3. よみがえる事件

 ボーン、ボーン。皐月家の居間の古い振り子時計が0時を告げる。カッチカッチとまた針が時を刻み始めると同時に、ふわりと柔らかな水気と若い鮮烈な水気が湧いた。

「班長はまだかの?」

「優ちゃんはもう眠ったよ」

 玄庵とシオンが居間に現れる。アッシュは玄庵の問いに首を横に振ると、二人の分のお茶を淹れ始めた。

 シオンの報告を受けた後、モウンはすぐに破防班の上層組織、他世界監視室に封書の鑑定を依頼する為、魔界に出掛けた。

 居間の座卓の上には出掛ける前に、着いた魔気が薄れないように玄庵が保管術を掛けた後、シオンが近所のコンビニに走って取ってきた便せんのコピーが置いてある。

「書かれている内容は、昔のものと、ほぼ同じのようじゃの」

 アッシュの隣で、難しい顔をして過去の事件のファイルをめくっていたエルゼが、中から一枚、古いコピーを抜き取った。

 七年前、隣の関山市で若い五人の女性が、魔族に長期に渡って生気を吸い取られ続けるという事件があった。その発覚の切っ掛けとなった、桜色の封筒に入っていた手紙のコピーだ。

 犯人はサキュバスと並ぶ、風の魔族の最下階のインキュバスのライアスという名の男。彼は事件の五年前から、この世界で恋人である人間の女性、霧野きりのかおると共に住んでいた。

 実は魔族が他世界で、その世界の人間に混じって暮らすということは少なくない。種族、家系、魔力の強弱による上下関係が厳しい魔界を嫌がり、もっと自由で平等な世界で暮らそうとする魔族は幾人もいる。

 そういう魔族は、玄庵の友人のように、特にその世界の歴史や住人の生活に大きな危害を加えることがなければ、破防班の対象になることもなく、普通の人として生活していた。

 ライアスもそんな魔族の一人だった。だが、彼は恋人がアレルギー性の内臓疾患症を発症してからおかしくなった。疾患のせいで栄養が十分に取れず、痩せ衰え始めた恋人に、他の女性から奪った生気を使って作った薬を与え始めたのだ。

 桜色の封書は、そんなライアスの所業を知った恋人の薫からの告発状だった。便せんのコピーには綺麗な女文字で

『どうか、彼を止めて下さい』

 という言葉と五人の女性の住所と名前が綴られていた。

「似てますね」

 エルゼが眉を潜める。

 今度の便せんには

『どうか、私を止めて下さい』

 という言葉と五人の女性の住所と名前が綴られている。

 だが、大きく違うのは……。

 居間にどっしりとした土気が湧く。と同時に黒い軍服に黒いマント姿のモウンが現れる。

「お帰りなさい、班長」

 部下達の労いの言葉に、どかりと疲れたようにモウンは座布団に腰を下ろした。

「どうでした?」

 アッシュが出した湯飲みを受け取り、一口茶を啜る。

「やはり、封書に付着していたのはライアスの魔気だった。便せんの筆跡も奴のもので間違い無い」

 大きく息をついて唸る。

 今朝の手紙には七年前のものと違い、筆記体のような形の文字で、文面が綴られていた。魔界の公用語だ。

「刑罰の執行状にあるサインや、その後監獄から俺に送られた手紙と筆跡鑑定したところピタリと一致した」

 モウンが太い腕を組み、今朝のコピーを睨む。

「じゃあ……再犯ってことですか?」

 シオンがおそるおそる尋ねる。

「もしかして、班長にも処罰が……」

 ライアスは破防班の捜査中、恋人の薫と彼女に共感した遥香の説得により、自ら罪を認め、自首した。生気を奪われていた女性達にも、まだ致命的な健康被害は起こっておらず、二人に頼まれたモウンが減刑嘆願書を出して、刑罰も軽くすんだのだ。

