスの剣を弾き、首の皮一枚切られたところで、なんとか隊長の剣をくい止めた。

「……む」

 調子に乗っていたディギオンが眉根を寄せる。流石に手練れの二人が相手では自我が破壊され術が使えず、記憶に残っている剣術を繰り返すことでしか戦えない『足』の方が分が悪い。『足』の傷が増えていく。まだ動けなくなるほどではないが不愉快そうに顔をしかめた。

 ズン……。大地が鳴る。

「蠅を少し減らすか」

 ディギオンが手を上へと振り上げる。

「皆! 下じゃ! 土の槍が来る!」

 玄庵の声が響く。

 ざわり……。地面に無数の尖った土の槍の穂先が現れたかと思うと、それが一気に上空へと伸びてくる。

「法稔!!」

「はい!!」

 二重の防御壁がその前に広がる。槍がぶつかり砕け落ちる。が、ディギオンがニヤリと笑った。即座にまた新たな槍が生まれ、壁を越え襲ってくる。

「シオン!!」

「姐さん!!」

「私も加勢します!!」

 シオンが『真水』の粒を放ち、エルゼの風がそれを包む。捕縛隊の術士が大きく渦を巻かせる。渦に巻き込まれた槍が次々に砕け散っていく。が……。

「『神』の御技にかなうと思うか?」

 ディギオンが指を鳴らすと、また無数の槍が生まれる。

「とりあえず、セルジオスと隊長、この二人以外の蠅は潰すか」

 冷酷な声が流れたとき

「シオン!! 『真水』を氷の粒に変えて放て!!」

 翼の音と共に若い男の声が上空から飛んでくる。

「はい!!」

 待ちわびていた声にシオンが顔を輝かせ『真水』の粒を凍らせて、地面が伸びてきた槍の穂先に放つ。ピキキ……。凍りついた穂先に、今度は熱風が吹き降りる。水と火の合わせ技。急速な冷却と加熱に槍が砕け散る。

 次いでディギオンの頭上に黒い影が落ちてくる。構えた剣に自身の落下のスピードも合わせ、鋭い剣先が打ち込まれる。ディギオンが慌てて剣を呼び出し、受け止める。

 ギン!! 大きく剣を打ち合う音が鳴る。

 顎の下まで石化した身体。しかし、大きく角が横に張り出した厳つい顔の赤い瞳が爛々と気力をたたえてディギオンを睨む。

「班長!!」

「アッシュ!!」

 班員達から安堵と喜びが混じった声が上がる。モウンはディギオンを見据え、空に手をかざした。

「老王がお前の捕縛許可証にサインした」

 移動中渡された書類を二枚、浮かばせる。魔王と筆頭軍師ユルグによる捕縛令状と土の総統家の者として治外法権を持つ者に対する『土の王』の捕縛許可証。そこに綴られたサインにディギオンが目を剥く。

「ディギオン・ベイリアル、魔王陛下の勅命より、お前を魔憲章九十九条異界における破壊活動防止条例違反の現行犯で捕縛する」

 モウンの声が夜闇に厳かに響いた。


 * * * * *


「……あ……」

 ぶわりと部屋に緑の匂いが濃く漂うと優香の耳にまた、あの森の主の少女の声が聞こえる。

「今度は俺にも感じた。また大きな動きがあったんだな」

「うん、多分、モウン達が到着したんだと思う」

「良かった!」

 瑞穂の顔が嬉しそうに輝く。……しかし……。

 優香は時計に目を向けた。針は午前四時を指している。

「……後、二時間……」

 後二時間ほどで夜明けだ。朝日が山の端に顔を出す時刻。それはディギオンが解放される瞬間であり、モウンが完全に石化し命を落とす瞬間でもある。

「間に合ってくれ……」

 ディギオン捕縛だけでなく、その後の石化の解呪も。

「……モウン、アッシュ、どうか無事で……」

 祈った後、優香は立ち上がった。

「優香ちゃん?」

 自分の部屋からコートを取ってくる。気を紛らわすようにせっせとベビードレスを編んでいたジゼルに

「すみません。やっぱり、このままここで待つなんて出来ません。お玉さんから渡されたポン太くんの玉を貸して貰えませんか?」

 と頼む。魔結石と法稔の玉をリンクさせる呪文は覚えている。改術魔法を使った公園でそれを使い、一番大きな力を持つ市営野球場の魔結石とリンクさせれば、皆の様子が解るかもしれない。

