6. 潜入

『明玄が作ったディギオン解放の術式を見つけました。朝には元に戻しておかないといけないので、玄庵様、今から見に来て頂けますか?』


 * * * * *


 貸家襲撃から八日過ぎた二月二十四日の深夜。玄庵は静かに戸を開けると外に出た。冷えた夜気にダウンコートを着た小柄な身体を震わし、ブロック塀の門に向かう。

「玄さん」

 背後に風の気とそれを守るような火の気を感じる。と、同時に足下がほんのりと明るくなった。

「風邪をひくぞ、エルゼ」

 玄庵は振り返り、パジャマにコートを羽織って追ってきた一番弟子に優しく注意した。

「起こしたかの?」

「いえ、何となく予感がして……」

 背後の窓には明かりがついている。そこに五つのシルエットを数え、玄庵は苦笑を浮かべた。自分の思惑はとうに皆に読まれていたらしい。あの様子では先ほど携帯電話に掛かってきた通話も聞かれているだろう。

「明玄のところに行くんですか?」

「ああ」

 電話の相手は明玄だった。内通者の隊員の声を術で上手く写していたが、あの漂う魔力は間違いない。罠と知りつつ、玄庵は『直ぐに行く』と答えた。

「エルゼと法稔には負担を掛けてしまうが、奴を止めるのは儂しかいないのでの」

 今度の浄化術が失敗すれば、もうディギオンを止めることは出来ない。優香達を守る為にも、明玄にこれ以上罪を犯させない為にも懐に入り、内から仕掛ける。

「解りました」

「明玄の狙いは儂の『水の魔力』じゃ」

 電話越しに感じた魔力は『土の老王』に与えられたのだろう、土の魔力だった。

「明玄はもう自分では魔力を復活出来んのだろう。これから先も誰かに貰うことでしか術士として生きられない。だから、復讐も兼ねて儂を己の魔力の補給源にするつもりじゃ」

 その魔力への執着を利用する。

「必ず欺き、好機を作り出す。それまでに浄化術と改術を頼むぞ」

「はい」

「それに麿様の封印呪の原案も奴のところにあるじゃろうからの」

「玄さん……」

 弟子に負けたままでは師として余りに情けない。玄庵がおどけてみせる。

「はい」

 エルゼの唇が少し緩む。

「大丈夫じゃ。儂はアッシュとお前さんの子の子守をするのを楽しみにしておるからの」

 お母さんを頼むぞ。ふわりと飛んできた火精を指で撫でる。彼女と後ろで見送る影に手を振る。玄庵は夜の路地へと去っていった。


 * * * * *


「そうかい、玄さんが行ったのかい」

 リモート授業の準備をしていた優香の耳にお玉の声が届く。リビングに向かうと、彼女は眉間に縦皺を寄せて、スマホを耳に当てていた。

「……覚悟してか……」

 電話の相手は法稔のようだ。朝の定時連絡。それにお玉が深刻な顔で相槌を打っていた。

「…………ああ、解った。こっちはこれまでとおり告訴を盾に圧力を掛け続けておく。そっちも気を付けなよ」

 最後はいつものように後輩に注意を促して通話を切る。顔を強ばらせて見ている優香と視線が合うと、彼女はぎこちなく笑んだ。

「……玄さん、どうしたの?」

 思わず声が震える。お玉はゆっくりと首を振った。

「明玄のところに自ら、奴を押さえる為に向かったそうだよ」

「……どうして……?」

「元弟子にこれ以上罪を犯させないよう、この世界を確実に守る為のようだ。ああなってもまだ『弟子』なんだねぇ……」

 しみじみと呟く。

「それと班長の石化を解除する為に明玄が持つ術式の書も見つけてくるって」

「……玄さん……」

 玄庵はモウンを救うことも諦めてない。だから、きっと大丈夫だ。優香は顔を引き締めると、パソコンのある和室に向かった。ローテーブルの上に置いたノートパソコンを立ち上げる。起動画面がログイン画面に変わる。マウスで学校指定オンライン授業ツールをクリックし、優香は横に置いたスマホを手に取った。

 画面には何件ものメッセージ通知が浮かんでいる。

 モウンや班員達を気遣う、魔術師達のメッセージだ。彼等は今、トークアプリにグループを作って、情報を交換し合っている。

『何か手伝えることはないか?』

 一番下のメッセージは沖田おきた和也かずや。優香やシオンと親しい大学生の魔術師のものだ。後期の講義が少なくなり、時間が出来たせいか、彼は頻繁にメッセージを送ってくる。

「……モウンは、私達はとばっちりを受けただけだから、何もしなくても良いって言うけど……」

 実際『破壊』の種族相手では、簡単な術が仕える程度の魔術師に出来ることは無い。

 ……だからと言って、このまま見ているってだけも……。

 本当に何もしなくても良いのだろうか。

 授業開始までの間、優香は玄庵の決意を綴るとグループトークの画面にUPした。


 * * * * *


「じゃあ、いってきます」

 きっちりと魔気と魔力を封じたシオンと法稔が買い出しを兼ねて、近所の見回りに出掛ける。

 二人を見送ってケヴィンはキッチンに戻った。奥の部屋ではエルゼが浄化術の作成の続きを始め、ベランダではブライとジゼルが洗濯物を干している。玄庵が欠けた朝の光景に小さく首を振り、スマホをタップした。

