14. 決戦の夜
夕刻の淡いオレンジの光がリビングの大きな窓から差し込んでくる。いつもどおり洗濯物を畳むブライとジゼルの横で、お玉が後輩からの連絡の途絶えたスマホを眺めている。エルゼはこたつで『贖罪の森』の水の入った小瓶を横にもう一度浄化術を確認している。その隣では
「うん、私、今日はこのまま夕御飯を御馳走になって、エルゼさんとこに泊まるから。明日の朝に帰るね」
どうしても今夜はここにいたいと頼み込んだ瑞穂が、家族に連絡を入れていた。
「はい、エルゼ姉さん」
冷え始めた室内に優香が皆に温かなお茶を淹れて持ってくる。
「ありがとう、優香。……ごめんね、瑞穂にも和也にも心配を掛けて……」
「まあ、確かに気になるから、オレもここにいるわけだけど……」
先程、自分もこちらに泊まると連絡した和也が茶をすすりながら苦笑した。
「実感が全くないというのもあるけど、実はそう心配はしてないんだ」
そう言って彼は先程から何度もタップしている自分のスマホの画面をエルゼに見せた。
「班長なら、皆なら何とかしてくれるんじゃないかって」
魔術師達のトーク画面。そこには班員達を心配する言葉や励ます言葉がずらりと並んでいる。
「きっと魔術師達はみんな同じ気持ちだと思うよ」
和也の言葉に電話を終えた瑞穂も頷いた。魔術師のほとんどが和也や瑞穂のように、今までハーモン班の面々に助けて貰った経験を持つ。もしかしたら明日の朝を向かえることが出来ないかもしれないという状態なのに、まず自分達への心配の言葉が出てくるのは、モウン達が彼等にしてきた積み重ねに対する信頼の証だ。
「ありがとう」
エルゼが瞳を潤ませる。
「私一人でも必ず、この世界をディギオンから守るわ」
そう改めて決意する彼女の前の小瓶の水がきらきらと光った。
『これを哀しい人を増やさない為に使って下さい』
優香が耳を少女の声が聞こえる。
「『贖罪の森』の水がエルゼの決意に反応したんだ」
お玉がやってきて小瓶を持ち上げた。
「優香ちゃん、何か聞こえたのかい?」
「うん。実はブライさんのときから度々少女の声が聞こえてる」
「そうかい」
お玉が瞳を猫に戻した。
「多分、森の主フェリス様の想いと優香ちゃんが干渉し合っているのかもしれないね」
フェリスはこの世界でいうと十四歳くらいの女の子だ。その想いが特に同世代の少女に強い感応力の持つ優香に声として聞こえているらしい。小瓶の水はまだ揺れながらきらきらと光っている。
「あ……」
『これを哀しい人を増やさない為に使って下さい』
また声が聞こえる。
きらきら、ゆらゆら。更に森の中にいるような緑の匂いも流れてくる。
「なんだろう? 何かにかは解らないがすごく反応している。もしかしたらモウンとアッシュに何か動きがあったのかもしれない」
* * * * *
三月五日、午前0時。いよいよ麿様が甦り、ディギオンの封印が解け、モウンが完全に石と化す日。闇に沈んだ立ち入り禁止区域の街の手前に、一台のタクシーが停まった。中から厚着をした女性と着物姿の女性、大柄な筋肉質の男性が降りる。タクシーは客を降ろすとバックし、無人の住宅地を後にした。
「寒くないかい、エルゼ」
しっかりとマフラーを巻き付けるエルゼに道行きコートを羽織ったお玉が声を掛ける。
「ええ、厚着してきたから」
魔気を押さえ、慎重にディギオンが閉じ込められている土童神社に続く道を歩く二人の後を、戦斧を担いだブライが追う。
「優香達は大人しくしているかしら?」
姉のジゼルと共に貸家で待つ少年、少女達も今夜は眠れないだろう。
『エルゼ姉さん、気をつけて。どうか皆、無事で戻ってきますように』
心配げに自分達を見送り、祈りを捧げた優香の顔を思い浮かべながら、エルゼはほうと息を吐いた。
麿様が目覚める、今日の夜明けの時刻は午前六時七分頃。
「……夜明けまでにはきっと……」
班長とアッシュが帰ってきてくれるだろう。それでもダメな場合は……。
立ち入り禁止の街を見、唇を引き結ぶ。この道の上を真っ直ぐに飛んで、土童神社に向かい、術を仕掛ける。
……それまで、セルジオスに見つからないように……。
冷えた夜気に母を気遣って、火精を飛ばそうとするお腹の子を押さえる。
「……大丈夫。きっと、お父さんが来てくれるから」
そっと無人の住宅の軒下に隠れ、エルゼは下腹を優しく撫でた。
* * * * *
春先とはいえ、しんしんと冷える深夜。セルジオスは土童神社が見下ろせる高いビルの屋上に立っていた。下弦一歩手前の月が東から登ってくる。
