13. 解放

 臭い雨が止み、久しぶりの清々しい朝の空に呑気な小鳥の鳴声が響く。今日の天気は曇りのち晴れ。気温は十二度くらいになるらしい。お天気キャスターの溌剌とした声を聞きながら、優香は白い筋のような雲の浮かぶ青空を窓から見上げていた。

『三月四日の7時のニュースです』

 画面で若い男女のアナウンサーがお辞儀をした後、ニュースを読み始める。

 ディギオンが解放されるまで残り一日。しかし、未だにケヴィンからモウン達が解放されたという連絡は無く、玄庵、シオン、法稔とも連絡が取れない。

 昨日の朝

『雨の気が変わったわ。玄さんに何かあって、明玄が正気に返ったみたい』

 とエルゼが皆に魔力と魔気を極力押さえるように言った後、昼前に突然雨が上がり、青空が戻ってきた。

『法稔とシオンが明玄をしとめたんだろう。しかし……あのセルジオス相手だ。二人ともただでは済まなかっただろうね』

 陽の光に目を細めたお玉の言葉どおり、雨はその後降ることはなく、二人から連絡もぷつりと途絶えた。

『きっと二人は自分達を犠牲にしてでも私を守る為に頑張ってくれたんだわ』

 現段階で浄化術を使える唯一の術士、ということもあるだろうが、あの二人のことだ。エルゼとお腹の赤ちゃんを守りたいという想いもあったのだろう。二人の想いに共鳴したのか、空を見上げる優香の耳に

『これを哀しい人を増やさない為に使って下さい』

 森の主の少女の声が聞こえ、しばらく緑の木々の匂いが漂っていた。

 そして一夜が明け……。

「エルゼ姉さん、モウン達まだかな……?」

 窓から振り返り、ジゼルやブライと朝ご飯を作っているエルゼに尋ねる。じっとしていると余計なことを考えてしまうからと、こまごまと動き回っている彼女が黙って水晶玉を見る。

「最悪、あたしとブライさんで護衛をしてエルゼに術を使って貰うしかないね」

 連絡の来ないスマホを眺めながらお玉が唸る。しかし、ブライは戦えるようになったとはいえ、長く戦闘から離れていたし、お玉も後輩ほどではないが、特段、戦いが得意なわけではない。セルジオス相手では厳しいことになるだろう。

 ……モウンが早く帰ってきますように……。

 朝の空に向かいすがるように、また祈りを捧げたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「おはようございます! 朝早くにすみません!」

 続いてインターフォンから富田とみた瑞穂みずほの声が聞こえる。生き返りを経験し、冥界の浄化地『思慕の花園』からこんこんと力が湧き出る存在になってしまった彼女は、麿様の庇護下で巫女を務めている。

「はあい!」

 忙しそうな皆に優香は玄関まで行き、ドアの鍵とチェーンを開けた。ひんやりとした澄んだ空気が入ってくる。

「おはよう、瑞穂さん」

 ドアの前の瑞穂の隣には和也も立っていた。

「すまん、本当はあまり来てはいけないって解っているんだけど……」

 和也も連続少女襲撃事件が解決した後、麿様の使いを務めている。

「実は今朝の夢で麿様からお告げがあったの」

 明け方の微睡みの中、二人はほぼ同時に同じ麿様の夢を見たという。

「『明日、啓蟄の日の夜明け。山の端に朝日が覗く頃、麿は目覚める』そう皆に伝えてくれって」


 * * * * *


 ぴちょん……ぴちょん……。

 閉ざされて、丸一日以上は経っているだろう土牢に水滴の滴り落ちる音が響く。黙って目を閉じ、心身の回復に集中していたモウンが目を開ける。赤い瞳で周囲を見回し、閉じる前と同じく、何の変化も無いことを確認すると彼は自分の顎を撫でた。

