6. 『女侯爵』
お玉の白に茶色の斑の散った手が手鞠をほどき、銀の糸で亡くなった魂の人達の記憶と感情を縛っていく。ゆっくりと呪を唱えながら、最後の一人を縛って糸を切ると、彼女は地面に折り重なった五人の高齢登山者の遺体に手を合わせた。
「ひどいものですね」
経文を唱えていた法稔が茶色の耳を伏せる。
「自己責任と言ってしまえばそれまでだけどね」
お玉も白い耳を伏せた。
登山者の装備は、まるで春の野をハイキングに行くような軽装だ。荷物もバッグや、たいして物の入りそうにないリュックサックのみ。それで、強い低気圧が向かう日に山に入り、ヒバークする知識もなく、山の尾根で立ち往生して、全員低体温症で亡くなった。
お玉はもう一本、金糸の糸をほどくと、銀糸のせいでうつろな目になった魂の人達に掛けた。全員を繋ぎ、最後に自分の手に糸を掛けて、くいと引っ張る。おぼつかない足で彼等が歩き出す。
集団で悲惨な事件や事故に合って亡くなった場合、パニックで暴れ出したり、逃げ出したりして悪霊化しないように、意識を封じたまま冥界に連れていく。
「逝くよ」
こういう魂は悪霊や魔族の格好の獲物でもある。法稔を促すと、お玉は五人を率いて空に浮かんだ。
「……お玉姐さんっ!!」
後を追う法稔が突然、ひげを震わせて呼び掛ける。
「……っ!! あのアバズレかいっ!!」
冷たい風が山の頂から吹き降りる。同時に感じた強い魔気にお玉が舌打ちして、手鞠の残りの糸で繭のように魂の人達を覆った。
風の中から若い女の笑い声が響き、鋭い風が繭を切り裂こうとする。
「オン!!」
短く呪文を唱え、法稔が数珠を鳴らし、印を組む。青い魔法陣がすっと広がり、皆を囲んで、結界が立ち上がった。
「きゃっ!!」
悲鳴が聞こえる。女が結界の壁に弾き飛ばされ、空中に姿を現す。
「何これっ!!」
叫ぶ女に
「腕を上げたね……」
お玉は後輩の術に内心、舌を巻いた。
女は風の第一種族、ジン族の総統家、ミュー公爵家の傍系の侯爵家当主だ。破防班や死神達に『女侯爵』と呼ばれる彼女は、自ら手を出さないものの、他世界の人々が死ぬ姿を見物するのを楽しみにしている。
その傍系とは言え、総統家の血をひく者を、あの短い間で張った結界で弾き飛ばすのは、熟練でも難しい。
数ヶ月前の男の子の幽霊と母と妹の赤ん坊を巡る事件で、法力のみで結界を張ってしまい、ピンチを招いた失敗から、法稔は素早く力を練り上げ、短い時間で強い法術が使えるように修行を重ねていた。
「いい加減、悪趣味はやめませんか?」
法稔が数珠を握り締め、ギリと牙を鳴らす。
「あら、私は見学するだけよ。魂にも手を出さないし、貴方達の邪魔もしないわ」
女侯爵がくすくすと笑う。彼女は今まで魔憲章を破るようなマネをしたことはない。そこはさすがに気を付けているのか、単に面倒臭いことがいやなのか、冥界に訴えられたり、破防班に捕まることになるような事案には手を出さない。だからこそ面倒な相手に怒る法稔を見て、彼女が蠱惑的な笑みを浮かべ、流し目を送る。
「また他世界監視室の室長に頼んで、注意して貰うよ」
むっと睨み付けるお玉に
「おお、怖い」
女侯爵はわざとらしく怯えて見せた。
「折角、面白いものが見られると思ってやってきたのに……、遅かったみたいね……」
重なった遺体につまらなさそうに指を唇に当てる。
「つい、もっと面白いものを見物していて、出遅れたわ」
呟くと彼女はふっと、やってきたときと同じように唐突に消えた。
「……ったく……」
「本当に面倒な人ですね」
舌打ちするお玉に、法稔が呆れたように肩を竦め、結界を解く。
「しかし、あのアバズレ、妙なことを言ったねぇ」
お玉は魂の人達を囲む繭を解いて、ヒゲをひくつかせた。
事故や事件で苦しみ、足掻きながら死ぬ人を眺めることを、至上の喜びとしている女侯爵が、それよりもっと『面白い』ものを見物していたと言った。
「法稔、あたしがこの人達を冥界に連れて逝くから、あんたは今のことを破防班に報告してきな」
「はい」
法稔が頷いて、数珠から一つ玉を取り、呪文を唱えて、ぐっと力を込めた。
「では、お玉姐さん、これを持って逝って下さい。これに軽く念で命じれば、さっきのような結界を張ることが出来ます」
