7. 拙い想い
昼間はもう汗ばむほどの陽気だが、さすがにまだ六月の初め、夜なると気温はぐっと下がり肌寒くなってくる。闇に包まれた庭に面した縁側で、モウンはどかりとあぐらをかき、夜空を見ていた。
自供めいた手紙が来てから、もうすぐ一ヶ月。数日前に優香が苺薫にビーズのバラを渡してからは、苺薫の監視は最近疲れが溜まっていたエルゼが担当し、他の女性の見張りは交代で、四人で当たっている。
「しかし、厄介なことになってきたな……」
太い腕を組み、夜闇にぼやく。
先日、法稔が知らせてきた『女侯爵』の奇妙な言葉。玄庵とエルゼによると最近、彼女の魔力が苺薫の周りから感じられるという。面倒臭がり屋な彼女がこの奇妙な事件の黒幕とは考えられないが、何か自分達が見落としていることで、楽しんでいる可能性は十分にあった。
さっきのエルゼの報告に関係があるとか……。
「これは、もう一度、村井に話を聞いた方が良いかもしれん」
初期捜査で苺薫の病気のことを教えてくれた、総合病院に勤める婦長の魔女の名前を呟く。
そのとき、廊下の奥から軽い足音が聞こえてきた。同時に華やかで柔らかな若い女性の気が漂ってくる。
「優香か?」
「うん」
闇を見通す目に少女の姿が映る。
「モウン、ちょっと良い?」
「ああ、ここに座れ」
伺うような声に、モウンは自分の隣を手の平で叩いた。優香が彼に並ぶように縁側に腰掛ける。
「少し話があるけど……良いかな?」
「うん?」
事件の最中に彼女の方から話があると持ちかけてくるのは珍しい。
「何か学校であったのか?」
モウンは学校では優香の叔父ということにして、彼女の保護者になっている。太い眉をしかめると
「ううん、そうじゃなくて……」
優香がもじもじと身体を揺らす。いつもとは違う、彼女の態度にモウンは戸惑いながらも「話してくれ」と促した。
しかし、それにしても……随分、娘らしくなったな……。
言い辛いことなのか、俯いたまま
「あの……、その……」
唸っている優香の姿を眺め、モウンは武骨な唇を緩めた。
最近、伸ばし始めた髪が細い首筋にまつわり、エルゼほどではないが、はっきりと柔らかな曲線を描くようになった胸が、裾の長いシンプルな部屋着を内から押し上げている。パンツの裾からは、脛が闇に白く浮かんでいた。
『班長~、そろそろ優ちゃんにも彼氏が出来るかもしれませんよ~?』
からかうように言ったシオンの言葉が頭に浮かぶ。
……そうだな……。
以前、風呂上がりの上半身裸の状態で優香の前に出たときに、エルゼに
『この世界の女の子なから、それこそ一ヶ月、一ヶ月で大人になっていくんですから』
と、言われたことがあるが、確かに彼女の言うとおり、高校に入学して、ここ二年で優香は驚くほど女らしく成長している。
……確かに、一人や二人、優香に惚れる男が出てきてもおかしくないな。
勿論、彼女と付き合うからには、父親代わりの自分の厳しいチェックをしっかりと受けて貰うつもりだが。
モウンは小さく喉を鳴らすと
「で、何だ?」
まだ、そわそわとしている優香に尋ねた。
「……え……あの……」
よほど話にくいことなのか、まだ、口ごもっている。
「あの……その……えっと、苺薫ちゃんのことはどうなったのかな?……って」
とってつけたように尋ねてくる様子に、少し違和感を感じたものの、優香の友達を思う問いに
「ああ、そのことか……」
モウンは小さく息をついた。
『班長、雨宮苺薫はライアスの薬を飲んでいません』
先程のエルゼの報告によると、苺薫から感じるライアスの魔力は、彼の薬を飲んだことによるものではなく、その薬をいつも側に置いて触れている程度のレベルのものなのだという。
『優香や法稔くんが感じだように、本当に道かどこかで魔族にすれ違った残り香のレベルです』
薬を飲んでいれば、もっと濃くはっきりと内側から漂うはずだと、エルゼは首を傾げていた。
……ということは、苺薫はすでに病院の薬で健康な生活を送れるくらい回復しているのかもしれん。
エルゼの報告は伏せて、その推測だけを優香に告げる。
「良かったぁ……」
優香の顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃあ、ライアスさんから薬が貰えなくなっても、大丈夫なんだ」
「ああ」
「なら、もう、ライアスさんも薬を作らなくていいんだ」
「そうだな」
嬉しそうな優香にぎこちなく頷く。
しかし、彼女は昨日晩、ライアスに電話を掛け、薬が切れたので、新しい薬を欲しいとねだっていたという。
……どういうことだ……?