 ザリ……。

 ざらついた石肌をこするような音が響く。

「石化が止まった。後、残り一日だな」

 モウンの言葉にアッシュが息を飲む。

『麿様が最後の最後まで動けるようにして下さると言っていた』

 最終日にこれ以上進むことのないように石化を止めてくれたらしい。

「……班長……」

 しかし、ずっと兄の火気は感じるものの、土牢が開く気配は無い。長年、数々の政敵を囚らえ続けてきた牢はボリスの兵が手を尽くしても発見は難しいようだ。

 このまま残りの班員だけでディギオンを浄化するのは無理があり過ぎる。麿様が目覚め、ディギオンが解放されれば、優香達の世界が『破壊』されるのは確実だ。更に。

「それでは、後一日で班長も……」

 『常世の神』に対する封呪の反呪で完全に石化してしまっては、あの解呪を得意とする冥界すら元に戻すのは不可能だという。

「俺のことは良い。今はとにかく破防班としての務めを果たさないと」

 モウンの諭すような声にアッシュはぐっと奥歯を噛んだ。

「エディ兄さん……ケヴィン兄さん……」

 二人の兄の名をつぶやく。そして。

「エルゼ……」

 妻とまだ見ない子に祈るように手を組んだとき、モウンの黒い耳がピクリと動いた。

「まだ鳴っているな」

「はい?」

「水の音だ」

 モウンが自分達のいる牢内を見回した後、立ち上がり鉄格子の外を見る。

「ノエン殿、そちらに水の溜まったような跡はありますか?」

 隣の牢に呼びかけると、ごそごそと動く音の後「目に見える範囲ではありませんな」返事が返った。黒い耳を動かしつつ、音の方向を探る。

「……上か……」

「どうかしましたか? 班長」

「この水音は牢が封じられた後からずっとしている」

 ……ぴちょん……ぴちょん……。モウンが天井を見上げた。

「もしかしたら、この水は『滴っている』のではなく、牢を外から『うがとう』としているのかもしれん」

 モウンは牢の壁に手を当てた。土を伝って音を探ろうとする。しかし……。

「それすら使えないようにしてあるか……」

 老王が牢に込めた封呪に阻まれる。そのとき、モウンを緑の木々の匂いが包んだ。

『これを哀しい人を増やさない為に使って下さい』

『……モウンが早く帰ってきますように……』

「……優香……」

 二つの声に導かれるように手に力を込める。土の中を進む植物の根をイメージして、モウンはそれを上へと伸ばした。


 * * * * *


 エドワードとアルベルトがボリスとボリス配下の兵達とやってきて三日目の朝。朝食のテーブルの空席に老王はにやりと笑った。

 自分の城を離れて、丸二日と半日。病弱なアルベルトはとうとう体力の限界を迎えたらしい。

「お部屋にお迎えに上がったのですが、お返事がありませんでした」

 屋敷の従者の報告に笑みつつ、エドワードとボリスを交互に見る。

「どうやら体調を崩されたようだな。これはそろそろ帰って頂かないと」

 過去の因縁があるアルベルトを帰れば、残り二人にも何かと理由を付けて追い出せる。まだモウン達を閉じ込めた牢が発見されてないことを確認し、今朝、セルジオスからもたらされた報告を思い返す。

 明玄が魔力を失ったのは痛いが、こちらも班員二名と協力者の死神を捕まえられた。残りは後、サキュバスの術士と死神一人。彼ならどうにでも出来よう。

 朝食を終えると老王は立ち上がり、二人を促した。

「さて、アルベルト殿の様子を見に行こう」

 食堂を出、二階の客用寝室まで磨き抜かれた床に紫の毛足の長い絨毯を敷いた廊下を歩いていく。廊下にはまだ調査中のボリスの兵達がいた。交代で休みながら土牢を捜しているらしい。この状態でも地道に続ける様子の内心唸る。

