12. 決戦
深夜、関山市郊外の市民グラウンドの上空にバーン侯爵家の色、紅色の礼装にマントを着け、腰に剣を掃いた次期当主の男が現れる。移転のときはバブル期だった為、地価の少しでも安い、市街からかなり離れた郊外に作られたグラウンドは今は大小の住宅の中に埋まっている。
もう日付が変わる時間だが、周囲の家々はまだ煌々と明かりが付いていた。そんな光の海の中、まるでぽっかりとあいた落とし穴のようにグラウンドは闇と共にある。
こちらに来てから買った高級ブランド時計をはめた腕を上げる。カチリ、小さく音を立てて長針と短針、秒針が重なる。そのとき、はっきりと挑発するように女の気配が立ち上る。闇に閉ざされたグラウンドの中央。男は息を飲むとそこに向かった。
観客席から真っ直ぐ上に延びる線の内側、施設内上空の入った途端、カッと眩しい光が辺りに満ちる。
「なっ!!」
思わず声を上げる。闇に慣れ過ぎた視界が真っ白になり、慌てて両腕で顔を覆う。闇の中にあるはずの空間が煌々と光に満ちている。ようやく腕を外すと、グラウンドを囲む照明塔が灯り、圧倒的な光を放って周囲を照らしていた。
「これは……」
一見、光に見えるが結界の一種。身に感じる圧迫感から読む。それもかなり高度な術式と強い力を寄り代に作られた結界。
「……もしかしたら……」
自分の火の第一種族としての力すら押さえ込み、この光の外には出さないようにしてあるのかもしれない。
「まさか……」
脳裏に玄武一族の元長老の顔が浮かび黙り込む。そのとき
「なに、ぼやぼやしてるんだい?」
グラウンドの中央からスマホを通して聞こえた蓮っ葉な声が聞こえた。
衝撃吸収の赤茶色のゴムが敷かれたグラウンドに降りると、目の前にあの女がいた。黒い長い髪に野暮ったい茶色のコート、紺の膝下まであるタイトスカートがコートの裾からはみ出し、そこから伸びる足は分厚いタイツに覆われている。
『大人しい』『地味』を具現化したような男好みの女。だが、今は揃えた前髪から覗く目は、生き生きと反抗的な光を放っており、唇には真っ赤なルージュが塗られていた。
「どうしたんだい? 坊や」
女が腰に手をやり、ニヤリと赤い唇を歪ませて男を見上げる。挑発的な視線に男がたじろぐ。
「ん? 『おもちゃ』に逆襲されてビビっちまったのかい?」
「うるさい!!」
図星を指されて男が怒鳴る。
「正体は分かっているんだ。死神め。元の姿に戻れ!」
「おやおや。こっちがお好みだと、わざわざ化けてやったのに……」
くくく……。楽しげに笑って女……お玉がするりと変身を説く。鼈甲、焦げ茶、黒の斑が散った白い毛並みの猫女。小粋な江戸小紋の着物をしゃなりと着こなし、黒に赤い鼻緒の下駄を履いた彼女を男は睨み付けた。
「……化け猫が……」
男の罵倒をお玉が鼻で笑う。白い手を翳すと、そこにはバーン家の紋章の封蝋がついた封書が浮かび上がった。
「返せ!!」
男が一気に駆け寄り、お玉の手の上の封書を奪おうとする。が、その手が空を切った。
「幻影か!!」
すり抜けた封書に歯を鳴らす。お玉はふふふ……と笑った。
「焦らなくても、ちゃんとパパのお手紙は持って来てるよ」
着物の懐から、ちらりと出して見せる。
「但し……」
笑みを含んだ猫の瞳が男の後ろを見る。沸き上がる土と火と水の気配。
「魔王軍特別部隊破壊活動防止班だ」
太い男の声が掛かる。
「二人の女性を『破壊』し、死に追いやった貴公を魔憲章九十九条、異界における破壊活動防止条例違反で捕縛する。これは冥界王府の要請と『火の王』エドワード・ブランデル公爵閣下の御命令でもある」
男が振り向く。そこには黒い軍服に黒いマント姿のモウン、白い軍服に白いマント姿のアッシュ、マリンブルーの軍服に青竜刀を構えたシオンが立っていた。
「その破防班の三人を倒せたなら、これを返すよ」
お玉が楽しげな笑い声を残して消える。男は三人を睨み、身構えると腰の剣を抜いた。
「お玉姐さん、あんまりアイツを煽らないで下さい」
グラウンドが正面から見渡せる貴賓席、所謂VIPルームに戻ると、法稔の呆れ返った声がお玉を出迎える。
「亡くなった二人の女の
お玉は床に描かれた淡い光の線を踏まないように、窓辺へと足を運んだ。明るく照らされたグラウンドでは、破防班の三人と次期当主の戦いが始まっている。
キン!! 男の剣を弾くシオンの刀の動きに目を細めて、お玉は床を見下ろした。机や椅子を壁際に寄せ、大きく空間を開けた貴賓室の床には、二つの魔法陣が描かれている。そして、それぞれの中央には玄庵と法稔が座禅を組んで印を結んでいた。
お玉の視線が五器の投光器の柱へと向かう。そこには玄庵が考案し、彼とエルゼと法稔が協力して作った魔法陣の描かれた布が巻き付けられていた。麿様より、この辺り一帯の地精を治めることを許されたモウンの大地の力を寄り代に、投光器の光の力を借り、次期当主の火の力がグラウンドから外に出ないように押さえる。四人の強い力を持つ魔族が存分に戦える場所はここぐらいしかないが、周囲の住宅に被害を出してはならない。それを考慮して玄庵が組んだ術であった。
