2. 『悪魔』の街

 去年の十月初旬から頻発する原因不明の局所地震の為、立入禁止区域となった無人の夜の街を黒い影が飛ぶ。

 影は電線が破断し、暗闇に落ちた家々の路地を、すさまじいスピードで飛び抜ける。その後ろにはピタリと細身の影が追随していた。

 シルエットからも見事なプロポーションが伺える、妙齢の美女だ。魔王軍特別部隊破壊活動防止班、通称、破防班、ハーモン班の前衛補助術士兼、鑑識官、サキュバスのエルゼ・レイヤードは、蝙蝠の翼をはためかせ、前を飛ぶ影に細い指を振った。途端に周囲の住宅に貼られた、応急危険度判定の紙がバサバサと鳴り、風が影の周りを渦巻く。自分を捕えにきた風の渦に、影は急停止を掛けると、今度は上に向かって飛び上がった。

 その上空に白い影が現れる。白いマントに白い軍服、それに映える赤い肌のトカゲ男、ハーモン班副長、サラマンドラのアッシュ・ブランデル。彼が腕を振ると、高温の熱風が影めがけて吹き降りる。触れれば、耐性がある土の一族すら大火傷を負いそうな熱に、影はまた慌てて地面すれすれまで降り方向転換した。

 そこに更に黒いマントに黒い軍服の牡牛頭の男が現れる。ハーモン班班長、ミノタウロスのモウン・ハーモン。太い腕が男の腹を一撃する。声の上げずに地面に倒れ伏した影の脇に、深緑色のローブ姿の亀魔人の老爺が現れた。ハーモン班、後方支援術士兼、鑑識官の流水るすい玄庵げんあん。玄庵は屈み込むと意識を失った影……ディギオン・ベイリアルの私設部隊の兵士に力の封印を施した。


 魔王軍特別部隊破壊活動防止班。それは上層組織、他世界監視室と共に魔王軍の窓際部隊と一般では認識されている。

 創造神と呼ばれる大神は各界を創った後、『要の三界』、『天界』、『魔界』、『冥界』にそれぞれ他の世界を支える役目を負わせた。

 『魔界』の役目は修復不可能となった世界の『破壊』。しかし、身の内に大きな『破壊』の力を持つ魔族からは、その欲望を抑えきれず、まだ魔王の『破壊認定』の降りてない世界を『破壊』しようとする輩が現れる。そんな魔族の落伍者を捕まえ、身勝手な『破壊』から各界を守るのが任務だ。

 しかし、モウン・ハーモンの率いる、ハーモン班は他にもう一つの任務があった。それは魔界が再び『悪魔』の世界にならない為、災いとなる芽を事前に摘み取ること。

 その為に魔王の腹心の部下『あの方』に集められた五人には、今、土の一族の第一種族、ベヒモス族の元総統家当主『土の老王』のお気に入り、ディギオン・ベイリアルの『土の王』就任阻止の命が下されていた。


 * * * * *


 端に一台だけ軽自動車が置いてきぼりにされた月極駐車場に、捕まえたディギオンの私兵を運ぶ。一月の夜更け。冷たいアスファルトの上に、まだ意識の戻らない男を寝かせ、魔界に連行する前に玄庵とエルゼが彼に掛けられた呪術を解いていく。

 十重二十重に掛けられた呪術に

「ベイリアル家ともあろう名家が、今時、ここまで隷属呪術を掛けるとは……」

 二人の作業を見守っていたアッシュが穏やかな顔をしかめた。

 ベイリアル家は、魔王一族に次ぐ、魔界の四大公爵家、火のブランデル公爵家、水のグランフォード公爵家、風のミュー公爵家と並ぶ土の名家だ。

 魔界の貴族の中には、配下の私兵や使用人の反抗を恐れて、彼等が裏切った際、問答無用で死、または苦痛等を与える為に隷属呪術を掛けることがある。

 しかし、近年では魔界でもそれは非道な行いだと忌避されている。呪術が発覚した場合、そこまでしなければ配下の者を押さえられない愚かな主人だとして、むしろ主人の名誉の方が傷つく為、地方の封建的な貴族でもない限り行わないのが普通だった。

