15. 父と子の再会
「父上、母上、これでもうお会いすることはないとは思いますが、どうかお元気でお過ごし下さい」
ニキアス・ニコラウ……いや、今このときからニキアス・アンドレウとなった息子が別れの挨拶を告げる。
「ニキアスも元気で。別れても母はいつも貴方を思っていますよ」
『土の処刑人』ニコラウ家に覚悟を持って嫁いだものの、やはり息子が継ぐとなるとためらいがあったのだろう。家を出て行く息子に妻が晴れやかな笑みを浮かべる。
「一族の責務から逃れたのですから除名は致し方ありません。父上の足下にも及ばない不肖の息子ですが、誠心誠意、魔王軍に勤めさせて頂きます」
除名された者は例え嫡子と言えども、継承権、相続権を放棄し、自分自身の蓄財以外、無一文で出るのが決まりだ。しかし、セルジオスはせめてもと、彼の名で家に出入りしている仕立て屋に彼がこれから着る軍服を仕立てさせた。それを身にまとい、ニキアスが深々と頭を下げる。
「息災でな」
セルジオスもまた息子に別れの言葉を告げる。
「お別れしても私は、お役目にどこまでも忠義を通す父上をずっと尊敬しております」
ニキアスが父を眩しげに見上げる。
「私も父上のように魔王陛下にお仕え致す所存です」
名残惜しげに身を翻し、扉を出て、門をくぐり、出て行く。夫婦はその高い背が消えても、いつまでも彼を見送っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
瘴気の間から差してきた月の光がディギオンが乗る『足』の顔を照らす。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『セルジオス様!! ニキアス様の率いる隊が行方知れずに……!!』
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
家臣が血相を変えて報告して来たときの衝撃が、そのままセルジオスの胸によみがえった。
「……ニキアス……」
頭が真っ白になり、名が口から零れ落ちる。隊長が顔をこわばらせ、ディギオンがニヤリと笑った。
「どうだ。久々の父子の対面は。コレは私が遊んだ中でも、特に心も身体も頑強でな。この手で念入りに潰してやったわ!」
ディギオンが恍惚の笑みが浮かべ、両手をかざす。腰に薄布一枚まとったニキアスの身体は惨たらしい傷で埋め尽くされている。息子が彼にどんな目にあわされたかは、それが如実に物語っていた。
『貴方はあの子を愛してないの? どうして、あの方に仕え続けるの?』
残酷な噂が土の一族に流れる中、息子の死とそれでも『土の処刑人』を続ける夫を受け入れられず、精神を病んで亡くなった妻の叫びが聞こえてくる。
……私は……。
しかし、特別な任に着く一族の当主として、例え主家にどんな理不尽な目に合わされようとも辞めることは出来ない。また、そんなセルジオスを不憫に思ったのだろう。以降、老王は自分をディギオンから遠ざけていた。
……しかし……。
「自我を失ってもなお、お気に入りの『木偶』として、お前の息子はディギオン様にお仕えしている。光栄に思うが良い」
キースが主人の後ろから、あざ笑う。ニキアスの目はうつろで表情もない。身体は生きているが、心はとうに死んでしまっている。にも、関わらず、どこかまだ生前の面影を残しているのが、いっそ哀れだった。
……もしかしたら、陛下はニキアスがこうなっていることを御存知でいたのかもしれない……。
『お別れしても私は、お役目にどこまでも忠義を通す父上をずっと尊敬しております』
ようやく解った。自分は老王への忠誠の為に『処刑人』を続けていたのではない。
『処刑人』を続けるしかない自分の為に、息子の別れの言葉にすがりついて生きていたのだ。息子の声が遠くなる。
『土の処刑人』はガックリと屋上のコンクリートの床に膝をついた。
哄笑が瘴気を乗せた夜風と共に流れる。
「私を叱責し裏切った罰だ」
満足げに呟くとディギオンは剣を呼び出した。
「せめてもの慈悲だ。息子の手で殺してやろう」
剣を『足』に握らす。
「殺れ」
太い腕がゆっくりと持ち上がり、剣先がセルジオスの頭上へと落ちる。
「お止め下さい!!」
が、打ち下ろした刃はコンクリートの床を抉った。間一髪、隊長がセルジオスを抱え込み、後ろに引きずる。
「セルジオス殿はディギオン様を裏切ってなどおりません。ただひたすら老王陛下の命に従い、貴方様をお助けしようと……」
必死に言い募る隊長を紅玉の目がギロリと睨んだ。
「……お前も私を裏切るのか?」
低い怒りを込めた声に隊長が思わず、ぶるりと震える。
この方は……。
老王もまた『裏切り者』は絶対に許さなかった。しかし、彼は自分の懐にある者には断罪するまで、慈悲を掛けた。なのに、ディギオンにはその欠片すらない。
『隊長! 行くのはお止め下さい! ディギオン様……ディギオンは隊長が思っているような人物ではありません!』
ここに来る前、隊員達が自分を何とか押し止めようとしていたのはこういうことだったのだ。
この方にとって、自分の意に沿わない者は全て『裏切り者』……。
瞳に冷たい光が宿る。彼の目が自分を『敵』と見なす。セルジオス共々殺すという殺気に満ちる。
……これはもう逃げるしかない!