 明玄からの電話で捕縛隊の内通者がバレたと解ってすぐ、シオンがトークアプリと共有クラウドで彼のアカウントをブロックしている。彼とはネットでしかやりとりしてなく、この家の場所も知らない。しかし、念のために不動産業の魔術師に連絡を入れ、次の住居を手配を頼む。向こうから送られてきた住居の住所を地図アプリで確認していると、洗濯を終えたブライがコーヒーを淹れて持ってきてくれた。

「ありがとう」

 礼を言ってカップを持つ。コップに粉の入ったフィルターを掛けるタイプの簡易式ドリップコーヒーなのだが、これがプロか……と感心するくらい香りも味も良い。ジゼルがデカフェの紅茶二つと、編み掛けのベビードレスの入った籠を持って、奥に向かう。覚悟を聞いたとはいえ動揺している妹の側についていてあげたいのだろう。

「オレはこの後、シオンと法稔くんが帰ったら、次の潜伏先の住宅の下見に行くよ」

「はい」

 自分の分のコーヒーを淹れてブライが座る。

「ノエンさん、大丈夫ですかね?」

「多分……」

 ノエンという名の隊員が捕縛隊の内通者だ。ベヒモス族の中でも高位の貴族の出だが、ボリスとハーモン元大佐に頼まれて、情報をリークしてくれていた。

「セルジオスに怒ったディギオンは二市に入った捕縛隊を彼ごと襲い、隊員達に大怪我をさせたそうだ。そんな『悪魔』を仲間を傷つけてまで助けたいと思うかな?」

「だと、良いですね」

 ブライが大きく息を吐いた。一部の土の一族の残虐性を身を持って知っているだけに気に掛かるのだろう。そんな彼に悪いと思いつつも、ケヴィンは襲撃の夜から気に掛かっていたことを尋ねた。

「ブライさん、もしかしてセルジオスのこと知ってる?」

 びくりとカップを持つ大きな手が震える。

「王都の下町の喫茶店のマスターが『土の処刑人』と関係があるとは思えないから、魔王軍にいた頃にかな?」

 彼は魔王軍で防衛部隊第一隊にいた頃、隊ごとディギオンが加虐趣味を満たす為に使っている『島の別荘』にさらわれた。『ニキアス・アンドレウ隊の悲劇』と密かに噂されていた事件だ。が、先日、唯一正気を保った生き残りだったブライは、ハーモン班の為に、その噂が実際にあった事件だったと公表した。

「ええ」

 ブライは覚悟を決めたように、ケヴィンに目を向けた。

「セルジオスは多分、ニキアス隊長の実の父です」

 聞き覚えのある名に過去の記憶を振り返ったところ、ニキアスのことをニコラウ家の者だと言った人がいたことを思い出したという。

「隊長は一族から除名されて、母方の姓を名乗っていたと聞いてます」

 一族から除名されたとき、その家の姓を捨て、別の姓を名乗ることはよくあることだ。サラマンドラ族を除名されているアッシュは、長兄が『家族の縁は絶対だ』と言い張った為、今でも公爵家の姓を名乗っているが、ニキアスはそのとき姓を変えたのだろう。

「息子さんがディギオンに殺されたことをセルジオスは?」

「……知っていると思います。土の一族の間では、あの噂はほぼ事実だと認識されてましたから……」

 ケヴィンが絶句する。セルジオスはまさに息子を殺した相手を助ける為に動いているわけだ。

「……老王も、どうしてそんな彼に命を……」

「多分、向こうも相当切羽詰まっているのでしょう。それとディギオンはあの悲劇については神妙に反省する姿勢を装っているらしいですから……」

 事件を公表するとき、ボリスがそう話していたという。自分の後見人の前では、さすがのディギオンも殊勝にしているらしい。

「それにしたって……」

 老王は一度は魔王軍のトップに立った男だ。そんな男が溺愛する孫とはいえ、易々と騙され続けているとは。

「ボリス様がおっしゃってました。『私も父親になって解ったが、老王おじいさまの中では、今もまだディギオンは幼い頃まま、利発で可愛い愛する孫のままなのだろう』と」

「……なるほどね」

 それは一児の父であるケヴィンも解らないでもない。

「オレもアンに『貴方はいつまでもこの子を赤ちゃん扱いして!』と怒られることがあるし。……しかし、そうとなると、もし老王に『今』の『悪魔』のディギオンを見せることが出来たなら……」

 ケヴィンはテーブルに置いたままのスマホを取り上げた。通話ボタンをタップする。

「……もしもし、お玉さん? ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」

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