「……玄さんを疑うわけじゃないけど……これで本当に押さえられるのかい?」
激しい炎の束をグラウンドに手を着いたモウンが地面を隆起させて防ぐ。シオンが右手の刀を高く上げる。ライトの光に氷の粒が煌めき、一斉に男に襲い掛かる。
お玉の問いに「五分五分じゃの」玄庵が赤茶色の瞳を開く。
「魔族の第一種族と呼ばれる四種族は、それぞれ、成人になると更に強い力が使える形態を持つようになる。勿論、魔界でもそれを使うことは、よほどのことが無い限り禁止されておるが……」
シオンが昔、魔王軍の全部隊演習で水の力を暴走させたとき、エドワードとアッシュがその形態をとり、逆巻く水をくい止めた。
「アレを押さえられるかは保証は出来ん」
「だから、班長がシオンに攻撃をさせて、油断させ、一気に自分とアッシュさんで仕留めると言ってました」
法稔がジャラリと数珠を鳴らして、また呪文を唱え始める。響く二つの呪文に「うまくいくといいね」お玉は呟いて窓の外を見た。
「でぇあっ!!」
キラキラと光る氷の粒が一斉に男に襲い掛かる。
「バカにするな!!」
男が右手を払うと炎の渦が巻き、あっというまに氷は溶け、グラウンドの上に点々とシミを作った。
「やっぱり、ボクの氷の力じゃ、サラマンドラ族を押さえるのは無理か」
シオンの氷の力は封印された水の力とは違い、彼の種族、中階層レッドグローブ族のレベルだ。当然、火の第一種族には適わない。にも、関わらず彼はまた氷を呼んだ。
『お前で油断させ、俺とアッシュで一気に行く』
班長の言葉を思い返し、集中を高める。シオンはエドワードとアッシュの本来の力を目の当たりにしている。
アレじゃあ、いくら玄さんが術を練っても、ポン太が頑張っても押さえるのは無理だ。
ここに来る前見た、真砂のように広がる住宅街の明かり。あの明かりの一つ一つに、この世界の人達がいる。そしてそれが『破壊』された場合、いくら修復班でも失った人の命はよみがえさせられない。
絶対に守らないと……!
シオンの強い決意を現すかのように、氷の粒がライトの光を反射しながら大きくなる。その様子にモウンが武骨な唇を緩めた。
『……シオン、しっかり成長しているようですね』
アッシュの心語が頭に響く。
『ああ』
モウンは頷いた。普段の生活は相変わらず軽いが、間違いなくシオンは魔界の兵士として成長している。
『……次にシオンが術を放ったら一気に仕掛ける。良いな』
『はい』
『シオン、お前はその術を放ったら一端引け。俺とアッシュで奴を仕留める』
『はい!』
シオンが大きなハサミと細い両腕、四つを合わせて、グングンと氷の粒を大きくしていく。
男はそれに薄い笑いを浮かべた。火竜の血を引くサラマンドラ族の前に、レッドグローブ族の氷の術など効くはずもない。余裕で右手を揺らめかせ、炎を呼ぶ。
その様子にシオンの後方でアッシュが、男の後ろでモウンが剣を手に身構えた。
「いよいよ仕掛けるね……」
お玉が呟く。その声に二人の術士の声が大きくなる。
「はぁぁぁっ!!」
シオンが玉となった氷を放った。
ライトの光に煌めきながら、野球ボールほどに成長した氷の玉が、男に襲い掛かる。
「愚かな……」
男は鼻で笑うと右手を揺らめかした。赤い炎の壁が彼の前に広がる。
ジュツ!! ジュジュッ!! 音を立てて、氷の粒が溶けて消えていく。その間にアッシュとモウンが前後から距離を詰めた。役目を終えたシオンが青竜刀を構えつつ、後方に下がる。
しかし、ここで一つ誤算が生じた。シオンの水の力は、まだ彼の中で成長を続けている。それは彼の使う他の攻撃術にも影響を及ぼしていた。その影響を受けて、レッドグローブの範疇を越えて、より固く、より大きく育った氷の玉が中に混じっていたのだ。
そして、もう一つ。男は完全にシオンを舐め切っていた。その油断が炎の壁に表れ、まだらに薄い箇所がいくつも出来ていた。そこをその氷の玉が通り抜ける。
「何っ!?」
男の眼前に、多少溶けて小さくはなった氷の玉が飛んでくる。
男は慌てて剣を構え、切り捨てようとしたが、油断仕切っていて間に合わない。そして男にも破防班にも運が悪いことに、それは勢いよく男の左目にぶち当たった。
「がぁっ!!」
男の悲鳴が上がる。眼球が潰れる痛み。どろりと流れる己の血。それに高位貴族として、今まで人を傷付けても自分は傷付くことを知らなかった男がパニックに陥った。
「うおぁぁぁぁぁ!!」
男の喉から獣のような叫び声が溢れる。全身からほとばしる凄まじい火気に
「アッシュ! シオン! 引け!!」
モウンの命が飛ぶ。
「法稔! 玄さん!」
お玉の声が響く中、魔法陣に赤い光が走り、集中していた術士の印が弾かれる。
バチン!! 投光器のライトが切れた。
シュゥゥゥゥ……、光がゆっくりと消えていく。
男の雄叫びが響く中、グラウンドが完全に闇に沈んだ。
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