File.5 花散らし

1. 春の嵐

 明日からGW初日の街を強風が駆け抜ける。遠くで雷鳴の音が響き、降り出した雨音と共に、何かが板塀の向こうの道路を転がる音がする。

 多分隣のブロック塀だろう、ぶつかる派手な物音に優香ゆうかは思わず隣に座った雄牛顔の男、魔王軍特別部隊破壊防止班、ハーモン班、班長、ミノタウロス族のモウン・ハーモンの太い筋肉質の腕に抱きついた。

「大丈夫だ。優香。この家はビクともしない」

 今年小学五年生。半ば捨てられるように、父母から祖母に預けられてから五年が経ち、十歳になった彼女を、さすがにもう膝の上に乗せることはしないが、大きな手で優しく頭を撫でてくれる。

「そうじゃよ。儂とエルゼでしっかりと家に防御術の掛けたし、家を囲む結界も強めに変えておいてあるからの」

 居間の座卓の向こうで、同じくハーモン班、後方支援担当術士兼、鑑識官の亀魔人の流水るすい玄庵げんあんが、鳥のくちばしのような口で、お気に入りの萩焼きの湯飲みからお茶を啜り、ゆさりと背中の甲羅を揺さぶって笑む。

「そうそう、玄さんは術はピカ一なんだから」

 調子良く相槌を打って

「『術は』とは何じゃ!」

 睨まれたのは、ハーモン班の捜査官、レッドグローブ族のシオン・ウォルトン。普段は柔和な玄庵の鋭い眼差しに、ザリガニ頭の頭頂から伸びた赤い触角をすくめる。

 二人のいつものやりとりに優香はほっと息をつくと、モウンの腕から手を離した。さっきから見ていたテレビに視線を戻す。大きな遊園地を舞台に芸能人が真剣に鬼ごっこをするバラエティ番組だ。背景に映る遊具と外の雨の音に

「明日、私も遊園地に行くのに……」

 と、口を尖らせる。

 そんな彼女に、ハーモン班副長、サラマンドラ族のアッシュ・ブランデルが

「明日朝には嵐は通り抜けるってエルゼが言っていたよ」

 穏やかにトカゲそっくりの顔の口元を緩ませ、蜂蜜入りのホットミルクを渡した。

 そのエルゼ、ハーモン班前衛補助術士兼、鑑識官、サキュバスのエルゼ・レイヤードが暖簾をかき分けて台所から入ってくる。

「ええ、明日は良く晴れた良い天気になるわよ」

 風の魔族の感覚が告げるのか、小麦色の肌にウエーブの掛かった黒髪の美女は優香に魅惑的なウインクした後

遥香はるかさん、はい、煎じ薬」

 盆に乗せて持ってきた細目の湯飲みを座卓に置いた。

「ありがとう。エルゼ」

 優香の隣に座っていた、祖母、遥香が礼を言って湯飲みを手にする。

 白髪混じり髪を綺麗に撫でつけた美しい老女が品良く湯気を吹いて、玄庵の友人の『医』の魔族、青龍族の医師が調合した薬を飲む。雨のせいか昨日よりぐっと下がった気温に、少し声が枯れている。モウンが気遣わしそうに赤い瞳を向けた。

