4. 『本物』の家族
今日の授業が終わりパソコンを落とす。画面を見続けていたせいか、しょぼしょぼする目をしばたくと
「もう、夕方だ……」
まだ一月の初旬。早い日の入りに驚きつつ、キッチンでコーヒーを淹れる。カチカチとミルクをかき混ぜるスプーンの音が、加湿器とエアコンの音しか聞こえないリビングに流れる。啜りつつ、スマホのスリープを解除すると、画面にメッセージアプリからの通知が浮かんでいた。
友人の
『夕飯の材料を買ってポン太と行くから、少し遅れるけど待ってて』
というメッセージだ。
二つを眺めながら、優香はコタツに足を入れた。
今、優香は大学二年生の兄、
シオンのメッセージに
『解った。夕ご飯楽しみにしてるね』
返事を送った後、真奈と苺薫のグループトーク画面を開く。幼稚園時代からの友達の真奈と、去年の初夏インキュバスの事件で知り合った苺薫は、母親と県外の親戚の家に身を寄せている。
二人に返事をすると新着メッセージが届く。正樹からだ。ハーモン班の元から妹を連れて出る金を稼ぐ為に、バイトに励み過ぎた兄は、どうやら単位が怪しいらしく今日も遅くなるという。それに『解ったよ』と返してスマホを置く。優香はコーヒーを一口飲んで、重い息を吐いた。
今年の正月、優香は十二年ぶりに兄に連れられて、地方都市に住む父と母、妹のいる家に帰った。
兄が事前に連絡を入れていたにも関わらず、優香を無視し続ける父と、そんな父に怒る兄、二人をただおろおろと見ているだけの母。もの珍しさからか、唯一歓迎して相手をしてくれた妹がいなければ、一日も経たないうちに居心地の悪さに逃げ出していただろう。
正直、正樹が三日目の夜に
『もう帰ろう!』
と言ってくれたときは、心の底から安堵した。
「……でも、あれが私の本物の家族なんだよね……」
あそこが自分の本来の場所なんだ。そう自分を納得させるように声に出すと、妹の別れ際の
『お姉ちゃんが、そう思うならそれでいいんじゃない』
突き放したような声が聞こえる。
もう一度、重い息をつく。ピンポーンとドアのチャイムが鳴った。
『いい、優香。そういう若い子ばかりのマンションは怪しい訪問販売や宗教の勧誘がくるから、すぐにドアを開けないで、まずはモニターで相手を確認するのよ!』
優香がこのアパートに移るとシオンに聞いて、電話の向こうで口をすっぱくして注意していたエルゼの声が脳裏を巡る。
「……エルゼ姉さんは本当に心配性なんだから……」
小さく笑ってインターフォンのモニターを覗く。画面には買い物袋を持ったシオンと法稔が映っていた。
『優ちゃ~ん、来たよ~』
「は~い、いらっしゃい!」
マイク越しに響く声に返事をして、ドアのロックを開ける。
「遅くなってごめんね~。お詫びに新作のアイス買ってきたよ」
「こんばんは、失礼します。優香さん、しゃけの切り身を買って来たのですが、照り焼きにして良いですか?」
二人が入ってくる。自分と兄以外の声が明るく部屋に響く。優香はほっと息を吐き出すと
「照り焼き! 美味しそう!」
キッチンに置いていたエプロンを手に取った。
* * * * *
狭いキッチンとリビングのこたつの上を使って、三人の少年少女が和気藹々と夕食を作っている。
空に作り出した水鏡で、その中の少女を伺いながら
「これは違うな……」
明玄は呟いた。
モウン・ハーモンが父親代わりをしていたという、高校二年生の少女、
ディギオンの再従弟と、今は彼の力の糧となったバッドの、記憶から作り出したハーモン班の関係者のリストから名前を除外する。
「……しかし、厄介な……」
死神の少年と水鏡越しにまた目が合う。
……私に気付いているな……。
元々の獣人族の感知能力に、法術師としての力が相乗しているのだろう。封じ込んだ魔気を感じ取っている様子に舌を巻く。
『……どうした? ポン太』
『例の沼のような魔気を持った魔族が、こっちを見ている。今夜、お前は正樹さんに頼んで、ここに泊まってくれ。私は班長に報告した後、長に優香さんに護衛を着けて貰う』
『うん、解った』
二人の少年の交わす心語を読む。
あの師は、秀でた才を持つ者を更に高め、育てるのが好きだった。もう一人のハーモン班の少年兵の、師に封印された水の力を読んで、顔をしかめる。
……こちらも厄介だな。
……これは慎重に動かんと、あの死神に行動を把握されて邪魔されてしまう……。
