13. 第二形態・竜人
「……あ……あ……」
シオンの震える声が流れる。闇の中、強力な火気を持ったものが現れる。
バサリ……大きく翼の音が鳴った。皆の目が、それを捕らえる。
鋭く後ろに伸びた角。赤い蝙蝠のような翼。一周りも二周りも大きくなった身体には、先程まで着ていた紅色の礼服がボロボロになって纏わり付いている。潰れた左目から溢れる血が顔半分を赤く染め、地面に滴り落ちる。カラン……腰に帯びていた剣の鞘が音を立てて落ちた。
ウオァァァァァ!! 天を仰いで吠える。
「……火の一族の第二形態……」
逆流する力を受けて、床に転がった後輩をお玉が起こす。法稔が息を飲んだ。
サラマンドラ族、第二形態、竜人。普段は力を押さえる為、トカゲ人の姿をとっているが、火竜の子孫である彼等の本来の姿である。
「なんて、火気じゃ……」
横で玄庵が唸った。
ズン……ゆっくりと竜人が歩き出す。
「逃げろ、シオン」
アッシュが彼の前に立ち、剣を構える。
「完全に正気を失っている。ああなったら化け物だ」
ウオァァァ!! 竜人が一声鳴いて飛び立つ。その前にモウンが立ち塞がった。竜人が力任せに剣を振りかぶり降ろす。モウンの剣が受け止める。
ギン!! 腕に走る痺れに鬼の班長の顔がしかむ。
「力まで上がっているのか!?」
それでも何とか弾き返し、次いで自分から打ち掛かる。ギン!! 二つの剣が再びぶつかる。闇に火花が散る。そのとき、双方の剣が衝撃とパワーに耐え切れず、真ん中から砕け散った。
「班長!!」
「だぁああ!!」
モウンが気合いと共に、竜人の折れた剣を持つ右腕に鋭い蹴りを放つ。竜人の手から剣の柄が飛ぶ。とりあえず刃物は外した。小さく息をついたモウンに「グアァァァァ!!」竜人が吠えた。
ゴウ!! と竜人の周りに炎が起きる。それは、さっきまで使っていた赤からオレンジのものではなく、黄色くところどころ白く燃え盛っている。明らかに火の熱が上がっている。慌ててモウンが引く。が、炎はまるで生き物のようにうねりながら彼を追った。
「班長!!」
アッシュが剣を握っていない左手を払う。同時に「危ない!!」法稔が数珠を手にグラウンドに降り立つ。
アッシュの起こした熱風と法稔の張った結界の阻まれ、寸前のところで炎が消える。竜人が怒りの雄叫びを上げた。
「行くよ! 法稔!」
お玉が後輩に声を掛けて飛ぶ。
「はぁっ!!」
白い手に極彩色の手鞠が現れ、解ける。赤、白、緑、金、銀、手鞠をかたどっていた糸が竜人に纏わり付き、キリキリと縛った。手と翼の自由を奪われ、竜人が暴れる。
ジャラン!! 法稔が数珠を鳴らし、呪文を唱え、更に、お玉の糸を強化する。ギリギリと糸が竜人を絞める音が鳴る。
「オン!!」
気合いの籠もった玄庵の掛け声と共に、大量の水がグラウンドから吹き出し、竜人を包んだ。
「ウボァァァァ!!」
火の一族が最も苦手とする水に覆われ、竜人が吠える。が、「アレではダメだ……」アッシュが呟く。
ジュア!! 水が大量の蒸気に変わる。強い熱気を帯びた水蒸気が三人を襲う。慌てて、法稔と玄庵がお玉を庇って結界を張った。
「アッシュ! 行くぞ!」
モウンが全身に力を込める。グラウンドのゴムが剥がれ、下から地面が現れ、大小の土塊が空に浮かぶ。アッシュが周囲に影響が出ないよう慎重に炎を呼ぶ。小さな光の球がいくつも現れる。見た目は美しいが高温の熱をはらんだ剣呑な光の球。モウンが一気に術を放つ。大量の土砂が竜人を襲う。それに竜人が顔を背け、怯んだ隙にアッシュは光の球を放った。
ジュッ!! ジュウゥゥゥ!! 肉の焦げる嫌な音と匂いが流れる。だが……。
ガアアァァァァ!!