玉をお玉に渡すと、僧衣を翻す。
「では、気を付けて」
「ああ」
ふわりと法稔が消える。
「本当に腕を上げたねぇ」
玉に込められた力を読んで、お玉が目を細める。
「……たく、ますます良い男になってきたじゃないか……」
玉にそっと唇を落とすと、彼女は再び魂の人達を率いて、空に飛び上がった。
* * * * *
土曜日の午後、込み合ったショッピングモールで
「じゃあ、私は駐車場でお兄ちゃんとお母さんが待っているから」
真奈が玄関ホールから出ていく。
朝から三人で映画館を見て、お昼を食べて、軽くウインドウショッピングを楽しんでいた優香と苺薫は、彼女の後ろ姿を手を振って見送った。
真奈はこれから、更に父と待ち合わせをして出掛ける用事があるらしい。
中央の吹き抜けのアジサイを飾ったモニュメントの時計を、優香は見上げた。まだ夕刻には早い。
今から帰っても、事件の調査で誰も家にいないしなぁ……。
「どうしょう? 苺薫ちゃんも帰る?」
優香は苺薫に訊いた。スマホの画面を見ていた苺薫が顔を上げる。
「もうすぐ、三時だからお茶しよう!」
彼女が掲げたスマホの画面にはお洒落なケーキ屋の画像が映っていた。このショッピングモールに新しく入った話題の店だ。目玉は季節のフルーツと自家製ソースを使ったタルト。今はブルーベリーがメインらしい。先日、地域のニュースで見た店の画像に、優香は顔をほころばせながら頷いた。
ファッションショップの角を曲がり、少し行ったところにあるケーキ店にに入る。眩しい初夏めいた日差しが差し込む店内は、休日のせいか、ニュースの影響か、カフェスペースが満席だった。
「少し待ちますが良いですか?」
店員に聞かれ、待つと返事をし、カフェスペース脇の小さな椅子に並んで座る。優香はバッグから午前中に見た映画のパンフレットを出した。
今、SNSで女性の間で話題になっている恋愛映画。ある事情から恋人の娘を引き取って育てている紳士が、いつの間にか娘に恋人の面影を重ね、娘の自分への愛に悩みながらも最後は結ばれるというラブストーリーだった。
つい、それに自分とモウンに重ねて見てしまい、パンフレットの見つめ合う紳士と娘の横顔の写真にうっとりする。
「素敵だったね……」
横からのぞき込んだ苺薫も同じように口元をほころばせた。少し紅色に頬を染める。
「……実はね、優香ちゃん。私、同じように年上の好きな人がいるんだ……」
苺薫はスマホのアルバムを開いた。そこには薄い茶色の髪の、穏やかな顔立ちの男が写っている。
……これはもしかしてライアスさん……?
外国人のような魅惑的な面立ちに、そうではないかと思う。
「……叔母さんの恋人だった人でね……すごく格好良くて優しい人なんだ……」
苺薫がうっとりと笑む。上気した頬の産毛がキラキラと光り、潤んだような彼女の瞳に優香もつい自分のことを口にした。
「……私も……。私はおばあちゃんのことが好きだった人なんだけど……」
「そうなんだ」
「うん。でも私のことすごく大切に思ってくれてはいるんだけど……」
しかし、未だにモウンは自分を子供扱いしている。遥香を見るような視線は、まだ一度も向けてくれたことはない。
口ごもった優香に「私もなんだ」苺薫もぼそりと呟いた。
「あの人の心はまだ叔母さんだけ。でも……」
その唇が小さく歪む。
「私、絶対に諦めない。どんなことをしても彼に私を好きになって貰うんだ」
力強い言葉に優香は思わず顔を上げて、苺薫を見た。
強い意志を示すように閉じられた口元の描く曲線は、どこか妖しい。
「苺薫ちゃん……」
「優香ちゃん、一緒に頑張ろう」
手を握られて、つい頷く。
……そうだよね。少しくらい、こっちからも好きだって言ってみないと……。モウンは本当に鈍感だから……。
「優香ちゃんの想い、叶うと良いね」
「苺薫ちゃんもね」
二人で笑い合ったとき、店員が席が空いたと名前を呼ぶ声がした。
「はい!」
少女達がカフェスペースに移る。
その脇で
「……何? 更に面白いことになっているわね……」
黒髪の妙齢の美女が黒い瞳を一瞬帝王紫に変えて、にやりと笑んだ。
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