顔をしかめ明玄は水鏡の術を解くと、リストの次の人物へと向かった。
* * * * *
「……そうか解った。ああ、俺達はここを離れるわけにいかないから助かる。お
寒風が吹き抜ける高層ビルの屋上で、法稔の報告を受けたモウンが携帯電話をしまう。
「例の魔族の片方が優香を見ていたらしい」
班長の言葉に
「それで、優香は無事なんですか!?」
エルゼが顔色を変えた。
「大丈夫だ。法稔の話ではすぐにどこかに去ったそうだ。今夜はシオンが部屋に泊まるし、明日からはお玉が護衛についてくれる」
お玉は法稔とコンビを組む、猫又族の女性の死神だ。今は後輩共々、死神の仕事は休み、この事件に専念して力を貸してくれている。
「しかし、今度のディギオンの私兵は隊長クラスで、班長のミノタウロス族と、玄さんの玄武族で間違いないようですが、心当たりはありますか?」
アッシュの問いに、玄庵が赤茶色の瞳を伏せた。
「儂の方は同族の明玄で間違いない。麿様の石化の封術にも、私兵の隷属呪術にも奴の施術の癖があった」
「明玄……。あの玄庵の一番弟子か!?」
玄庵が破壊部隊の魔術師長を努めていた時代、副長は、彼が少年の頃から弟子として育てていた明玄だった。あの当時は、過激派の隊長達が気まぐれで人事をいじっていたので気に止めてなかったが、そういえば、自分がアッシュを副官にした頃、魔術師隊の副長も変わっていたことを思い出す。驚くモウンに玄庵が苦い笑みを浮かべた。
「『元一番弟子』ですな。魔力も高く施術も完璧でしたが、過激派の将校にそそのかされましての。非道な禁呪に手を染めましたので破門した後、玄武族から追放しました」
その後ディギオンに私兵として拾われたらしい。ゆるゆると首を振る。
「奴はバッドとはレベルが違う。くれぐれも気を付けるのじゃぞ、エルゼ」
「はい」
玄庵の注意に今の一番弟子が真剣な顔で頷いた。
「班長の方はどうですかの?」
「俺の方は心当たりが多すぎてな……」
モウンが唸る。あの時代、土の一族は過激派の中心的存在だった。ミノタウロス族の中にも大勢の名も力もある人物が『土の老王』やディギオンの下についていた。
「その中でも特に厄介な奴と言えば……」
はっと皆の顔が締まる。二市の上空に新たな強い魔族が現れる。法稔の言う『爛れたような荒々しい』魔気が漂う。
「やはり、あいつか!」
四人が一斉に空を飛び、その魔気の持ち主に向かう。
厚い雪雲に覆われた空。冷たい湿った闇の中に、豪奢な金の飾りが着いた黒い軍服とマントが浮かぶ。右の角が欠けた牡牛顔の男は、目の前のモウンの左胸の魔王印の縫い取り以外、飾り気のない軍服を見下ろし厚い唇を歪めた。
「ゲオルゲ……」
オナシス家の性悪息子。改め、ミノタウロス族の狂牛。
「久しぶりだな、従弟殿」
ゲオルゲがにやりと笑った。
素早く玄庵とエルゼが印を組み呪文を唱える。紫の闇がたぐまる土童神社に侵入を拒む結界が張られ、モウンとアッシュに防御と素早さを高める補助魔法が掛かる。
「エルゼ! お前は玄庵と共に引け!」
ゲオルゲが剣を抜いて、真っ先にエルゼに切り掛かる。部下の前に飛び出したモウンがそれを止めた。
「ここは俺とアッシュに任せて、お前達は隠れていろ!」
「はい!」
「御意」
二人の姿が消える。モウンはぎりぎりとゲオルゲの剣を押した。
「相変わらず、弱い者から先に狙うな……」
「相変わらず、従弟殿は甘い……」
剣を弾き返されゲオルゲは鼻を鳴らした。
「アッシュ、絶対にあいつをエルゼと玄庵には近づけるな」
「解ってます」
アッシュが指を鳴らし白い光の玉を呼び出す。アッシュも破壊部隊のとき、ゲオルゲの残忍な行動を何度も目の当たりにしている。気合いを入れ、いくつもの玉を浮かばせると一気に放った。
一見、美しくも見えるが肉を焼き、骨を溶かす剣呑な高熱の玉だ。身を捻りゲオルゲが避けるが、それでも熱が肌を刺す。その痛いような熱さに、ゲオルゲの身体にあの明玄の術の突き刺すような痛みがよみがえる。
「……いかん……、言われたことをやっておかないとまたあれをくらう」
ぶるりと身震いし、軍服の懐の水晶の玉を確かめ、一気に地上へと飛び降りる。日のあるうちに確認しておいたルートを飛ぶ。
「待て!!」
モウンとアッシュがその後ろを追い掛けた。
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