 ……小奴等はディギオンの兵にこそふさわしいな……。

 現在、ディギオンの私兵は全員、自分に罰せられたか、ボリス達の元に逃げている。

 ボリスから召し上げ、ディギオンの元に。いや、ボリスごとあの子に仕えさせるのも良いかもしれん。

 小癪だがボリスの反撃は見事だった。彼ならディギオンの片腕になれるだろう。彼等を従え『土の王』となった愛しの孫を想像する。

 昔、当時の筆頭軍師デュオスと覇権を争っていたとき、その闘争に己の全てをつぎ込み、家族をないがしろにした老王には息子も娘も孫達も誰も近寄らなかった。

『おじい様、私はおじい様が大好きです』

 そう言って、よく王都の屋敷に遊びにきてくれていた、あの天使のようなディギオン以外は。

 ……あのときから決めていたのだ。『土の王』をあの子に継がすと……。

 その夢ももうすぐ叶う。階段を上り、並ぶ客用寝室のアルベルトの部屋の扉をノックする。老王はほくそ笑みながら、声を掛けた。

「アルベルト殿、朝食の席に来られなかったが、どうされた? 身体の具合でも悪いのかな?」

 ノブに手を掛け、回しながら押し開ける。豪奢な隠居所の寝室の装具が見える。そのベッドにアルベルトがここに来たときより、数段白い顔で座っていた。

「ああ、やはりそうだったのか。アルベルト殿は自身の城でないと体調を崩すされると聞く。そろそろお帰りになられたほうが……」

 嬉々として述べる老王の声を遮り、アルベルトは一緒に部屋に入ってきたエドワードとボリスににっこりと笑みを向けた。

「エディ、ボリス殿。ハーモン殿とアッシュを見つけたよ」


「なっ……!?」

 老王が絶句する。

「幼い頃から自由に動くことの出来ない身体の代わりに、私は水の力を使って領内を見て回っていたのですよ」

 アルベルトが白い触手を掲げる。その先には丸い手のひら大の水球が乗っていた。

 中に何かが映り込んでいる。四方を土壁に囲まれた牢。その鉄格子の向こうにモウンとアッシュ、ノエンがいる。

「良かった、三人とも元気そうだ。さすが老王の牢とあって、探り着くまで時間が掛かったよ。彼等の想いに共鳴した『贖罪の森』の力を、ハーモン殿が使ってくれなかったら見つからなかったかもしれない」

 ほっと息をついてアルベルトが水球をボリスに差し出す。ボリスが礼を言って受け取ると彼は脱力したようにベッドに倒れ込んだ。

「私の兵は実は老王おじいさまと館の者の気を引くおとりだったのですよ」

 勿論、しっかりと捜査はしていたが、大勢の兵を連れてきたのはアルベルトの探索の攪乱目的でもあったのだ。

「アル、よくやった」

 エドワードがアルベルト額に手を置く。さすがに疲れたのだろう。発熱している。顔をしかめると

「三人を助け出したら、すぐにナディアの元に戻ろう」

 今頃、身を刻む想いで心配しているだろう彼の妻の名を出し、身体にそっと布団を掛けた。

「今、土の術を穿つ為に探索に使っていた『真水』を普通の水に変えたよ」

「解った」

 エドワードが水球に声を掛ける。

「アッシュ、聞こえるか?」

『エディ兄さん!?』

 水球の中の末弟がぱっと顔を明るくして天井を見上げる。

「お前の火気を一気に天井に向かわせろ。アルがそこに水を貯めている」

『解った!!』

 モウンとノエンに出来るだけ天井から離れるように注意してから、アッシュが壁に手を当てる。ぐっと力を込めたとき、ドォウゥゥン!! 庭から爆発音が響いた。


 小さいながらもシメントリーに美しく整えられた隠居所の庭にもうもうと白煙が立つ。彫刻が施されたガゼボが転がる向こう、刈り込まれた芝生に大穴が開き、黒い土が飛び散っていた。アッシュが一気に火気で水を沸騰させ爆発を起こしたのだ。

