3. 月下の対決

 二月も半ばの春めいた昼の日差しが差し込む窓辺で、お玉がスマホを耳に顔をしかめている。

「……そうかい。解った、おさに話して、上から訴訟をちらつかせて牽制して貰うように頼んでおく。……そっちも気をつけなよ」

 法稔からの連絡らしい。リモート授業の昼休憩。お昼ご飯を食べる優香ゆうかのいる炬燵にやってくると、彼女はスマホを操作して、共有クラウドから動画をDLした。

「昨夜、貸家が捕縛隊に襲われたとさ」

 襲撃のリークを受け、破防班が事故物件に移ったのと同時に、優香は兄の正樹まさきのアパートの部屋に、護衛役のお玉と共に戻った。

「皆は?」

「勿論、無事だよ。仕掛けも上手くいって、捕縛隊の映像も撮れたようだ」

 DL完了の通知が鳴る。映像を見ていたお玉がスマホをタップする。画面を優香に向けると、そこには険しい顔の初老の男が映っていた。

「……なんか怖そうな人……」

「『土の老王』がハーモン班捕縛によこしてきた男だよ。もし、こいつを見かけたら、あたしに教えておくれ」

 自分のスマホを操作して、お玉から画面のスクリーンショットを受け取る。

「この映像をみる限り、捕縛隊はハーモン班と一緒にいる一般人には気を使わないようだね。くれぐれも優香ちゃん、班長達とは出来るだけ接触はさけて、余り連絡を取らないように」

「解った」

 優香は頷いた。会えないのは寂しいし心配だが、自分が原因で彼等がピンチに陥って欲しくはない。

「……しかし、厄介なのが来たね……」

 スマホの映像を拡大して見ながら、お玉が唸る。

「その、冥界からはまだ訴えないの?」

 冥界からディギオンを訴えれば、いくら土の総統家の者として治外法権を持っている彼でも、直ぐに捕まえられるらしい。尋ねる優香に

「訴訟の当事者達に嫌疑が掛けられちゃったからねぇ……」

 動画再生アプリを閉じて、お玉は大きく息をついた。

「嫌疑がはっきりするまでは保留……ってことになると思うよ」

 やれやれと肩を竦める。

冥界こっちは今のところ『訴える用意はいつでも出来ているんだぞ!』とちらつかせて、向こうの動きを押さえるくらいしか出来ないね」

 既に冥界からは法稔とお玉、二人の助っ人と、ディギオン浄化の為に、高い浄化力を持つ『贖罪の森』の湖の水をハーモン班に渡している。真偽不明……とされた……事件に、更にこれ以上関与すると、今度は冥界が魔界に訴えられかねない。

「……モウン……皆……」

 襖の向こう、優香とお玉の部屋になっている和室には、六日前、貸家に皆で飾った雛人形の男雛と女雛、親王二体だけカラーボックスの上に並べられている。

「……どうか無事でありますように……」

 雛人形には厄除けの意味がある。優香は人形に手を合わせ、皆の無事を祈った。


 * * * * *


 昼間は春の陽気が漂うが、夜はまだ冬。零下近くまで気温の下がった夜空に三日月より少し太った月がぶら下がっている。

 その下、明かりもなく真っ暗に静まり返った無人の街を上空から一人、セルジオスは見下ろしていた。

 瘴気と変わりない、おぞましい土の気に目を向ける。周囲より高い小さな森に紫色の濃い闇のたぐまる神社がある。あそこにディギオンが囚われているのだろう。二市の『神』となった『悪魔』の影響下から逃れる為、モウンとアッシュは高い建物の屋上を転々としながら身を隠しているらしい。ゼルジオスは空に手を翳し、明玄から渡された魔結石を出した。内側にぼんやりと灯る光を見、その光が一番強く光る背の高いビルを見る。魔結石をしまうと左手を空に伸ばし、拳を握った。

