8. 旋風

 GWに久しぶりに実家に帰った初日の晩。優香について大事な話があると言って正樹は、面倒臭そうな父と他人事のような顔をしている母に向き合った。

「……なんだと!」

 今でも祖母を想っているモウンと、そんな彼にどうやら優香が惹かれているようだという話を聞いて、目を剥く父に呆れた息を吐く。

 妹を五歳で祖母に預けた後、一応、学校の入卒業等で顔は合わせていたものの、父も母も全くと言って良いほど、彼女に関心がなかったらしい。

 ……普通に考えてみれば、いくら祖母の友人とはいえ、全くの赤の他人の男にあれだけなついている時点で、少しは考えがつくだろうに……。

「許さん! あんな男にあの女だけでなく、あの子まで! どうにかして引き離さないと!」

「おばあちゃん憎しで、手放して、おばあちゃんが死んでも、そのままにしておいたのは親父だろ!」

 急にいきり立つ父と、ただただ困った顔をしている母に正樹は

「とにかく、オレが優香を連れて、あの家から出るから」

 自分と優香二人で暮らす計画を話した。

 モウンは異形の魔族。しかもアッシュに聞いたところ、歳も人間年齢で三十五歳くらいと、優香より十八歳も年上だ。

 それに、どう見ても彼は、優香に父親以上の感情を持っていない。

 ……今なら引き離せば、優香もそのうち別の『人間』の男を好きになるだろう。

 自分への仕送りの中に、優香の生活費も入れるように約束を取り付け、正樹はGW最終日の朝、実家を出た。

 素知らぬ顔で姉の優香の話を聞いていた妹が、何故か玄関まで見送りにくる。

「そんなに上手くいくといいけどね……」

 妹は冷めた声で正樹の背中にぼそりと言葉を投げると、自分の部屋へと戻っていった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「これまた、本当に面白いことになっているわね」

 バイト帰りの正樹を捕まえて、術を掛け、チェーン店の喫茶店でモウンと優香、その家族について一通り聞き出した女侯爵がにんまりと笑う。

「あの牛男が、あの子のおばあさんに横恋慕していたのは知っていたけど……」

 しかし、面白くなりそうだと興味深々見物していた彼女の思惑と違い、モウンはあくまでも想いを心の中に止めるだけにし、彼女にも彼女の家族にも一切気取らせないようにしていた。

「……そこまでしていたのに、その孫が自分のせいで、親に捨てられたとはね……」

 これをあの生真面目な牛男が知ったら、どんな反応を見せるか。

 正樹に帰るように指示を出し、指を鳴らす。と、同時に腕に走った鋭い痛みに顔をしかめた。うすい水色のブラウスの袖を捲り上げ、腕の中程に巻かれた包帯を睨む。

「……あの化け物熊……」

 先日、冥界で負った火傷に舌打ちする。

 苺薫の恋を更に泥沼化させる為に、彼女は冥界の浄化地『悔恨の頂き』に行き、ライアスの恋人を探し出そうとした。しかし、すぐに頂を守る、冥界の守護者達に見つかり阻まれた。そのとき逃れようと起こした強風の渦を隻眼の熊型獣人、通称『頂きの大将』に大剣で切り払われ、小人族の剣から放つ火に腕を焼かれたのだ。

 忌々しげに顔を歪める女侯爵の前で、うつろな目をした正樹が背を向ける。おぼつかない足取りで帰る、後ろ姿を見送って、彼女はにんまりと笑った。


 * * * * *


 土曜日の昼下がり、ライアスは苺薫から連絡を受け、山根市郊外にあるショッピングモールを訪れていた。昨日梅雨入りが宣言された中、そのうっとうしさを打ち払うように夏のセールが行われている。早々と涼しげな服や、水着の特設コーナーが設けられ、親子連れや学生のグループ、カップル達で賑わっていた。

 男性と女性、そして、二人の子供なのだろう、幼稚園くらいの園児の三人家族が目の前を通り過ぎる。ライアスは楽しげな三人の後ろ姿を見送って、目を細めた。

「……薫……」

 魔族とこの世界の人間の間に子を作ることは可能だ。子供が魔族の力をどの程度のレベルで受け継ぐかは、産まれてみないと解らないが、ライアスも薫との間に子を作り、家庭を持とうと話し合っていた。

 その矢先に彼女は病を発症したのだが……。

 指定された二階のフードコートに入る。隅の席に少女が座っている。

「待たせたかい?」

 声を掛けたライアスを眩しそうに見上げて、苺薫は

「いいえ」

 首を横に振った。黒いボブカットの髪がさらりと揺れる。

 苺薫はこれから用があるのか、綺麗に着飾っていた。薄くファンデを塗り、柔らかそうな唇にはネーブルピンクのルージュとグロスを重ねてある。フェミンなワンピースに、白の編み込みのミュール。季節を先取りしたお洒落な彼女の姿は、出会ったばかりの頃の薫にますます似てきていた。

 ライアスは二人分のアイスコーヒーを買ってくると、席に着いた。

 一口、コーヒーを飲んで喉を潤し、さりげなさを保つよう注意しながら、薬の入った薄い袋を出す。中には一包、一週間。四つの包みが入っている。それを確認して、苺薫は微笑んで受け取った。

 去年の春の彼岸に再会し、苺薫が薫と同じ病を発症したと聞いてから、ライアスは月に一回、こうして彼女に薬を渡している。初めは出掛けられない彼女の部屋に赴いていたが、最近は彼女から連絡を受け、外で渡すようになっていた。

 その度に苺薫は綺麗に着飾ってくる。

「ありがとうございます」

 いつものように丁寧にバッグにしまい込む、彼女の手元を見て、ライアスは気付かれないように小さく息を飲んだ。

 一昨日、苺薫の薬を作る為、次のローテーションの番の女性の生気を奪おうと、彼女が寝ている寝室に忍び込んだところ、小さな黒い牛が突進してきて部屋から弾き飛ばされた。

『お前に大事な話がある』

 自分の後を追って飛び出し、ライアスの前に立ちはだかった黒牛から聞こえたのは、あの破防班の班長の声だった。班長は自分の魔力から作り出した分身から、苺薫について調査した結果、解ったことを告げ、あることを頼んで消えた。

 その頼みのとおりの薬を作り上げてきたのだが。

『覚えていて。貴方のせいで私はここまで苦しんで死ぬの』

 死の直前の薫の言葉が脳裏を過ぎる。

「ライアスさん、これから私、買い物をするんですけど、付き合って頂けませんか?」

 苺薫が上目使いに頼んでくる。

「ああ、良いよ」

 もし、彼女の病が班長の話のとおりなら……。

 苺薫のふっくらとしてきた頬がバラ色に輝く。

 その健康そうな笑顔に、ライアスは内心、安堵の息を吐いて、アイスコーヒーを飲み干し立ち上がった。

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