5. 冥界の少女

 また一人、血反吐を吐いて地面に倒れ伏す。

 士官学校と軍兵学校の合同訓練試合。ゲオルゲの周囲には練習用の剣にも関わらず、容赦なく振り回す怪力に負傷した軍兵学校の生徒が転がっていった。

 周囲を遠巻きに巻く生徒達の間から、戦斧を手にオーガ族の生徒が立ちはだかる。

「次はお前が相手か……」

 仲間を守る為にと覚悟決めた顔に、ゲオルゲが楽しげに唇を歪めたとき

「ブライ、俺がやる」

 落ち着いた大人びた少年の声が訓練場に響いた。

「……これは従弟殿……」

 ミノタウロスの総統家ともなれば十分、士官学校に入学出来る資格があるのに、自分を叩き上げたいと軍兵学校に入ったモウンが後輩の前に出る。

「弱い相手にしか強く出れない臆病者だ。お前の相手には相応しくない」

 その言葉にゲオルゲは試合開始の合図も待たずに飛びかかった。

 剣が弾かれる。出来た隙に相手の剣の峰が腹に打ち込まれる。声も出せずに地面に膝をつくゲオルゲをモウンは見下ろした。

「相手なら俺がしてやる。もっと技も心も強くなってから出直してこい」

 救護係が怪我をした生徒を担架で運んでいく。その中でゲオルゲは動けず、地面に座り込んだまま吐き気を堪え、打たれた腹を抱えていた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「いい加減、飛び回るだけは飽きた。そろそろ従弟を殺らせてくれ」

 昼下がりのマンションの屋上に不満げなゲオルゲの声が流れる。

「そういう世迷い言は、もっとしっかり調べをつけてからにしろ」

 ゴネるゲオルゲを、明玄はフードの下から睨みつけた。

 すぐさま隷属呪術で仕置きしてやりたいのを、ぐっとこらえる。ここで下手に術を使うとまた、あの死神少年に感づかれる。ここ三日ほど術を使ってこない明玄に、ゲオルゲはニマニマと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 ……こいつはすぐに調子に乗る……。

 苛立ちに奥歯を噛みしめながら両手をかざす。ゲオルゲに渡した水晶から読み取った封呪の術式が空に浮かんだ。

 やはり封呪には細工がされてあった。二市に埋め込まれた魔結石が書き換えられている。師と今の弟子達により、土地神の封を解くと反呪の反転を利用して、仕掛けた相手、ディギオンを石化するように組まれていた。

「……相変わらず、恐ろしいほど冴えた術だな……」

 師の腕もさることながら、どうしても出る改術の際の粗も見事にカバーされている。こちらは多分、今の弟子によるものだろう。

 これだけのものをいくら明玄といえども、執事の言う期限までに更に改術し、ディギオンの封を解くのは無理だ。

「……ならば、いっそ……」

 明玄の頭にある考えが浮かぶ。呪文の術式は制作者が一番有利に動かせる。だったらこの術式を利用して……。

「しかし、そうするにしても、どうしても強大な力がいるな」

「魔界に戻って、また『島の別荘』を使えば良いだろうが」

 赤い瞳の喜悦の光を浮かばせゲオルゲが勧める。

「それが出来れば苦労はせん」

 明玄は彼の浅い考えを一蹴した。

「出来んのか?」

「ああ、ハーモン家の先々代当主が、ボリスの命で出張ってきている」

 人望厚い軍人だった、モウン、バジル兄弟の父が、失踪者の家族に彼の元部下の老練な兵達を護衛に着かせているという。それとディギオンが最近、姿を見せないことから、恐怖から沈黙を強いられていた者達が、次々と捜索願いを出し始めている。

「ここで新たな失踪者を出せば、あっという間に、あのジジイに嗅ぎつけられる」

「そうか、大変だな」

 忌々しげに舌打ちする明玄に、ゲオルゲが軽い調子で相づちを打つ。事の重大性はともかく、取り敢えず彼が困っているのが嬉しいらしい。

 明玄はゲオルゲを睨むと術式を消し、今度はハーモン班の関係者のリストを出した。

「これを全て当たってみたが例の娘はいなかった」

「あの、冥界の浄化地の力が湧き出るという娘か?」

「ああ」

 ディギオンが二市を狙ったのはそれも目的だ。その娘を『破壊』し、創造神が冥界を造るときに与えた『浄化』の力を手に入れる。学生時代、今の『火の王』エドワード・ブランデルに、自分では達せられない高みを見せられた彼は、奴を越える為にも創造神の力を欲していた。