 老王にエドワード、ボリスと館の使用人やボリスの兵が屋敷から出て集まるなか、穴から人影が三つ飛び出してくる。その様子に

「これで『土の老王』と懲罰委員会が癒着していたのは決定的だね」

 明るい声が響いた。

「ケヴィン、しっかりと撮ったか?」

「勿論だよ。兄さん」

 エドワードの確認にケヴィンが記録用の水晶球をかざした。弟の身を心配して彼もこの二日と半日、屋敷の近くに張り込んでいたのだ。

「ケヴィン兄さん!」

「アッシュ、話は後だ。とにかく今は急いで班長と戻るんだ」

 次兄が二人に取り上げられていた剣を渡す。剣を掃きアッシュが力を込める。後頭部に角が突き出、背中に翼が広がる。サラマンドラ族の本来の姿、第二形態の竜人。トカゲ姿より、圧倒的に飛行能力に勝る姿に変える。

 ボリスがモウンの前に進み出る。顎の下まで石化した姿に痛ましげに顔をしかめ

「土の一族の総統代理として、ハーモン殿に心より謝罪する」

 深々と頭を下げる。

「その上で厚かましいことを承知でお願いする。かの世界が『破壊』されぬようディギオンの捕縛を頼む」

「私はまだ認めておらぬ!!」

 背後から掛かる祖父の声を無視し、ボリスは再び頭を下げた。

「承知致しました」

 モウンが敬礼を返す。

「班長、オレの背に捕まって下さい!」

 アッシュに呼ばれ、背に掴まる。バサリ、翼が大きくはためき、二人の身体が空に浮く。そのまま、二人は一気に上空に飛び上がると、空の向こうに消えた。

「さて」

 エドワードがわなわなと震える老王をちらりと見て、ケヴィンとボリスに声を掛けた。

「後は奴の捕縛許可だな」

「用意してあります」

 ボリスが懐から書状を取り出す。土の総統家として治外法権を持つディギオンの捕縛許可書。彼の場合、これに後見人である老王のサインがいる。ケヴィンが今度は水晶玉に『破壊』された街を映した。ディギオンが『神』として君臨する二市だ。そこにモウンとアッシュが捕まる前、仕掛けておいた、お玉の術布からの映像を出す。

「これでオレとボリス様で老王の『幻想』を打ち砕く」

「頼んだ。私は今からアルを城に帰した後、ユルグ様の許可を得て、かの世界に私の隊を率いて向かう」

「承知しました」

 エドワードが足早に屋敷に戻る。ボリスは老王の腕を取った。

老王おじいさま、貴方には、これでじっくりディギオンの所業を見て頂きましょう」


 * * * * *


「さっさとしろ! こののろまが!」

 ディギオンの『おもちゃ』のみが残った『島の別荘』の廊下をキースがよたよたと動く大柄な影を連れて歩いていく。

 世話をする者がいなくなり、『おもちゃ』達もほとんどが死んだか、衰弱しているのだろう。静かな別荘には二人の足音しかしない。『木偶』も弱っていたが、術を掛けまくり、なんとか動けるまでに回復させた。それでもよろける『木偶』にキースが後ろから蹴りを入れる。

 『木偶』が二、三歩、歩いて止まる。そこはディギオンが移動に使う転移術の魔法陣の部屋だった。ドアを明けて、『木偶』を引っ張り込む。窓から見える光に照らされた眩しい海にキースは一つ舌打ちをした。

「思った以上に時間が掛かってしまった……」

 向こう世界はもう夜になっているだろう。

 魔法陣はディギオンが最後に使ったまま、土童神社の境内の手前に座標が設定されている。キースは『木偶』と共に陣の中央に立った。

「行くぞ。『木偶』」

 『木偶』はぼんやりと立っている。『足』になったゲオルゲ同様、『木偶』には意思が無い。度重なるディギオンの非道で心が壊れてしまっているのだ。

 そういうモノはこの『島の別荘』には大勢いる。大概はその後ディギオンの魔力を吸われ、海に捨てられるが、彼のように頑強なものは、ディギオンの手駒として『おもちゃ』の相手をさせられる。『木偶』はその手駒の中でも、特にディギオンのお気に入りだった。

 キースが片手で印を組み、呪文を唱える。魔法陣が光を帯び、発動する。

「喜べ。お前はディギオン様解放までの『足』になるのだ」

 光が満ちる。陣の上の二人が消えた。

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