 ……行くことは出来ない。でも、見守るだけでもしたい。

「俺からもお願いします」

「もしかしたら、私の『思慕の花園』の力が役に立つかもしれません」

 和也と瑞穂も頼んでくれる。ジゼルが小さく息を吐いた。

「解ったわ。……私もエルゼとブライが心配だから」

 支度をし、懐中電灯を手に家を出る。とてもこの世界の命運を掛ける戦いが行われているとは思えない、静かな早春の夜の中を四人は歩き出した。


 * * * * *


『……モウン、アッシュ、どうか無事で……』

 優香の祈りと共に『贖罪の森』の浄化力をまとった剣で瘴気を打ち払う。

『シオンはこのままアッシュと共にディギオンの術の防いでくれ』

『はい!』

 次いで心語で指示を飛ばす。シオンが『真水』の氷をいくつも作り、アッシュが翼を大きく広げ、いつでも炎が放てるように身構える。

『エルゼ、玄庵、法稔はお玉達に加勢してキースの捕縛を。その後はディギオン浄化の準備をしてくれ。ブライはエルゼの守りを』

『はい』

『御意』

 四人と捕縛隊の術士がキースに向かう。ディギオンの加護に暴れていたキースがさすがに顔色を変え、逃げ出そうとするが、一瞬早く玄庵が囲った。

『セルジオスと隊長は『足』の解放を頼む』

『いいだろう』

 剣を構え直しセルジオスと隊長が『足』に向かう。まだ、祖父が許可を出したということが信じられないのか、動揺しつつも土の術を使おうとするディギオンにモウンが剣を振るった。


 玄庵が逃げられないように囲った結界の中を轟々と砂嵐が巻く。どうやらキースは風と土の術を合わせることを得意とするらしい。加護で力を得た渦は勢いを更に増し、皆を守る為、周囲に張ったエルゼと法稔の結界を押し潰そうとしていた。

「ずっとこんな感じでね。攻め切れないんだ」

 悔しげに唸るお玉に捕縛隊の隊員も頷く。キースは最初は爪で彼女と戦っていた。しかし、隊長が隊員を加勢させてからは、こうして全体攻撃の土の術で彼等を近づけないようにしている。

 隊員が土の術が使えるなら、どうにか突破出来るのだが、剣のみでは近づくのも困難だ。砂嵐には崩れた家の割れた窓ガラスも混じっている。流石にお玉の糸も流され届かない。

「術でなんとかするしかないわね……」

 エルゼがキースを見据える。彼に与えられている加護はディギオンの邪気だ。更にキース自体も邪術で力を増幅している。……ならば、それらを全部、浄化すれば後は隊員達で捕縛出来る。

「ディギオンの為に作った浄化術の簡易版でいく。玄さんはこのまま奴を逃げられないようにして下さい」

「承知した」

「法稔くん、『贖罪の森』の水の代わりに、法稔くんの浄化術の力を貸して」

「はい」

「お玉は私と法稔くんの代わりに守りをお願い」

「解ったよ」

「では、我々は奴の気を反らします」

 捕縛隊の術士が二人の隊員にまとうような防御の結界を張る。これで少しの間ならこの砂嵐の中でも動けるはずだ。法稔が浄化術を唱え始め、お玉がいくつも出した手鞠をほどいて、糸で術士達を囲う。

 エルゼが印を組む。

「いきます!」

 隊員達がキースめがけ飛び出した。


 エルゼが呪文を唱えながら印を組んでいく。

『お前さんに任せると決めたんじゃ。お前さんの一番使いやすいように術式を組みなさい』

 玄庵に言われたときから、彼女はこれを自分が最も得意とする方法で組んでいった。サキュバスは受け入れた魔力を自分のモノとして使うことが出来る。その能力を応用し、法稔の術の力を一旦受け入れ、自分のまとう『贖罪の森』の力と合わせて組み上げていく。

 ……法稔くんらしい……。

 受け取った力に思わず唇がゆるむ。若い死神の浄化力は彼の性格そのままに清く澄み切った穏やかな闇だ。それから『穏やかさ』を切り取り、全ての罪を浄化する代わりに森の中に認めた者しか寄せ付けない『贖罪の森』の『厳しさ』を加える。エルゼの術式により、強い浄化の力と恐怖を合わせ持つ漆黒の闇が生まれる。

 砂嵐の流れに乗せて、それを中心にいるキースに向ける。キースが自分に向かってくる隊員達に喜悦の笑みを浮かべながら力を振るっている。完全に気が反れている。エルゼは印を切ると一気に包み込んだ。


「なっ!? なんだっ!?」

 漆黒の闇で閉ざされた世界にキースが驚きの声を上げる。エルゼは次に浄化呪を唱え始めた。

「うわぁぁぁ!!」

 恐怖に怯える悲鳴が聞こえる。心の隙をついて、彼の中に入り込む。毒々しい塊のようなものが見える。これがディギオンが与えた加護だろう。闇で更にそれを囲う。

「ひぃっ!!」

 エルゼが再び印を切ると加護と邪気が消える。次いで彼が自分に掛けていた邪術も囲う。キースが目を剥いて叫ぶ。砂嵐が一瞬で消え、ふらりと身体を傾け、気を失ったのか、そのまま地面に落ちていく。捕縛隊の隊員がそれを追い、受け止めて縄で縛り上げる。

「浄化完了」

 小さくつぶやいて、エルゼは大きく息を吐いた。


「見事」

 玄庵が念の為、キースに封印を施す。

「サキュバス族の特性を生かした完璧な術じゃった」

 好好爺の顔でエルゼを褒めた後、顔を引き締める。隊員達にキースを頼み、法稔とお玉を呼ぶ。

 ギン! ギン! モウンとディギオン、『足』とセルジオスと隊長の激しい打ち合いは続いている。

「では、ディギオン浄化の準備に入るぞ」

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