「……本当に大丈夫なのか?」

 遥香は元々心臓が弱く、血流が悪いせいで、身体が弱い。老いと共に頻繁に体調を崩すようになっていた。

「ええ。昼間寝ていたら随分楽になったわ。ごめんなさい。今日も家の事を全部任せきりで」

 モウンを安心させるように笑んだ後、アッシュとエルゼ、シオンにすまなそうに頭を下げる。

 今年に入ってからは、食事の支度をアッシュが、掃除や洗濯等をエルゼが、庭の手入れをシオンがと、ほとんどの家事を三人が分担してやっている。

「いや、オレはもともと料理好きだし」

「気にしないで。遥香さん」

「ボクも庭木の手入れ、楽しいよ」

「ありがとう」

 重ねて礼を言う遥香にモウンが向き直ると膝を進めた。

「遥香、優香の為にも、玄庵の話を受けてくれないか?」

 彼女の目が隣で心配そうに自分を見ている孫娘に注がれる。

 六十歳を越えてから、ぐっと身体が弱ってきた彼女に、玄庵は煎じ薬を作る医師の診察を受け、魔術も使った治療を受けるように勧めていた。

「……そうね……せめて優香が成人式を迎えるまでは生きたいわ」

 その度に返事を保留にしてきた遥香が、今年に入ってから頻発する体調不良がこたえたのか、ようやく首を縦に振る。

「なら、善は急げで、奴に連絡を取りますぞ」

 玄庵の友人の医師は、長くこの世界によく似た人種がいる世界で、薬問屋の番頭をしている。そのせいで人間の医療にも精通していた。

「奴は勤める店から離れられませんので、遥香さんには儂とその店に行って、奴に会って貰わねばなりませんが……」

 薬問屋には遠方から薬を求めて来た客を泊める離れがあり、そこに二人が泊まって、何ヶ月か治療を受けることになっているという。

「留守は任せておけ」

 モウンが優香の肩に手を置く。

「今のところ、何かの事件の予兆も無いですし、少し玄さんが留守にしても大丈夫でしょう」

 アッシュも請け負う。

「解ったわ」

「おばあちゃん、元気になって帰って来てね」

 優香が祖母の決意に嬉しそうに笑う。そんな孫娘に遥香は「ええ」力強く答えて、彼女の黒いショートカットの髪を撫でた。


「じゃあ、優香ちゃん、明日は朝早く家を出るから、もうそろそろ寝て」

 治療の算段をし始めたモウンと玄庵、遥香の横で、電車の時刻表を確認していたアッシュが彼女に寝るように勧める。

「うん」

 頷いて、歯磨きをしに洗面台に向かう。

「遥香、きっと元気になれるからな」

 嬉しそうに顔をほころばせ、祖母を見るモウン。

 その目は自分を見る目と同じように優しく、それでいて自分を見る目とは違う、熱っぽい光を帯びていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 多分、あのときが初めて、モウンを意識したときなのだろうな……。

 七年前と同じ強い強風が、明日GW初日を迎える皐月家を揺らしている。叩きつける雨音と遠くで鳴る雷鳴の音が、あのときのように布団の中まで聞こえていた。

 明日の休日から兄は、先日、優香に話した提案を実現する為に実家に帰る。鬱々とした思いに、嵐の音が重なって眠れず、優香は闇に息を吐いた。

 兄が家に越してくる前、二年前の夏の夕刻の出来事が頭に浮かぶ。お風呂に向かう優香の前に現れた、湯上がりの上半身裸のモウン。贅肉の欠片も無い、引き締まった筋肉質の肉体は、黒い薄い毛並みに覆われて、残照に逞しく光っていた。

 優香に彼が『男』であることを自覚させた瞬間。

 それを切っ掛けに、初めはじんわりと徐々に、はっきりと自覚したある想い。

 ……良いなぁ……おばあちゃん。私もモウンに、あの熱っぽい目で見られてみたい……。

 兄の提案を聞いてから、優香は改めてそう想うようになっていた。

「……モウン……」

 呟くと寝返りを打つ。脳裏の祖母を自分へと変え、優香はまた一つ闇に息を吐いた。


 * * * * *


 魔王軍特別部隊破壊活動防止班。

 それは『破壊』の種族である魔族の尊厳を護る為に、古の魔王によって作られた組織。

 魔族は『要の三界』を司る者として、創造神と呼ばれる大神から『全てを破壊する力』を与えられた。だが、その大きな力を制御しきれず、『破壊』への欲求を押さえきれなくなる者が現れることがある。

 そんな『落伍者』から各界を守る組織。

 チームは五名一チーム。上層組織、他世界監視室より、魔族の『破壊』活動が行われやすい世界に送られ、その世界の人に紛れ生活し任務を果たす。

 彼等は魔王により個々の裁量で断罪者に制裁を与えることも許されていた。

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