「他にも班長の口添えで、薫さんを最後まで看取ってから、魔界に収監されたんですよね……」

 おろおろと心配げに声を震わせるシオンに、モウンは武骨な唇をゆるめた。

「大丈夫だ。それに関しては、奴が模範囚だったのと、その後、更生して暮らしていたこと。今回の事件が、どうやら誰かに強要されてやらされている疑いがあることから、俺には影響は及ばないだろうと、室長が言っていた」

 他世界監視室の室長は丸顔を綻ばせながら『これから大事に向かう、お前達の足は引っ張らせないよ』と請け負ってくれた。

 ほっと、安堵の息が居間に流れる。

「で、今回の事件についでだが……」

 班長の言葉に皆が居住まいを正す。

「ライアスは出獄後、故郷の街の孤児院で職員をしていたらしい」

 院の近くの小さな集合住宅に一人で住み、勤務態度は真面目で、孤児達にも慕われていた。こちらの世界の春と秋の彼岸、お盆に薫の墓参りをする以外は、特にどこかに遊びに行くようなこともない、地味な生活を送っていたという。

「それが、去年の春の彼岸に恋人の墓参りをしてくると、いつものように休みを申請して出発して以来、魔界に帰ってきていない」

「その春の彼岸に何かあったのでしょうか?」

 メモを取りながらアッシュが訊く。「多分な」モウンは頷いた。

「アッシュ、エルゼ、シオンは七年前同様、手紙に書かれた女性を当たり、彼女達を調べてくれ」

「はい」

 アッシュがコピーを手元に寄せ、二人を呼んで、打ち合わせを始める。

「玄庵は死神達に連絡を取って、一年前の春の彼岸頃から、関山市で魔族絡みの不審な出来事が無かったか訊いてきてくれ」

「御意」

 死神とは、各界から死者を送り届ける役目を持った、冥界の兵士達のことだ。彼等は冥界でも生え抜きの戦闘能力を持ち、その役目から各界の津々浦々に精通している。

「俺は宗一郎そういちろうと同じように魔族絡みの事件がなかったか調べてくる」

 宗一郎……沖田おきた宗一郎そういちろうは破防班の下位組織、魔術師ギルドの日本支部の長だ。この世界にも魔族には及ばないが、不思議な力を持った人間がいる。その者等に魔族が力の使い方や制御の仕方を教えた者が魔術師。遥香と優香もそうだ。彼等はギルドに所属することによって、力について破防班のサポートを受けられ、その代わりに破防班に住居を貸したり、事件が起こった場合は、主に情報収集の面で彼等の手助けをする。

「班長はライアスが他の魔族に強要されていると考えているのですか?」

「ああ、自ら罪を告発してきたということは、その可能性がある。ただ……」

 モウンが眉根を寄せる。

「七年前の事件の再犯なら、やっていることが余りに軽い」

 七年前のあの時、ライアスは五人の女性から、破防班に見つからないよう少しずつ、ローテーションを組んで健康被害が起こらない程度に慎重に生気を奪っていた。

「ただ、それが三年という長期に渡った為、被害者の女性達に風邪が治りにくくなる等、体調不良が現れ始めてましたね」

 その中の一人に薫の同僚がいて、それが彼女がライアスの所業に気付いた切っ掛けになったのだ。

「……確かに長期に渡らないと表に出ない、健康被害程度では魔族が満足出来るとは思えません」

 アッシュが首を捻る。

 魔族が他世界まで来て事件を起こすのは魔界では満たされない強い『破壊』衝動を満たす為だ。

 モウンは便せんのコピーに手を伸ばした。何かを訴えるような震える字。

「とにかく、この事件は不可解な点が多過ぎる。皆、慎重に調査を進めてくれ」

「はい」

「御意」

 何故、お前は再びこんなことをしている……?

 鑑定後、立ち寄ったライアスのひっそりとした一人暮らしの部屋を思い返し、モウンはコピーを見つめ、赤い瞳を細めた。

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