 途端にビルの中階がぐしゃりと紙の筒を握り潰すかのように崩れる。支えのなくなった上階が傾き、地面に向かって落ちる。そこから二つ、影が夜空に飛び立った。

 影に向かい一気に距離を詰める。沈み掛けた淡い月明かりに黒い軍服姿のミノタウロスの男と白い軍服姿のサラマンドラの若い男が浮かぶ。前方に回り込む。空で止まった二人が立ち塞がる影に身構えた。

「モウン・ハーモン伍長とアッシュ・ブランデル兵長だな」

 明玄の言うとおり、ディギオンの反呪の身代わりとされたモウンは腰のあたりまで石化している。セルジオスは剣に手を掛けた。

「『土の老王』と懲罰委員会の命令により捕縛する」

 モウンが無言で剣を抜く。アッシュが一歩引いて、いつでも使えるように火気を高める。

「参る」

 剣を抜き放つ。鋭い音が冷たい闇に響いた。


 ギン!! スピードと力、双方が十分に乗った初戟を一ミリも引かずにモウンが受ける。素早く繰り出した突きも横になぐ剣も、彼はなんなく弾き返した。

 セルジオスは少し引くと力を込めた。さっき潰したビルの残骸からコンクリートの欠片を呼ぶ。スピードを上げて飛んできた欠片はアッシュの放つ炎に焼かれ、ぼろぼろと崩れ落ちた。

 冷静に攻撃を続けつつ、二人の力量を見計らう。モウンは二市の地精がディギオンの配下にある為、土の術は使えないということだが、動きにまるで隙が無い。そして、アッシュはブランデル公爵家の三兄弟で最も火の力が強いと言われるだけあって、本来不利であるはずの土の術にもしっかり対抗出来ていた。

 セルジオスは大地を呼んだ。浮かび上がった大量の土砂をモウンに浴びせる。そして、すぐにアッシュに剣を繰り出す。

「なっ!?」

 これだけの大技を使いつつ、剣でも仕掛けてくるとは思わなかったのだろう。アッシュが赤金色の瞳を見開き、慌てて剣を抜いた。土砂で渦を作りモウンを包み込みつつ、打ち合う。

 ギン! ギン! 剣戟の音が鳴り響く。セルジオスは内心、唸り声を上げた。炎だけでなく、剣の腕も班長ほどではないが、かなり立つ。

 今の段階でハーモン班で一番手強いのはこいつか。

「はあっ!!」

 アッシュが身体から熱が放つ。押し寄せる高熱に流石に引く。その隙に彼は手を振って熱風を呼び、班長を囲む渦を打ち消した。モウンが飛び出し、切り掛かってくる。その剣を受け止める。

「ユルグの配下を務めるだけはある」

 剣を押し返し、セルジオスはアッシュの放った光の玉を呼んだ土の玉で打ち消した。


「流石、セルジオス殿……」

 あの破防班の班長と副長、二人に一歩も引かない戦いぶりに感嘆の声を上げ、キースは土童神社に向かった。

 参道に降りる。境内は枯れた木が引きちぎられ、敷かれた石畳が玉砂利の上に散乱している。一カ所、茶色く染まった砂利は明玄の血の跡か。鳥居の足下には石と化した、この神社の土地神が転がっていた。

 再封印から二週間余り。いらだちはピークに達しているのだろう。傾いた社殿の前で、自慢の黒い巻き毛を乱した主人が血走った目で戦いの様子を見ている。

「ディギオン様」

 キースは彼から十分距離を取って膝まづき、頭を下げた。ゲオルゲの末路の真相は聞いている。確かに彼はハーモン班に殺害されたが、その前にディギオンにより意志を消され『足』とされていたらしい。この主人なら笑みを浮かべて喜々としてやりそうなことだ。キースはディギオンの残虐さがもたらす惨劇を好んでいるが、それも自分の意志があってのこと。ゲオルゲの二の舞にはなるまいと注意を払って声を掛けた。

