4. 二つの薬

 GW明けの月曜日。青い空から眩しい朝日が県立関山商業高校の自転車置き場に降り注ぐ。自転車籠から、カバンとリュックを下ろして担ぐ優香に

「おはよ~」

 隣のクラス、2ーBのスペースに自転車を止めた、太田おおた真奈まなが声を掛けた。

「おはよう、真奈ちゃん」

「ねえ、優ちゃん。もしかして何か変わった事件でも起こったの?」

「ん?」

「うちのお父さんが、沖田のおじいさんと、昔の事件と似たような事件が起きたって、電話で随分話し込んでいたから」

「うん。七年前の事件とそっくりの事件が起こったんだって」

 優香は声を潜めて答えると、真奈と校舎に向かった。

 真奈の父親、太田おおた賢一けんいちも優香と同様、破防班に協力する魔術師だ。真奈はその力自体は受け継いでいないものの、子供の頃から父の不思議な力を見て育っている。それもあって、幼稚園で友達になって以来、真奈は優香にとって、異形の家族の話も普通に出来る、一番仲の良い友達だった。

「妙なことが多くて、皆、慎重に調べているよ」

「うん、うちのお父さんも捜査に協力するけど、おかしな事件だって首を捻ってた」

 お陰で、GWはどこにも遊びに行けなかった。まあ、検定試験の勉強で行く予定も無かったが。それでも忙しそうな調査の合間を縫って、モウンが自分を部屋に呼んでくれた。

『シオンから聞いた。遥香の治療の話のことだが、すまんが事件が終わって落ち着くまで待っていてくれ。その後、じっくりと優香が納得いくまで説明する』

 自分を心から気遣う声と優しい視線、思い返しても胸がドキドキする。

 ……期待しても良いよね……。モウン、あんなに私に優しいもん……。

 ほうと息をついたとき

「優ちゃん、聞いてる?」

 真奈の声が飛んで、優香ははっと我に返った。

「ごめん。何?」

「あ、やっぱり聞いてなかったんだ」

 真奈が苦笑する。その彼女の横には、同じ高校の制服を着たボブヘアの少女がいた。

「この子、雨宮あまみやさん。ちょっと病気で学校を休んでいて、また新学期から通い始めたんだって。雨宮さんも放課後、一緒に出掛けて良い?」

 日曜日の検定の帰り道、優香と真奈は今日の放課後、一緒に駅前商店街に出掛ける約束をしていた。

「太田さんのクラスの雨宮あまみや苺薫いちかといいます」

 さらりと黒髪を揺らして、苺薫が笑む。

「ああ、この子が真奈ちゃんの新しい友達?」

 真奈が勉強の合間に話していた、病気で一年留年したという新しい友達のようだ。

「うん、良いよ。私は2ーAの皐月優香といいます」

 苺薫が嬉しそうな顔をする。煩っていた病気のせいか、少し痩せているが、綺麗に顔立ちの整った女の子だ。

「よろしくね」

「こちらこそ」

 三人が並んで歩き出す。そのとき、優香の肩と苺薫の肩が触れ合った。

 アレ?

 微かに彼女から魔力を感じる。

 ……でも……。

 それはごく微量だ。例えば電車やバスで魔族が隣にいて、その魔気が着いた残り香、程度でしかない。

 ……この街にも普通に暮らしている魔族はいるし……。

 更に彼女の魔力を軽く探るが、それ以上のものは感じなかった。

 ただ……。

 何か、エルゼ姉さんに似ている力だなぁ……。

 優香は軽く首を捻ると、二人と共に生徒玄関に入った。


 * * * * *


「ただいま~」

 苺薫は玄関で靴を脱いでにんまりと笑った。今日の放課後、ほぼ二年ぶり……高校一年生の春、叔母と同じ病を発症して以来、久しぶりに同級生とお出かけをしてきたのだ。

 再来週の中頃にある中間テストのテスト期間が始まるまでの、商業校の貴重な何も無い放課後。苺薫は今年の春から通い始めたクラスで、仲良くなった女の子とその友達と、駅前商店街に寄ってきた。

