10. 雲の向こうへ

「班長!!」

 少年兵の弾んだ声がようやく雨脚が緩み始めた闇の中に響く。

「大丈夫か? シオン」

 少年兵に労いの声が掛かった。

「はい!」

 彼は元気に答えると、覆い被さっていた老夫婦を動く腕とハサミで抱き寄せた。

「瑞ちゃんのおじいちゃん、おばあちゃん、ちょっとクラっとするけど我慢してね」

 少年兵と老夫婦の姿が消える。黒い軍服を着た大柄な男は左手にしていた丸めたマントを投げ捨てた。

 カラン。それに突き刺さっていた少年の剣も手を離れ、アスファルトの地面に転がる。さっき少年兵を切り裂いたと思った手ごたえは、彼の術によるまやかしだったのだ。男を見上げた少年の顔に朱が走った。

「何故、ボクの邪魔をする!!」

 居丈高に怒鳴る。牡牛顔に張り出した角、男は土の第二種族ミノタウロス族の者だ。 ミノタウロス族は代々第一種族ベヒモス族に仕える一族、主たる自分に少年は踏ん反り返って男に命じた。

「このどこかに冥界の力を汲み出すことの出来る娘がいる。そいつを捕まえて連れて来い」

「それは出来ませんな」

 男は彼を見下ろしたまま告げた。

「その娘は冥界との協定で、この世界の破壊防止班の保護下におります」

「うるさい! ボクに逆らうつもりか!」

「はい。既に貴公を捕縛する許可書もあります故」

 男は懐から書状を出して少年に見せた。治外法権を持つ第一種族の総統家の者に対する捕縛許可書。そこには少年の父母とベイリアル家総統代理のサインがしっかりと綴られていた。

「……そんな……馬鹿な……」

 今まで身分を笠に好き放題してきた少年の顔から血の気が引く。青ざめる少年に男……モウンが厳しい目を向ける。

「おイタが過ぎましたな。魔界内でならともかく、他世界に出て魔族の誇りを汚した以上、 許されることはありません」

 大きな手が細い腕を掴む。

「うるさい!!」

 腕を振り解き、この身分をわきまえない生意気な男に制裁を与えようと大地を呼ぶ。が、少年の顔が強張った。

「これは……どういうことだ!」

 先ほどまで彼に従い素直に言う事をきいていた大地が反応しない。なりふり構わず、本来の姿、紫の毛並みに曲がりくねった角を持つ、ベヒモス族の姿に戻り再度大地に呼び掛けるか、大地はピクリとも答えなかった。

「残念ですが、既にこの一帯の地精は私の支配下に置かれています」

「馬鹿な……ミノタウロスがベヒモスに支配力で勝つ等……」

「この一帯を治める大地の神が私にそれを許して下さったのです。いくら魔族といえども 神に勝つ事は出来ません」

 あのとき、麿様は自分の配下の土地の地精をモウンが自由に支配することを許したのだ。魔族といえども生死ある現世の者。常世の神である麿様とは格が違う。淡々と語るモウンから少年がよろけながら離れた。土の第一種族という絶対のプライドを打ち砕かれ喘ぐ。

「……なら、他の地なら……!」

 活路を見い出し、飛び上がる。そのまま飛び去ろうとしたとき黒い影が立ち塞がった。 腹に強い打撃を受け身体を折る。そのまま地面に落ちて転がった少年の腕を後ろに回し縛った。

「終わりましたね」

 火気を納め、いつもの穏やかさを漂わせた副長が寄ってくる。

「ああ、後はこのまま玄庵に眠らせて魔界に連行する」

 抵抗する意思を失った少年を一瞥し、アッシュは少年少女と班員達を迎える為、球場の通路へと向かった。雨が上がり、泥だらけのアスファルトの上を複数の足音がやってくる。アッシュと和也に両脇から抱えられ歩いてくるシオン、それに付き添うエルゼ。祖父母に寄り添われた瑞穂、その隣を歩いていた優香がモウンの姿に駆け寄る。

「すまんな。遅くなって」

「うん。本当に大変だったんだよ」

 目の縁に涙の跡がある少女の頭を大きな暖かい手が撫でた。

「玄庵、直ぐに子息を魔界に連行する。シオン、室長に頼んで医師の手配をするから、もう少し辛抱してくれ」

「御意」

「はい。解りました」

 その声にはっとした都がモウンの前に立ち止まった。

「あなたは……」

 見た目は全然違うがまとう気と瞳に宿る優しい光は間違い無く、四番目の犠牲者を襲った自分を止めてくれた男のものだ。

『お前は本当にこれで良いのか?』

 悲しげな声が耳によみがえる。

「ありがとうございました」

 都は地面にへたり込んだ少年には目もくれず、モウンに深々と頭を下げた。

 

 

 一ヵ月後、梅雨の合間の晴れ間、生き生きと美しい緑を輝かす皐月家の庭に少年、少女の声が響く。ブチブチと草をむしり「この樹は少し弱っているなぁ~」と玉砂利を数個、若い樹の根元に置いたシオンに側で草むしりを手伝っていた瑞穂が訊いた。

