12. 水の魔力
玄庵が術の指導を行う私有空間にも外の雨音が響いている。休憩所である小さな
まずはトークアプリに自分が無事でいることを書き込む。そのメッセージ欄の『まだ班長が見つかったという連絡はないわ』のエルゼの書き込みに第二触角を下げ、パンの残りを口に押し込んだ。
おとりとして逃げ回り続けて三日目。いよいよ明日がディギオンが目覚める日の前日だ。
「このままだと明日になってしまうなぁ……」
もしものときの為に一日くらいの余裕が欲しかったが、流石にセルジオスがこちらに来ている状態で、自分達だけで浄化術を施すのは無謀だ。
ディギオンに直接、術を掛けるとなるとさすがに捕縛隊も黙ってないだろうし……。
口の中のパンをカフェラテで飲み込み、庵に上がる。障子を開け、気を整える為に瞑想をしていた法稔に
「そろそろ行くよ」
呼びかける。しかし法稔は目を閉じたまま、鼻とひげをひくつかせた。
「雨の気が変わった。明玄が正気に戻ったな」
「えっ!?」
ピンと第一触角が立つ。
「じゃあ、玄さんは!?」
「術が破れたということは……多分、セルジオスに捕まったのだろう」
「……そんな……」
息を飲むシオンの前で、法稔の茶色の耳がぴくぴくと動いた。
「明玄の気がシオンからそれた。奴がエルゼさんを捜し始めたようだ」
「それはマズイよ!!」
あのエルゼのことだから、そう簡単には見つからないと思うが、やらせているのはセルジオスだ。見つかったら最後、捕まえられてしまう。
「……どうしよう……」
シオンはぺたんと畳の上に座り込んだ。悔しいが、今からエルゼのところに向かい自分と法稔が護衛に加わったとしても刃が立たない。
だとしたら……。
『今は奴の『身勝手な』『破壊』から、この世界を守ることを優先してくれ』
自身の石化が進む中で告げた班長の言葉を思い起こす。
破防班として、まず、この世界を守る為に一番良い方法を探さないと……。
シオンはぐっと拳を握り、顔を上げた。
「ボクじゃ、セルジオスにはかなわない。だから、せめて明玄の力を削ぐ」
明玄さえ押さえられれば、これまで同様エルゼの居場所が見つかることはない。とにかくモウンとアッシュが帰ってくるまで、彼女の発見を遅らせる。
「私もそれが一番だと思う」
「……だから、悪いけど……」
その後は間違いなく自分は捕まることになるだろう。そんな作戦に冥界人である法稔を付き合わせるのは心苦しい。でも、絶対に一人では不可能だ。おそるおそる顔を伺うと、友人はにっと笑った。
「勿論、協力する。いや、協力させてくれ。私も自分が担当する世界が『破壊』されるのは絶対に避けたいし、そうなった後、優香さん達を冥界に連れて逝きたくはない」
過激派時代、その世界の破防班と死神が協力して尽力したにも関わらず、『破壊』された世界がいくつもあったという。その後、彼等死神は血を吐く思いで知り合いを冥界に連れて逝った。自分達が敗れるということは『そういうこと』なのだ。改めて自覚し、ぶるりと身震いをする。
「ありがとう。ところで明玄の居場所は解る?」
「勿論だ。あれだけ強い術を何日も使い続けていたからな。場所の特定は出来ている。しかし、セルジオスも一緒にいるぞ」
「だろうね……」
どう彼をいなし、明玄と対峙するか。細い腕を組むシオンに法稔は懐から数珠を出した。
「いくら正気に戻ったとはいえ、まだ明玄はお前の水の魔力を欲しがっている。それを利用出来ないか?」
「だったら、意表を突くように……」
シオンの頭に案が閃く。二人は額を付き合わせ策を練り始めた。
* * * * *
