7. 『悪魔』の所業
意識を集中させる為、窓を全て閉じ、蝋燭一本のみ明かりにつけた部屋に低い呪文の声が響く。
明玄が自分の私有空間に作った別邸の研究室。昔、師に破門と一族からの追放を言い渡された部屋で、彼は手足を鎖で拘束した玄庵と対峙していた。
じゃらり……。呪力に抵抗しようとする度に壁に繋がった鎖が鳴る。その音が段々と少なく、小さくなっていく。
口端に喜悦の笑みを刻みながら、呪文を続ける。猿くつわをかませた玄庵の目に視線を合わせる。
『生き人形』を作る呪文。『足』にされたゲオルゲ同様、意思を失わせ、思いどおりに命じるままに動かす邪術だ。
呪文の詠唱を終える。玄庵の赤茶色の瞳から光が消え、うつろに曇る。頭が落ちるように、がくりと垂れた。
「……やったか……」
大きく息をつき、明玄は師の顎に手をやり、顔を上げさせた。ぼんやりと焦点の合わない目をのぞき込む。もう片手の指を鳴らす。手足の着けた鉄の輪が開く。
「立て」
玄庵が小さく頷き、壁の前に手足を揃えて立つ。
「座れ」
そのままの姿勢で座る。明玄はくつくつと喉を鳴らした。
「これでお前は私の魔力の供給源としてのみ生きる『人形』だ」
早速、使い切った土の魔力の代わりに手を伸ばす。清水のような心地良い、清らかな魔力に明玄はにんまりと目を細めた。
* * * * *
「私が請け負ったのは、そのスマホという機械で情報を送るだけです。彼等の居場所は最初から聞いていません」
貸家の客間、ぶら下がる和式のペンダントライトの下、スマホを取り上げられ、後ろ手に拘束されたノエンが尋問に答える。隣で証言の真偽を判定する術を使っている術士が隊長を見る。
「嘘は言ってません。本当に知らないようです」
「そんなわけはあるまい。拘束して尋問だけなど甘いぞ。苦痛を与えてでも吐かせないと!」
内通者だった彼を囲む隊員達の後ろから、キースが涎を垂らさんばかりの顔で抗議する。それを不快げに鼻を鳴らして一蹴し、隊長は更に彼に訊いた。
「どうして、こんなことを?」
ノエンは代々ベイリアル家の護衛を務める騎士の家系の出だ。三男だった為に彼自身は護衛兵には就けず、魔王軍に入ったが主家への忠誠心から懲罰委員会の兵に選ばれた。
それが何故? と答う隊長にノエンは周囲の隊員達の顔を見回して答えた。
「私の兄が半年前、突然行方不明になりました」
ビクリ、隊員達の何人かが、その言葉に反応する。
彼の兄、『土の老王』の次男の城に務める護衛兵が、妻に『『若様』のお呼び出しを受けた』と告げて出掛けた後、帰って来ないのだという。
「家族と知人、皆で方々を捜しましたが見つかってません。何か事故に遭ったという痕跡もなく、失踪したとしても理由がありません。兄は真面目な男で、
そんな彼が自らいなくなるはずがない。家族が失意に落ちる中、ずっと兄の行方を捜していたノエンは同じような行方不明者がこの半年間、何人も土の一族にいることを知った。
「ディギオン様が、とある世界の『神』に対抗する為に、自らに捧げる贄を集めている、という噂があることを。あの方にはいくつもの悪い噂があります。そして、今度こそ、あの方の所業を明るみにする為に、ボリス様とハーモン元大佐が被害者家族の証言を集めてました。私もボリス様に面会したところ、どの行方不明者も『若様』に呼ばれて出掛けているというのです」
勿論、『若様』がディギオンであるは証拠は無い。だが……。
「今の魔界でそんなことをする人物が、あの方以外にいますか?」
筆頭軍師にユルグが着いてから、魔界は平穏な日々が続いている。火の一族も水の一族も風の一族もそれぞれ賢明な王が着き、よくあった種族同士のトラブルも少なくなっている。
……『悪魔』を抱える土の一族以外は。
「ディギオン様が『土の王』になれば、これまでのように兄のことはうやむやにされてしまうかもしれない。ボリス様と元大佐が約束して下さいました。正直、生きている保証は出来ないが、それでも兄がどうなったかを明らかにして下さると。だから私は……」
ノエンの目が怪我の癒えた四人の隊員に向けられる。
「ディギオン様は助けに来た者にさえ、こんなことが出来てしまえる方です」
「口が過ぎるぞ。ノエン」
セルジオスをちらりと見て、隊長が慌てて止める。
「向こうに連れて行け」
隊員達が彼を立ち上がらせる。彼等はノエンを連れ、貸家の奥の部屋、結界で囲い、牢とした部屋に向かった。
「ディギオン様にあんな口を利くとは……後で痛い目に合わせてやる!」
加虐の喜びに瞳を輝かせるキースをセルジオスが押さえる。
「ノエンは真面目な男です。きっとボリス様と元大佐に良いように騙されているのでしょう」