「それは?」

「麿様の神社の玉砂利。大地の神の麿様の力を受けているせいか、これを草木の根元に置くと元気になるんだ」

「へぇ~」

 皐月家、庭担当の話に瑞穂が感心する。

「シオン、瑞穂さん、都さんと和也さんが来たよ」

 優香の声が掛かり、二人は手を洗うと縁側に向かった。縁側には梅雨晴れの蒸し暑さの中、都と和也が座っている。

 挨拶の後「シオンさん、お怪我の具合はどうですか?」 都が訊く。

「うん。もうすっかり元通りだよ」

 グリグリと右のハサミと左腕を回して笑むシオンに都は、ほっと息をついた。

 あの後、玄庵に少年を深く眠らせたモウンは彼を魔界に連行した。そして知らせを受けて待っていたボリスに彼を引き渡し、他世界監視室の室長にシオンの負傷を告げたのだ。 怪我の状態を聞いた室長から直ぐにハーモン班の支援をしているアッシュの長兄、『火の王』エドワード・ブランデル大将に連絡がいき、そのとき彼と一緒にいた水の大将、クラウド・グランフォードも話を聞いた。そして、グランフォード家お抱えの医師団から骨折専門の医師が皐月家にやってきたのだ。

「すぐに手術して下さってね。腕もハサミの関節も完璧に治ったの。 これは死神さんからのシオンへのお礼とお見舞いの品よ」

 エルゼが小皿に乗せた菓子を持ってくる。近所の美味しいと評判の菓子店の漉し餡に短冊や星型の練り切りを乗せ、透明な寒天で包んだ七夕菓子に少女達が歓声を上げる。

「麦茶もどうぞ」

 ガラスの器に入った茶をアッシュが配る。カラン……涼しげな氷の音が鳴った。

「しかし、その後、クラウド様がわざわざお見舞いにみえられたのにはびっくりしたよ」

 菓子を美味しそうに口に運びながら、シオンがゆらゆらと長い触覚を揺らす。

「クラウド様は上に超が付くお兄ちゃん子だから、アルベルト様がシオンのことを心配しているのを知って、自ら様子を見に来て下さったのだろうね」

 アッシュがおかしげに肩を揺らす。元々病弱なアルベルトが立つ事も出来ない身体になったのは、過激派の陰謀から身体を張って弟を守った結果だ。以来、クラウドは兄をこの上なく敬愛している。

「オレはクラウド様がボリス様のシオンへの詫び状を持って来られたことにびっくりしたけど」

 賑やかな話し声に顔を出した班長に、アッシュが茶と菓子を渡す。

「ボリス様としては、一族の者が罪を犯した上に他の一族に迷惑を掛けたことが許せなかったのだろう」

 モウンが答えた。

「あの方は本当に真面目な誇り高い方だからな」

 しかし、あれほど『土の王』に相応しい方もいらっしゃらないのに……。麦茶を飲みながら班長がぼやく。ゆるゆると首を振ると「そういえば都はもう修復班の再犯防止プログラムは受け終わったのか?」 話題を変えた。

「はい。それでお礼を言いたくて、沖田先輩に連れてきて貰ったのです」

 シオンの予想とおり、被害者が三人とまだ少なかったこと、自発的に罪に気付き、その後魔族をしっかりと拒絶したことにより、罪を軽減されて破壊修復班の再犯防止プログラムを受け、事件の記憶と力を消し去ることになった。

「プログラムで他の被害者の子にも謝ったんでしょ?」

 シオンの問いに「はい。しっかり怒られてきました」と都は頷いた。被害者には今年受験生の子もいて、都のせいで一ヶ月も学校に通えなかったと相当なじられたらしい。

「私、本当にひどいことをしてしまったのだって改めて解りました」

 うつむいた都の肩に和也がそっと手を置く。

「その子は修復班がなんとかするって言ってたわ」

 本人が望むなら、時の流れの遅い空間の力を使って失った時間分を取り戻せるらしい。

 修復班と共に都のプログラムに関わったエルゼが請け負った。

「ありがとうございます」

 都は深々と皆にお辞儀をした。

「じゃあ、今夜ね」

「はい」

 都は今夜就寝後、記憶と力を消される。

「助けてくれた皆さんのことを忘れるのは辛いんですけど……」

 少し涙くんだ目で皆を見ると和也と瑞穂に顔を向ける。

「忘れて、力を失っても友達でいてくれますか?」

「勿論」

「当然だよ。都ちゃん」

 二人が笑って答える。その笑顔に都も小さく微笑む。

 可愛い……。

 そんな彼女を見て和也は改めてそう思った。本来の顔に戻った彼女は、確かに周り全てを魅了する美しさは失ったが穏やかな良い顔をしている。

 もしかしたら彼女をイジメていた少女は、この優しい幸せそうな顔が気に障ったのかもな……。

 和也はそっと胸の内で呟いた。

「本当に御世話になりました」

 縁側を降り、庭の木戸まで見送りに来た皆に都が改めて礼をする。

「さようなら。またね」

 優香の声に微笑んで頷くと都は黒ずんだ木戸塀の向こうに去っていった。

 


