5. 青いバラ

 緑の濃くなった学校の中庭の花壇に鮮やかなバラの花が咲いている。五月の最終日、中間テストが終わった優香は、昼休み、真奈と苺薫と一緒に中庭の日陰のベンチでお弁当を広げていた。

 学校には学食もあるが、そちらのメニューは運動部の男子生徒に合わせたボリュームのあるものが多い。当然、スタイルや体重を気にする女子生徒には不評で、彼女達は自分達に合わせたお弁当を持ってくるのが主流だ。

 優香のお弁当は捜査中も『これだけは!』と三食を揃えてくれる、料理担当のアッシュが早起きして作ってくれるものだ。

 昨日の晩、タレに漬け込んでおいたという鶏の照り焼きに、海苔を巻いた卵焼き。夕食のポテトサラダを作るときに、一緒に作って冷凍しておいたというチーズ入りのいももちにマカロニとミックスベジタブルのサラダ。ご飯にはそろそろ暑くなってきたからと梅干しが添えられていた。

 いつもながらの美味しいお弁当を、真奈と苺薫とおかずを交換しながら食べていると、学食の方から背の高い三年生の男子生徒が早々と昼食を終えて出てくる。それに兄を思い出し、優香は小さく溜息ついた。

『さっき銀行で確認したら、優香の分の生活費がちゃんと足されていた。今の事件が終わったら、オレ、班長に家を出る話をするから』

 正樹には、もうそれは決定事項らしい。

『どうして、この家を出なくちゃいけないの?』

 妹の疑問には相変わらず、曖昧に目を反らしながら、兄はまたバイトに出掛けてしまった。

 ……モウン、きっぱり断ってくないかなぁ……。

 優香はちらりとお弁当袋に入れてきた、小さなビーズ細工に目をやった。エルゼ手製のビーズのバラが三つ、陽光にきらめいている。

『これを雨宮苺薫に渡してくれ』

 中間テストが終わった日の夕飯後、優香はこれをモウンから渡された。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『お玉から貰った玉を、私と玄さんで調べて、優香の近くで感じられる魔力が今度の事件の犯人のものだって解ったの』

『それで、ボクが優ちゃんが図書館でお友達と勉強しているところを探ったら、優ちゃんの新しいお友達から、確かにその魔力がしていたんだよ』

 エルゼとシオンの話に驚く優香に、アッシュが手帳を出して、丁寧に説明してくれる。

『優香ちゃんの新しいお友達、雨宮苺薫ちゃんは、ライアスが前の事件を起こした切っ掛けになった、彼の恋人、霧野薫の姪に当たるんだ』

 その苺薫は二年前の夏、叔母と同じアレルギー性の内臓疾患を発症し、休学をして入退院を繰り返しながら治療をしていた。

『そして、去年の春のお彼岸頃に病院に新しくやってきた医師の勧める新薬を飲み始めて、それが身体にあったのか、病状が回復し、今年から復学出来るようになったんだ』

『それが、どう、その……ライアスって魔族と関係あるの?』

 優香の問いにモウンが顔をしかめる。

『丁度、その時期、薫の墓参りに来たライアスと苺薫が接触した可能性がある。苺薫の回復は新薬の効果でなく、ライアスの作った薬の効果かもしれん』

 薬が人の生気を集めたものであると聞いて思わず血の気が引く。青くなった優香をなだめるようにモウンはぎこちなく笑い掛けた。

『まだ、推測だ。だから、苺薫から感じる魔力がライアスの薬を飲んでいるものなのか、それともただ単にヤツと接触しただけのものか、知りたい』

 エルゼが三つのビーズで出来たバラを出す。ピンク、紫、青の花に、小さな緑の葉がついた小振りなキーホルダーだ。

 このバラを形作るビーズは玄庵とエルゼが術を掛けたもので、反応した魔力を増幅し、二人に送ってくれるという。

『それで……もし、苺薫ちゃんがライアスって魔族の薬で良くなっていたとしたらどうなるの?』

 勿論、他人の生気を奪い続けることは悪いことだ。現に、叔母の薫の件でも、生気を取られ続けた人達は、疲労からの回復が遅れたり、風邪が長引いたりという若干の健康被害が出ていたという。