更に大きな雄叫びが上がる。全身のあちこちを光の球で焼かれながらも、竜人は吠える。残った右目が赤く輝き、更に強い火気が全身から立ち上った。
「……同族ながら、本当に化け物だな……」
アッシュが乾いた声を出す。これ以上の術は竜人が放出する火気に加算されて、周囲の住宅街で使っているかもしれない火に影響を与えかねない。消えた投光器を惜しげに見回すアッシュの後ろで
「ボクも!!」
シオンが唯一まともにコントロール出来る技、さっきの氷の玉を作る技を使うべく、大きなハサミを身体の前で合わせた。
「バカ!! シオン!!」
「やめろ!! シオン!!」
周囲が叫ぶ中、空に氷の玉が現れる。それを見た竜人の目が怒りに染まった。バサリ!! 大きく翼をはためかせ、竜人がシオンに向かう。
「えっ!?」
戸惑うシオンに、誰が己の左目を奪ったのか、思い出した竜人が吠える。メラメラとさっきより高い温度の……白い炎が全身を包んだ。
「シオン!!」
モウンが部下の前に立ちはだかり、手が焼かれるのも構わず、突っ込んでくる竜人に渾身の右ストレートを叩き込む。竜人が吹っ飛ぶ。観客席まで飛び、椅子が粉々に砕け、その中に竜人が埋まった。
「班長!」
「大丈夫だ……麿様の加護のお陰だな……」
咄嗟に土を纏わり付かせておいた右腕に左手を添える。ひどい火傷は負ったが焼失は免れた。振り返り笑むモウンにシオンが涙目で「すみません」と謝る。
「しかし、参ったな……」
これで完全に奴の標的がシオンに定まった。
「玄さん、シオンの水の力の封印を解放しては?」
シオンはさっき玄庵が使った、四神である玄武族の水の力を更に上回る、水の第一種族クラーケン族の並みの力を持つ。それなら、あの竜人に対抗出来るはず。法稔の提案にシオンが悲鳴を上げる。
「無理!! 絶対無理!! 今のボクじゃ、周りの家を水没させちゃうよ!!」
過去の自分の力の暴走で流された仲間の悲鳴を思い出して、青ざめるシオンに「アレでは到底無理じゃの」玄庵が首を横に振った。
「じゃあ、どうしたら……」
カラカラと観客席の椅子の欠片が動き始める。
身構える魔界と冥界の兵士の間を、ふわりと優しい風が吹いた。パサリ、柔らかな羽音が鳴る。
「術を立て直しましょう」
凛とした声が響いた。挑発的なレオタードから、紫の燕尾の軍服に変えたエルゼが、トンと皆の中に降り立つ。
「エルゼ!!」
恋人の無事な姿にアッシュが、素直に嬉しそうな声を上げた。
「もう一度、奴を結界の中に押し込めれば良いわ」
にっこりと皆を励ますように、彼女は微笑んだ。
「まだ投光器の魔法陣は生きている。お玉、五本の投光器をあなたの糸で繋いでくれる?」
「解ったよ」
お玉が新しい手鞠をいくつも出す。しゅるしゅると解いた糸をより、太くした後、五本の投光器を繋ぎ、五角形に糸を張る。
「玄さんはこの頂点に、法稔くんは三番目の角に、私が四番目の角に入って術を再生します」
エルゼが細い指を立てて周囲を指す。すっと紫の淡い光の五角形が、炎やモウンの土の術で、ぼろぼろになったグラウンドの上に描かれた。
「範囲は小さくなるけど、この五角形の中に、さっきより強い結界を張り直します。後は、どうアイツをこの中に入れるかだけど……」
カラン……。また、観客席から音が鳴る。
「……ボ……ボクが、おとりになるよ」
シオンが震える声で名乗り出た。
「どうせ、狙われているし」
「俺がガードに入る」
モウンが背のマントを裂いて、焼けた右腕を包む。