「和くん」

 去り難く、彼女の消えた道を見ている和也にシオンがそっと声を掛ける。

「うん? なんだ、シオン」

「姐さんがね、今夜、記憶の消去しても、都ちゃんの和くんへの好意は消さずに残しておくって言ってたよ」

「へ?」

「頑張ってね」

 シオンが背中をポンと叩いた。

 


「フラれたのぉ~!!」

 秋の装いが濃くなった皐月家にすっとんきょうなエルゼの声が響く。夏用のい草のラグを片付け、絨毯を敷いた居間には

『以前飲んだ、じゃすみんみるくていーというものの、ほっとを馳走せよ』

 瑞穂に連れてこさせた麿様が座卓の上にちょこんと鎮座して茶白色の液体を甘露、甘露と啜り上げている。その脇で皐月家の面々を前にがっくりと和也が項垂れていた。

「……都ちゃんと和也先輩、結構良い感じだったんですけど……」

 瑞穂がすっかり落ち込んでいる和也の代わりに説明する。

 先輩後輩としてではなく、好意を持って近づいていく二人……それを見過ごせない人物が郷土史資料研究部にいた。古地図マニアの部長である。

「都ちゃんみたいに地図好きの女の子なんてそういないですから……」

 和也に渡してなるものかと部長が猛然とアタックをしてきたのだ。その結果……。

「ボク、先日街で部長と都ちゃんに会ったよ。ちょっと気になったものだからデートに 混ぜて貰ったんだけど……」

 遠慮の無さとノリの良さで調子良くシオンは、古地図と地図を手に歩く都と部長のデートに入れて貰い、二人の様子をじっくりと観察した。

「二人が何をしているのかはチンプンカンプンだったけど、すごく楽しそうだったよ。部長は都ちゃんをとても大切にしてたし、都ちゃん、ここに最後に来たときより何倍も明るく、幸せそうだったし。あれはもう割り込めないね」

 きっぱりと言い切るシオンに和也が更に項垂れた。

「……なんで、こうなるんだ……?」

 情けない声が響く。

「もしかして、和也くんてカッコ良くて、ほっといても女の子が寄ってくるから解らなかったけど ……相当な恋愛下手なんじゃない?」

 苦笑いを浮かべながら麿様のコップにアッシュがおかわりを注ぐ。

「そうなんです」

 瑞穂が深刻な顔で告げた。

「女心が解らないし、気が回らないし、口下手だし。それでいて見た目でモテるから、好きになった女の子がだんだん不安になってしまって……」

 去っていってしまうのだ。

「瑞穂……これ以上ヘコませるな……」

 和也ががっくりと肩を落とす。ダメだこりゃ……。諦めの雰囲気が漂う居間に突然愛らしい男の子の声が響いた。

「イヤ、違うでおじゃる!」

 麿様がピシっと鎌のような前足で和也を指す。

「へ?」

「麿には解る。お前は恋愛運が無いのでおじゃる」

 麿様は御大層に前足を組んだ。

「麿に仕えてみよ。麿は大地豊穣の神、実りの神じゃ。きっとお前の恋も実らせてみせようぞ」

「ほ、本当ですか!?」

 自信満々に告げる麿様に和也が身を乗り出す。

「……本当なの?」

 ぼそっと訊いた優香に瑞穂が首を振った。

「私、聞いたことない。でも、最近麿様、生きが良い若い男の使いを欲しがっているから……」

 この夏休みに商店街協賛の郷土資料研究部の歴史・神社マップが出来た。それを夏祭りに商店街で配布したところ、かなりの反響があったのだ。目玉は瑞穂が提案した土童神社の御守り。シオンが神社の玉石を樹の根元に置いていたことを商店街の人に話したところ、商店街で土童神社の土をほんの少し可愛らしい布の小さな袋に入れて、 植物の御守りとして売り出したのだ。 珍しい御守りだと売れ始め、更に効果があるという噂が園芸好きにSNSで流れ、土童神社を参る人が日に日に増え始めている。

「……それでね」

 和也に自分の加護をつらつらと並べ立てる麿様に瑞穂が苦笑する。

「おい、いいのか?」

 顔を顰めたモウンに「この国の神様は結構いい加減ですからの……」玄庵が笑った。

 真剣な顔で麿様の話を聞いている和也をどこか嬉しそうに瑞穂が見ている。その横顔に優香が微笑むと和也の隣のシオンが楽しげに第一、第二触覚をユラユラと揺らす。

『今度はちゃんと彼女が出来るかもしれないね』

 優香の頭にシオンの声が響き、二人は顔を合わせて小さく笑った。


雲の向こう END

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