隊長が訴えるが、それは部下を庇っての言葉だ。本心ではない。
……ボリス様は実直な土の大将として有名で、ハーモン元大佐は未だに軍に慕う者が多い方だからな……。
それに、あくまでも噂ということにされているが、ディギオンの悪癖は広く知られている。更に公表された『ニキアス・アンドレウ隊の悲劇』。隊員達が奥の牢から、なかなか帰って来ない。皆、ノエンの言葉に思うことがあるのだろう。もしかしたら、彼のように家族や知り合いが行方不明になっている者もいるかもしれない。このままでは捕縛隊の他の隊員も同調する危険がある。
「隊長」
「はい」
セルジオスは隊長に呼び掛けた。
「ノエン隊員を使って、ハーモン伍長とブランデル兵長を二市から誘き出し捕縛する」
あの二人さえ押さえれば、ハーモン班の戦力は半分以下になる。
「そうですね。あの二人なら自分の協力者に危害を加えると言えば、間違いなく捕まりにくるでしょう」
「ああ、明日の夜に決行する。隊の術士に今夜二市の近くに赴き、二人に通告するように命じてくれ」
「はい」
隊長が頷いて、術士と打ち合わせに入る。
「ところでキース。明玄はどうした?」
明玄には昼に尋問に参加するように連絡しておいたのだが。昨日から見えない姿にキースに問う。
「ディギオン様を解放する術を組むのに忙しいから来れないと言っていた」
キースも明玄が籠もっている私有空間を尋ねたところ、入り口でそう言われ追い返されたという。セルジオスは眉間を寄せた。今までのところ土の魔力をくれた老王に感謝し、命令どおり働いているように見えているが、彼は一度、ディギオンに殺され掛けている。
……そんな彼が真面目にディギオンの為に勤しむのか……?
もう一度、術で明玄に呼び掛けるが、答えは無い。
……それにしても……。
ディギオン自身の撒いた種なのだが、余りにも彼は嫌われ過ぎている。大きく息を吐いて眉間を揉む。セルジオスは明日の捕縛のことを他の隊員に告げるため、奥の牢に向かった。
* * * * *
局所地震が群発する山根市、関山市の立ち入り禁止の看板の前で、バイク便の女性は立ち止まった。
「……えっと、ここに持っていて欲しいという話だったけど……」
依頼人の美女に『主人に渡して下さい』と受け取った小包を手に周囲を見る。不気味な地震が続いているせいだろう人影の無い街角で、彼女はスマホを出した。依頼メールの日時は今日の午後三時。画面の隅の時刻を確認する。
「間違いない」
顔を上げると
「すみません。バイク便の方ですか?」
穏やかな男の声が聞こえ、彼女は文字どおり飛び上がった。
「は……はい!」
「驚かしてすみません。荷物受け取りに来ました」
あの美女にお似合いのイケメン……ではないが人の良さそうな男性がにっこりと笑む。
「いえ、誰もいないと思っていたので……これにサインをお願いします」
端末の受領サインの画面を開き、デジタルペンを渡すと男性はそこに『火野』と書いた。
「確かにお渡ししました。ご利用ありがとうございます」
「ご苦労様でした。気を付けて帰って下さい」
端末をウエストポーチに入れ、デイバックを担ぎ直し、バイクにまたがる。お互いにぺこりと頭を下げ合い、女性は無人の街を後にした。
「さてと……」
バイク便の女性が人通りのあるところまで走ったのを確認して、男性……アッシュは受け取った小さな包みを開いた。
中には充電済の小型ワイヤレスマイクとケヴィンがお玉に頼んでいた術布。そして封筒と小さな火精が入っていた。まず封筒を開く。エルゼからの手紙だ。
昨夜深夜、二市に捕縛隊の術士が来た。彼は
『ノエンに危害を加えられたくないなら明日の夜、投降しろ』
というセルジオスのメッセージを数分間流した後、帰って行った。通告通り、今夜、大人しく投降する予定だ。手紙は事情を知った上で、心配し気遣うエルゼの想いが綴られていた。
ふわり、火精が舞う。母に寄り添う、お腹の子が付けた火精だ。ふわふわと手紙の周りを飛ぶそれをそっと撫でる。
「お母さんを頼んだよ」
火精が小さく頷いて消える。
「これは確実にお母さん子だな」
自分が宿る母胎を守っているということだろうが、どうも自分より魔力の低い母を気遣っている節がある。愛おしさに口元が緩む。
「さて、父親のオレも頑張らないと!」
元の姿に戻る。手紙を懐に入れ、白い軍服の裾に小型マイクを着け、お玉の術布の包みを開く。小さな端切れに籠目を刺した布が何枚も入っている。アッシュは布を手に上空へと飛び立った。
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