 全身を火で炙られるような苦痛を与える呪術を解きながら

「ベイリアル家が……というより、ディギオンの趣味だろうの……」

 玄庵が深く息をつく。ディギオン・ベイリアルにはおぞましい加虐趣味がある。彼の欲望を満たす為に『土の老王』が与えた『島の別荘』から後輩を取り戻したことのあるモウンが大きく首を振って、関山市の方角に目を向けた。

 周りの住宅地から少し高い位置にある、こんもりとした鎮守の小さな森。そこに毒々しい紫の闇がたぐまっている。

 二年前の春、関山市で魔族による少女連続襲撃事件が起きた。ディギオンの再従弟にあたるベイリアル家の傍系の少年が起こした事件だ。その解決の際、この地、山根市と関山市を治める土地神、麿まろ様は、二市の地精をモウンが自由に支配することを許した。

 それは、何故か土の一族の総統『土の王』に就任する前に、この世界とハーモン班の『破壊』をもくろんでいたディギオンにとって大きな障害だった。魔族といえども現世の住人、『常世の神』にはかなわない。ベヒモス族は土の第一種族として、第二種族のミノタウロス族を上回る支配力を持つが、二市においてモウンの前では砂粒一つ持ち上げることが出来ない。

 そこで彼は、麿様を封印すべく策を練り決行したのだ。

 策は一見、成功した……ようにみえた。二市に仕掛けた魔結石と多くの犠牲者から啜り取った力で、ディギオンは麿様に石化の封呪を掛けることには確かに成功した。しかし……。

『この者を麿の身代わりとして、この地に捧げようぞ!!』

『ディギオン・ベイリアル! お前を麿の代わりに、この地の土地神とする! お前はもう麿と同じ、この地から出られず、この地以外に力の及ばない地に縛られた神となるのじゃ!』

 封呪を自ら受け入れた麿様の身代わりの術。あの紫の闇の中には、その術のせいで、この地に絶対の土の力を持ったものの、あそこから一歩も動けなくなったディギオンがいる。二市に頻発する地震は、『神』となった彼が腹立ちまぎれに起こしているものなのだ。

『しかしのう、牛の大将ら』

 麿様はこの策をモウン達に告げたとき、彼等に二つ忠告をした。

『牛の大将らも知っておるとおり、麿は一人ではこの社からも出られぬ身だが、巫女の瑞穂や使いの和也が運べば、二市内なら自由に移動出来るでおじゃる』

 もしディギオンが瑞穂や和也のような『足』を手に入れた場合、戦おうなどとは思わず、すみやかに逃げよ、と。

『奴は『神』。かなう相手では無いでおじゃる。ゆめゆめ命を粗末にするでないぞ』

「班長、終わりました」

 エルゼの声にモウンはまだ寝ている私兵に視線を戻した。彼等がこの危険過ぎる『神』のいる二市に留まっているのは、ディギオンが私兵を『足』として、自らを解放する何らかの策を弄するのを阻止する為なのだ。

「今日で新年まで、後二ヶ月を切りましたね」

 アッシュが私兵に捕縛用の縄を掛けつつ、大きく息を吐く。魔界の新年……こちらで言う正月の元旦は、今年は三月五日に当たる。『土の老王』はその日に華々しくディギオンの『土の王』就任パーティを行う予定で準備を進め、魔界の名だたる貴族に招待状を出している。それまで、ディギオンをこの地に止め、彼が魔憲章九十九条『異界における破壊活動防止条例違反』で就任パーティを欠席したとすれば、一大スキャンダルになる。それを機に、魔王と『あの方』は、もう一人の候補、厳格で実直な、土の大将、現ベイリアル家総統代理、ボリス・ベイリアルを『土の王』に就けるつもりなのだ。