白い霧が覆う、明玄の私有空間の屋敷の庭にセルジオスは佇んでいた。サキュバスの術士は雨の質が変わったのを感じ取ったのか、魔力と魔気を最小限に押さえているらしく、なかなか見つからないという。
『集中したいから、少し席を外してくれ』
そう言われて研究室を出てきたものの、まだ完全に信用していない彼はこっそりと、自分の魔力から作り出した小さなベヒモスの魔生物を部屋に置いてきた。
それを通して、明玄の様子を伺う。ここに来たとき同様、デスクに座り、指を組み、呪文を唱えている姿は一見、真面目に任を遂行しているようだ。
少なくとも残り二人を捕まえるまでは大人しく言うとおりにするつもりか。
視界をまた庭に切り変えたとき、ふいに目の前の霧が流れた。白い世界に溶け込むように崩れかけた屋敷の塀。その前に赤とマリンブルーの色彩が現れる。
咄嗟にセルジオスは剣を鞘ごと抜き、振るった。何かを弾いたような手応えを感じ、振り抜いた剣を寄せる。斜めに構えると赤い大きな爪が現れ、鞘をがしりと掴んだ。
「ハーモン班のシオン・ウォルトンだな」
柄を引き、剣を抜く。刀身で次に切り掛かってきた刀を弾く。左手を振り、周囲の霧を払う。庭の池のほとりでマリンブルーの軍服のザリガニ少年兵が掴んだ剣の鞘を投げ捨て、大きな二つ爪と二刀の青龍刀を構える。
「まさか、自分からやってくるとはな」
訝しがるセルジオスにシオンが無言で切り掛かった。
ハサミを剣で弾くと、すかさず刀が横なぎに襲ってくる。それを押さえると今度は上から、もう片方のハサミが降ってきた。刀を押し返し、後ろに飛び退いて距離を取る。
……流石、あの班長と副長に鍛えられているだけはある。
攻撃の手数とトリッキーな動きはなかなかのものだ。
だが……。
大体のパターンは読めたな。
やはりそこはある程度、癖のような攻撃のパターンがある。数回の交合でセルジオスはそれを読み切った。老王の普通の私兵相手なら互角以上に戦えるだろうが、自分からはやはり戦闘経験の少なさからの拙さがみえる。
これなら、少しこちらの攻撃の手を強めれば間違いなく勝てる。
そう確信しながらも、セルジオスはシオンと打ち合っていた。
さっき、彼は全く気付かせることなく、突然この空間に現れた。キースの情報によると、この少年兵は術をそれほど得意とはしていない。だとすると腕の良い術士によって、場に送り込まれたに違いない。
……ならば、勝ち目の無い自分のところにやってきたのも理解出来る。
彼はおとりで、その術士が本命。術士はおそらくハーモン班に協力している死神の少年法師だろう。
『明玄、屋敷に例の死神少年が入り込んだ。気を付けろ』
明玄に心語で警戒を促す。
二人の狙いは自分ではなく明玄。サキュバスの術士の探索を止める為、明玄の魔力をもう一度、浄化しに来たのだ。
シオンの微妙に緩急をつけた四度の攻撃をしのぐ。戦いつつ、セルジオスは死神少年の気配を探った。
『明玄、屋敷に例の死神少年が入り込んだ。気を付けろ』
セルジオスからの忠告を明玄は上の空で受けた。追い求めた少年兵が私有空間に来て、すぐに彼はその鮮烈な水の魔力に心を奪われた。セルジオスには師に操られていたと言われたが、自分がこの魔力を心の底から欲していたことを痛感したのだ。
しかもクラーケン族並と言われているだけあって、師とは比べものにならないほど強大だ。
「この少年兵を『生き人形』に出来れば、もう老王やディギオンに頭を垂れなくても、好きなだけ思う存分、術が使える」
明玄はにんまりと笑った。
ここは自分の私有空間、己の支配域だ。セルジオスに言われるまでもなく、死神少年の居場所は捉えている。
……死神をセルジオスに始末させ、その隙にあの少年兵を……。
明玄は印を組み替えると呪文を唱え始めた。