しっかりとセルジオスを抱える。そのまま隊長は屋上から飛び立った。
「逃げろ! 逃げろ!」
息が詰まるような濃い瘴気の中、自分の力の及ばない二市の外に向かって飛ぶ隊長を楽しげにディギオンが追う。地上の破壊した家から瓦礫を呼ぶ。家の土台の形が残ったそれを背に目がけて投げつけた。
ゴウと風を切り迫る瓦礫が、ひらりと避けられる。おそらく覆う土の気を察知しているのだろう。振り返らずに隊長は避け続ける。
「なら、これならどうだ?」
加虐の笑みを浮かべたディギオンは今度はもう少し小さな瓦礫を呼んだ。それに更に小さなものを混ぜて投げつける。
「ぐっ!!」
大きなものは上手く避けたものの、小さな瓦礫は避け切れず当たり、呻き声が上がる。唇が楽しげに歪んだ。
「ディギオン様、あやつ等をハリネズミにしてやりましょう」
背後から掛かるキースの言葉に大きく頷く。
「そうだな」
瓦礫を呼び、それを細かい破片にする。以前、ハーモン班にやったようにナイフのように鋭く尖らせ、避け切れないよう数を作る。
「いけ」
指を軽く振り、前方をひたすら飛ぶ影を指す。空を切る鋭い音がいくつも続き二人に迫る。見るも無惨に切り裂かれ、突き刺される様を想像し、ディギオンが笑みを浮べた瞬間
「浄!!」
張りのある少年の声が瘴気の中から響く。
「いっけぇぇぇ!!」
それより高めのもう一人の少年の声が上がり、空に現れた大量の水の粒が破片を打ち落とし、彼に襲い掛かった。
「大丈夫かの?」
穏やかな老爺の声と共に、背中の瓦礫の当たった痛みがひく。
「……流水玄庵……」
声の主に驚く隊長に玄庵がにっこりと笑みを向けた。
「どうして二人がディギオンに襲われているの?」
次いでマリンブルーの軍服のザリガニ少年……シオン・ウォルトンがふわりと近寄り
「何か強い精神的ショックを受けたようですね」
黒い法衣姿の死神少年……法稔がセルジオスの顔を覗き込んだ。
「捕らえたお前達が何故ここに……」
三人とも明玄の館で捕らえられ、セルジオスが捕まえた者を一時的に留置しておく私有空間に閉じ込められたはずだ。
訝しがる隊長の耳に
「玄さん! シオン! 法稔くん!」
若い女性の声が飛び込んでくる。紫の軍服姿のエルゼがお玉とブライ、そして待機を命じた三人の捕縛隊の隊員と共に飛んでくる。
「隊長! 御無事でしたか!」
「お前達……。どうしてハーモン班の者と共に」
「それは……」
やはり、このままディギオンが解放され『土の王』になるのは恐ろし過ぎると話し合った隊員達は、隊長とセルジオスを止めようと、二市に向かった。そこでエルゼ達と出会い、お玉の鏡で二人がディギオンに襲われているのを見て、助けに来たのだ。
「隊長もこれでディギオンがどういう人物か解りましたでしょう?」
部下達の言葉に隊長が顔を歪める。その横で
「三人とも無事で……」
元気そうな姿にエルゼが安堵の息を吐いた。
「とにかく、逃げましょう」
彼女に促され、再び二市の外に向けて飛び立つ。
「セルジオスに一緒に捕らわれたのが有利に働いてな」
玄庵が彼に精神回復の術を施す。明玄に魔力を奪われ、流石に空間の中で憔悴していたのだが
『ボクの水の力を玄さんの力にして』
合流したシオンの申し出で力を貰い、魔力を回復させて貰ったらしい。その後、法稔を目覚めさせ、共に出られそうな綻びがないか探っていた。
「しかし、やはりセルジオスの私有空間。中々見つからなくての」
それなら隙をついて、こじ開けて出ようとチャンスを伺っていたら、いきなり封が弱まった。
「きっと、こうなったショックで、だろうの」
痛ましげに彼に目を向ける。そして、エルゼ達と合流しようとしたところ、彼女ら同様、襲われている二人を発見した。
「しかし、あのセルジオスがここまで……」
ぐったりと脱力して隊長に抱え込まれている彼はまさに『気力が失せた』という言葉そのままだ。
「いったい、何が……」
顔をしかめたとき
「蠅が増えたか……」
楽しげな声が後ろから聞こえてきた。どろりと濃い瘴気が後ろから近づいてくる。ぶわりとそれが解け、中から『足』に仁王立ちしたディギオンとキースが現れた。
「やはり、私の浄化術ではかすりもしませんでしたか……」
先程のシオンの水の粒は彼の呼び出した『真水』に法稔の術で浄化の力を付与したものだ。破片には対抗出来たものの、ディギオンは自分の瘴気を盾にしたらしく平然としている。