セルジオスの元には老王の隠居所から二人が解放された知らせが入っている。更に懲罰委員会を使って、事実をねじ曲げ、ハーモン班全員の捕縛と収監の命を出したことも明らかになった。
『全ての罪を儂が被る。セルジオス、すまん。ディギオンを頼む』
再度下された命を頭で繰り返し、差してきた光の下、紫の闇のたぐまる神社を見る。
「御意」
小さく頭を垂れる。そのとき「セルジオス殿」背後の土の気が湧き、声が掛かった。
「隊長……」
捕縛隊の隊長が立っている。すでに命令は撤回されているだろうに……訝しがるセルジオスに隊長は小さく苦笑すると隣に立った。
「私も老王陛下にはひとかたならぬ御恩を賜りました」
隊員達には待機を命じ、一人、その恩に報いる為にやってきたらしい。
「今回の件で老王陛下は罰せられ、完全引退するしかなくなるでしょう。だから、あの方の最後の願いを叶えて差し上げたいのです」
「隊長はディギオン様が恐ろしくはないのか?」
気分一つで味方すら襲う男だ。その結果、魔界に二人を連行した隊員も、更に懲罰委員会の一部の者も、ユルグ側についた。
「ここまで老王が『土の王』にとこだわられる方です。きっと、本当は良い御方なのでしょう」
願うように答えて、隊長は反対にセルジオスに問うてきた。
「セルジオス殿こそ何故、ここまでディギオン様を?」
「私は老王の『処刑人』……」
「しかし、あの『ニキアス・アンドレウ隊の悲劇』で御子息はディギオン様に殺害されたと聞いてます。その詫びもあって老王陛下は今までディギオン様が関わる事案に貴殿を関与させなかったと」
『お別れしても私は、お役目にどこまでも忠義を通す父上をずっと尊敬しております』
セルジオスは彼の視線から目を反らすと星の瞬く空を見上げた。
「……余計なことを尋ねました。すみません……」
隊長が謝る。彼を目で宥めた後、セルジオスは眉根を寄せた。土童神社の闇が高ぶっている。
「……ディギオン様に何か……?」
今まで神域に留まっていた紫の闇が鎮守の森を枯らし、鳥居からあふれ出す。
ズン……!! 大地が大きく揺れた。
* * * * *
「なんだい!?」
突然、立ち入り禁止地区を襲った揺れと吹き出た大量の瘴気に、本性の猫型獣人に戻ったお玉が毛を逆立てる。余波に揺れる地面に転びそうになったエルゼをブライが支える。三人は隠れていた家の敷地から飛び出した。家の前から土童神社へと向かう道を駆け下るように瘴気が降りてくる。
「これは……!!」
この毒々しい瘴気は、間違いなくディギオンのものだ。お玉が居場所がバレるのを承知で鞠を出す。極彩色のかがり糸で身を守る為の結界を張る。
「まさか、ディギオンが解放されたのかい!?」
しかし、瘴気は立ち入り禁止のテープの前で何かに遮られたように堰止まった。流れる勢いのまま二市を覆うように上空へと昇っていく。
「……解放はされてないようね……」
エルゼがほっと息をつく。ディギオンの瘴気が二市以外には出られないということは、奴がまだ『囚われの神』のままであるということだ。
「でも、これだけの瘴気が溢れているということは……もしかして奴がまた『足』を得て、土童神社の神域から出たのでは……」
「とにかく、様子を見てみよう」
お玉が懐から鏡を出した。ケヴィンに頼まれて作った『籠目』の術布。その『籠目』を通して、中の様子を見る。お玉がとんとんと鏡の縁を指で叩いて次々と視点を切り替えていく。鏡に影が四つ浮かぶ。手前にいるのはセルジオスと捕縛隊の隊長。そして、奥には以前のように『足』にした者の肩に立ち、哄笑しているディギオンと後ろに控えて飛ぶキースがいた。
「……たく、また厄介なことになったねぇ。でも、キースが『足』になったわけではないようだ」
だとすると捕縛隊の隊員の誰かだろうか? お玉が鏡を撫でて像を拡大していく。『足』は筋肉質の背の高い男ようだ。腰をわずかに隠す布のみを着けた、ほぼ全裸に近い格好から逞しい身体つきが伺える。
「……誰だろう? 見覚えがある……。お玉さん、もう少し顔をはっきりと見せてくれませんか?」
鏡をのぞき込んだブライが頼む。頷いて、お玉が更に像を大きくする。そのとき、沸き立つ瘴気の間から月の光が差し込み、『足』の顔を照らした。
精悍だが穏やかな気性が感じられる顔立ちだ。ゲオルゲ同様、目はうつろで、口端から涎を垂らしている。自我がもう無いのだろう。しかし何故か気品がまだそこには残っているようにも見えた。
「…………!!」
ブライが息を飲む。
「……ニキアス隊長……!」
悲痛な叫びが彼の分厚い唇から放たれた。
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