『この少年兵を『生き人形』に出来れば、もう老王やディギオンに頭を垂れなくても、好きなだけ思う存分、術が使える』
自分の分身である魔生物を通して、明玄の声が聞こえてきた途端、目の前の空間が揺らいだ。今まで戦っていた少年兵が消え、代わりに黒い法衣姿の狸型獣人の少年法師が現れる。
「……明玄!!」
やはり奴は己の欲望のままにしか動かない。顔を上げた法稔がセルジオスを見て、驚いた顔をする。
まずはコイツを捕らえる。剣を持たない左の拳で打ち掛かる。しかし、それは彼を打つ前に空中で壁にぶつかったように弾かれた。
「結界か!」
キースの情報では、こちらの少年は防御、浄化術に特化しているらしい。一瞬で力自慢の土の魔族を阻む防御壁を張ったことに感心する。
少年が組んだ左手の印の横で、右手の指を動かし始めた。次々と片手で印を切っていく。
「……浄化術だな」
いくつか浄化系の術語を聞き取る。おそらく、広範囲を浄化する術。発見され、飛ばされたことより、一か八かどこかにいる明玄を屋敷ごと浄化する策に出たか。
「甘いな」
ここは明玄の私有空間だ。主人である明玄が最も力を振るえる場所。そこを漫然と浄化しても、以前のように魔力を消すことは出来ないだろう。
セルジオスは剣を地面に刺すと両手の拳を固め、腰を落とした。大きな術を使えば、必ずその直後隙が出来る。その隙を狙ってしとめる。法稔が最後の印を切る。
「浄!!」
張りのある声が響いた。
自分の研究所に呼んだシオンを明玄は意気揚々と術で縛り上げた。
「くっ……!!」
もがく彼ににんまりと笑い、部屋の明かりを落として、手元の蝋燭に火を付ける。玄庵のときと同じように揺らめく炎をシオンの目の前に掲げ、明玄は呪文を唱え始めた。徐々に少年の目から光が消えていく。
師のときは、こっそりと防御されて掛からなかったが、コイツは戦闘兵。そこまでの術に対する耐性も持たないだろう……。
それでも念入りに明玄は呪文を唱え続けた。
ゾクリ! ふいに背中に悪寒が走る。足下……いや研修室の床全体に青い光が走った。安息の闇がもたらす浄化の力が放たれる。
「ぐっ!!」
精神を集中し、腹に力を入れてやり過ごす。例の死神少年の術だろう。セルジオスに捕らえられる前にやけくそで、この屋敷ごと自分を浄化しようとしたようだ。
「ははっ!! 無駄なことを!」
その浅知恵をあざ笑う。そのとき
「何がおかしいのかなっ!!」
捕らえたはずの少年兵の声が響き、明玄を浄化の力に満ちた『真水』が襲った。
「がぁぁぁっ!!」
全身に『真水』を浴び、悲鳴を上げる。またもごっそりと魔力をそぎ落とされ脱力し、明玄が膝を着く。
「はぁっ!!」
シオンは全身に力を込めると戒めを解除した。床に降り、軍服の内ポケットから法稔に渡された数珠の玉を二つ取り出す。
「……何故、正気を保っている……」
「ポン太がここに来る前に念を込めれば使える防御術の玉をくれたんだ」
『水の魔力に執着している明玄は必ずお前を襲い、捕らえようとするだろう。そのとき一旦これを使い、術に掛かったふりをして隙を狙え。私がその隙を作る』
広範囲に掛けた浄化術はその為だった。
「そして……」
シオンはもう一つの玉を手に乗せた。玉にはあらかじめ法稔の浄化の力を溶かし込んだ『真水』が込められている。先程の『真水』はここから呼んだ。
「おとりはポン太だったんだ。術士の存在を察知すれば、前の事件から、セルジオスもお前もまずポン太を捕らえに出る」
空間に高度な転移術を使って入り込み、術士の存在を匂わす。案の定、セルジオスはまず法稔を狙い、シオンを後回しにした。