 だが、薬が飲めなくなってしまったら、苺薫はまた病状が悪化してしまうかもしれない。

 青い顔のままの優香に、モウンはもう一度今度は優しく笑い掛けた。

『大丈夫だ。もし、ライアスの薬で知らずに良くなっているとしたら、彼女もまた犠牲者だ。俺の方で室長に掛け合って、なんとか健康を保てる方法を考えてみよう。約束する』

『解った』

 ……モウンは、約束は必ず守ってくれるから……。

 安堵の息をついて、優香は座卓に手を伸ばした。その手にエルゼが苺薫に渡す紫のバラと、真奈に渡すピンクのバラ、優香用の青いバラを乗せる。

『三人分作っておいたから』

『うん、お揃いにしようって渡してみる』

『ごめんね~、優ちゃん。ボクが何とかお友達になってみようとしたんだけど、どうも苺薫ちゃん、ボクみたいな軽い男の子は苦手らしくて』

 そのせいで優香に友達を騙すようなことをさせてしまう。申し訳なさそうに大きなハサミのイボで頭を掻くシオンに優香は首を横に振った。

『ううん。もし、苺薫ちゃんが他人の生気で元気になっていると知ったら、きっと悲しむと思うから』

 健康になった自分を楽しむ苺薫の眩しい笑顔を浮かべて、そう言い切る。優香の言葉に破防班の面々が顔を会わせ、小さく困ったように、微妙な笑みを浮かべた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「優ちゃん、映画で良い?」

 さっきからテスト明けの週末の遊びの予定を話し合っていた真奈と苺薫が、優香に訊く。

「えっ!? ……うん。今月のおこずかい、まだあるから大丈夫だと思う……」

 優香の返事に二人が笑う。

 食べ終えたお弁当箱を片づけ、優香は一つ息を吸うと、袋から三つのキーホルダーを出した。

「これ、エルゼ姉さんが作ったんだ。恋愛運を上げるお守りだって」

「綺麗~」

「エルゼさんはこういうの作るの上手なの。で、本当に効果があったりするんだよ」

 エルゼが魔族だと知っている真奈が苺薫に嬉しそうに勧める。

 優香は指定されたとおり、真奈にピンクのバラを、苺薫に紫のバラを渡し、自分の手には青いバラを乗せた。

『これは優香の為の奇跡の青いバラよ』

 そっと耳元で囁いたエルゼの言葉を思い出す。

「おそろいで作ってくれたんだ。一緒に持っていよう」

「うん」

 苺薫が早速、財布につける。

 ……大丈夫、モウンが約束してくれたから……。

 恋愛運を上げると聞いて、微かに染まった苺薫の頬を見ながら、優香は小さく頷いた。


 * * * * *


 夕なずむ墓場に、長い影が延びる。

 灰色の御影石の墓の前に、淡い茶色の髪の整った穏やかな顔立ちの男がうなだれていた。

「……すまない……薫……、二度と君と犯した過ちは繰り返さないと誓っていたのに……」

 男は絞り出すような声を墓に投げ掛けると砂利の上に膝をついた。

「……すまない……、でも苺薫が、君そっくりな彼女が君と同じ病だと聞いて、手を貸さずにはいられなかったんだ」

 背を丸める。男……ライアスは何度も詫びの言葉を呟きながら亡き恋人に謝った。

「苺薫は君と違って、薬の正体を知らない。だから、私が捕まれば犠牲者の一人として破防班の方で、助けてくれるだろう……」

 七年前、事件を犯した自分を捕縛した雄牛頭の班長を思い出し、誓う。

 今日、苺薫から自分以外の風の魔力を感じた。自分と同じ風の魔族の最下位であるサキュバスの魔力。昔の事件で感じた魔力と同じ力に、ライアスは破防班の手が近くに及び始めたことを知ったのだ。

 後はこのまま苺薫の要望に応じ、気付かないふりをして薬を与え続ければ、そう時を経ずして破防班に捕縛される。

 ライアスがゆっくりと立ち上がる。

「……薫、苺薫はきっと救ってみせるから」

 そう言ってきびすを返したとき、墓場の上空に風が巻き起こった。同時に強い風の魔力が周囲を覆う。

「これは……!!」

 風の第一種族、ジン族の魔力。同じ属性の魔族としての本能が告げる。砂利の上に膝をついて、頭を垂れたとき、楽しげな女の笑い声がして、人影が現れた。

 白のスーツを身につけた女が墓の上に座り、足を組む。

「面白いわ」

 ライアスが顔を上げて、息を飲む。闇夜のような黒い髪に帝王紫と呼ばれる美しい紫色の瞳は、ジン族の総統家、ミュー家の血筋の証。女は褐色の肌の頬を細い指でついて、ライアスに侮蔑の笑みを向けた。

「二度も女にいいようにされるインキュバスなんて」

 玉のような笑い声がころころと墓場に響く。また一陣の風が吹き、女の姿はかき消すように消えた。

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