「シオン、お前の刀を一本貸してくれ」
「はい」
シオンが青竜刀を渡す。それを左手でぶんと振って、モウンはうむと頷いた。
「あたしもガードに入るよ」
お玉がいくつ持っているのか、また新しい手鞠を出す。
「後、アイツを捕らえるのは……」
エルゼが視線を向ける。
「オレがやる」
アッシュがその視線に答えた。
「除名されているとはいえ、同じ火の一族、オレが引導を渡す。結界はどのくらいの炎に耐えられる?」
「アッシュの最大パワーには到底無理だけど、八割くらいには耐えられるように頑張るわ」
術士としての答えにアッシュは頷いた。
「八割使えれば十分だ」
ガララララ……。瓦礫が観客席の通路に落ちる音がする。
「よし、行くぞ!」
モウンが号令を掛ける。
「はい!!」
「御意」
皆が一斉に散った。
力任せの右ストレートをこめかみにくらい、クラクラと脳震とうを起こした頭がようやく治まる。
カラリ、カラリとプラスチックとコンクリートの欠片を身体から落としながら、竜人は立ち上がった。
左眼を失い、狭まった視界にマリンブルーの軍服を着たザリガニ少年が震えながらも剣を構えているのが映る。途端に頭が怒りと痛みで真っ赤に染まった。
この痛み……この屈辱……お前も同じ目に合わせてやる……!!
同じように……いや……倍返しで……貴様の両目を潰し……その身を焼き尽くして……!!
一声吠え、竜人は飛び立った。翼をはためかせ、少年に向かい炎を放つ。
「させないよ!」
鋭い女の声が飛び、糸が炎を弾く。同時に飛び込んできたミノタウロスの男が刀で炎を切り裂いた。
邪魔をするな!!
更に吠え、怒りを炎に乗せる。炎が白く輝く。少年がそれを見て、触角をピンと延ばし、背を向けて逃げ出した。
「うわぁぁぁ!!」
少年が必死の叫びが聞こえる。竜人はニヤリ笑い、更に炎を放つ。
なぶり殺しにしてやる……。そう思ったとき
「今よ!!」
聞き慣れない女の声が響き、少年を追う炎が突然消えた。身体が何かに阻まれ、先に飛べなくなる。
どういうことだ……!!
力任せに翼をはためかせる。
「これで終わりだ」
静かな男の声が背後から聞こえた。
三人の術士の術により、五つの投光器に再び光が灯る。スポットライトのように白い光が、グラウンドの描かれた五角形の中を照らしていた。
その光の中に入り、ジタバタと暴れる竜人に、アッシュは背後から近づいた。竜人が振り返り吠える。
「これで終わりだ」
アッシュは男の顔前に右手を出した。炎が竜人の周囲に沸き上がる。対抗するかのように竜人も自身を炎で包む。
二つの炎が、赤からオレンジ、黄色、白……へと変わる。
「すごい……」
結界越しでも肌を刺す熱に、シオンがブルリと身を震わす。
「この結界が無かったら二つの熱でどうなっちゃうんだろう……」
多分、膨大な熱に周囲の物が溶け、自然発火を始め、近くの住宅街では、あまりの火気に可燃物に火がつくだろう。見守る皆が息を飲む。
アッシュの炎が更に青白く光り始めると、対抗仕切れなくなった竜人が苦しげに呻き出した。鋭い爪で喉を掻き毟り、天を仰ぐ。
「火の一族の総統、ブランデル公爵家の名において、お前を封ず」
炎が更に青く燃える。鳴き声のような叫びがその中から漏れ響く。それが途切れると、そこにはボロボロの礼服を纏った、バーン家次期当主がぐったりと気絶していた。
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