 駅前デパートで、今週末の日曜日の母の日のプレゼントを買い、テナントとして入っているドーナツ店で、期間限定のドーナツとカフェオレを飲みながら、たわいのない話をする。

 この二年、夢見ていた時間をやっと過ごせた。苺薫は弾む足取りで廊下の奥の二階の自室への階段に向かった。

「苺薫、帰ったの? 遅かったわね」

 パートから帰っていた母がキッチンの扉から顔を出す。

「うん、友達と駅前に寄ってきたんだ」

 娘の笑顔に、心配性の母の顔が緩む。

「そう、本当に元気になって良かった。新薬を紹介してくれた病院の新しい先生に感謝しなきゃ」

 階段を上がる。背中から母の声が追い掛けてくる。

「苺薫、来週の水曜日、病院に診察に行くから。学校にはもう休む連絡したからね」

「は~い」

 答えて、部屋に入り、カバンとリュックを床に置く。

「病院か……」

 体調は良くなったものの、まだ苺薫は病後の経過を見る為に、月に一度、病院で検査と診察を受けている。

 苺薫は学習机の上に飾った宝石箱の蓋に手を掛けた。

 退院してからの経過は順調だ。悪い検査結果は出ていない。

 小さく笑って蓋を開く。そこには半透明の紙に包まれた紫色の錠剤が、封も切られずに入っていた。


 * * * * *


 五月も後半。街路樹が濃い緑色に変わった街は、今日もぐんぐんと気温が上がっている。

 関山市のオフィス街の中にある、ファストフード店の二階で、エルゼはアイスティーをトレイに一つ置いて、真向かいのビルを眺めていた。

 そこには例の手紙に書かれていた女性の一人が勤めている。

 目を細め、彼女が仕事をしている様子を探り、アイスティーを一口飲む。その口から疲れた息がこぼれた。

 ライアスの手紙に書かれていた女性を、アッシュとシオンと手分けして調べたところ、全て実在する人物だった。関山市を中心に点々とまるで円を描くように住んでいる。歳は20代後半から30代後半までの女性。エルゼが今監視しているようなOLや派遣社員、主婦、フリーター等、職業も様々で性別以外に共通していることはない。

「これも七年前と同じね……」

 そして、これも七年前同様、ライアスはローテーションを組んで、少しずつ……本人にはちょっと疲れたかな? と思う程度に生気を奪っているらしい。死神や魔術師の調査でも、他に魔族が関わっているような動きはなく、決定的な事件の証拠が掴めてないまま、時間だけが過ぎていた。

 そこで、今、班長も含め班員達五人、それぞれ自分の魔力を一部具現化した生物を作り、それを被害者の側に潜ませて、ライアスが彼女達に接触したところを押さえようとしている。

 エルゼの場合は小さな、親指の先ほどの大きさの蝙蝠を作り、潜ませていた。

 ゆるりと頭を振り、細い首筋を揉む。

 高位の魔族である、アッシュやモウン、玄庵、突然変異で強い水の力を内に秘めているシオンと違い、エルゼは生まれつき魔力が低いサキュバス族だ。それでも他のサキュバスよりは魔力はあるが、こういう長丁場の捜査で力を使い続けるとなると、どうしても他の班員より負担が大きくなる。

 ……忙しいから、そうそうアッシュに力を貰う訳にもいかないし……。

 それでも彼女を気遣って、今朝、首筋へのキスと共に力を分けてくれた彼を思い出し、そっと指を這わす。小さく笑んだとき、店に闇の気配が入ってきた。

 強い力を持つ、冥界人の若い女だ。階段の方を向くと紺色に飛ぶ燕を描いた単衣の着物をしゃなりと着こなした、妙齢の美女が飲み物を乗せたトレイを手に入ってきた。

「おたま

「エルゼ、ここにいたんだね」

 冥界の死神、本性は猫型獣人、猫又族のお玉が隣に座る。

「大丈夫かい?」

 エルゼの顔色を見て、肩に手を置く。彼女から安息の闇の力が流れ込み、エルゼはほっと息をついた。柔らかな力に疲れが消えていく。

 玄庵が死神に情報を聞きに向かったように、エルゼ達、破防班と死神達は互いに協力関係にある。特にシオンと、お玉の相棒で、後輩である狸型獣人の少年法師、法稔ほうねんは親友と言ってもいい付き合いをしていた。エルゼとお玉も同じ年頃というのもあって仲が良い。