「やはり、再従弟様が師に消された記憶の中にあったのだろうな……」

 だが明玄でも、その記憶の復活は不可能だ。

 風が吹き抜ける。風の中に清らかな冥界の花の香りが微かに混じっている。間違いなく、この近くにその娘はいるのだが。

「アテならあるかもしれんぞ」

 ゲオルゲがにんまりと笑う。

「あの甘い従弟のことだ。その娘を放っておくわけがあるまい」

「……なるほど」

 冥界とて自分達の失態で特別な力を持ってしまった娘を、そのままにはしておかないだろう。

 ふと明玄の脳裏に、リストに載っていた若い魔術師の男を調べたときのことが浮かぶ。男なので念の為に探っただけだが、その男には土地神の神気と、あの死神少年の気配が着きまとっていた。

 ……もしかしたら……。

 そういえば皐月優香にも死神少年の気配が着いていた。

 ……もし、あの死神が破防班や自分達にとって大切な者を守る為に、彼等に何かを渡しているとしたら……。

「ゲオルゲ、お前も退屈だろう。そろそろハーモン班の連中を殺っても良いぞ」

「本当か!?」

 ゲオルゲが色めき立つ。

「ああ。だが従弟は殺すな。アレはディギオン様を解放する贄として使う」

「ディギオン様の贄?」

「ああ」

 明玄が暗い笑みを浮かべる。

「そして用が終わったら、お前の手でディギオン様の御前で殺してやれ」

「ディギオン様の御前で……」

 ゲオルゲが折れた右角の断面を撫でながら、うっとりと呟く。彼は強い者には従順だ。そして彼が知る最も強い男、ディギオンを崇拝している。

 ……お前はハーモン班の連中をかき回し、私の行動にまで奴等の気が回らないようにしてくれ。

 そっと水鏡を呼ぶ。明玄は死神少年に気付かれないよう、力を絞り彼の気配を追った。


 * * * * *


 冬晴れの柔らかい日差しが部屋に差し込む。奥の和室で着替えをし、出掛ける支度をした優香がリビングに戻ると、こたつでは紺の袷にモダンな大柄の帯、紅の羽織を羽織った和服美女、人型をとったお玉が針を動かしていた。

「今度は何を作っているの?」

 手元をのぞき込んで訊く。先日まではお玉は、白い長い布に犬張り子の刺繍をしていた。

「前に作っていた、守りの腹帯は渡したからね。今は人形を作っているのさ」

 戦いのとき武具として手鞠を扱うお玉は、こういった糸に力を込めて術具を作るのが得意らしい。

「全く、いくらまだ子が小さいからって無理をして……」

 困ったような笑みを浮かべながら、お玉は縫い合わせた胴の布にパッキングを詰める。半分ほど詰めて手を止め、袷の懐から懐紙を取り出した。

 白い手が懐紙を開く。ふわりと清々しい花の香りが漂う。懐紙の上には白い花びらの押し花が数枚、置かれていた。

「良い匂い……」

「だろ」

 それを胴に入れる。全て納めると更にパッキングを詰め出す。

 てきぱきと動く手と人形作りが珍しくて、つい見入っていた優香を、お玉が時計を見て促した。

「そろそろ出掛ける時間じゃないのかい?」

「そうだった!」

 スマホのメッセージアプリをタップし、トーク画面を開く。そこに浮かぶ和也からの待ち合わせ時間を確認する。

 自分と同じ魔術師である大学一年生の沖田おきた和也かずやが、いよいよ任務が佳境に入って、アパートに来れなくなったシオンに頼まれて遊びに誘ってくれたのだ。

 シオンとのトーク画面を開く。

『忙しくなって、しばらく、そっちに行けなくなっちゃったんだ。ごめんね』

 一週間前の日付が付いたメッセージの後には、どこで手に入れたのか、スタンプのザリガニがぺこぺこ土下座していた。

 ……仕方ないよね。本当はもう離れなきゃいけない『家族』なんだし……。

 自分に言い聞かせ

『解った。気を付けてね』

 既読がついた返事の後、メッセージの無い画面を閉じる。

「じゃあ、お玉さん。私、出掛けるね」

「いってらっしゃい。楽しんでおいで」

 お玉が作り掛けの人形を置いて、手を空にかざして呪文を唱える。優香の護衛に自分の力から小さな三毛猫を作り出す。三毛猫はちょこちょこと絨毯を蹴って足下にやってくると、飛び跳ねて、するりとコートのポケットに入り込んだ。

「いってきます」

 胴の詰め口を縫い始めたお玉に告げ、アパートを出る。

 冬の日に一人ぼっちの影が地面に落ちる。それが無性に寂しくて、優香は足を早めてバス停に向かった。

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