「そして、セルジオスがポン太の相手にしているうちに、ボクがお前を浄化する」
本来の作戦は明玄の位置を調べた法稔がシオンを送り込み、その後、セルジオスに見つかるように動くというものだったが、そこは明玄が上手く乗ってくれた。
玉に込められた『真水』を解放する。清い力を帯びた水の粒が部屋に広がる。
「いっけぇ!!」
かけ声と共に一斉に水の粒を明玄にぶつける。シオンは右のハサミをぐるぐると回した。粒が渦を巻き、明玄を囲む。『真水』が彼の全身を洗う。
悲鳴が徐々に小さくなり、途切れ途切れになっていく。床にうずくまり、頭を抱える明玄にシオンは以前、玄庵に水の魔力の汚濁について注意されたことを思い出した。
『……ボクは大丈夫かな……』
思わすこぼした気弱な言葉に玄庵は笑んで言ってくれた。
『大丈夫じゃ。お前には良い上司に先輩、友人がいる。それらを自分で捨てん限り、お前の力は絶対に汚れたりしないからの』
憧れの班長の背中と、支え導いてくれる師と先輩の優しい手、並んで歩くだけで安心出来る友人の肩の隣を捨てなければ。
……コイツはどうしてそれを捨ててしまったのかな?
自分ほど恵まれてはいなかっただろうが、彼にもそんな存在がいたのに。
これ以上罪を犯させない為に元弟子のところに向かう玄庵の丸い背が浮かぶ。
「……嫌だ……また失うのは嫌だ……」
明玄が喘ぐように苦しげに首を振る。玄庵の分の想いも込めて、シオンは彼の邪気を一つ残らず洗い流した。
「見事なものだ。これはやられたな」
研究室に入り、一部始終を通して見ていた魔生物を回収ししながら、セルジオスは苦笑した。
「ポン太!」
気絶させ、抱えてきた法稔を見て、シオンが声を上げる。
「少年だと見くびり過ぎたな」
それとここまで魔族と冥界人が協力するとは考えてもなかった。
「動くな」
睨むシオンにセルジオスは右手に握った剣の剣先を法稔に向けた。
「コイツを傷つけたくなければ、大人しくそこに入れ」
先程、玄庵を放り込んだ私有空間の牢を開く。
シオンが自ら入る。その彼に法稔を投げ付ける。
「ポン太!」
しっかりと抱き止めたのを見て、セルジオスは牢を閉ざした。
「これで班員は後一人。しかし……」
二度も魔力を失ったショックから明玄は呆然と床に転がっている。
「……これは、もう使いモノにならんな」
勿論、更に裏切ったのだから使うつもりもないが。
セルジオスは明玄の私有空間を出た。雨が止み、薄日が差してくる中、念入りに彼ごと空間を閉ざす。
「後は明日か」
ディギオン解放前に必ず最後の班員も動く。
『お別れしても私は、お役目にどこまでも忠義を通す父上をずっと尊敬しております』
霧が晴れ、見え始めた青空の下、広がる街並みを見下ろし、彼は一人頷いた。
* * * * *
「明玄がまた魔力を失ったな……」
キースの報告を聞き、怒りに顔を歪めていたディギオンが、晴れてきた空にあざ笑う。
「後二日か」
二日待ては、自然な解呪に伴い、自由になれるが、魔界にいるモウンとアッシュがそれまでに帰ってくる可能性は否めない。
「これはもう一度『足』がいるな」
控えるキースを見る。彼が怯えたように神域の外に出る。その姿に舌打ちし、ディギオンは上空に目を向けた。佇むセルジオスに目を細める。
「この私を侮辱し叱責したことは絶対に許さん。キース、今から魔界に向かい『島の別荘』から『木偶』を連れてこい」
「『木偶』をですか?」
「ああ」
ディギオンの口元が愉悦に歪む。
「私が『土の王』になる前の自由に動けるうちに、アレに本物の『地獄』を見せてやる」
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