「やっと来たか……」

 ギリ……とディギオンが奥歯を鳴らす。

「で、私をこの忌々しい神社から解放する手はずは整ったのか?」

「それは今、明玄が」

「早くしろ! クズが!」

 ディギオンの罵声が響く。

「今、老王陛下がハーモン班を始末し、無事ディギオン様を『土の王』に着ける算段をされています。しばらくお待ちを」

 チッ! 舌打ちが続く。想像以上にいらだった主の様子にキースは身を縮めた。

「何をしているのだ! 早くあの二人を殺らぬかっ!」

 慎重に戦うセルジオスにディギオンが更にいらだつ。

「お前に『神』の加護を与える。さっさと殺れっ!」

 手を空に翳す。神社から紫の闇が立ち上った。


 ……やはり二人同時に捕らえるのは無理か……。

 石礫を放ち、セルジオスは二人と距離を取った。

 双方、腕が立つ上、連携にも隙が無い。

 一人ずつ。まず副長を捕らえる方が良いな。

 彼の方が若干判断が甘いし、最強の班員を捕らえることで班に与える動揺も大きい。

 今回はこれで引き、次は捕縛隊を連れ、数を頼りに二人を引き離し捕らえよう。

 セルジオスが判断したとき、彼の身体にドス黒い力が入ってきた。

「……!?」

 視線を力のやってきた方向、土童神社に向ける。社と小さな森から紫の闇が炎のように立ち上っている。

『お前に『神』の加護を与える。さっさと殺れっ!』

 癇癪を起こしたようなディギオンの怒鳴り声が響く。それにセルジオスは大きく息を吐き出すと全身に力を込めた。彼の『神』の力を己の身から振り払う。

『いいかげんになさいませ』

 静かに声を返す。

『そもそも、貴方様が学生時代の些細な衝突からエドワード・ブランデルに復讐しようと考えなければ、このようなことにはならなかったのです』

 学生時代、ディギオンは常にアッシュの長兄、『火の王』エドワード・ブランデルの後塵を拝していた。その恨みから彼の溺愛する婚約者に危害を加えるとほのめかしたところ、本気の怒りを買い、警告として心臓に近い位置にあるボタンを焼かれたのだ。

 ディギオンが彼の末弟の守る、この世界を襲ったのも、冥界の力を欲したのも、その時の恐怖を振り払う為と彼に対する復讐心が元だ。

『貴方様の身勝手で粘着質な妬みは、常に貴方様にとって不利に動く。ボリス様の婚姻の件もそうです』

 自分に甘い老王に頼んで、常にディギオンが自分の下に置いていた従兄のボリス。しかし、それでも地道に成果を上げる彼をディギオンは妬んでいた。そこで、従兄の婚姻を笑いモノにしようと、老王にないことないことを吹き込み、年上の離婚歴のある娘と娶せたのだ。だが、結果、ボリスは愛情深い妻により、一回りも二回りも成長し、現在は土の一族のほとんどの者から次期『土の王』にと望まれている。

『老王陛下が懲罰委員会を動かしたとはいえ、まだ冥界は貴方様への『三界不干渉の掟』破りの訴訟を取り下げていない。捕縛隊がハーモン班を捕まえ、全員を拘留するまで、貴方様はそこで大人しく反省していなさい』

 ぴしゃりと言い放つセルジオスに大地が怒りに震えた。

『私に逆らうのか!!』

 ディギオンが吼える。

『私は老王陛下の『処刑人』です。貴方様の配下ではない』

 グラリと大きく地面が揺れ、飛び出した土の槍が彼を襲う。巧みに体をかわし、槍を避けつつ、セルジオスが上空に逃げる。神社を包む闇がいっそう濃くなり、怒鳴り声が響く。

 ……あれが次期『土の王』か。

 最早、老王以外、誰も望んでいない跡継ぎに息を吐く。

 そして……。

 少し距離を置いて、同じようにモウンとアッシュが逃げてくる。

「次は捕縛隊を連れて捕らえに参る」

 二人にそう告げると、セルジオスはするりと夜闇に消えた。

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