眉根を寄せるモウンの横で、優香が更に尋ねた。
「ねえ、モウン。ライアスさんはどこくらいの罪になるの?」
「そうだな……再犯だから刑罰を受けるのは確実だが……期間は一年と少し、健康被害はまだ無し、しかも自首に近い形で事件を知らせてきたとなると……以前同様、軽い罪で済むだろう」
その返事にほっと息をつく。
「実はね、モウン。苺薫ちゃん、ライアスさんの事が好きなんだ」
「何!?」
赤い瞳を剥いたモウンに優香は楽しげに告げた。
「もう七年も前、叔母さんが生きていたときから、苺薫ちゃん、ライアスさんに片思いしていたって言ってた」
苺薫がライアスに長年、片思いを……。
「……私もね……おばあちゃんが生きていた頃から……」
またうつむいて、ぼそぼそと呟くように何かを言い始めた優香を、モウンは大きな黒い手をかざし止めた。
「すまん、優香。少し事件について考えさせてくれ」
「……うん」
優香が少し赤らんだ顔をしかめて口を閉じる。
ライアスは事件後、魔界でも恋人は作らず、仕事仲間の話では亡くなった恋人を一生想うと言っていたらしい。
『……私が彼女に負わせた罪の償いの為にも……』
受刑中の彼から送られた手紙の一文を思い出しながら、モウンは空に向かって
「エルゼ」
部下を呼んだ。
「はい、班長。なんですか?」
二人の後ろに柔らかな風が吹いてエルゼが現れる。
どうやらこれから、二人で事件の調査の打ち合わせをすると悟ったのか、優香が小さく息をこぼして縁側から立ち上がる。
「モウン、事件が終わったら、さっき言い掛けた私の話、聞いてくれる?」
黒い瞳がじっと自分を見下ろす。
「ああ、すまなかった。終わったら、ちゃんと話を最後まで聞こう」
どこか、すがるような視線を不思議に思いつつも、大きく頷いてみせる。
優香がとぼとぼと廊下を自分の部屋へ去っていく。
「……班長……」
それを見送って、エルゼが深く溜息をついた。
* * * * *
パートに出掛けるのか、身支度を整えた苺薫の母が家の玄関に鍵を掛けて出て行く。
姿を消して、二階の屋根の影から家の中の様子を伺っていたエルゼは、女性の姿が通りから消えたのを見計らって、壁の向こうの部屋に入った。
ベッドに学習机、本棚にクローゼットやタンス。その上や空きスペースにはぬいぐるみやマスコットが飾られている苺薫の部屋だ。漂う風の強い魔気に顔をしかめて、エルゼは目を閉じると胸の前で手を組んだ。精神を集中し探る。
魔気の中から、インキュバスの魔力を感知する。目を開けて頭を巡らし、学習机の上の長方体の宝石箱のような箱に歩み寄った。
「ここね」
軽く蓋を指でつつき、鍵を外して開ける。同時に息を飲む。
「……こんなに沢山……」
入っていた物の予想はついていたが、中にぎっしりと詰め込まれた量に驚きながら、彼女はそれを取り出し机の上に置いた。
半透明の白い紙に包まれた薬。
ライアスの作った、人の生気を固めた紫の錠剤を三つずつ、紙で包んだものだ。並べていくと、あっという間に机の上いっぱいに広がる。
「……ほとんど飲んでなかったようね……」
数を数え、記録し、エルゼはスマホを出して机の上の大量の薬を写した。画像を短い報告文と共に班長の携帯に送り、また元の箱の中に戻す。
箱も元あった位置に慎重に置く。他に何か無いか、目を閉じて再び探ると、微かな漂う念を察知した。
若い女の情念。絡みつくようなそれが、苺薫のものであることを確認して、エルゼは学習机の本棚から一冊のポケットアルバムを取り出した。
広げて、小さく息をつく。
そこには叔母と一緒に写した古い写真から、最近のものなのか月光の下、沈んだ顔をしている男の写真まで、様々なライアスの写真が納められていた。
「……やっぱり、そういうことなの……」
一枚一枚に彼女の情念が絡みついている。
スマホにアルバムの写真も写す。めくっていくと誰が撮ったものなのか、まだ十歳くらいの苺薫が、談笑するライアスと薫を見ている写真がある。
その写真に指を伸ばして触れ、エルゼは眉をしかめた。
部屋に漂う強い風の魔気と同じ……女侯爵の魔気を感じる。
どうやら苺薫の恋心は非常に厄介な者に目を付けられたらしい。
幼さの残る顔に、はっきりと感じられる憧れと切ない想い。それは、妹のように思っている少女が同じ年頃から、時々浮かべるようになった表情とそっくりだった。
そして、もう一人、エルゼは身近に同じ顔をしていた者を知っている。
「……姉さん」
『エルゼ、私、ブライさんのこと好き』
自分達姉妹を拾ってくれ、保護してくれた男に恋をした姉。
『ブライさんが、すごく辛い過去から恋愛なんて出来ないのは解っているの。だから、私を好きになってくれなくても構わない。その代わり、私はブライさんが必要としてくれる人になるわ』
彼の庇護下から独立し、術士となる為に家を出た自分とは違い、姉は大人になって仕事に就いた後も、ずっと彼の側にいた。大きな心の傷を負い、転居を繰り返す彼が『安心出来る場所』を一緒に作ろうと努力し、結果、ブライにとって恋愛以上の、手離すことの出来ない大切な存在として生涯のパートナーとなったのだ。
しかし……。
『あの人がこんなことさえしなければ、私はこんな醜い人間にならずにすんだのにっ!!』
遥香に、ライアスへの怒りをぶつけていた薫を思い出す。
姉がやったことを、二人の本当の事情も知らず、ライアスの傍らにいた女性の代わりになることだけに憧れる、十七歳の少女にしろというのは無理だ。
彼女の恋は間違いなく散る。
エルゼは深く息を吐いた。
……ならば、出来るだけ綺麗に散った方が良い。
部屋に漂う、女侯爵の魔気を払うように浄化する。スマホの画面をタップし電話を掛ける。
「……もしもし、法稔くん? お玉、まだ冥界かしら? そう、それなら、ちょっと冥界で調べて欲しいことがあるんだけど……」
法稔に伝言を頼んで、通話を切る。
まだ拙い恋を、あんなヤツのおもちゃにされるのは辛すぎるから……!
エルゼはアルバムをそっと閉じて元に戻すと、班長への報告に向かった。
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