「更に、ディギオンが麿様を封印する為に、多くの者を犠牲にした証拠が集まれば……」

 第一種族の総統家の者は治外法権を持つが、捕らえることも出来るかもしれない。私兵はその証人にもなる。しかし……。

「前に捕まえた者は留置所で殺されたらしいですの……」

 玄庵の言葉にモウンが重々しく頷く。ディギオンが『神』となって三ヶ月。その間捕らえた十人の私兵は全て、魔界に引き渡した後、殺害または突然死、行方不明になっている。

「魔王軍の懲罰委員会には『土の老王』の息の掛かった者がいるらしい。ボリス様が度重なる異常に取り調べの公開、可視化を訴えているが……」

 役目上、独立した組織である懲罰委員会は難色を示しているらしい。

「では、俺はこいつを魔界に連れて行く。アッシュ、エルゼ、玄庵は、このまま二市の見張りを頼む。……くれぐれも気をつけてな」

「はい」

「御意」

 モウンが縄を掛けた私兵を担いで夜空に飛び立つ。そのとき

「班長!!」

 術士二人が同時に声を上げた。

 ズン……地面が揺れると同時にアスファルトを突き破り、鋭い土の槍がモウンめがけて伸び上がる。

「班長!!」

 アッシュが炎を浴びせるが、それは全く勢いを落とすことなくモウンの肩ごと私兵を貫いた。

 低い笑い声が紫の闇から風に乗り、流れてくる。更に地面から何本もの土の槍が飛び出す。四人が上空へと逃げる。遠くに見える高層ビルディングの更に上空まで飛び上がると、流石に土の力の届く範囲を超えたのか槍は崩れて大地に戻った。


 プルルルル……。夜風に軽い電子音が流れる。モウンは肩で絶命した私兵の遺体をビルディングの屋上に寝かせ、目を閉じさせてやると、治療しようとする二人の術士を制して、空に手を翳し携帯電話を取り出した。

 ディスプレイを見て

「シオンか」

 通話に出る。二市の外で任務に就いている部下の定時連絡だ。

「そうか……解った。法稔にディギオンが相当荒れている、更に慎重に事を進めるようにと伝えてくれ。ああ、こちらは皆無事だ。お前はそのまま法稔のガードを頼む」

 通話を切る。モウンは自分を伺う部下達の顔を見回し

「法稔がいよいよ最後の一つ、関山市の市営グラウンドの魔結石の改呪に取り掛かった」

 と告げた。

 麿様のもう一つの忠告が皆の頭に浮かぶ。

『……亀の法師も言っておったが、やはり現世の者に『常世の神』を封じるなど無理がおじゃる』

 ましてや麿様はここ数年、植物の神様として、関山商店街の催しを通し、ネットでも有名な神様になっている。

 今も人々の祈りが届く麿様に掛けられた石化の封呪は、徐々に解けていっている。麿様は元は蝉の子、虫の性を持つ。故に虫達が蠢き出す春には目覚めるだろう。

『そうなれば自由になったディギオンが腹いせに、この世界を『破壊』するのは目に見えておじゃる。そうなる前に、麿が目覚めてしまう前に、なんとか奴を封じる別の手を編み出してたもれ』

 その封呪を玄庵とエルゼが組み、破防班と協力関係にいる冥界の死神、法稔が、ディギオンに気づかれないように、二市の外から魔結石を改変しているのだ。

 これで麿様が目覚める前に封呪を解き、解呪の際の反動を利用してディギオンを封じる。

 しかし、それには……。

「……班長、本当に良いんですか?」

 アッシュのもう何度目かの問いに

「……ああ、俺の命で奴が封じれるなら、安いものだ」

 モウンが肩に手をやり、着いた血を見て薄く笑む。想い人から預かった少女が手元を去ってから、陰るようになった班長の笑みに、班員達のやり切れない溜息がこぼれた。

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