「……ニキアス隊長……」
『足』を見てブライが呻く。
「誰?」
「セルジオスの御子息です」
苦しげな声に周囲が絶句した。
「……なるほど、封が弱まるわけじゃな」
こんな我が子の成れの果てを見せられては……。玄庵は隊長達の前に出ると印を組んだ。
「ここは儂等に任せて、お前達はこのまま二市の外に逃げなさい」
その前にシオンが二刀の青龍刀を出して構え、彼に掛ける補助魔法の呪文を唱えながら、斜め後ろにエルゼが着く。
反対側には刀に浄化の力を付与させるべく法稔が。その横には手鞠をほどき、両手に拠った太い糸を巻きつけたお玉が着いた。
「ブライさんは無理しないでおくれ」
「すみません……」
お玉の声に、ディギオンとニキアスの姿に震えが止まらなくなったブライがせめてもとエルゼと玄庵を守るべく戦斧を構える。
「何故、我々を助ける」
自分達が逃げ切る間、ディギオンを止めようとする彼等に隊長が訊く。
「何故って……」
喜悦の視線にぶるりと身体を震わせながらも、シオンは真っ直ぐにディギオンを睨んだ。
「ボク達は魔族の自分勝手な『破壊』を防ぐのが任務だから」
ぎゅっと刀を握る。
「その相手がさっきまで敵だった魔族でも守る。班長ならきっとそうする」
* * * * *
眠れないまま、こたつで動画配信を見ていた優香の耳に
『これを哀しい人を増やさない為に使って下さい』
また声が聞こえる。
「……あ」
「どうしたの? 優香ちゃん」
スマホから顔を上げて訊く瑞穂に
「今、森の主の女の子の声が……」
耳を押さえる。微かに鼻先を緑の木々の匂いが漂った。
「戦いが始まったのかしら?」
三人にホットミルクを作って持ってきたジゼルが心配げに窓の外の闇を見る。和也が時計に目をやった。小さな卓上時計の針は午前二時を指している。多分、以前同様、エルゼ達になにかあり、それに小瓶の水が反応して、優香に聞こえたのだろう。
「班長とアッシュさんが到着したのかな?」
「そこまでは解らないけど……」
なんとなくだが、まだ着いてはいない気がする。それに嫌な胸騒ぎがする。優香は胸の前で手を組んだ。
「……皆、どうか無事で戻ってきますように……」
* * * * *
『皆、どうか無事で戻ってきますように』
優香の祈りの声が聞こえる。ぶわりと木々の緑の匂いが彼等を包んだ。
「これは……!」
「ハーモン班の決意と優香ちゃんの祈りに『贖罪の森』の水が反応して力を貸してくれたんだ」
ディギオンがまた地上から瓦礫を呼ぶ。シオンが『真水』を召還し、粒にして皆を囲う。更にそれに木々の葉から滴り落ちる滴をイメージして、森の浄化の力を溶け込ませた。
飛んできた鋭い瓦礫の破片を『真水』の粒が打ち砕く。エルゼがシオンに力と速さを上げる術を掛ける。緑の風が彼を包む。以前同様、まずシオンは風をまとい『足』向かった。
右腕を再生したキースが飛び掛かってくる。
「あんたの相手はあたしだよ!」
お玉が拠った太い糸をキースに投げる。蛇のようにくねりながら糸が捕らえようと彼に向かう。
ギン!! シオンの刀とニキアスの剣が打ち合う。シオンが打ち負け、大きく横に流れる。ゲオルゲとニキアスではニキアスの方が力も強く、隙がない。息を吐き出し、再度、今度は前に刀を突き出す。
その彼をディギオンの呼んだ瓦礫が襲う。が、パァン!! 瓦礫はシオンの直前で森の力を乗せた二重の結界に阻まれ砕け散る。玄庵と法稔の合わせ術だ。二市の『神』であるディギオンの力に二人の術で防いでいく。
「ほう……。蠅も少しはやるな。楽しませて貰おう」
ディギオンの顔がにやりと歪んだ。
彼等の戦いを見て、隊長は顔をしかめて首を横に振った。『贖罪の森』の力を得たものの主戦力の班長と副長が欠けては、どうしても戦力に乏しい。しかもディギオンは『遊んでいる』。
「セルジオス殿を頼めるか?」
隊長はブライにセルジオスを渡した。振り返り、自分と同じく足を止めたままの隊員達に向く。
「これは私個人の命だ。嫌なら従う必要は無い」
そう前置きし、命を下す。
「これより、我が捕縛隊は『土の一族』として動く。『土の者』としてハーモン班に協力し、ディギオンの『土の王』就任を阻止する」
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