「ありがとう」

 魔力の低い自分を気遣ってくれる友人に感謝の笑みを向けると、お玉が紅の塗った唇にストローをくわえて小さく頷く。

「手こずっているようだねぇ」

「ええ」

 エルゼは正直に困った顔をした。

「お玉はどうしてここに?」

「実は調査の足しになるかと思って、エルゼを探して来たんだよ」

 懐から青い玉を出す。

「これは……法稔くんの?」

 お玉がテーブルに置いた直径三センチほどのとろりと濃い青色の玉は、いつも法稔が法術を使うときに使う数珠の玉だ。

「そう。法稔が麿まろ様の頼みで優香ちゃん達に、これを渡したままにしているのは知っているだろう?」

「ええ」

 この辺り一帯を納める土地神である麿様の身に、近い未来降りかかるであろう『起こるべくして起きる災い』。それから、近しい人達を守る為、優香と麿様の花の巫女、富田とみた瑞穂みずほと使い、沖田おきた和也かずやに、この玉が渡されている。優香はこれを小さな袋に入れて、持ち歩いていた。

「実は最近これから、前の事件のように破防班以外の魔族の魔力が感じられると法稔が言ってね」

「え!?」

 エルゼが目を見開いてまじまじと玉を見る。

 以前の事件で法稔はこれを通して、エルゼとアッシュの部屋に仕掛けられていた術を感知し見破った。

「時間帯は夕方、ごく最近のことらしいけど、それがどうも風の魔力らしいんだ」

 お玉が詳しい時間帯を告げる。

「今、優香は中間テストのテスト期間中だから、多分、放課後、図書室かどこかで勉強している時間ね。そういえば、最近、新しい友達が出来て、真奈と三人で勉強しているって言っていたわ」

「その友達からかねぇ……」

 細い眉を寄せる。

「詳しく調べてみたいけど、ちょっとこっちもこのところ忙しくてね」

「行楽シーズンに入ったものね」

 エルゼは苦笑を浮かべた。行楽シーズンに入り、人々が山や海等の自然の中に出掛ける機会が多くなると、どうしても一定数、自然を甘く見て事故で命を落とすものが出てくる。その為、死神はこの時期、更に多忙になるのだ。

「ありがとう。後はこちらで調査するわ。優香のことでもあるし」

「なにか糸口が掴めるといいね」

「ええ」

 玉を自分の服のポケットにしまう。そのとき、軽い電子音が鳴った。お玉が懐からスマホを出す。画面を見、掛けてきた相手を確認して唇を笑ますと、タップして耳に当てた。

「どうしたんだい?」

 口調はそっけないが、声が先程より微妙に甘い。エルゼは小さく微笑んだ。お玉がこんなふうになる相手はただ一人。相棒の法稔だ。ハニートラップさえこなす妖艶な凄腕の死神のお玉は、年下の少年法師に少女のような恋心を抱いている。

「そう……解ったよ。今行く」

 だが、連絡は単なる仕事の話だったようだ。軽く唇を尖らせて通話を切る。

「……お玉も大変ねぇ」

 堅物が僧衣を着ているような法稔の方は、彼女の恋心に微塵も気付いてない。

「朴念仁に惚れちまったからね……」

 お玉は苦く笑うと「そういうそっちはどうだい?」と尋ねてきた。

「優香ちゃん、綺麗になってきたじゃないか」

 エルゼは首を横に振った。

「班長の中には、ずっと遥香さんしかいないから……」

 武骨な父親代わりにとっては、優香は昔も今も娘のような存在。それ以上の感情は無い。

「そっちも大変だね……」

 お玉が嘆く。エルゼも眉をしかめると頷いた。

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